ポンコツ勇者と本物勇者
「……」
チーズケーキ、野菜炒めに、キャラメルラテ。柔らかなパンに、それに付けるためのクリーム。
ラーニエはそこそこ値の張るカフェで、神に感謝の祈りを捧げるのも忘れ、身の丈に合わない贅沢をしていた。
とは言っても、贅沢をしているのは見かけだけ。その表情は暗い。
これだけのご馳走を前に一人黙々と食べている彼女に、他の客も店員も意識して近づこうとしない。
そのテーブルの上で、図々しく毛繕いをしている者がいた。
「まずいなら食べなきゃいいのににゃ」
もちろん、ケット・シーである。
「まずくはないよ」
ラーニエは乱暴にパンをかじる。
「うまそうには見えないにゃ」
一通り体を綺麗にしたケット・シーは次に大あくびをしてみせた。
釣られたように、ラーニエはパンを飲み込んで、ため息をつく。
「うまいよ。普通に」
「だったらもっとうまそうに食べるにゃ」
ケット・シーの言葉に肩をすくめる。
うまそうに、か。
どう食べたら美味しそうに見えるのだろうか。
笑顔で食べればいい? それとも、感想を言えばいいのだろうか。
馬鹿らしい。
今の自分が、何を笑えるというのだ。
感想なんてあったもんじゃない。何を食べても現実味がしないのだから。
何もできなかった、と思い返した。
大蛇を目の前にして、そして炎に焼かれる人間を見て、何もできなかった。
いや、違う。
何もしなかったのだ。
何かをしよう、という気持ちが全く起こらなかった。
「悔しそうだにゃ」
声をかけられて、見るとケット・シーもお行儀よくおすわりをしながら、こちらをじっと見つめていた。
「悔しそう?」
そんなことは、思っていないのだが。
「悔しそうな顔してるにゃ」
思わず頬を触る。
にゃー、とケット・シーがあくびをした。
「ま、わからなくもないにゃ。あんなに簡単に負けちゃ、にゃ」
全くもってその通りな言葉にため息をつく。
「こんなんじゃ、勇者になんかなれないよね……」
「それにゃ」
と、唐突にケット・シーが立ち上がった。
「お前、なんでその、ゆーしゃとか言うやつになりたいにゃ? 面倒くさそうなだけだと思うけどにゃ」
面倒くさそう、か。
猫らしい、と苦笑する。
「理由はいろいろあるけど、憧れの人がいるから、かな……」
ラーニエはふと、キャラメルラテに目を落とす。
「憧れ?」
ケット・シーがいかにも面倒くさそうだ、と言わんばかりにあくびをした。
たしかに、他人からすれば面倒くさいことこの上ない話かもしれない。
「小さい頃から、勇者の伝説が好きだったの。強くて優しくて、かっこよくて」
「ふーん、そのゆーしゃってヤツはオスにゃ?」
ケット・シーが口を挟む。
「え? うん、男だけど」
唐突に何だろう、と思ったら、ケット・シーはなるほどにゃ、と答えた。
「オスなら強さは重要だにゃ」
確かにそうなのだが、多分何か勘違いしている。
別に伝説に出てくる勇者と結婚したいわけではない、というかそこまでお花畑ではない。
あるいは、そもそも伝説の意味を理解していないのかもしれない。
そう思いながら、ラーニエは話を続ける。
「それで、勇者になるために特訓してたの。ま、ごっこ遊びみたいなものだけど」
「風変わりなヤツだにゃ」
どうやらケット・シーの世界でも女が強くなりたいと思うのは風変わりなことらしい。
そこは人間と変わらない。
散々いろいろな人から言われてきたことなので、そうかもね、と答えておく。
「ある時に、小鳥の魔物に襲われたんだ」
今でさえ、スライム相手に手も足も出ない状態なのだ。
戦局は一方的で、冗談ではなく死にかけた。
「その時に、助けてもらったんだ。ルーヴァルグ神学校の卒業予備生に。強くて優しくて、かっこよくて。本物の勇者みたいだった」
いや、みたい、ではない。
彼は間違いなく本物の勇者だった。学校で学んだ今だからこそわかる。
誰かを守りながら戦うということは、尋常ではないくらい難しい。
ましてや、瀕死の状態の幼い少女を助けながらとなると。
魔物の急所を突いた炎の魔法。
怯んだ隙に手早く回復の魔法で応急処置を行った彼の判断力。
あの時の完璧な行動がなければ、今自分はここにはいない。
ケット・シーはまたおすわりをして、黙りこくっている。何を考えているのか。
「私……その時、そういう人に会えたことが嬉しくて、そう言ったの。あなたみたいな勇者になりたいって」
ふと、右手を見る。
「その人、君ならなれるよって言ってくれたんだ」
握手をしながら。
やれやれ、とため息をつく。何をやっているのだろう。
神への感謝も忘れて。
目を瞑り、胸の前で手を合わせる。
「神よ、貴方の恵みに感謝致します」
唱えて目を開けると、ケット・シーが中腰のまま、動きを止めてていた。
「な、なんにゃ、いきなり……お、オレはお前に恵みなんてやった覚えはないにゃ」
いや、お前じゃない。どうしてそうなる。
と、思ったが、ケット・シーに対しても感謝しなければならないのは事実だった。
「ありがとう、あんたの言う通りだね。私、今すごく悔しい」
人が二人も死んでいるのに、その感想が悔しい、か。
意識の中で、目的と手段が逆転している。
だが、誰かを守るためには弱いままではいけないのも、また事実。
「く、悔しいなら、強くなるしかないにゃ?」
全く、ケット・シーの言う通りだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます