ポンコツ勇者と蛇と少女

 少女が叫ぶ。

 怯えながらも、こちらをまっすぐに見据える目。

 この目も、嘘のようにはとても思えなかった。

「友、達」

 ほとんど無意識に反芻する。

 まるで、言葉の意味をたずねる子供のように。

 実際、それに非常に近い状態だった。

 頭が回らない。

 人を殺すような魔物と、少女が友達。

 そんなことが、起こりえるのか。

「主様」

 と、火吹き大蛇が言った。

 それで、理解する。

 いや、理解してしまった。

 だが、受け入れられない。

「その蛇、まさか……あなたが?」

 まぶたを震わせ、それでもこちらを睨む彼女こそが、この事件の元凶だ、なんて。

「そう、です! 私が、呼びました!」

 だが、彼女自身がそうだと宣言したのだ。

 間違いなく、彼女が元凶だった。

 教会を襲い、人を殺した蛇を召喚したのだ。

 人を殺した人間は極刑だ。

 それも、魔物と通じそれを利用した人殺しとなれば、晒し首程度では済まされない。

 そもそも、教会に仇なしたとされる火吹き大蛇と友達だというのだ。

 自分は悪魔と通じている、と告白したに等しい。

 ありえない、と思った。

「そんな、どうして」

 そんな人間、いるはずがない。

 なら、目の前にいる彼女はなんなのだ。

「教会が、嫌だったから。もう、見るのも聞くのも嫌だったから」

 その言葉を聞いて、いよいよ目の前が真っ暗になった。

 教会に反逆し、悪魔と通じ、その力をもって人を殺す。

 そういう人間を何というか。

「魔女……」

 呟くと、彼女はため息をついて地面に目を落とす。

 だが、嫌がるよりもむしろ、笑っていた。

「やっぱり、そういうこと、言うんですね……」

 なら、どう言うというのか。

 蛇が音もなく少女に近づく。

「主様、中へ」

 中? どこの?

 少女が蛇の首に触れる。

 黒い鱗を、まるで氷像を触るように優しく撫でる。

 答えるように、蛇がその長い体を彼女に巻きつけた。

 まるで太い縄で縛られたかのような彼女が、こちらを見る。

 その表情は、安心しているというよりもただただ、虚ろだ。

「主様は貴様らに虐げられてきたのだ」

 大蛇が言った。

 赤い瞳がこちらを捉える。

 背後にいる野犬や、ケット・シーのことなど気にもしていないようだった。

「虐げられてきた……?」

 だからこそ、わからなかった。

 なぜ、自分なのか。

 貴様らとは、何を指しているのか。

「その通り。貴様ら神の子羊にな」

 息を飲んだ。

 神の子羊、つまり、教会の教えを信じる者。

 その中には当然、ラーニエも含まれる。

「わ、私たちが何をしたのよ」

 一体どんな罪を犯したというのだ。

 街が壊されているのも、人が死んだのも、その罰だ、というのか。

 大蛇が口を開く。

「死ね」

 質問の答えはなく、返ってきたのは無情な言葉だけだった。

 野犬が唸り声をあげ、ケット・シーは尻尾をあげた。

 三匹の魔物が睨み合う中、ラーニエだけは動けなかった。

 彼女は蛇の言葉について考えていた。

 そして、ここで魔物たちが争うということの意味を。

 何もかもがわからないままだった。

 ただ一つ、今ここで三匹が魔法を撃ち合えば、全員ただでは済まないだろう、ということだけはわかる。

 少なくとも、ラーニエと少女は確実に死ぬ。

「待って」

 その少女が、絶望的な戦いを止めた。

 細々とした声。

 だが、不思議とよく通った。

 何かの魔法をかけられたかのように、魔物たちがピタリと止まる。

「主様」

 大蛇が驚いたように呟く。

 少女がその大蛇を見上げた。

 それはどうやら離してほしい、という合図だったらしい。

 大蛇が、ゆっくりと拘束を解く。

「この子は、見逃してください」

 少女は、そう言いながら大蛇の体に触れた。

 その鱗は、意外と触り心地がいいのかもしれない、と場違いなことを考えてしまう。

 それくらい、彼女の表情は愛おしそうだった。

「私たちが、何をしたの?」

 状況にそぐわない妄想を振り払いながら、たずねる。

 彼女は口を開いて、そして閉じた。

 しばらくの沈黙の後、もう一度、口を開く。

「多分、何も」

 え、と声に出してしまう。

 どういうことなのか。何もしていないのなら、なぜ彼女は大蛇を使って、人を殺して回っているのか。

 だがラーニエがその疑問をぶつけるよりも先に、少女が叫ぶように言った。

「でも、だめなんです。どうしても」

 彼女は突如俯いて、顔を歪ませた。泣いているようにも見える。

 意味がわからない。

「にゃあ、アイツ、なんかおかしいにゃ」

 ケット・シーが振り返った。

 同意せざるを得ない。

 彼女はおかしい。本当に魔女なのではないかと思うくらいに。

「あたし、これでも、少しは頑張ったんです。馴染まなきゃって。でもだめでした。どうしても、教会にいると息苦しくて……」

 あなた達が悪いってわけじゃないのはわかっているんです。

 彼女はそういうと、本当に泣き出してしまった。

「……」

 要領を得ない説明に、困惑する。

 馴染む。何に?

