ポンコツ勇者の電撃特訓
自分はまったくもって弱い。
特訓といってもあまり激しいはできない、ということだ。
つまりは、普段通り草原で悪戦苦闘することになる。
ただ、今回の相手はいつものスライムではなく、水ネズミだ。
いかんせん、ケット・シーに毎日五枚、水ネズミの肉を献上しなければならない。
そして今、カフェで豪遊したせいで金欠なのだ。
「たあっ」
威勢のいい掛け声は、自分を奮い立たせるためのものではない。
声を出さなければ剣がうまく振れないくらい、力がないからだ。
そうやって大雑把に振った剣が動き続ける水ネズミに当たるわけもなく、地面を叩いた。
「にゃあ……お前、ちゃんと相手をよく見てるにゃ?」
ケット・シーがそう言いながら、水ネズミに飛びかかる。
洗練された肉食の生き物の動き。
物を傷つけるために存在する鋭い爪が、確実に水ネズミを捉える。
ケット・シーの体重に潰された水ネズミが、ちゅう、と金切り声をあげた。
「見てるんだけどなぁ……」
と、剣を見る。
初心者向けの、軽い剣。
扱いやすい代わりに殺傷能力は低く、刃こぼれもしやすい。
同期の勇者たちでこんな安物を使っている人はいない。が、ラーニエはこの粗悪品すらうまく振ることができないのだ。
「うーん、じゃ、ビビってるんじゃないかにゃ」
予想外の言葉に「え」とケット・シーの方を振り向く。
そして息が止まった。
水ネズミを食べていた。
動かなくなった水ネズミの腹に顔を埋め、ひたすらに肉を食べている。
「んにゃ……やっぱりうまいにゃ」
ケット・シーが顔を上げる。
彼の前には、ほとんど皮と骨だけになった死体が転がっていた。
「あ、ああ……」
それを見て、ラーニエは顔を引きつらせる。
確かに、ビビっているのかもしれない。
生き物を殺すということに対して。
「獲物にビビる必要あるにゃ?」
「獲物っていうか、なんていうか……」
多分、ケット・シーと人間では感覚が違うのだろう。
などと思っていたら、控えめな鳴き声が聞こえた。
さ、さ、という静かな足音にそちらを振り返ると、雷撃の野犬が耳を伏せながら近づいてきた。
「にゃ? 雑魚犬、お前もコイツに付き合うにゃ?」
草原最強の魔物に向かって、雑魚と来た。
しかし野犬はそれに怒る素振りすら見せない。
自然界は実力主義だと聞く。
こうして実際に目の当たりにすると、ますます自分が小さく思える。
ケット・シーの質問に対し、わん、とただの忠実な犬であるかのように返事をした。
何はともあれ、草原最強とそれを凌駕する魔物が戦いを教えてくれるというのだ。特訓としてはこれ以上ないだろう。
「野犬さん、よろしくね」
雷撃の野犬は真っ直ぐにこちらを見て、わん、ともう一度鳴いた。
せっかく雷撃の野犬が教師として付いてくれたのだ。教えてもらうとしたら一つしかあるまい。
「ねえ、雷撃の野犬さん。あの、雷の魔法を教えて欲しいんだけど……」
そう言うと、ケット・シーがぴくんと耳を立てた。
「お、能無しにしてはいい考えだにゃ。オレも、ドカーン以外にもできるようになりたいしにゃ」
「あんた、本当にアレしかできなかったんだ……」
思わず呟くと「なんか言ったにゃ?」と睨まれた。
「いや、悪いって言ってるわけじゃなくて……不思議だなぁって」
「何がにゃ?」
表情はかわいいままだが、尻尾が不機嫌そうに揺れている。
無礼者め、返答次第では噛み付いてやる、という意思が伺える。
「だって、爆発の魔法って、超上級の魔法だよ。いろんな魔法を勉強して、それでやっと習得できるようなものだよ。アレしか使えないなんて、すごく不思議」
