メイドと町人の話 3
「……」
先程から、メイドはずっと黙っている。
話しかければ笑顔で返してくれるのだが、心からの笑みではなく愛想笑いであることは明らか。
機嫌を損ねたのだろう。ラーニエではなく、屋敷の主人が。
その証拠に、ラーニエがいる前で時折深いため息をついている。
ほら、また。
それなりに騒がしい商店街を、まるで初めて来た場所かのような緊張の面持ちで歩いている。
その理由は、なんとなくわかった。
いや、思い出した、という方が近い。
すれ違う人間の白い目。これを、気にしているのだ。
多分、これでも普段よりもずっとましなのだろう。
食堂の前で客引きをしている町娘がメイド、ラーニエと目を移し、そして言葉を失っている。その表情はむしろ、訝しげなそれ。
気がついただけでも、二十回は同じ表情を見ている。
やはり、わからない。いったいどうしてメイドを疎ましく思っているのだろうか。
これだけいい人だというのに。
だが、当然それを本人に聞くことなどできやしないし、本人がいる前で町の人にたずねることもできない。
そんなことを考えつつ、ふと気づく。
「あっ」
足を止めた。
武器屋、防具屋、八百屋に、魚屋。
その隣にひっそりと、肉屋があった。
とっさに浮かんだのはケット・シーの顔で、自分が何をしなければならないかを思い出す。
「あの、肉屋さん寄ってもいい?」
返事までに時間がかかった。
「……えっ? えっと、はい、どうぞ」
どうやら上の空だったらしい。
いろいろと考えていたのだろう。町の人からの白い目について。それから多分、ラーニエの思考について。
元気付けようと思ったし、そうするべきだと思ったが、実際には何も言えなかった。なんと言えばいいのかわからなかった。それを考える時間も、タイミングもなかった。
「ネズミ肉、五枚ください」
「はいよ」
小ぢんまりしているだけあって、品揃えはあまりよろしくなかった。
よろしくないといえば、店内の綺麗さもそうだ。食品を扱っているというのに、眉をひそめたくなるほど清潔感がない。
奥にあるいかにも安物な豚肉など、ハエがたかっている。ちゃんと食べられるのだろうか、あれは。
少なくとも、聖都ルージャルグの肉屋とは比べ物にならない。
いや、むしろラーニエの知る肉屋の方が異常なのかもしれない。よくわからなかった。
旅を続けていればそのうちわかるようになるかもしれない。
もっとも、水ネズミの干し肉は例のハエがたかってる豚肉よりも安いのだろう。
そしてそれを買ったら空っぽになってしまう金銭事情はこの肉屋の衛生観念よりもよっぽど深刻。
指摘することなどできなかった。
逆に、口を出してきたのは肉屋の方だった。
「それで……お前さんはどういう関係なんだ?」
「えっ?」
小声の言葉に、思わず釣られて小声で返してしまう。
「朝からもっぱらの噂だぜ。あの女と一緒にいるやつがいるってな。もう一人はどうした?」
次々に飛び出す言葉に「えっと」ともごもごと呟く。
どう答えればいいか。保身と、体面と、メイドへの気遣いがせめぎ合う。
「い、今風邪で屋敷にいます」
結局、正直に答えてしまった。
ふうん、と肉屋は目を細める。
「あんまり付き合わねぇ方がいいぜ。特に、勇者様はなぁ……」
その言葉に、前半は思わず顔をしかめてしまったが、後半にはむしろ驚いた。
「なんで私が勇者だって知ってるんですか?」
「言ったろ、もっぱらの噂だって。ルージャルグ神学校の紋章をつけた鎧を着てりゃ勇者様だってわかるよ。たとえ女でもな」
「はあ……」
人間、意外と見られているものだ。あの鎧、ボロボロだったというのに。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
「でもどうして、彼女とは付き合わない方がいいんですか?」
たずねると、彼は露骨に嫌そうな顔をした。
「見てわかんねぇのかい? 銀髪に色白の肌。アムスラント人だよ」
振り返った。
行動をしてしまってから、不躾だったと反省する。
幸運なことに、彼女は偶然よそ見をしていた。
「でも、アムスラントはすでに改宗しているはずです。二百年も前に」
ゆっくりと、肉屋に向き直る。
正確には、二百五年前だ。
有名な話である。アムスラント王国は当時月神という邪なるものを信仰し、不正に国を広げていたが、聖戦に敗れ改宗し、今は神の子羊となっている。