 教会にいると息苦しい。どういうことだ。

 ケット・シーはそれだけで理解できたらしい。

「単に群れに馴染めないから居づらいってだけじゃないかにゃ」

「群れに馴染めないって、何で」

 たずねると、ケット・シーは面倒臭そうにこちらを見上げた。

「そんなの知らないにゃ。足手まといだから、とか、ボスに刃向かった、とかじゃないかにゃ?」

 教会に足手まとい?

 そんな人間いるはずがない。

「そんな!」

 思わず叫ぶ。

 すると、声が重なった。

「そんなんじゃないです」

 少女だった。

 驚いて黙る。

「ただ、教会が、辛くて……気がついたら、礼拝にも行けなくなってて。そうしたら、パパも、ママも、みんなみんな、悪魔が憑いたって……」

 だんだん、話が見えてきた、ような気がする。

 虐げられた、という大蛇の言葉の意味も。

 魔女は、即座に殺される。

 悪魔憑きは、憑いた悪魔を自由にさせないため、幽閉されて鞭打たれる。

 そうして悪魔を弱らせてから、殺すのだ。

 もちろん彼女は幽閉されてはいない。つまり教会から正式に認められたわけではない。

 だが多分、彼女の両親は本気でそう言っているのだろう。

 何をされたのか、想像はできる。

 そして彼女は、火吹き大蛇を召喚した。

 自分にできることは、何か。

「どうして、教会が辛くなったの?」

 考えて、考えて、出てきた言葉はそんなものだった。

 もっと別のことを言ったほうがいいのはわかっていた。だが、何を言えばいいのか。

「それは……」

 少女はつぶやき、だがその続きは出てこなかった。

 何があったのかはよくわからない。

 いや、明確に何かがあった、というわけではないのかもしれない。

 だから、説明ができない。

「ま、死ぬしかなさそうだにゃ」

 能天気そうな声で、ケット・シーがそう言った。

 尻尾を立てて、光の玉を作り始めている。

「待って、やめて!」

 思わず、ケット・シーを抱き上げた。

「何するにゃ!」

 腕に爪を立ててくる。

「それはこっちのセリフだよ!」

 叫び返した。

「にゃあ! 群れに馴染めないヤツは殺すしかないにゃ!」

 ほんの一瞬、頭の中が真っ白になった。

 パシン、という音と、シャーッと牙を見せたケット・シーの表情で、自分が彼を殴ったのだ、ということを認識する。

 猫の体特有の柔らかさが、まだ手に残っていた。

 強烈な罪悪感。

 それでも、彼を降ろしてあげることはできなかった。

「そんな、理由で、死んでいい人間なんていないよ……」

 そう言うと、ケット・シーはゆっくりと牙を収めた。

「にゃー、さすが、将来性のない生き物の言うことは違うにゃ」

 納得してくれたのかと思ったら、違うらしい。

 程度が低すぎて、会話にならない。そう言わんばかりの声だった。

「群れに馴染めないヤツを生かしておいてもしょうがないにゃ? いざというときに足を引っ張られるだけにゃ。そうなったら全滅にゃ」

 続くその言葉を聞いてもう一発殴ってやろうかという衝動に駆られた。

 魔物や動物であればそうなのだろう。

 だが、これは人間の話だ。

 人間が群れる理由は、天敵から身を守るためではない。

 暴力も反論も、許してくれなかった。

「それに、群れに馴染めなくて辛いって言ってるヤツを適当に生かしておく方が、よっぽどひどいヤツにゃ! 半端に餌をやるくらいなら、殺した方がマシなのにゃ!」

「そんなの!」

 叫ぶ。

 だが、続けるべき言葉が出てこない。

 というより、いったい自分は何を言おうとしていたのか。それすらもわからなかった。

「その子の言う通りです」

 少女が追い討ちをかける。

「殺してください……そっちの方が、きっと楽になれます」

 彼女はむしろ、笑っていた。

 ガタガタと、体が震えてくる。

 狂っている、と思った。

 何もかも、狂っている。

「……帰ろう」

 ぽつりと、呟く。

「にゃ?」

 素っ頓狂な、ケット・シーの声。

「帰るの!」

 ラーニエは、今度は大きな声で言った。

 魔物たちは何も言わなかった。

 だが、答えを待ってはいられなかった。

 踵を返し、来た道を戻る。

 恐ろしかった。

 早くここから逃げ出したい、と思うくらいに。

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