二人の勇者

 ケット・シーが街を駆ける。

 相変わらず、人間には到底真似できないしなやかな動きだ。

 ついていけている、とは言い難い。

 だが、森で同じことをした時よりもはるかにまし。

 石畳の道に感謝した。走りやすい。

 やはり人工物は偉大だ。

 だがもちろん、感心している場合ではない。

 ケット・シーの案内でたどり着いた街の一角は、騒然としていた。

 大勢の人間が集まっている。

 外側にいるのは野次馬しにきただけの一般人。

 その内側にいるのは、聖都を守護する剣であり、盾——つまり、兵士。

 そして中心で彼らを見下ろしているのは。

「貴様ら……」

 地を這うような低い声。

 火吹き大蛇。

 一瞬、あの程度の軍勢であれば問題ないはずだ、と思った。

 王国の軍勢が取り囲んでいるわけではないのだ。

 教会を焼いたその灼熱の炎で、焼き尽くすことくらい、なんということもないはず。

 確かに魔法を扱う兵もいる。

 だが、それでなんとかなるのであれば、苦労はない。ラーニエのような勇者たちに期待されることもない。

 だが、蛇の長い体に巻きつかれているのは。

「蛇……だ、だめ……」

 少女が、遠くを見るような虚ろな目で、小さく囁く。

 いや、呻く。

 よく見ると、彼女の息が荒い。

 目立った傷は見受けられないのに、体力だけが底を尽きている。

 魔法攻撃を受けた時特有の症状。

 その弱々しい声に、蛇が顎を引く。

 炎を放とうとしていた口を閉じる。

「主様……」

 多分、蛇は焼き尽くそうとしたのだ。いつものように。

 だが、その時、少女を連れていた。

 そして彼女が止めたのだ。

 蛇は少女の命令に逆らわなかった。

 そして、今の状況がある。

 私たちに先に気づいたのは、少女の方だった。

 目があった。

「あ」

 と、彼女の口が動く。

 蛇もこちらを見る。

 ケット・シーが振り返る。

 どうするにゃ? そう言いたげに。

 どうするもこうするも。

 ここで動かなかったら、嘘だ。

「待ってください!」

 叫んだ。

 人々が、一斉にこちらを見る。

 喉の奥でヒュッ、と音がした。

 息が止まる。

 体が震え、心臓が跳ねる。

 だが、勇者は、強くなくてはならない。

「ちょっと待ってください!」

 人混みをかき分け、兵士と蛇の間に割って入る。

 足に擦り寄る、温かな、柔らかな感触。

 人々は沈黙を保っている。

 ぽかんとした表情で。

「何をしている、そこを離れろ!」

 その中で、荒々しく声をあげた男がいた。

 息を呑みながら、目だけでその人を探す。

 見覚えがあった。

 食堂の店主の、息子。

 確か、マー坊。

 気圧されるほどの憎しみが見て取れた。

 そして、その覚悟も。

 装備という、目に見える方法で。

 剣も鎧も盾も、明らかに高級品。

 装飾などという無駄なものはないが、いずれにも良質な魔法が施されてある。

 そこまでする理由はよくわかっている。

 彼にはそこまでする権利がある。

 けれど、ラーニエはその場から動かなかった。

 ラーニエにも、そうする理由がある。

 だって、教会に牙を剥いたのは、紛れもなく人間の少女なのだ。

 悪魔じゃない。

 正義感を胸に悪を滅ぼすのが、勇者。

 彼女は確かに、人を殺した。

 教会に牙を剥いて、街を破壊した。

 そういう意味では、少女を守るラーニエは勇者らしくない。

 でも、と思う。

 それでも、許せなかった。

 誰かが死ぬということが。

「貴様」

 と、背後で蛇が唸る。

 平静なようでいて、だいぶ疲れが見受けられる。

 誰かを守りながら戦うのは、難しい。

 攻撃ができないとなれば、なおさらだろう。

「大丈夫、私が、どうにかする」

 どうにか。

 もちろん、考えてなどいない。

「だから、もう人を傷つけるのはやめて?」

 そうしたところで、許されるなんてことはないだろう。