しかも、あれだけ完璧で強力なものを放って、息が上がることすらない、というのも不思議だ。
そう思っていると、ふん、とケット・シーが笑った。
「ま、オレたち猫はお前らのようなバカ共とは頭の作りが違うってことだな!」
そもそも、そんな強力な魔法を扱えるケット・シーということ自体が普通ではないのだが。
などと返せばまたグチグチと説教されることだろう。苦笑いだけしておいた。
それはともかく。
「……えっと、雷の魔法って、どんな風にすれば使えるの?」
もちろん、原理は知っている。ルージャルグ神学校の勇者たる者、それくらいわかってなければやっていけない。
すべての物は電気の素を持っている。人間もそうだし、空気だってそうだ。
世界中にあるそれを取り出し、雷にするのだ。
もちろん、簡単なことではない。
電気の素を取り出すことも、それを強力な雷にすることも、相当な技術と魔力を持っていなければできないのだ。
そして、ラーニエは雷の魔法を使うことができない。
技術か魔力か、あるいはその両方が足りていないということだ。
わん、と野犬が鳴いた。見ておけ、ということだろう。
あるいは、気合いを入れるための掛け声だったのかもしれない。表情が先ほどまでと打って変わって凛としている。
言われなくても、穴のあくほど観察してやるつもりだ。
軽く脚を広げ、地面を踏みしめる。
そして少し顔を上げる。
その瞳は、一瞬何も考えられなくなるほど美しい。
雷撃の野犬が、吠えた。
山の向こうの古い友達を呼ぶかのような、長い、長い遠吠え。
それに呼応して現れたのは、黒い雷雲だ。
雷撃の野犬にとって、これ以上頼れる友達もいないだろう。
彼は、この魔法を駆使して草原最強の肩書きを守り続けてきたのだ。
頭の奥まで貫くような光と爆音とともに、雷が落ちる。
「……っ!」
思わず体を屈める。
どうしてだかは知らないが、雷が落ちた時はそうしなければならない、という噂がある。
しばらくして、くらくらする頭をどうにかあげる。
雷が直撃したところは、草が焼けて黒い土が剥き出しになっていた。
「にゃーっ!」
そこに、ケット・シーが飛び込んでいく。
何があったのだろう、と思っていると、水ネズミの丸焼きを咥えて嬉しそうにしていた。
……今日だけで、水ネズミが二匹も死んだ。
もちろん、水ネズミは一日に何千匹も死んでいる。今更二匹死んだところでどうということもない。
かわいそうだ、などと言ったら、お前ら人間が非常食にしているその肉はなんだ、と水ネズミから怒られることだろう。
弱肉強食。
知識だけ持っていても、どうにもならないことがある。
例えば、この状況を見て水ネズミを哀れに思ってしまうこと。
ケット・シーのことを少し嫌な目で見てしまうこと。
ふと、自分が世界からはみ出しているのではないか、と思った。
当たり前のようにケット・シーが超上級魔法を扱い、毎日水ネズミが何千匹も死んでいる世界の住人ではないのではないか。
だが、勇者になりたいのなら、この世界を魔王の手から救わなければならない。
唐突に、わん、と雷撃の野犬が吠えた。
それで、我に返る。
ぼうっとしていたことを怒られたのかと思ったが、野犬が怒っていたのはケット・シーに対してだった。
「にゃー、うるさいにゃ……雷の出し方なら何となくわかったにゃ」
ケット・シーが衝撃発言をしながら嫌そうに顔を上げる。
「え、今のでわかったの?」
じっくり見ていたつもりではあったが、あれだけでは何もわからなかった。
「なんとなくにゃ」
そう言ってケット・シーが立ち上がる。
その足元には食べカスが転がっていた。
「まず、おっきいビリビリを想像するにゃ」
