魔王軍の侵略 6

 当然、蛇もついていくと言い張った。もちろん、辛気臭い路地にずっといたくないからではなく、ユリカが気がかりだからだ。

 むしろ、事情を聞いて反対すらした。だがユリカが聞かないのを見て取るとあっさり同意した。

 実家のような、という表現がある。

 そんなやりとりを見ながら、ラーニエは実家の両親を思い出していた。

 両親は喧嘩が多かった。我の強い父と、夢見がちな母。

 母が何かを提案して、父が断固拒否しているのをよく見ていた。

 父はどちらかというと冷静沈着な方だが、母は情熱の塊だった。

 ああだこうだの議論の末に、結局父が仰せのままにと折れる。

 そういうやりとりが、奇跡的な均衡を生み出しているのだと思う。

 ちょうど、ユリカと蛇の関係のように。

「いい? ケット・シー。無闇に魔法使っちゃだめだからね」

 こんなことを言ったのは、自分はどうなのだろう、と思ったからだ。

「にゃー、なんでにゃ?」

 足元で毛づくろいをしていたケット・シーが嫌そうに見上げる。

「あそこには人間が囚われてるの。あんたが魔法使ったらみんな死んじゃうでしょ」

 ふあ、とケット・シーがあくびをした。

「劣等種のことなんて興味ないにゃ」

 その言葉がいつものケット・シーらしくて、思わず笑みがこぼれる。

「あんたにとってはそうでも、私は困るの」

 言い返すと、救いようがない、というように「にゃー」とため息をついた。

 わかっているのだか、いないのだか。

 いざとなったらやりかねないな、と思いながら、それがこのケット・シーなのだ、と柔らかな体毛を思い出す。

 さて。今は一刻を争うときなのだ。

「行こう」

 一つ声をかけて、戦場へ向かう。

「なんとなく、群れのリーダーっぽくなってきたにゃ」

 ケット・シーが呟くようにいう。

 もちろん、この猫がラーニエを褒めるわけがない。

「気に入らにゃい」

 ぽつりとそう付け足した。

 人間の暗部を凝縮したかのような臭いがする路地裏を出て、大通りを教会へと向かう。

 魔物たちは、窓から見た時と変わることなくその場にいた。

 勇者様、という微かな声を聞いたような気がする。

 だが、人の姿は見えない。教会の中に閉じ込められているのだ。

 神がおわす聖なる建物をこんな風に使うという冒涜的行為に、怒りが湧いてくる。

 だからというわけでもないのだが、先に口を開いたのは魔物の方だった。

「その鎧……ふん、勇者か。何用だ?」

 言いながら、そいつはマントに手を添える。

 見せつけるように、と思ってしまったのは、魔物のマントは誰が見ても高級品のそれで、自身の鎧は安物のぼろだから。

「用があるのはそっちでしょ」

 こんなことで圧倒されていては勝てるものも勝てなくなる。それはわかっているが、経済力の差はそれだけで強大な力になる。

 それでなくてもわかりやすすぎる苛立ちに、魔物は瞬き一つせず答えた。

「俺が? お前に? なぜ?」

 腹が立った。

 いや、もともと存分に腹は立てていた。

 より正確に言うなら、頭にきた。

 馬鹿にされたからだ。

 それくらい、わからないわけがない。

「私が勇者だからに決まってるでしょ」

 睨み付けてやる。

 どうどう、とユリカの小さな声が聞こえた——ような気がした。それで、また腹を立てる。自分は馬ではない。

 視線が集まってくるのがわかる。

 注目のそれなら幾分良かったのだが、呆れた目なのだから居心地が悪い。

 確かに昂ぶっている。

 自分は馬ではないが、既に勇者ではないということを忘れていた。

 だが、出してしまった言葉は引っ込めることができない。

 こいつに向かって誤りを訂正するという間抜けな行為をするなど、屈辱にもほどがある。

「ほう」

 初めて、そいつが笑った。

 喜びの笑みではなく、ましてやラーニエを褒めるようなものでもない。

 無様に過ちを認めるのは、屈辱。

 しかし、それ以上の恥も、ある。

「随分な自信家だ。だがお前に興味はない」

「……!」

 一時の恥辱から逃れるために意地を張った挙句、勘違いをすること。

 まさに悪魔のような笑みで、じっとこちらを見つめてくる。

 楽しんでいるのだ。

 こちらの反応を。

「お前よりも仲間の方がよほど賢いみたいだな」

 どういうことだ、とユリカたちを見回す。

