ポンコツ勇者と神
心に迷いが生じたなら、やることは一つだ。
聖都の中心にある教会はいつも通り、それなりの人がいた。
「にゃぁ……もしかしてここ入るにゃ?」
ケット・シーが腕の中で言った。
見ると、ものすごく嫌そうな顔をしている。
顔をしかめ、口をポカンと開けたまま、まるでこちらに助けを求めるように見つめていた。
「うん」
当然ながら、彼を助けることはできない。
「うう、人間臭い……オレまでバカになりそうにゃ……」
言われて臭いを嗅いでみる。
確かに、少し汗臭い気がする。
それに、慌ててここまできてしまったが、考えてみれば教会に魔物を連れて入るというのは常識に反している、ような気がする。
「外で待ってる?」
たずねると、
「当たり前にゃ!」
と怒られた。
そんなに臭いだろうか。
とはいえ、教会の中で騒がれたり歩き回られたりするよりはずっといいのも事実。
わかった。そう返して、地面に置いてあげると、一目散にどこかへ行ってしまった。
あまりにも勢いよく駆け出していくので、止める間もなかった。
迷いとは別に、不安が頭をもたげてくる。
帰ってこなかったらどうしよう。
よく考えてみれば自分は魔物使いではないし、第一あの子とは今日あったばかりなのだ。
むしろ今まで一緒にいてくれたことの方が不思議なくらい。
帰ってこなくても何も不思議ではない。
だが。
そうなったら、私は。
私は、ただのポンコツに逆戻り。
「……」
ああ、と頭を抱えたくなった。
何がポンコツに逆戻り、だ。それはあの子が強いというだけで、自分の実力では全然ない。
自分自身は何も変わっていない。
目の前が真っ暗になりそうになる。
だってそうだろう。ケット・シーとであってから、あれだけのことがあったのだ。
火吹き大蛇を目の前で見て、特訓までして、あの少女と出会って。
それなのに、自分は何も変わっていない。
勇者は、強くなくてはならない。
「……」
はあ、とため息をついた。
やれやれ、だ。
何のために教会に来たのだ、私は。
「あら、勇者ちゃん。お祈りに来たの? 偉いわねえ」
顔見知りのおばさんに声をかけられた。
そうだ。私は神に祈りを捧げるために教会に来たのだ。
一人で考え込むためではない。
「はい」
そう会釈すると、彼女は「神のご加護がありますように」と常套句を口にして礼拝堂へと入っていった。
神は常に我ら子羊と共にいらっしゃる。
「恐れるな。躊躇うな。さすれば道は開かれん」
聖句を呟き、礼拝堂に足を踏み入れる。
中では子羊たちが思い思いに祈りを捧げていた。
手を組み、目を閉じて敬虔な祈りを捧げている女性。
手を広げ、感情的に泣き叫ぶ男性。
中央のあたりには、先ほどのおばさんの姿もある。
彼らの邪魔にならないように、隅の方で陣取る。
手を組んで、祈る。
神よ、私はどうすれば良いのでしょう。
私は、私は……。
実のところ、祈りに対して神が答えてくれたことは一度もない。
神の声を聞いた、という話は枚挙に暇がないが、少なくともラーニエにはそんな経験はなかった。
それでも、祈りだけは止めてはならない。
ある種の強迫観念のようなものだった。
私はこれからどうするべきなのか。
人間は殺せない。例え、魔物を使って人を殺した大罪人だったとしても。
そして彼女のそばで寄り添っていたあの蛇も、だ。
私には、殺せない。
だが、ラーニエは勇者だ。
火吹き大蛇を殺すことを、望まれている。
勇者は、時に残忍にならなければならない。
「でも……」
ケット・シーに仕留められた水ネズミの死骸を思い出す。
体の一部を食い千切られ、あたりに血の池を作りながら動かなくなった骸。
きっと、今日の朝には自分がそうなるとは思ってもいなかっただろう。
変わりのない未来を生きていくと思っていたはず。
……できない。できるわけがない。
例え少女自身が死を望んでいたとしても。私には、できない。
涙が溢れる。
神よ、私は一体どうすればいいのですか!
こんなにも必死に祈っているのにもかかわらず、神は沈黙を保ったままだ。
きっと、全知全能の神にも事情はあるのだろう。
けれど。
「どうしたら、いいんだよぉ……」
気がついたら、声に出していた。
涙は止まらない。
苦しい。
自分の定まらない気持ちが。
ケット・シーなら何というだろうか。神の御前であるにもかかわらず、ふとそんなことすら考える。
こんなところで泣いてるな、無能。
あるいは、早く腹を決めろ、腰抜け。
少なくとも、慰めてくれたりは絶対にしないだろう。そういう子だ。
神の声は聞こえないが、ケット・シーが言いそうなことなら何となく想像ができる。
ひょっとしたら、彼は神が遣わした聖なる獣だったりするのだろうか。
「……」
やれやれ、と自分の想像力にあきれ返る。
魔王ではないかと思ってみたり、今度は神が遣わした獣か。
多分、それを聞いたらあの子は怒るだろう。
オレはそんなショボいもんじゃない。オレは猫だ、と。
何せ、ケット・シーと呼ばれることすら毛嫌いしているくらいなのだから。
それにしても、どうしてただの猫であることにこだわるのだろう。
確かに、ひたすら人間を下に見るその言動は猫に近い。
でも、猫とケット・シーであれば間違いなくケット・シーの方が賢いし、強いはず。
にもかかわらず、あの子はケット・シーであることに劣等感すら持っているらしい。
そうでなければああはならないだろう。
——いや。
不意に、思いついた。
そして失笑する。
そんな馬鹿なことがありえるはずがない。
そんなの、近年現れて問題になっている頭のおかしい作家でも書くまい。
猫が突然ケット・シーになった、なんて。
「おい、おい! 聞いてるにゃ?」
そんなことを考えていたからこそ、最初はそれを幻聴だと思った。
「ねえ、あんた、本当に猫だったりする?」
「だからそうだと言ってるにゃ!」
だが、幻聴は柔らかな体毛を持たないし、膝の上に乗ってくることも手首に噛み付くこともない。
「いでっ!」
心臓が止まるかと思った。
それくらい、驚いた。
思わず腕を振り上げる。
膝の上で、ケット・シーが飛び上がった。
「何するにゃ! 驚かすにゃ!」
「それはこっちのセリフだよ!」
不毛すぎる討論。
そういうものほど、得てして注目を浴びてしまうもので、
「あー、えっと……」
祈りを捧げていた人々が迷惑そうな表情でこちらを見つめていた。
「……な、何? どうしたの?」
固まっていたケット・シーが思い出したように膝から降りる。
「なんもかんもないにゃ、ドアホ! あの雑魚蛇が死ぬ!」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。
「はぁ?」
だから、これは驚いたのではない。
反復の催促だ。
今度は膝を引っ掻かれた。
「何ボケーっとしてるにゃ間抜け! あのメス人間も一緒に死にかけてるのにゃ!」
怒声よりも、痛みのおかげで頭が回り始めた。
雑魚蛇。多分、火吹き大蛇のこと。
それが、死ぬ?
しかも、メス人間——多分、あの少女も一緒、だと?
「えええええええええっ?」
場所も立場もわきまえず、絶叫してしまった。
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