ポンコツ勇者と猫と蛇

 いくら弱い魔法だからといっても、連続で使うのには限界がある。

 走りながらと来れば、なおさらそうだ。

 街を抜け、草原を走るだけでも音をあげたくなったほどなのだ。

 森に飛び込んだときには、底を尽きていた。

 魔力というよりも、体力が。

「……ふむ、ここまで来れば大丈夫だろう」

 いつのまにかラーニエを追い抜いていた蛇の声を聞いた瞬間、ひっくり返った。

 もう、無理。

 とにかくその言葉が頭の中で渦巻く。

 気が狂いそうだ。こんなこと、二度とやるものか。

 元気だったラーニエがこれなのだ。

 元々体力を消耗していた少女の方は、

「う……」

 ほぼ、瀕死の状態。

「情けないにゃぁ……」

 呑気にケット・シーが言う。

 蛇はそんな戯言に付き合うよりも主を優先したらしかった。

「貴様、我が主を助けろ」

 もちろんだ。

 という言葉を返せるだけの元気はない。

 なにせ指先を動かすだけでも精一杯なのだ。

 なんとか薬草袋を開けることができただけでも褒めて欲しいくらい。

 本当に、情けない話だが。

 蛇は、器用に長い舌を使って薬草を取り出すと、恭しく少女の口に入れた。

 当然、細い舌も口の中に突っ込む形になる。

 ぼんやりと小さく開いた口の中へ、舌が入ったり出てきたり。

 その口が閉じられると、蛇はちろちろと虚ろな少女の顔を舐め始めた。

「……さて」

 と、ラーニエが体を起こす。

 疲れたからといって、いつまでも寝ている場合ではない。

「ん、んう……」

 少女が、目を覚ます。

 相変わらず、薬草の効果はすごい。

 そういえば、この回復効果に目をつけた美容液が売られていたな、とそんなことを思い出した。

 高くて手が出なかったから、実際どうなのかはわからないが。

 ラーニエもへとへとになりながら蛇を手伝い、数枚食べさせると少女もなんとか起き上がれるくらいにはなった。

「ありがとう……ございました」

 仕上げに水を飲ませると、彼女はそう言って目を伏せた。

 いやいや、とんでもない、と笑おうとすると、

「助かった」

 蛇が真顔で——少なくともラーニエにはそう見えた——言った。

 火吹き大蛇もこんなことを言うのか。

 そう思いながら「そんなことないよ」と改めて笑う。

「私が勝手にやったことだから。困ってそうだったし」

 困ってそうというか、死にかけていた。

 うまく言葉にできない。

「ふん、間抜けらしい行動にゃ」

 ケット・シーが呆れたように言う。

 確かに、もっとうまくやれたかもしれない。

 兵士も、蛇も少女も傷つけず、街からこんな風に逃げ出さなくても大丈夫な方法が。

「ここまでの覚悟とはな」

 唐突に蛇がそう言った。

「え?」

 ただならない雰囲気に、眉をひそめる。

 蛇も少女も気づいていないようだった。

「信じてよかったでしょう?」

 少女が蛇に微笑む。

 そしてラーニエに向き直って頭を下げた。

「ユリカと言います」

 そして唐突の自己紹介だ。

 驚いたと言うより、困惑した。

「え? 何、いきなりどうしたの?」

 すると、少女がきょとんとした顔になる。

 口を開いたのは、蛇の方だった。

「その鎧の紋章、ルージャルグ神学校のものだろう」

「うん、そうだけど……」

 それが、どうかしたのか。

 どうして唐突な自己紹介に繋がるのか。

 少女——ユリカがますます怪訝そうな顔をする。

 二人は顔を見合わせ、そして蛇が告げる。

「我々を助けたのだ。もうあの街には戻れまい」

「……あっ」

 瞬間、つむじ風が吹いたかのように鳥肌が立った。

「貴様、まさか……」

 そんなこと、考えもしなかった。

 だが、言われてみれば当たり前だ。火吹き大蛇は昔から教会の敵で、ユリカはそんな蛇を召喚し、殺戮を行なった。

 そしてその二人を助け、街から逃げ出したのだから、ラーニエだって教会の敵。

「そのつもりかと思っていたのだが」

 蛇の言葉に、ケット・シーはすかさず、