緊張感のかけらもない声を聞きながら、ぼうっとその姿を眺める。
いつまでも座っている場合ではない、と気づいたのはその直後のことだった。
慌てて立ち上がり、集中する。
まず、雷を想像する。
大きな雷雲、目が眩むほどの光と、全てを破壊するかのような轟音。必殺の稲妻。
「それから、近くにいるビリビリを感じるにゃ……ふーん、これがビリビリにゃ?」
魔力を集め、全ての物の中にある電気の素を感じ、取り出す。
「あとはお腹に力を入れるて、バーンとやるだけにゃ!」
耳を疑った。
「えっ、何それ」
いきなり感覚的な話をし出さないでくれ。
そんなことを思ったせいで、集中が途切れてしまう。
そしてケット・シーの方を見ると、尻尾から電気が溢れていた。
「いけにゃああああああ!」
威勢のいい掛け声とともに、電撃が放たれる。
それはまるで、絵本の中でしか見たことがない、翼竜を思わせる。
凄まじい轟音がするわけでもない。
だが、その破壊力は舞い上がった土埃と、草原に空いた真っ黒な大穴が物語っていた。
話だけは聞いたことがある。
電気と魔力が生み出す奇跡の竜。
その一撃はどれだけ強固な砦も打ち砕き、自軍に希望を、敵軍に絶望をもたらす。
それを扱える者は電気の素と会話ができると言われ、雷の精霊と呼ばれる。
早い話が。
「超上級魔法……」
ケット・シーが、人間でもなかなか扱えない魔法を使う。
それも、今まで見たことがない魔法を、一発で。
「んにゃー? なんかちょっと違うにゃ、失敗にゃ」
いや、成功しすぎている。
このケット・シー、想像以上の何かなのかもしれない。
例えば、魔王、とか。
「……いや、まさか」
極悪非道の魔王が、こんなに可愛いわけがない。
思い過ごしだろう。ただ、ちょっと魔力が頭おかしいくらいに有り余っているだけで。
「お前はどうにゃ?」
そのケット・シーに言われ、少し怯んでしまう。
「い、今からやってみる!」
答えて、手を前に出す。
にゃ、とケット・シーが座り込んだ。
わん、と野犬も座り込む。
……まるで見世物にされた気分だ。なんだか緊張してくる。
まず、雷を想像する。
次に、魔力を集め、集中する。
そして、お腹に力を込めて、
「やああああっ!」
作った電撃を、放つ。
パリパリパリ。
情けない音を立てて、風に散る花びらのように一瞬で消えてしまう。
「……」
嫌な沈黙。
考えていたのとは、まるで違う。
「も、もう一度! もう一度やってみるね」
やってみろ、とは誰も言わなかったが、手を前に出して構える。
想像する。集中する。お腹に力を込める。
パリパリパリパリ。
しん、と静まり返る。
ケット・シーたちを振り返る。
二匹ともお行儀よくお座りをしたまま、何とも言えない無表情でこちらを見ていた。
「……ほ、ほら、ちょっと遠くまで飛んだよ!」
二匹からの反応はない。
ものすごく悲しくなってきた。
「ねえ、何か言ってよ……」
縋るように見つめると、ケット・シーが諦めたように一言だけ、告げた。
「失敗だにゃ」
そういう、心にくるのはやめてほしかった。
はあ、と深いため息をつく。
薄々感づいてはいるのだが、魔力が足りないのではないか。
魔力は、筋肉と同じように努力すれば多少つけることはできる。
が、生まれ持った素質も強く関わってくるわけで。
つまりは、才能がないのではないか。
「いや、だめだめ、努力しなきゃ」
すぐに逃げ出したくなるのは悪い癖だ。
などと意気込んでいると、ケット・シーがにゃー、とため息をついた。
「ま、お前のその弱っちいビリビリでも、獲物を怯ませることくらいはできそうだにゃ」
「え?」
獲物を、怯ませる?
