第二話「イン・ザ・フレッシュ」

「……私のこの声、この身長、そして私の初めてをあんなヤツに許した私……。自分で、自分を呪ったよ……でもね、どうあがいたってイツも頭の中にはアイツが居るの……」



 ファッカーの腕の中すやすや眠っていた彼女は夢でもがく。男が子守唄の様にゆっくり優しくテノールボイスで歌う悪夢を彼女はどれだけ必死に叫ぼうが其の男には届かない。


『レイー、レイー。君を泣かすなんて酷いヤツだ。

 レイー、レイー。ずっとこのままで居てくれよ。

 レイー、レイー。お母さんは買い物へ行ったよ。

 レイー、レイー。お父さんの言う事は絶対だよ。

 レイー、レイー。なぜ恐がる事があるというの?

 レイー、レイー。キスとは舌を絡め合うものだ。

 レイー、レイー。君は天使の様に可愛い我が娘。

 レイー、レイー。君を憎む者はこの世に居ない。

 レイー、レイー。この事は二人の秘密にしよう。

 レイー、レイー。何を恐がる事があるというの?

 レイー、レイー。お父さんはいつも思っている。

 レイー、レイー。悩みがあるなら言ってご覧よ。

 レイー、レイー。お母さんは可なりの嘘吐きさ。

 レイー、レイー。気持ち良い時は笑顔が似会う。

 レイー、レイー。ずっとそのままで居てくれよ。

 レイー、レイー。言ってご覧よ泣かせたヤツを!』


「お前……だっ……お前しか……ファック、ファック……ファーック!」

「レイン?……勘弁してくれよ、今日は疲れて……むにゃむにゃ」



「……ファッカー……」

 陽も登らぬ午前三時半、彼女の悲痛な叫びを聴いた彼は驚くも睡魔に勝てず身を翻して寝直してしまったがチェリーは未だ活動中であり、作曲しながらのヘッドフォン越しでも耳へと貫く甲高い叫び声は穏やかじゃない、徒ならぬ彼女のヘルプ・ミー・サインを感じリビングに行くと小さい身体を更に小さくさせてうずくまる彼女らしくない姿があった。


「おいおい、どうしたんだレイン。悪夢なんてただの夢だぞ」

「……それは、どうかな……」

「そうなんだっつうの。夢は過去のバラバラある出来事を勝手に脳がストーリー仕立てに編集し図々しく見せられるもの、作曲と同じ様なものでもあり似て非なるものでもある」


「……ポールはさ、親って……なんだと思う?」

「足かせだったな。いつもいつでも俺をいちいち、ねちっこく道を阻んでいた」

「……ちょっとコーヒー飲もうよ。そんなポールと少し、相談したい事があってさ」

「えっ!」彼女は静かに立ち上がってそういうのだから、また彼は臆病になってしまうが寝室からファッカーのいびきが聴こえるので安心して座りバリスタのコーヒーを待った。



 少しすると彼女は両手のコーヒーカップをテーブルに、目には涙をにじませて座って、流石の彼もヘタな事いえずに沈黙が流れ、やっと彼女はタバコに火を点けると軽く笑う。



「ポール、憶えてる? 小さい頃、私が引っ越す時のこと」

「気持ち悪いだろうが結構、憶えている。『この世は独りぼっちで出来ている』ってのは俺にとって最高に助けられた言葉だが、合ってるだろ?」


「そのお母さんの詩は、こう続くの。『だから歌おう大声で、独りぼっちの自分の歌を。

歌っていれば誰かの声が、何処に居るの私はここだよ。手と手を取り合い一緒に歌おう、独りぼっちは一人じゃない。リズムと一緒に皆で踊ろ、輪っかが出来たらそれで世界さ』

お母さんの描く絵本の言葉は誰よりも、夢みたいな優しさに包まれてたよ」


「絵本作家だったのは初めて知ったが、ひとつの曲のようで良い詩だな」

「作家じゃないよ、お母さんの絵本は私にしか読むことが出来なかったんだよ。私の頭の中だけに眠っていて、今の私は、その図書館に火を点けたくなってるってワケでさ……」


 紫煙をくゆらせ尻つぼみに遠くを見ながらそういう彼女が引っ越したワケは子供なりに父親に酷くされたからと彼は聞かされていて、今も憶えているが、深く聞いた所で自分にメリットは無いとムダな詮索はしてこなかったし、これからもそうだと不意に熱くなる。


「……お返しにこんな詩がある。その図書館への侵入者もろとも何もかもを燃やしたって一番ダメな自分は残るぜ、スリー、ツー、ワン、ゼロ!……今は侵入者が一番ダメだが、そこにお前が大事な絵本ごと燃やすなんぞ最もダメという事で、この俺が今まで作曲したデータを丸ごと消して就職したいと言い出すレベルの決してあってはならない非常事態に成るのを果たして天国のママは望んでいるだろうか? 答えは『オーッ、ノーッ!』だ。

