伽藍道宇の寺の事情
道宇は、物置となっている本堂の床下から外に出て、さっきまで体験していたことをぼうっとしながら振り返っていた。
物置の整理を住職から命じられたのは、僧侶になるための修行も含めた大学の学業を全て修了して帰って来てその翌日からだった。
時間の長短の差はあれ、ほぼ毎日。
「爺さんが元気な頃は父さんもやってた。古くなって使えなくなったもんはいつの時代にもあるもんだ」
道宇の父は苦笑いしながら堂宇に諭すようなことを言っていた。
道宇と同じ体験をしたことがあるのなら、その注意も付け加えてもいいはずである。
この世界にはとても存在しそうにない物を数多く目にした。
幻、気のせいではとても片付けられない出来事である。
「怪我をしないようにな。特に頭。俺は八針ほど縫ったことがあったから。天井に血のシミが一か所ついてるが、俺のだから気にするな」
注意されたのはそれくらい。
見たことのない場所に移動させられることがあったのだとしたら、予め道宇に忠告していただろう。
もしも一度だけ体験したとしたら、夢か幻か、そんなことで忘れ去ってしまったのかもしれない。
けれどもその移動先で出会った人物は、この世の者とは思えないほどの美しい容姿、顔。
忘れようとしても忘れられない女性。
ただ、自ら神と名乗ったところに、道宇は何となく痛々しさを感じ、ある一定の距離をキープした上でのお近づきになりたいと思える相手。
そんな人物と出会ったことを忘れるだろうか。
もっとも父には母がいるから、お近づきになったところでどうにもならないはずである。
が、その前に、もしも父が体験していないことだとしたら、アニメかゲームのやりすぎの一喝で終わらされる話。
「これっきりの可能性もあるし、一回きりならあれこれ対策とか考えたってしょーがねぇよな」
道宇は思いっきり背伸びをして自室で三十分ほどの転寝を決め込んだ。
その後は何の変哲もない時間を過ごし、その翌日。
「そろそろ弁天さんのお祭りの準備しなきゃな。物置の整理は一旦休止。午前中は上町町内のシモハタさんの月命日、だったな」
「予定表に書かれてたから分かってる。朝の九時だったよな。準備は帰って来てからやるよ」
道宇の寺は五百年くらい続いている。
開山した当時は電気は当然ないし、科学の力というのもない時代。
しかし仏教は既に日本にしっかり伝来している。はずなのだが。
※※※※※ ※※※※※ ※※※※※
本山に納めるための課金制度は昔からあった。
もっともガチャはあるわけはないのだが。
全檀家から納めてもらったお金を、当時はあったかどうか分からないが篭屋や徒歩で京都まで移動した。
途中、旅籠の町として有名な場所で当時の住職が一泊。
ところが泥棒の被害に遭い、無一文となってしまった。
「お坊さん、お困りの様ですがどうなさいました?」
かくかくしかじか。
多くの者からの厚意で集まったお金のことから説明。
それはお困りでしょう、とその男が同額、無利子で貸すという。
見も知らぬ人物からそんな大金をいきなり出された住職は驚いて言葉を失う。
「いえいえ、お貸しするだけですよ。そういう用件なら恐らく来月にはお戻りになられますな。そのあたりなら私は●●というところにいるはずです。ご住職のお住まいからはやや遠いでしょうが、ここよりは近いはず。同額のお金を持ってきてくださればそれでよろしいですよ」
聞けばその男、有名な薬売りで商売繁盛しているそうで、大金をポンと出せるのも納得。
しかし住職は、自分のことをそこまで信用してくれるのはなぜかと疑問の念が消えない。
「お坊さんの人徳でしょう」
煙に巻くようなことを言う男。
兎にも角にも、その薬売りの男のおかげで京都までの旅は続けられることになり、無事に上納。そして帰省。
課金を集めた檀家たちを再度集め事情を説明。
「そりゃ災難だったの。同じ額を出すのはちとつらいが、そういうことなら仕方があるまい。にしても無利子とはずいぶん親切な方がいたものだ」
「薬売り、と言ったな? どこの国の者かの? ふむ。うちにも薬売りは何度か来るが、そこの薬売りを優先して買うとするかな」