わん、とケット・シーを煽てるように野犬が吠える。
「にゃ。怯ませて動きを止めれば、いくらポンコツのお前でも仕留められるにゃ」
「おお……頭いい」
弱い魔法で動きを阻害して、剣撃で仕留める。
考えたこともなかった。
弱い魔法に意味はない、と教えられてきたし、そうだと思っていた。
「当たり前にゃ〜、お前のようなアホな人間なんかとは、頭の作りが違うにゃ〜」
なんだかとんでもなく嬉しそうなケット・シーは放っておくことにして、早速獲物を探す。
ちょうどいいところに、スライムがいた。
今朝は散々な目にあったが、今なら倒せるかもしれない。
大丈夫、ここには最強が二匹もいるのだ。何かあっても助けてくれるはず。
ふよふよと茂みの中を這うスライムに、手を伸ばす。
ちらりと二匹の方を見ると、ケット・シーは大あくびを、野犬の方は立ち上がって尻尾を振っていた。
どうやら、二匹とも何だかんだで見守っていてくれるらしい。
期待は裏切れない。
想像する。集中する。お腹に力を入れる。
パリパリパリパリ!
貧弱な電気だ。だが、ケット・シーの言う通りだった。
一瞬体を痙攣させたスライムが、動きを止める。
今だ、という声が聞こえるようだった。
剣を抜く。構える。相手をよく見て、斬りかかる。
瞬間、思い浮かんだのは水ネズミの死体だった。
「——っ!」
振り上げた腕が、動かなかった。
「……どうしたにゃ?」
ケット・シーが尋ねる。
答えられなかった。
口どころか、体が全く動いてくれない。
スライムに妙な魔法をかけられたのか、と思った。
だが、当然そんなことはない。あったら学会ものだ。
剣を収める。
「ま、まあ……倒せることはわかったから」
振り返ると、二匹ともぽかんとしていた。
表情というより、雰囲気でそれを感じる。
ケット・シーは尻尾を振り、逆に野犬は変な位置で尻尾が止まっていた。
「……ビビったにゃ?」
と、ケット・シーが煽る。
「び、ビビってなんか……」
いや、ビビっているのか。
わからない。
とにかく、魔物が目の前にいるのに、全く体が動いてくれないのだ。
殺せない、と思った。
私は、生き物を殺せない。
だが、それは間違っていることなのだろうか。
全ての生き物は神がお造りになったものだという。
それを簡単に殺してしまうことが、果たして正しいことなのか。
正義を胸に、悪を倒すのが勇者。
難しい、と思った。
そんなことを考えていたせいだろうか。
「にゃ!」
とケット・シーが声を上げるまで、野犬が唸っていることに気づかなかった。
「おい、腰抜け! アイツがいるにゃ!」
「アイツ?」
顔を上げる。
あまりにも遠くにいるせいで、一瞬それが何なのか理解できなかった。
だがそれを認めた瞬間、ひ、と声を上げてしまう。
「火吹き大蛇……」
正直言って、今一番出会いたくなかった。
どうする。
見ないふりだってできる。
倒しに行かないという方法も。
グルルル、と野犬の唸り声が妙に耳に残る。
何か、嫌な予感がした。
例えていうなら、そう。
大雨の降る空に、一際黒い雲が見えた時のように。
野犬が、走り出した。
その名の通り雷のように、猛烈な勢いで。
「ちょっ……ちょっと待って!」
叫んでも、聞いてくれる様子はない。
そういえば、と思い返す。
今朝、彼が自分たちを襲った理由は何だったか。
縄張りを荒らすな。
ひょっとしたら、この辺りで見かけない魔物にはこんな感じで毎回襲っているのかもしれない。
すると、今朝襲われた理由は、ラーニエではなくケット・シーだったりするのだろうか。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
いくら草原最強とはいえ、雷撃の野犬一匹であの大蛇に挑んだらどうなるか。
見知らぬ魔物すら殺せない。
それが友達であればなおさら見殺しになんてできない。
「ケット・シー!」
呼びかける。
「オレは猫にゃ!」
振り返った彼に、一言叫んだ。
「私たちも行こう!」
「オレは猫にゃあ!」
嫌そうな顔を見せたが、一緒について来てくれた。
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