墓から飛び出しゾンビと成りてお前を殺しに来るだろう」


「……うん……」


「お前だって望まない筈だ。土の中で静かに眠っている最愛の亡き母がそんな醜い手段で現れてくる事も、ここまで生かされた自分の命を産んでくれた母に殺される事も。たかが一生に幾度となく有る悪夢の一つごときで自分の全部をファックする等おつむがイかれて居たっていくら何でもな話。股から這い出たばかりの無知蒙昧な赤子でさえ泣いて鳴いて先に産まれただけのヤツらに助けを得ながら来たくもなかったこの現実という悪夢を自ら受け入れようとする生物の本能にこそ善い命が宿り、涙あり笑いありのドラマティックな運命が物語るこの世の自然というものは、俺は母体に在ると考える。何故ならば――」


「もうやめて、ありがとうポールのそういうとこ好きだよ。こんな天才と一緒に住んでる私は信じらんないほど幸せなのを忘れてたわーっ! アッハッハッハ!」



 さっきまでと人が変わった様に満開な笑顔を咲かせる彼女は心の底から、嘲笑も含めた甲高い笑い声をむせ返るほどリビングに響かせ、本気なツラして説教のつもりで居た彼は急に笑われるものだからビビッて、やっと理解すると顔を赤くしてタバコに火を点けた。



「ケホッケホッ……でもさポール。この前いってたバンド活動、良いと思う!」

「もういい! バカにしやがって……寝ろ!」

「もう寝れないよ! あのファッカーも乗り気だったし、振り返ってみれば私たち三人は日常的に仲良くバンドをやってるようで中々コミュニケーションを取れてなかったなって私は……本気で思うけどなー。そういう所からじゃない?」


 何気なくいう彼女の思うバンド活動と彼のとは若干の意見の相違はあるものの、ハッと彼の胸に突き刺さる『コミュニケーション』という言葉は作曲においても可なり重要な、

チェリー・ガイの世界にポッカリ穴が開いていた、失くしていたパズルのピースだった。



「レインよ、お前はパンドラの箱を開けた……否! これから俺のことはゼウスと呼べ、今からお前をパンドラと呼ぶ! 寝るか、寝ないか、どっちだ!?」

「なんか面白そうだから、寝ない!」

「カモン!」いそいそしく彼はタバコを揉み消して彼女を酒臭い自室に招き入れ六本目のワンカップの封を切って呷りスタンバイしていたパソコンを点けて光る画面に手を振る。


「実の所ああ言った時は三人でバンド活動なんて俺はどうかしていたがしかしパンドラがそう言ってくれるのなら話は別、リズムを鳴らすから一つの音で良い。弾いてくれ!」



 コッコッコッコッ……パソコンで規則的なゆっくりとしたカウベルを鳴らさされる中、彼女はエレキギターを手渡され狼狽しながらも一弦を片手でただただ弾いていると次第に自分自身が詰まらないからともう片手で音程を付けて、成るほどメロディが出来てくる。



「ストップ。最高だパンドラ! しかしだ……しかしこのままでは一方的だからゼウスとコミュニケーションを図ろうではないか……お前が弾いていた音は総て録音していたが、その音声データを俺が編集すると……こう、速くしたりだとか……こう和音が出来たりとかあ――――グーッ、グガァーッ、クカー…………」

「ポール? ポールってば!……ああそっか、お疲れ様」


 酒飲みながら徹夜して彼女を助けて心を打たれて……一日で一気に全部やってしまおうと己の歳を忘れて失敗してしまういつまでも少年の心をしている彼は、少女の様な身体の彼女とまるで真逆のソレが好かれる所であるが、羽みたいに尖った肩甲骨に毛布を掛けてカーテンを開けると瞳をつんざく朝陽が顔を出し交代の如くファッカーが飛び出てくる。


「ああ……っ! 良かった……レイン! どうした眠れないのか!?」

「そうだけど……ハハ……ファッカーこそ眠れなかったの?」

「当り前だろ!? レインが隣に居ないんだから……何事かと思ったよ馬鹿野郎……」


 強く抱きしめられて深呼吸をするファッカーの独占欲も彼女にすれば可愛いものだが、それは子供を産めない自分の所為でもあると考えてしまう二人はお似合いのカップルだ。


「ファッカー。ここには私だけじゃないんだよ、ポールも一緒に家族なんだから」

「ああ……もちろんだ」

「もちろんドラムスティックは捨ててないよね?」

「捨ててないが……それがどうした」

「じゃあ少しだけど二度寝をしよ?」

「そうだな……まだ眠れるなんて俺は幸せだよレイン」


 二人はベッドの中で寄り添いながら眼を瞑るが結局、彼女は眠れず目覚まし時計の針の音を数えるのは悪夢を怖がったりカフェインの所為ではなく、面白くて仕方が無いのだ。



 この奇異で有り得ない家族構成の中で褒められも苦にも特別ひどい事もされずに、女の自分が面白い腐れ縁の二人の男とこうして持ちつ持たれつ居られる自分の幸せなど何処の誰が体感できるものかと、そして、この関係は過去の自分と今は亡き母の詩によって成し得たものなのだと、止め処ない自尊心と愛情/友情その他もろもろの笑顔は終わらない。



 廃人の様なファッカ―ズをコンサート会場に引き摺りだそうとするマネージャーや医師達との葛藤が始まる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る