メイドと町人の話 5

「ああ、礼拝に行かれるのですね」

 翌日。

 ラーニエは宣言通り教会に行く、とメイドに告げると彼女は笑ってそう言った。

「さすが、ラーニエ様は信仰熱心であらせられます」

 そんなことを言う彼女の足に、ケット・シーが「もっとないにゃー?」などと言いながら頭を擦り付けている。よほど彼女が作るご飯が気に入ったようだ。

 ひょっとしたら懐いているのかもしれない。直接言えば絶対に否定してくるだろうけれど。

 だが、そんな様子を微笑ましいと思えるほどラーニエの心は落ち着いていなかった。

 信仰熱心?

 いや、むしろ仮にもルージャルグ神学校に在学していた身として恥ずかしいくらいだ。

 礼拝の日に教会に行くのは当たり前。

 それなら、どうしてわざわざ教会に行ってやる、などと思ったのか。

 忘れていたからだ。

 街を離れ、旅をしていて日にちの感覚がなくなっていたから——などというのは言い訳に過ぎない。

 神学校に通う者は神に忠誠を誓った身。礼拝の日を忘れるなど言語道断、何があってもありえないことなのだから。

「え? ——えっと、そうなんです!」

 その上、それを懺悔もせずに苦笑いでごまかしてしまうという失態まで犯してしまう。

 恥ずかしすぎて頭がどうにかなりそうだ。

 幸いにも、こういう時に無情な事実を突きつけてくるケット・シーはメイドに頭を擦り付けるのに忙しくしている。蛇は町の外にいるし、誰かに気づかれるということはなさそうだった。

 ありえるとしたらユリカだが、彼女は何も言わない。気づいていないのか、気づいていて、空気を読んでいるのか。五分五分といったところか。

 彼女は随分元気になっていた。少なくとも、よく寝すぎてもう一生眠れないかも、と冗談を言うくらいには。

 熱は下がったし、顔色もよくなった。萎びたカタツムリのように垂れていた目は生気が戻っているし、何より体を起こし自分でシチューを食べられるようになった。

「わたくしも、これから礼拝を捧げる準備をしようかと思っていたところです」

 そんなことを思っているとは知らず、メイドはユリカの、空になった食器をワゴンに乗せながら言う。

「礼拝の準備……ですか?」

 教会に向かうのに、どんな準備がいるのだろうか。

 やはり、それなりの服に着替えるのか。そう思いながらたずねる。

 だが、答えは予想の斜め上のものだった。

「わたくしの部屋で行うので、その準備を。……このような身ですので、教会に行くのはむしろ罪になるかもしれませんし」

「そう……ですか」

 彼女がいなければ教会に行くことすら忘れていたラーニエよりも、よほど信心深いお方だ。

 許せない、と思った。

 こんなに素晴らしい人を、異教徒だなんて。しかも、石まで投げるとは。これほど酷いことがあるだろうか。

 やはり間違っている。正しく神の教えが伝わっていない。

 もちろん、ラーニエだって、意図せずとも教会に背いた人間だ。だからこの状況を正そう、などとは言えない。そもそも、多分それほどの力はない。

 けれど、もう少しだけでも良くすることはできるはずだ。

「ラーニエ様もお誘いしようかと思っておりましたが、やはり勇者様は教会に行かれるべきですよね」

 擦り寄るケット・シーによしよし、と頭を撫でる彼女の表情は、少し寂しそうに見える。

 本当は、行きたいのだろう。

 勇者だから教会に行くのではない。全ての人間は気兼ねなく教会に行く権利を持っている。そのはずだ。

 もちろん——と、ユリカを見る。

 行かない権利もある。あると、今のラーニエは思う。いや、思わなければならない。今の自分にはその責任がある。

 でも、行きたくても行けない人は、いない。いや、いてはならない。

「にゃーん」

 と、ケット・シーが聞いたこともないくらいに可愛らしい声を出した。ゴロゴロと喉も鳴らしている。

「また、作ってあげますから」

 と、メイドがこちらを見ながら無慈悲にそう言った。これだけ喜んでくれれば冥利につきるといったところだろうが、餌のあげすぎは贅肉の原因になる。

 ただでさえ、ネズミ肉を一日五枚要求するケット・シーなのだ。やれやれ、と肩をすくめて返事とする。

 その途端、裏切られたかのような表情で喉を鳴らすのをやめた。

 こんなに可愛く鳴いているのに作ってくれないのにゃ? と、その顔が言っている。多分、自信があったのだろう。悪魔が聖人を惑わす時に使う文句のように。

「我慢、我慢」

 そう言ってやると、ケット・シーはこちらを見て、ニヤリと笑った。

 いや、そういう風に見えた。

「じゃ、そのかわりネズミ肉一枚追加にゃ」

「……」

 やられた。

 きっと、食べたいからではないのだろう。

 腹いせ。とりあえず、ラーニエを虐めることにしたらしい。

 だから今は金欠だから、などという説教はこいつには効かない。むしろ言葉を重ねて二枚、三枚と増やされるだけ。

「……わかったよ、あとで買ってくるから」

 諦めてそう返すと、フン、と鼻を鳴らされた。

 メイドの方を見ると苦笑いを浮かべていた。単なる苦笑いというよりも、同情しているような部類のものだった。

 気にしないでください、と肩を落とす。

「それでは、私も準備をしますので」

 そう切り出すと、メイドは「ああ、すみません。長々とお引き止めしてしまって」と頭を下げた。

 その姿を見て心の中でため息をついてしまう。

 準備、と言ってもこちらは正装に着替えるだけだ。

 そしてラーニエにとっての正装とはいわゆる制服のこと。ブレザーに、プリーツスカート。派手さはないが機能的で動きやすく、おそらく鎧を除けば持っている中では最も高価な服。

 少し前までは毎日着ていた馴染み深い服。

 ——のはずなのだが、胸に刺繍された校章を思って、少し気が重くなった。

 ユリカの部屋を出て自室に戻り、服を着替える。

 ふと大きな映し鏡があったことを思い出して自分の姿を見てみる。

 思ったより、あっさりとしていた。

 可もなく不可もなく。

 だが、一方で何もなかった。量産されるためだけに書かれた本のように、あまりにもこざっぱりしすぎていて感想というものがこれと言って出てこない。

 顔も、肢体も、ないわけではない胸に至るまで。

 可もなく、不可もなく。

 言動に気をつければ嫌な印象は与えないが、別れて半日もすればどんな人だったか忘れてしまう人間。

 残念だ、と不意に思った。どうしてなのかはよくわからない。けれどとにかく、そんな言葉が頭に浮かんだ。

「残念だ」

 口に出してみる。

 それはどんな印象も与えなかった。ただの音に過ぎず、音はそのままどこかへ消えてしまった。

 陰鬱な霧を追い払うように、頭を振る。

 今は、こんなことを考えている場合ではない。ただでさえ、教会に背き、今日が礼拝の日であることを忘れていた罪人なのだ。この上遅れでもしたら、それこそ神に顔向けができない。

 それに、誰かのために動こうとしている時にそんな後ろ向きな、しかも自分について考えていても仕方がないのだ。

 自己中心とはそういうことなのだ、と悟り、苦笑いを浮かべた。

 一度そう気づいてしまえば楽なものだ。

 神の声を聞いた聖人のように、むしろ軽い足取りで部屋を出た。

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