叱られるのを覚悟で報告すると、むしろその男への賛辞が多い。
借りた同額の金が集まると、住職はすぐその男が宿泊している宿場へ向かった。
恩人の顔を忘れるはずがない。
その声を忘れるはずがない。
宿場の場所を忘れるはずがない。
長期にわたる滞在。すれ違うはずもない。
住職はその宿場に到着。
その男から教えてもらった、彼が止まっている宿屋に入っていった。
「えー、私に会いに来たというのはあなたですか?」
そんな男から、まるで初対面の相手に挨拶するような丁寧な口調が出てきた。
不審に思いながらも、借りた同額のお金を持ってきたことを伝える。
「……確かに私は薬売りで、あの宿場に泊まりました。泥棒騒ぎがあったことを知っていますが……。そんな大金、見も知らぬ方に貸すわけがないじゃありませんか」
その男が住職を見る目つきは、このお坊さん、正気か? と怪訝さを露わにしている。
しかし住職はその男に見覚えはあるし、聞き覚えのある声の持ち主でもある。
その男は芝居しているふうでも、とぼけた様子でもない。
「いや、しかし私がここに泊まっていることを知っているのは、うちの店の者達だけですからな。狐か狸に化かされた話だとしても、そんな妖が私の泊まる宿を知っているはずもなし……」
薬売りの男は首をかしげる。
住職も困った顔をしている。
「そうだ! そんな大金をいきなり貸すとしても、借用書をお渡しするはずです。お持ちですな?」
「いえ、ただ、大金を私の前に出して、お貸ししますとしか……」
あり得ない。
そのようなことは絶対にない。
人違いかもしれない。
とは言っても、宿屋の旦那に聞いても同じ顔の人物はいませんとしか答えが来ない。
「いくら考えても埒があきません。借用書がないなら返してもらう筋もなし。もっとも貸したこともないのですからなぁ。そのままお持ち帰りされたらいかがですかな?」
まさしく狐につままれた話である。
仕方なく、そのお金を持って住職は寺に戻った。
「そらぁ随分と不思議な話だの」
「しかし確かに借用書がなけりゃ返そうにも相手が分からん……」
「まさか京都に持ってった金は木の葉っぱの束じゃあるまいの?」
あり得ない話ではないかもしれない。
が、もしそのようなことがあったなら、本山からの何らかお達しから来てもおかしくはない。
「財を司る神、弁財天様のおかげではなかろうか……?」
「……ならば神様に感謝する場所を作ろうではないか」
「どうやって?」
「そのお金があるじゃろ」
※※※※※ ※※※※※ ※※※※※
道宇の寺の境内に弁財天を祀っている社がある。
寺と弁財天との関係は特にない。
冬至の住職と檀家達が知恵を絞って考えた結果、そうではないかと出した一方的な結論である。
その社が出来た年から年に一度、感謝の対象としてその時代から約五百年、ささやかな祭りを催し続けている。
仏教が説くことの一つに因果というものがある。
原因と結果。
今の現代のように科学や思考の発達や発展が進んでいればその理論に当てはめて別の結論が出ていたかもしれない。
しかし解明できないことが多い昔の時代は、そんな現象が起きればすぐに神仏のおかげと言った結論を出すことが多い。
仏教の中身とはいささか違う理論の展開。
そしてこの寺に限った出来事である。
道宇が大学で学んだことよりも、そんな地元での風習を優先されることが多い。
勉強した内容の大半を忘れるとは何事かと批判を受けることもあるかもしれないが、地元に受け入れられやすい振舞いがそれよりも優先する必要がある場合があり、それが檀家達から歓迎されることもある。
とは言え、老若男女問わず、誰もが邪心を持たずに集まり、楽しむ祭りごとは道宇も好む。
その準備の仕事もむしろ好き。
しかしその前に、檀家の仏壇前での仕事が控えている。
浮かれる気持ちなく、道宇はいつものように、住職が彼一人だけでも安心して任せられるその仕事のために着替えを始めた。
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