メイドと町人の話 1

 通されたのは、貴族が使いそうな部屋だった。

 確かに、先ほどの部屋よりも物は少ない。

 だがやっぱり目が回るほど煌びやかで、質素とは程遠い。

 巨大なクローゼットに全身が映る姿見。

 細かな彫刻が施された引き出し、その上に乗る陶器製の花瓶に上品かつ豪快に生けられた花々。

 一目で弾力性があるとわかるベッド。

 窓からは太陽の光が流れ込み、そこにも花が飾ってあった。

 そして、壁に飾られた大きな風景画。もりにかこまれた美しい湖のほとりで、旅の荷物を背負った馬が水を飲んでいる。彼、あるいは彼女の主人であろう旅人の姿は見えない。

 しばらく呆気にとられながら眺め、ふと一つのものに目を止める。

 ベッドで寝る人間を見下ろすような鹿の剥製——正確には、鹿のような魔物の剥製。

「あれは、ひょっとして吹雪の王鹿?」

 別名、雪国のダイヤモンド。

 ただ白いというだけではなく、陽の光が当たるところは銀色に輝いている。まるで雪の結晶のように。

 こんな鹿は、存在しない。

「ええ、本物にございます」

 くすりと笑って、メイドが言う。

「……初めて見ました」

 一瞬言葉を失ったのには、理由がある。

 極寒の地のみに生息し、スライムを主食とする魔物。

 脚力が強く、蹴られればゴーレムですら一撃で破壊すると言われ、走る速さは通常の鹿の三倍だという。ちなみにこれはチーターの約二倍の速さだ。これでスタミナは草食動物並というから、ラーニエにはどこまで本当かはわからない。

 更には雪を食し、それを源に魔法まで使うという。

 しかしその容姿は神の使いと一部では信仰されているくらいで、その毛皮は人気が高い。単に美しいから、というだけではなく防寒にもなるのだという。

 当然、その値段は張る。ちょっとあしらっただけの防寒具でさえ最新の魔法剣と対して変わらない値段だ。完全な吹雪の王鹿の毛皮のコートともなれば、冗談ではなく家が買える。

 別名のダイヤモンドとは、美しさのことだけではない。それくらいの価値があるという意味でもある。

 つまり猟師の格好の獲物ということなのだが、その分難易度は高い。

 高いなんてものではない。不用意に近づけば蹴りを入れられ内臓を破壊されて死ぬし、鉄砲で殺そうとしてもチーターをも超える速さで走る生き物に狙いをつけるのは困難だ。

 そもそも、数が少なく見つけること自体が難しい。

 だが、そんな彼らを獲ることができる猟師がいないこともない。

 魔物使い。

 一部の肉食系の魔物はこの鹿を狩ることができる。

 そんな魔物を調教している魔物使いは、そういう仕事もしていると聞いたことがある。

「すると、あのお方は魔物使いですか?」

 たずねると、よくご存知ですね、とメイドは笑った。

「いいえ。ご主人様は旅人にございました。極寒の地にてお知り合いになった魔物使いの方から、譲り受けられたものだと伺っております」

 旅人、と無意識に口に出す。

「ええ。旅をされながら気に入られた所がございますと、絵にされていたそうです。今はこちらで画家をされております」

「ああ、それで絵が」

 この屋敷中に飾られてある風景画。その作者はつまり。

「すべてご主人様が描かれたものになります」

 はあ、と阿呆のようなため息を口に出していた。

 だが、すると本当に色々な場所を旅してきたのだろう。

 それから。

 好きなんだろうな、とメイドの顔を見ながら思う。

 大切な宝物を自慢するかのような笑顔。

 彼女は本当に、ご主人様が大好きなのだ。

 ひょっとしたら恋をしているのかもしれない。ひと回りどころか、ふた回りも年上の男に対して。

 しばらくして、メイドが少し目を輝かせながら言った。

「御召し物をお預かりいたしましょうか」

 オメシモノ?

