魔王軍の侵略 3

 砂、というものをここまで意識したことはない。

 砂はどこにでもあるもので、目にしても何も思わず、記憶にも残らない。そういうものだと思っていた。今朝見かけた鳥の数を覚えていないのと同じように。

 それを今、ラーニエは生まれて初めて『怖い』と思ったのだ。

 ごおおん、と音が鳴る。

 また一つ、建物が崩れ落ちたのだ。

 砂が巻き上がり、まるで舞台の幕のように全てを覆い隠す。

 それが収まると、いつのまにか建物が見えなくなっている。

 ラーニエは魔物ではなく砂が町を壊しているのではないかと、一瞬錯覚してしまった。

 町がなくなっていく様を見せて、人間を驚かせて喜んでいるのではないかと。

 タネも仕掛けもございません。この町を一瞬で壊して見せましょう。

 でも、もちろんそれで驚く人間はいないのだ。

 絶叫をあげ、涙を流す。

 恐怖におののき逃げ惑い、あるいは立ちすくむ。

 子供も大人もない。

 皆等しく、無力だった。

 ラーニエも、自分の体がどこかへ消えてしまったのではないかと思うくらい、無力と恐怖を感じていた。

 それでも前へ進む意思を保ち続けることができるのは、悲鳴のなかを昂然たる様子で進む巨大な蛇とユリカ、そして瓦礫を身軽に飛び越えていく小さなケット・シーの後ろ姿があったからに他ならない。

