メイドと町人の話 2
「役場——ですか」
と、ユリカの隣で壺を磨いていた屋敷の主人が歯切れ悪そうに言った。
すぐにくれ、今すぐくれ、そうじゃないと動かないにゃとせがむケット・シーを部屋に置いたままユリカの寝室と化した部屋にいるのには理由がある。
いざ水ネズミの肉を調達しようとしたところで、一つ問題が起きた。
「仕事をお探しですか」
彼が言った通り、ラーニエは急ぎ仕事を探さなければならなくなった。
「はい」
と、素直にうなずく。
つまり、そういうことだ。
金がない。今日の分のネズミ肉を買ったらそれでおしまい。
ここ最近ずっと、まともに何もしていないのだから当たり前なのだが、本当にお金がない。
ないものは、稼ぐしかない。
旅人のお金の稼ぎ方はいくつかある。
例えば、物の売買だ。
ある町で珍しいものを買い、違う町で高値で売る。あるいは、旅の途中で採取したものを町で売る。
簡単そうに見えるが商売の知識が必要になってくる。安易に手を出して身ぐるみを剥がされた旅人の例は枚挙に暇がない。大きい商売をしなければいいのだが、いずれにせよ元手がないことには始まらない。
他には、芸を売るというのもある。
旅芸人、吟遊詩人。
屋敷の主人のように絵を売る人もいるし、旅をしながら小説を書いて売っている有名な作家もいる。
ただこれはラーニエにとって論外というほかなかった。
そんなお洒落な趣味は持っていないし、そういうもので褒められたことは——ないことはないのだが、とにかく大変なのだ、文字を書くということは。
楽しい時はいい。問題はそうでない時だ。
意外と物語はいうことを聞かない。言いたいことは思ったより書けない。本当に書けない。
書きたいことは百も二百もあるのに、実際に書けるのは一つか二つ。しかもそれすら思い通りにいかない。この苦しみは、地獄に近いものがある。
しかも自分よりも才能がある人間はその辺にたくさん転がっている上、一度でも挫折するとそこから復帰することはかなり厳しい。
絵や音楽のことはよくわからないが、だいたいそんなものだろう。同じ芸術なのだ、そこまで大きく変わるまい。
もちろんそこから復帰し、花開くこともあるという事実から目を背けているだけであることはわかっている。わかっていてもどうしようもないこと、というのはあるのだ。
……そうなると、ラーニエに残された道は多くない。
依頼を受けてその報酬をもらうこと。
とはいえ、何かの依頼を引き受けてお金を稼ぐ人は大抵旅なんてしていない。一つの町に腰を落ち着けて店を開いている。
旅人には旅人でないとできないことをやってもらうことになる。
例えば、火吹き大蛇のような凶悪な魔物の討伐。
例えば、魔物による襲撃で壊滅した場所の調査。
要は、報酬金が法外に高い代わりに、死の危険が非常に高い仕事である。
依頼相手は国や町。だから役場に行けばどんな仕事があるかわかる。
だがこの最終手段にも、色々と問題がある。
「もっと北の方はともかく、この辺りはまだ平和ですからな……そのような仕事は何もないかと思います」
「ですよね……」
そう、逆に言えばそれくらい緊急性の高い何かがなければ、この仕事は受けることができない。
これが、まず一つ。
「それに、勇者様は雇わないかと……」
「……」
わかっている。
この仕事は旅する人間がいつどこで死んでも誰も困らないから成り立っているのだ。
勇者はルージャルグ神学校の生徒という確かな身分を持っている。
どれだけ大きな国であったとしても、そんな人間を死地に送りたいとは思わない。こんなことで聖都、ひいては教会と対立したくないからだ。
だから、勇者はこの方法が使えない。
もっともラーニエは『元』勇者なのだが、ボロボロの鎧には神学校の紋章が描かれてある。すでに神学校の生徒から除名されていると主張しても聞いてくれないだろう。
世の中、うまくいかないものである。
それに、仮に雇ってくれたとしても今ふてくされているケット・シーが手伝ってくれるかどうかは分の悪い賭けになる。もし手伝ってくれなかったら冗談抜きで死ぬしかない。
商才はない。芸もない。一人ではスライムとまともにやりあうことすら怪しいくらいに力もない。
そんな旅人ができる仕事なんて。
じっと見つめる主人に、ラーニエは何もいうことができない。
が、やがて、ニヤリと彼は怪しく笑った。
「わかりました。私が仕事を依頼しましょう」
そう言って、軽い足取りで部屋を出て行こうとする。
「えっ」
と声を出してしまったのは、意外だからではない。
いや、もちろんそれもあるのだが、内容が気になったからだ。
役所で提示されている仕事というのは公式的な仕事。
裏を返せば、役所では提示されない非公式な仕事もあるということ。
暗殺、密猟、密輸。
よそから来た旅人を弁護してくれる物好きはいない。
もし見つかっても、責任を押し付けて知らぬ存ぜぬを通せば終わり。
「ちょ、ちょっと待ってください、私、そういうのは」
やりません、そう叫ぼうとしたところで、
「ご安心ください。勇者様に変なことはさせませんよ」
いたずらっぽく言われたので、黙るしかなかった。
扉をあけ出て行く彼を眺めながら、冷や汗を流す。
いったい自分に何をさせるつもりなのか。予想もつかなかった。
しばらくして戻ってきた彼がメイドを連れていたので、ますますわからない。
「ご主人様……あの、これはいったい」
どうやらメイドも何も聞かされていないらしい。
どこで合流したのか、キャシーを頭の上に乗せ困惑した表情をしている。
家事の手伝いだろうか。
まったくやったことがない……というわけでもないが、自信がない。
ましてや、この豪邸。
壺を割らないとも限らないし、絵に傷を入れないとも限らない。
そういうことならお断りさせていただこう、そう思っていたら、彼は斜め上のことを言い出した。
「きみにはここにいる間、ローゼの護衛を頼みたい」
瞬間、声を張り上げたのはラーニエではなくメイドの方だった。
「ご、ご主人様、それは……!」
そちらを見ると、顔が引きつっている。
驚愕というより、恐怖の表情。
依頼の内容よりも、尋常ではないそれに言葉を失う。
「ローゼ、きみにもそろそろ友達が必要だろう」
きみのような女の子が付きっきりになってくれるというのは嬉しいことではあるがね。
主人はそう言って、にこやかにメイドの全力の拒否を一掃する。
「でも……」
メイドはなおも食い下がった。
ちらりとこちらを見る。まるで、彼女の気配に気づいていない魔物を見るような目で。
動揺している。
気がついていないふりをしているが、顔に出ていないという自信はない。
「それとも、彼女じゃ不満かな?」
主人がそう言った途端、ハッとしたようにメイドは彼の方に向き直った。
「そ、そんなことは!」
「素直なのは良いことだ」
主人はくすくすと笑った。
「では、決まりだな。よろしく頼むよ」
彼の言葉に、メイドはバツが悪そうにこちらを見る。本当にやるんですか、と言うように。
何がそんなに嫌なのだろうか。貧乏だからか、それともすでに自分がポンコツであることがバレているのか。
……確かに嫌かもしれない。
少し、いやかなり、申し訳なく思った。
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