「けっ。そりゃ表向きはそうだろうがよ、どうせ心の中じゃ悪魔を崇拝してるだろうよ」
「そんなことは……」
ないと思いますけど。
そう言いたかったが、その前に肉屋が「それに」と強い口調で言った。
「あの隠してる目。魔眼だって噂だぜ? 誰にも見せないんだからさ」
それには流石に苦笑してしまう。
誰にも見せないということは誰も見たことがないということで、つまり根拠のない噂でしかない。
大方、怪我や病気で隠しているだけなのだろう。
ただの噂で人を弾圧していい、という文言は聖典には出てこない。
指摘したかったが、しっしっ、と追い払われてしまった。
やれやれだ。
「買えましたか?」
メイドにそう言われ、はい、と腰につけたネズミ肉袋を叩く。
「すみません、こっちのわがままに付き合ってもらっちゃって」
「気にしないでください」
と、メイドも麻袋を掲げる。
中には野菜や麦が入っている。この辺りで買ったものだ。
「こちらも用事がありましたから」
そう言うと、そそくさと来た道を戻り始める。心なしか早足になっているような気がする。あまり外にいたくないのだろう。
それは別に、太陽が落ち始めているから、というわけではあるまい。
「ところで、ラーニエ様はこのあとどうなさるおつもりでしょうか」
「このあと、ですか?」
唐突な彼女の言葉に、ラーニエは少し考えてから「特に予定はありません」と答える。
それから思いついて「手伝えることがあればなんでも言ってください」と付け加えた。
すると、メイドは苦笑を漏らす。
「ああ、こちらの申し上げ方が悪かったですね。すみません。——この町を出たあと、どうなさるおつもりなのかなと」
なるほど、と理解すると、途端に顔が熱くなった。
つまり、勘違いである。
どっちを笑ったのか、白鼬がキュッキュッ、と甲高い声で鳴いた。
メイドが呆れるように「もう」と眉をひそめる。
「えっと……そっちも、特に予定はないですね」
そんなやりとりを微笑ましく思いながら、答える。
気づけば、人がだいぶ減っている。
夕刻の訪れを感じた。
「そうですか」
とまるで最初からわかっていたかのようにメイドは平然と答えた。
「それなら、この町の東にある山を迂回すると街があります。そこはどうでしょう? 旅人が多く訪れるところで、ご主人様のお知り合いの方もいらっしゃいます」
思わず、太陽とは逆の方を見る。
そういえば、この町に来る時山を見かけた。
「そうします、ありがとうございます」
ラーニエが言うと、メイドはにっこりと笑った。
だが、次に口を開いたのはメイドではなかった。
「異端者だ!」
「悪魔憑き!」
メイドすら息を飲んだくらいなのだ。
ラーニエは驚いて立ち止まってしまった。
声がした方を見ると、三人の小さな男の子が、純真無垢な悪意を剥き出しにした笑みを浮かべていた。
目を疑った、と言ってもいい。
あるいは、耳を疑った、と。
こんなに小さな子供が、信じられないほど酷い言葉を言えるのかと。
「早く行きましょう」
メイドの声が震えている。
ラーニエは答えられなかったし、動くこともできなかった。
それくらい、混乱していたのだ。
だが、時間は待ってくれない。
「罪人に石を投げろ!」
黙っていた三人目が、ずん、と前に出て叫ぶ。
石?
そう思った時には、子供たちは手の中に準備してあったらしい小石を投げていた。
鳩のように呆然と石の軌道を目で追う。
混乱していたから、というのは言い訳だ。
油断していた。
「いっ」
ぱしん、と軽い音を立てて、メイドの額に直撃する。
もう少しずれていたら、目に当たっていたかもしれない。
そう思った瞬間、そもそもなぜ自分がメイドと共に行動しているのかを思い出した。
カッと怒りが稲妻のように駆け巡る。
「ちょっと、あんたらねえ!」
ぎゃあ、と子供達が叫び、逃げ出す。
「待ちなさい!」
「ラーニエ様! やめてください!」
後を追おうとした時、急に腕を掴まれた。
「でも!」
激情のままに振り返る。
それで初めて、自分が拳を振り上げていることに気づいた。
「……大丈夫ですから」
泣きそうな表情で、メイドは目をそらす。
それでも、ラーニエの拳は離さない。
彼女の頭の上で、白鼬がメイドとラーニエを見比べていた。
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