「ま、このポンコツがそこまで考えて動くわけないにゃ」

 と暴言を口にする。

 だが足元に体をなすりつける彼を相手にしている場合ではない。

「そ、そんな……ごめんなさい……」

 顔を上げたユリカが青ざめている。すこし、震えているような気もする。

 側から見ると、哀れなくらいだ。

 慌てて、苦笑する。

「だ、大丈夫、大丈夫! ほら、私勇者だし、結局旅しなきゃいけなかったし!」

 ラーニエの言葉に、ユリカが上目遣いになる。

 恥ずかしがっているのではない。それくらいは流石にわかる。不安なのだ。

「その、ほら! 最近魔王とかで、色々物騒だし。仲間は多い方がいいし!」

 いよいよ、頭が真っ白になってきた。

 などと思っていたら、蛇が口を挟んできた。

「我々は貴様の仲間になると言った覚えはないが」

「えっ」

 脳が止まった。

 思考が止まった。

 頭の中は真っ白のまま。

 ユリカが笑った。

「意地悪なこと言わないで。……もちろんいいですよ。よろしくお願いします」

 頭を下げた彼女にホッとする。

「主がそう仰るなら」

 どうやら蛇も了解してくれたらしい。本当に、ユリカの言うことは絶対なのだなと、ケット・シーを見る。

「ま、悪くないにゃ。オレの召使いが増えるのはいいことにゃ」

 そのケット・シーは足を上げて股を舐めながらそんなことを言い出す。

 そんなことを言ったら蛇が怒るぞ、と思ったら、案の定だった。

「蛇は猫に頭を下げぬ。無論、我が主もな」

 だって普通は逆だしな、と食物連鎖のことを考える。

 猫は蛇に食べられる。

 ケット・シーの場合はどうか、と言われるとわからないが、多分似たようなものだろう。

 というか、むしろどうして恐れていないのだろうか。

 途端に、ケット・シーは立ち上がり尻尾を立てた。

「にゃんだと、雑魚のくせに生意気にゃ!」

 どうやらそういうことらしい。

 戦ったら自分が勝つと、本気で信じているようだ。

 やったこともないくせにどうしてそこまでの自信を持てるのか。

 彼らしいといえば彼らしい。

 羨ましい、といえばそうだ。

 ふとユリカを見ると、困ったように首をすくめていた。

 蛇の暴走は主でも手を焼いているらしい。

 こういうところは、似ている。

「まあまあ、落ち着いて」

 そんなことを思いながら仲裁すると、蛇とケット・シーがギロリととこちらを睨んだ。

 やれやれ、血気が盛んすぎる。

「ね?」

 努力はしてみる。

 だが彼らはそんな諭し方で大人しくなるような子供ではない。

「ふん、そこの娘に免じて今回は許してやる」

 そういう意味では、どうやら蛇の方が大人だったらしい。

 少なくともシャーッ、と威嚇するケット・シーよりは、ずっと空気を読める。

 と思ったら、蛇がケット・シーを襲うかのように顔を近づけた。

「だが、覚えておけ」

 不穏な雰囲気に、こちらの息がつまる。

「我が主を侮蔑するものは、誰であろうと、殺す」

 悪魔のように、低く、ゆっくりとした声。

 どれほどのバカが聞いてもわかるように、一言ずつ、はっきりと脅す。

 ここまでくるともはや騎士だな、と思ってユリカを見ると、深いため息をついていた。

 彼女の諦めたような表情で、色々と察する。

 真に恐ろしいものは、愛という欲望だ。

 昔読んだ本にそう書いてあったのを思い出した。

「やれるもんならやってみろにゃ!」

 そう叫び毛を逆だてるケット・シーを無視して、ユリカに「苦労してるんだね」と声をかける。

「……愚痴を聞いてくれればそれでよかったのですが」

 行きすぎた忠誠心も問題だ。

「ふん、猫風情が」

 シャーッ、シャーッ。

 威嚇の応酬を聞きながら、天を仰ぐ。

 空は木の葉に隠れ、ほとんど見えない。

 なんとなく、思ったよりも大変な旅になりそうだ、と苦笑した。

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