 一人だったら、逃げ出していた。そう確信する。

 皆が逃げ出す中、一人魔物の大軍に身を投げられるほど、ラーニエには度胸がない。

 多分、気が楽なのだろう、と思う。

 自分はともかく、蛇とケット・シーは強い。それをよく知っている。

 死ぬことは、多分ない。

 負けることも、おそらくない。

 というか、あってたまるか。

 三人が一緒に戦うと言ってくれてよかった。心からそう思う。

 砂埃の中、ラーニエと同じように逃げることをしない人々の姿が見えた。

 皆全く同じ硬い鎧に身を包み、顔まで覆っていて、誰がどんな表情をしているか全くわからない。この中に女性が混じっていても気づかないだろう、と思った。

 背丈まで大体同じで、彼らはそれ自体が一つの生き物のように見える。

 いや、実際そんなものなのかもしれない。

 彼らは、統率され、集団で行動する訓練を受けた、兵士なのだから。

「ゆ……勇者様! 来てくださりましたか!」

 突如、声をかけられる。

 やはり、どんな人間なのか推察することはできなかった。全く同じ鎧に、大体同じ背丈。

「あの、そちらは……」

 だが、声からして男であることだけはわかった。蛇を見て不安を感じていることも。

 当たり前だ。これだけ大きな蛇がただの動物であるはずがない。

 そして今、町を襲っているのは動物ではなく魔物なのだ。

「あたしの蛇です」

 答えたのは、蛇の傍にいたユリカだった。

 悠然と答える彼女は、ラーニエよりもよほど本物の勇者のように見える。

「えっと、彼女は私の友達です。一緒に協力します」

 周りの兵士も同じことを思ったらしい。ラーニエがそういうと、あっさり納得してくれた。

 あるいは単に仲間なら人間だろうが魔物だろうがどうでもいいと思ったのかもしれないし、単に蛇が怖くて嫌だと言えなかっただけかもしれない。

 どちらにせよ、何か言う人はいなかった。

「あの、どう言う状況ですか?」

 たずねると、兵士が口を開く。

 もちろん見ることはできないが、気配で察する。

 だが、彼が答えるまでもなかった。

 砂が舞う。

 目を開けることも、呼吸することも難しいくらい、砂が舞う。

 演劇の開幕を告げるように、地響きが轟く。

 全てが収まった時、そこには丁寧に潰された建物だったものと、魔物の軍勢があった。

 トロールが数匹。それだけでも圧巻だが、彼らの足元に目を向ければサソリの魔物やケルベロス、そしてゴブリンが所狭しと並んでいる。

 さらに、空へと目を向ければ鳥の魔物が数種類、編隊を組んで飛んでいる。

 ちらりとケット・シーと蛇を見る。

 多分、いける。

 これくらいの相手なら、追い返すことができる。

 目の前には瓦礫が広がり、これ以上破壊しようがないほどに壊されている。

 ということは、規格外の魔物が二匹、ちょっと暴れたくらいでは何も変わらないということ。

 いくら統率の取れている魔物の軍とはいえ、結局は生き物だ。

 心を操られでもされていない限り、力の差を見せつければ尻尾を巻いて逃げていくだろう。

「ケット・シー、蛇、あいつらの目の前に攻撃して」

 すると、意図を理解したらしい蛇が睨んできた。

「貴様、まだそんなことを」

 そう言われ、苦笑する。

 言い返す言葉もない。

 けれど、やはり無理だと思った。

 生き物を、殺すなど。それも、自分の手で。

 これ以上ないほどわがままだということはわかっている。

 自然界では大昔から魔物同士殺しあって生きてきた。

 絶滅危惧種の魔物や動物を保護するためにわざと殺すことだってある。

 生き物を殺すということは、必ずしも悪ではない。わかっている。

 それでも、心がついていかないのだ。

 それに、と開き直る。

 殺さなくて済むなら、それに越したことはない。

 この町の人の気持ちを踏みにじること、のような気はしなくもないが。

 せめて復興は手伝おう。そう心に決めた。

「ここはラーニエさんに従おう?」

 ユリカが助け船を出してくれなかったら、おそらく蛇は従ってくれなかっただろう。

「……いつか後悔するぞ」

 それはそうかもしれない。

 甘いことを言いつづけて、それでどうにかなる世界ではないのだから。

 肩をすくめた。

「それより、兵士さんたちは逃したほうがいいと思います。そのう……何が起こるかわかりませんし」

 ユリカの言葉に「あー」と納得する。

 確かにそうだ。単独で街を壊滅させることができる蛇に、超上級魔法をポンポン放つケット・シー。この二匹が同時に暴れたらどうなるかはちょっと想像がつかない。

 何も言わず、ケット・シーが魔法の準備に入ったのを見て、慌てて兵士たちを振り返る。

 気がつかなかったが、彼らはずっとラーニエを見つめていた。

 多分、指示を待っているのだろう。

「えーと、皆さん、早く逃げてください!」

 途端に、ざわめきが広がった。

 ラーニエに従ってその場を去る人間は一人もいない。

 肝が冷える。ケット・シーの尻尾に浮かぶ光の玉がどんどん大きくなっていくのが、気配でわかった。

 どうして逃げてくれない。指示を待っていたのではなかったのか!

「ここは、あたしたちだけでだいじょうぶです! 皆さんは、あちらの方をお願いいたします」

 ユリカが通る声で叫んだ。

 あちらの方、と言ってこことは真反対の、教会の方を指差す。

「……ここには、勇者さんもいますし!」

 最後にそう付け加えると、彼らは顔を見合わせそろそろと立ち去った。

 なんだか、やはりユリカの方が勇者に向いているような気がする。

「ラーニエさん、直接的に言い過ぎです……」

 誰もいなくなったところでユリカにそう言われ、なるほど、と思った。

 その瞬間。

「ふっとべにゃー!」

 威勢のいい声がして振り返る。

 ケット・シーが光の玉を大軍に直撃させていた。

「ちょっ、まっ」

 思わず制止の声を上げる。

 だが、もう遅い。

 大きな光が大軍の中心で少し縮小する。

 爆発の力が、解放される。

 町どころか、世界が壊れんばかりの轟音がして、本能的に目を閉じ耳を塞いでうずくまった。

 何かの悲鳴が聞こえたような気がしたが、それが自分の声なのか、それとも魔物の声なのかはわからなかった。

 いや、そもそもそんな声など最初からなかったのかもしれない。

 音という音が頭の中で混ざり合う。

 生前神に背くと突き落とされるといわれる地獄という場所は、あるいはこんな場所なのかもしれない、と思った。

 悪魔の怒号のような音が止み、目を開く。

 そこには、焼肉が散らばっていた。

「んー、あんまりおいしくないにゃ……」

 そんな気の抜けた声がして足元を見ると、ケット・シーが何ともしれない腕に噛みついている。

「……!」

 動揺して息が詰まった。

 もぐもぐ、と肉を引きちぎり、結局ゴミか何かのように放り投げる。

 ついさっきまで、生きていた魔物の腕を。

「う、うう……」

 つい後ずさったが、なんとか持ちこたえる。

 よくあること、これは自然界ではよくあることなのだ。

 すると不満そうに、にゃー、とケット・シーが唸った。

「やっぱネズミ肉の方がうまいにゃ。早く出すにゃ」

 何を呑気な。

 黙りこくっていると、にゃあ! と足に噛み付いた。

 だがそこはちょうど鎧で覆われているところだったので、何も感じない。

 むしろ噛み付いたケット・シーが痛い痛いと悶え飛び跳ねることになる。

 それを見ていると、だんだん怒りが湧いてきた。

「ちょっと、あいつらの目の前にって言ったじゃん! なんで直撃させたのよ!」

 苛立ちをぶつけると、まだ牙が痛むのかケット・シーは顔を擦りながら恨めしそうな目をこちらに向ける。

「だってそのほうが早いにゃ」

「……」

 そうなのだが。

 確かにそうなのだが。

 うう、と呻いてしまう。

 にゃー、とケット・シーがため息のような呆れた声をあげた。

 軍との戦いで誰の犠牲者も出さずに終わらせることができるかもしれない、などと甘いことを考えていたのはラーニエの方。

 完全に、逆恨みだ。

 そもそも、この町にはすでに甚大な被害が出ている。

 多分、死人も。

 とっくに境界線は超えているのだ。

 それでもなお覚悟を決められずにいるのはラーニエに責任感がないということに他ならない。

 歯を食いしばった。

 なにも、言い返せない。

「……おかしい」

 代わりに、そんなふうに割り込んできたのは蛇だった。

「どうしたの? 蛇」

 ユリカがそっと蛇の首に手を当てる。

 驚いたことに、ヘビはユリカの方を見向きもしなかった。

 ただ一点、先ほどまで魔物が集合していたところを見つめている。

 そして、一言、呟くように言った。

「少なすぎる」

「……えっ」

 知らず、声を漏らす。

「猫女、我は大軍と言ったはずだ」

 ぎろりと、睨むように蛇がこちらに目を向ける。

「貴様にはあれが大軍に見えたのか?」

 答えられなかった。

 言われてみれば、そうだ。

 数は多かった。けれど、大軍だったか、と言われると。

 違う。

「——まさか」

 無意識に、呟いていた。

 あいつらは、陽動だったのではないか、と。

 その時、キイキイ、と異質な鳴き声が聞こえた。

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