 こんな時に敵から目を離すという愚策以上に、嫌な汗が出た。

 皆揃って、呆れてものが言えない、という表情をしてこちらを見ていた。

「まあ——、とは言っても、だ。全くお前に用がないわけでもない」

 悔しい、というように奴は肩をすくめる。

 だが本当に悔しがっているわけがない。

 勝ちを確信している笑みを浮かべているのだから。

「な、何さ」

 精一杯、睨み付ける。

 ますます、青白い顔に笑みが広がった。

「捕らえよ」

 奴が片腕をあげる。

 ばさりと、マントが旗めいた。

 それが何を意味するのか、一瞬わからなかった。

 ぐおお、と怒号が上がる。

 魔物の大軍が一斉に走ってくる。

「なっ、なっ」

 何がどうなっているのか、と口にすることもできない。

 暇がなかったのではない。

 それくらい、驚いていたからだ。

 そして気がついたら、何もかもが始まっていた。

 まず動いたのは蛇だった。

 戦おうとしたのではない。守ろうとした。

 もちろん、その対象はラーニエではない。

 自慢の太い体でユリカに巻きつき、敵を睨む。

 シュウ、と火を吹こうとしている音が聞こえた。

 ユリカはなにも言わない。

 ラーニエと同じで言えないのかもしれない。

 ケット・シーは「にゃっ?」と声を上げて一歩下がった。

 だがそれ以上は動かず、その場で尻尾をあげる。魔法を使おうとしているのだ。

 それを見届けてから、ようやくそんなことをしている場合ではないということに気がついた。

 人間の骸骨を模した魔物——スケルトンが目前に迫ってきた。

 その手には、年季が入った、けれど太陽の光を受けて白く輝く剣が握られてある。

 ラーニエも、剣を抜く。

 驚くほど現実味がない。

 思えば、これほど本格的な戦闘は初めてだ。

 それまで戦いの相手はせいぜいがスライムだった。

 それが、いきなりトロールやスケルトンや小型の魔物達だ。しかも大軍である。

 これが本物の勇者なら、一瞬で形勢を逆転させることだってできるだろう。

 だが、ラーニエにはそんな力はない。

 絶望的。

 そんな言葉が頭に浮かぶ。

 そもそも、反射的に剣を抜いたのは失敗だった。

 素直に弱い電撃を浴びせて時間を稼げばよかったのだ。

 だが抜いてしまった剣を戻す時間はない。

 ましてや、そこから魔法を放つ時間はもっとない。

 やるしかない。

「たああああっ!」

 大して良いものでもない剣を、大雑把に振るう。

 神よ、我を守り給え。

 剣先は、空を切った。

「——っ!」

 スケルトンの腕に少し傷をつけることすらできなかったのだ。

 そんな、と呟く。

 呟くしかなかった。

 返しの剣が迫る。

 ラーニエは重い剣を振ったせいで無理な姿勢になっている。

 避けられない。

 ガン、と肩に衝撃が走った。

「ぐっ」

 鉄の鎧が身を守ってくれたので斬られはしなかったが、鉄で思い切り殴られたのとほぼ変わらない。

 斬ったり刺したりするだけが剣ではない。言わば、鉄の塊であるそれで殴れば、強力な鈍器にもなり得る。

 先生の言葉に、間違いはない。

 続いて襲ってきたトロールの、ラーニエの顔ほどもある拳が落ちてきた。

 今度は理性や焦りよりも、本能が先に働いた。

 剣を放り投げ、寝転がって攻撃を避ける。

 瞬間ガキン、と鎧から耳障りな音がした。

 ただ単に耳障りというだけではない。

 不吉な音。

 慌てて立ち上がる。

 ずるりと、鎧がずれる。

 息を呑んで抑え、抵抗を試みた。

 だが、運命に抗うことはできない。神の摂理に逆らうことはできないのと同じように。

 ガシャン、と希望を絶つ音がした。

 空気が、冷たい。

 気のせいではない。

 鎧の中は、自分の体温のおかげで暖かいのだ。

 むしろ、暑いくらいだったりする。

 それが突然なくなれば、寒い。

 現実を認知せざるを得なかった。

 鎧が、壊れてしまったのだ。

 壊れて、脱げてしまった。

「ラーニエさん、避けて!」

 ユリカの絶叫に、顔を上げる。

 電撃。

 それに気づいた次の瞬間。

「あっ、がああああっ!」

 ラーニエは息が止まるほどの痛みに絶叫を上げて倒れていた。

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