 あまりにも聞きなれない言葉に、一瞬、理解できなくて眉をひそめる。

「勇者様の鎧と、剣のお手入れをさせて頂ければと」

「え? あっ……」

 一瞬で色々なことが頭によぎった。

 例えば、そういえば鎧も剣も全然手入れとかしてなかったな、とか。

 このメイドはそんなことまでできてしまうのか、とか。

 けれど口をついて出たのは「ありがとうございます」という素直なお礼と、

「えっと……ら、ラーニエ、です」

 という訂正の言葉だった。

「はい?」

 メイドがきょとんと首をかしげる。

 顔がポッと熱くなったのを感じた。

「あの、だから、勇者じゃなくて、ラーニエです……メイドさん」

 しどろもどろになりながら、ぶつぶつと口を動かす。

 これではきちんと意図が伝わらない、ということに気がついた時にはすでに遅く、

「失礼いたしました、ラーニエ様」

 にっこりと笑う彼女を見て、口をつぐんでしまった。

 だいたい、どう説明すればいいのかわからなかったし、どうも言えそうにない雰囲気だった。

 何とも言えないまま、鎧を脱いで剣と一緒に渡す。

「ご不便な点がございましたら、いつでもお申し付けくださいませ」

 どうぞごゆっくり。最後に彼女はそう言うと、心なしか足取り軽そうに立ち去っていった。

「……」

 まず思ったのは、妙に静かだな、ということだった。

 心が重くなるような沈黙。久し振りに感じる、静寂の質感。

 そう言えば。

「あの子どこ行っちゃったんだろう?」

 あの様子だと、メイドは何も知らないようだった。

 ケット・シーが無礼なことをしていない、というのは幸いだが、これはこれで心配だ。

「別にここから出ちゃいけないってことはないよね?」

 この場にはいない人に確認を取る。当然この場にはいないので返事はない。

 つまり許可をもらったわけではないが、かさばる諸々の袋を部屋の隅にそっと置く。

「……行くか」

 つくづく疲れるケット・シーだ——そんなことを思いながら部屋を出た。


 静けさは、部屋を出てからも続いた。

 改めて見ると屋敷は通路だらけだ。ケット・シーを探し出しても、自分の力では戻ってこれないかもしれない、とそんなことを考える。

 それから、絵画の数も多い。もちろん壺などの骨董品も多いのだが、それ以上に存在感がある。

 じっくりと眺めてみて気づいたのだが、全部風景画だ。

 まるでその場所その瞬間を切り抜いたかのように、森や海や、あるいは町が精巧に描かれている。

 この夜の海を描いたものなんかはすごい。星の煌めきや波の質感もそうだが、空に浮かぶ月と海に映る月、その二つの月の描写が素晴らしい。

 とても幻想的で、まるで世界の果てを見ているよう——。

 ごそ、と柔らかい何かが爪先に当たったのはその時だった。

 ギィッ!

 もはや耳慣れた声が聞こえたのもその瞬間で、まず思ったのはまずい、だった。

 足元に目を落とす。

 想像通り、くりくりした目をさらに丸くした白鼬が姿勢を低くしてこちらを見上げていた。

 飛び掛かられなかったのは幸い、というよりも、飛び掛かることができなかった、というのが正解だろう。それくらい、驚いた様子だった。

「あ、えっと、ごめん!」

 驚きながら、慌てて腰を折る。

 鼬は何も言わず——多分言えず、静止している。こちらの言葉を理解できているのかも怪しい。

 困惑したまま、顔を上げる。

 その際、こちらを見ているのがもう一人いることに気づいた。

 いや、もう一匹、だ。

「……あんたはここで何やってるの?」

 当たり前と言うべきか、ケット・シーだ。

 メイドを探しに行ったのではなかったのか。それがどうして厨房からかなり離れたところに。

 いや、もちろん厨房がどこだかわからなかったからだし、そもそもメイドが厨房にいるということを知らなかったからだろうが。

「にゃっ? にゃっ……なんでもないにゃ、ふん!」

 プイ、とそっぽを向くケット・シー。

 その反応を見て、察する。

「あー、えっと、喧嘩してた?」

「ふん!」

 再び鼻を鳴らしたケット・シーに、心底ホッとした。

 ケルベロスとスライムは喧嘩をしない、という諺がある。

 両者の力の差は歴然で、それ故に喧嘩は起こらない。

 つまり喧嘩は同程度の者同士でなければ起こらない、という意味だ。

 ケット・シーが鼬を敵視していたのは危険な相手だからではなく、同族嫌悪。

 言われてみれば鼬の度を越した悪戯は正に破壊神というほかない。

 そして超上級魔法を連発できるケット・シーも破壊神もかくやという感じだ。

 おそらく蛇も同じ理由で睨んでいたのだろう。彼だって、人を殺し、街を破壊しようとしていたのだから。

 ということは、別にあのメイドが何かを隠しているということもないはず。あれだけいい人なのだ。変に探ろうとしなくてよかった。

 やたら町の人から嫌われている理由はわからないが、きっと何か、多分不合理的なものがあるのだろう。

 だとしたら、許せない。勇者——正確には元勇者だが、その名にかけてそういうのを黙って見過ごすわけにはいかない。

 なんとかしたい。そう思いながらケット・シーを抱き上げる。

「……ネズミ肉七枚にゃ」

 素直に抱き上げられながら、ぼそりとケット・シーが言う。

「は?」

 いきなりの要求に、理解が追いつかなかった。

「だから、ネズミ肉にゃ! 七枚! 早くするにゃ!」

 多分、あのメイドに会えなくて腹を据えかねているのだろうな、と思った。

「あー、はいはい」

 やれやれ、と苦笑をする。

 先になんとかしてあげないといけないのは、この子の方らしい。

 キュッキュッ、と馬鹿にしたような笑い声が聞こえたので、ケット・シーと一緒に睨んでおいた。

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