火吹き大蛇と、そして、
火吹き大蛇は、草原の奥へと向かっていく。
陽の光に照らされて薄緑に輝く大地に、点樹木の姿が現れる。
森に入るつもりなのだ、とピンと来た。
大蛇を追う野犬の後を走りながら、ラーニエは神学校で学んだ地理を思い出していた。
確かその向こうには、大きな城塞都市があったはず。
大蛇がそんな都会で優雅に——あるいは奴隷のように暮らしているとは思えない。
すると、この森が住処なのだろうか。
こんな近くに、こんな化け物が。
ゾッとして、少し呼吸が乱れた。
だが、怯えている場合ではなかった。
どんな根拠があったわけではないが、常識として森の道を行くものだと思っていた。
しかしもちろん、それは人間の常識。
火吹き大蛇が、素直に人間が作った道を通るわけがない。
「えっ、どこ行くの?」
と声に出した時にはもう、大蛇も野犬も道を外れていた。
続いてケット・シーまでラーニエを追い抜いて森の奥へと足を踏み入れる。
と、そこで彼は振り返ってくれた。
「にゃ、どうしたにゃ?」
どうもこうも、と言おうとしたが、目をやると野犬がどんどん遠ざかって行くのが見えた。
見失うわけにはいかない。
立ち止まっている場合ではなかった。
「い、いや、何でもない」
自分には規格外の魔物が二匹もついているのだ。
どうにもならないことなんてない。多分。
意を決して、暗い木々の間へと踏み込んだ。
森の土がこんなにも柔らかいものだとは思ってもいなかった。
ここまで不純物の多いものなのだとも。
黒い土に緑の姿はあまりなく、代わりに腐った落ち葉と小枝が敷き詰められてあった。
土にとっては、ありがたい肥料なのだろうが、人間にとっては違う。
「ま、待って……」
非常に、走りにくい。
だが、どうやら人間ではない生き物たちは大して苦には思っていないらしい。
どんどん先へと行ってしまう。
「にゃー、遅すぎるにゃ! 先行くにゃ!」
小枝を踏まないよう、器用に走るケット・シーが、痺れを切らして振り返る。
真っ暗な森で一人きり。
どんな魔物が生息しているかわからないし、方向がわからなくなるので森から出られなくなる。
それはすなわち、死だ。そんな先生の言葉を思い出して、恐怖で気絶しそうになった。
「そ、それだけはやめて! 私頑張るから! お願い、一人にしないで!」
懸命に声を張り上げる。
「情けない声出すにゃ……こっちまで間抜けになりそうにゃ」
こんなところで一人きりになるくらいなら、いくらでも恨み節を聞いてやる。
「にゃー、どうして人間はこんなに弱っちいのかにゃ……」
あとで肉くれにゃ。
そう言って、ケット・シーが足を緩めてくれた。
「あ、ありがとう……」
呟いて、走る。
彼の好意に応えるためにも、とにかく足を動かす。
走りにくい理由は地面だけではない。
森の木々は各々身勝手に生えている。
これもまた魔物たちは全く意に介していないようなのだが、ぶつかってしまいそうで緊張してしまう。
人間は神に祝福された、と教会で教わったが、今ばかりは魔物が羨ましい。
神よ、深い森の中を自由に走れる能力を、私にもください。
などと愚痴をこぼしている余裕もない。
というか、そんなことを口にしたら、呆れたケット・シーに今度こそ置いていかれるだろう。
走れ走れ、とにかく前を見て走れ。
それだけを意識する。
途中から野犬の姿も見えなくなっていたのだが、どうもケット・シーにはどこへ行ったのかがわかるらしい。
多分、音や気配でわかるのだろう。
魔法の中には視界と引き換えに聴覚を増強させるものがある。
が、そんなものを使わなくても気配を感じ取れるなら、そちらの方がいいに決まっている。
羨ましい限りだ。
息が上がり、喉が痛い。耳鳴りもしているような気がする。
ぐるる、という唸り声が聞こえたのはその時だった。
視界を遮る巨木をヘロヘロになりながらかわす。
現れたのは、とぐろを巻いた大蛇だった。
こちらに背を向けて、威嚇をしている。
その相手は、もちろん雷撃の野犬だ。火吹き大蛇を追い抜いて、怒りに満ちたゴブリンのような形相で唸っている。
「最高だにゃ」
ケット・シーが姿勢を低くした。
挟み撃ち。
倒すなら、今しかない。
「貴様らに興味はないのだが」
蛇が低く言った。
そっちになくてもこっちにはある。
ちらりとケット・シーを見て、やめる。
ここで他人の力を頼ったら、特訓の意味がない。
息が上がって苦しいが、でもやるしかない。
できるはずだ。そのために練習してきたのだから。
想像する。
身の丈に合わない大きな雷なんて求めない。小さな電気でいい。
ほんの少し、相手を驚かせられる程度の電撃。
集中する。
脱力しそうなほどの疲れと喉の痛み、なによりも荒い呼吸がそれを妨げる。
だから、考えない。
呼吸が荒くても、辺りに漂う電気の素を感じ取るくらいはできる。
集中して、それらに魔力を注ぐ。
お腹に力を込める。
「行けぇっ!」
作り上げた渾身の魔法。
パリパリ、とやはり野犬やケット・シーのそれと比べると小さいが、心なしか情けなさは消えているような気がする。
「——っ」
そして、ラーニエは見逃さなかった。
ほんの少し、大蛇が体をくねらせたのを。
人間の彼女がそれに気づけたのだ。
魔物たちが気づけないわけがない。
今だ、という言葉を口に出すよりも先に、攻撃体制に入っていた。
だが、それに気づいていたのは彼らだけではなかった。
「待って!」
人間の声。
もちろん、ラーニエではない。
魔物たちの動きがピタリと止まる。
「誰?」
姿の見えない相手に、声をかける。
足音が聞こえた。
現れた姿を見て、目を疑った。
「お願い、やめて……」
昼間火だるまになった夫妻を力なく眺めていた少女。
彼女が、大蛇を庇うように立ちはだかっていた。
いや、どう見ても、大蛇を庇っている。
「ちょ、ちょっと、どいてよ!」
混乱したまま、叫ぶ。
「ど、どかない……どきません!」
これが、彼女の答えだった。
「な、なんで?」
彼女も見たはずだ。人がこの蛇によって無残に殺されたのを。
しかも、それを絶望した目で見ていたではないか。
あの目が、嘘だったとは思えない。
「この子は……この子は、私の友達なんです!」
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