 言いながら、自分の言葉の中身のなさを痛感する。

 結局、少女に行き場はないし、蛇は殺戮を続けるだろう。

 長い目で見れば、何も変わらない。

 そんなことは、火吹き大蛇だってわかっているはずだ。

 何も言わないのは、そのせいだろう。

 頷いただけ。

 だから、そうではないと私が証明しなければならない。

 行動しなければならない。

 兵士たちを振り返る。

「みなさん、お願いします! もうやめてください!」

 叫ぶ。

 何をいえばいいのかなんてわからない。

 思いを伝える。

 相手だって神に仕える子羊なのだ。伝わらないなんてことはないはず。

「彼女は……人間なんですよ!」

 しん、と静まる。

 春なのに、身を切るような冷たい空気を感じた。

 話が、通じていない。

 そのことに気づいて、体の奥から震える。

「確かにそうだな」

 口を開いたのはマー坊だった。

 同意の言葉。

 だが、感情のない顔に、心が動かされた痕跡はない。

「でも、あの蛇と一緒にいるやつが、まともな人間なわけないだろう?」

 悪魔憑き。

 ちらりと後ろを見る。

 荒い息をする、少女。

「違います! 彼女は……普通の人間です!」

 むしろ、私や兵士たちより、普通だ。

 普通すぎて、居場所がない。

 そんなことがあっていいのか。

 だが、事態は悪化するものだ。

「やれ。蛇の動きが止まっている今が好機だ」

 マー坊の声が聞こえた。

「感謝する」

 にやりと彼が微笑む。

「……え? そんなつもりじゃ」

 叫ぶ。

 当然のように聞いてもらえなかった。

 あっという間の出来事。

 雷の魔法が、蛇に突き刺さる。

「貴様ァ!」

 蛇が吠える。

 目が、私を捉える。

 どうして。

 うおお、と男衆の雄叫びが聞こえた。

 剣を持った兵士が、襲いかかってきた。

 一瞬で理解する。

 なぜ、攻撃ができない蛇を兵士達が遠巻きに睨んでいたのか。

 炎による攻撃ができなくても、火吹き大蛇は強かったのだ。

 あのままでは、いずれ蛇が根負けしていただろう。

 だが、ラーニエが止めなければ、もう少し均衡は保てていた。

 もはや蛇はラーニエを味方だと思っていない。

 そんな、と足から崩れ落ちそうになる。

 その時だった。

「どっちにゃ?」

 ケット・シーの言葉。

 足元を見ると、尻尾にはすでに光の玉ができていた。

 まさに、殺意の塊。

 ラーニエが蛇につくと言えば兵士は消しとばされるだろう。

 人々の勇者になると言えば、蛇は死ぬ。

 あの威力の爆発だ。疲弊した火吹き大蛇くらい一撃だろう。

「どっちにするにゃ! この腰抜け!」

 ケット・シーの怒鳴り声を聞きながら、その言葉は間違っている、と思った。

 迷うまでもない。

 いくら罪人だったとしても。

 それでも、人間が人間を傷つけていい理由なんてない。

 それが勇者なら、そんなもの、いらない。

 だから想像した。

 集中して、お腹に力を込めた。

 か弱い電撃でも、相手を怯ませることくらいはできる。

「なっ……!」

 兵士達の動きが止まった。

「にゃっ?」

 ついでに、ケット・シーの動きも。

 だがそれに構っている時間はない。

「蛇! ついてきて!」

 振り返る。

「貴様……」

 彼は困惑しているようだった。

 敵か味方か測りかねている、というところか。

 だがここは信頼してもらわなければ困る。

 私は敵じゃない。

「信じましょう」

 私の思いに応えてくれたのは、少女だった。

 そして少女に仕える蛇は、ラーニエのように優柔不断ではない。

「仰せのままに」

 蛇が答える。

 むしろ驚いたのはラーニエの方だった。

 えっ、と一瞬思考が止まったが、ケット・シーが駆け出すのを見て慌てて走った。

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