おゝソレミロ ~シーズン3~

第一話「エゴ・フロム・ソフィック」

 僕の気の弱さが生まれつきだったというのは中学生に成る時に親から聞かされての事で幼い頃、親への反抗はしなかったものの、いつも自分の所為だと泣いていたというのだ。


 オモチャを組み立てる時でも、写真を撮られる時でも、食事をとる時でさえも隣に居るクラスメイト、両親や親戚と自分とを比べてしまい、隣の芝の青さに手が届かないみたくもがいては泣いて、仕舞にはオモチャをよく壁に投げつける八つ当たりしていたらしい。



 当時は他人事の様に聞いていただけだったが今は聴かなきゃ良かったと後悔している。その事実は時として気弱な僕を更に弱らすのだから、言い訳をしては失敗、弱音を吐いて失敗そして八つ当たりの失敗。毎日それを繰り返し、とうとう誰も信じられなくなった。


 そんな僕が中学生に成ってからというもの、キンコンカンコンというチャイム音が歪に聴こえると共に耳鳴りしてアスレティクスの授業の時は保健室に行くのが当然になった。



「ハウアーユー、ハリー? 耳鳴りは治らない?」

「……薬は無いんですよね」

「やっぱり危ないからね。まあ、寝てみよう!」


「……また僕は『スリーピー』と虐められるんでしょう……」

「分かったよ。耳鳴りで寝不足なのか、それとも逆かストレスか……連絡してみるね」



 分かってないよ、先生は、なんにも分かってない。保健室の静寂の中で、ソファで横になれば途端に安心が湧いてきて、眠れずともココに居るだけで楽に成れる。しかしながら僕が一番に楽に成れるとするならば友達の存在だろうと思うのは、いけない事なのかな。



(レイン、僕は遣り切れないよ。しっかり授業を受けてたって成績が良くも成らないし。そうだよ、僕は出来損ないの失敗作として産まれたんだ、ひどくされるのは当然さ)


 顔の形した天井のシミを見ながら、聞かれない様に口を動かすだけの独り事を繰り返す僕の奇行……分かってる。それは僕にだけ、分かってる。ただ誰にだって一つは信じたい神様のような存在は必ず心の中にあるのだから、これだけは間違えではないはずだろう。



(レイン、あなたは僕を信じてくれる。それで良いんだ、それだけで良いんだ)


 そう言って目を瞑ると……ダムダム、ダムダム……バスケット・ボールの音が聴こえて僕は瞼の裏でダンク・シュートを決めた。皆がオオッとざわめいて先生が拍手を始めると皆もマネする喝采の中ボールが渡された僕は先頭切ってドリブルを始める……そんな憧れさえイメージだけで夢にも現れず眠れば悪夢と成ってチャイムでハッと目が覚めるもの。



(もう悪夢を見るのはヤだよ。夢も現実も、もうたくさんだ。でも……)


 保健室の静けさの中、時計の針は止まることなくカチコチと、先生が紙に何かをペンでさらさら書く音、そしてこの温かく柔らかい毛布に緊張感を奪われて瞼が開かなくなる。




 案の定ねむりに落ちてチャイムの音で起きる僕には一瞬の出来事だが、皆は僕より時の中を楽しんだぜと言わんばかりのクラスメイトの声が、嫌に良く聴こえてくる。ボーっと背を起こせば身体が軽くなって、悪夢も、何の夢も見ずにグッスリ眠っていた様だった。


「ハウアーユー、ハリー?」


「ありがとう、先生。すっかり治りました」


「うん、明るい顔してるね。親御さんにその顔を見せて、また頑張ろう!」


「……頑張ります……」その言葉を聞いて台無しに成るは成る。けれど本当に身体が軽く頭の上にあった雨を降らす雲がすっかり晴れた気分でいる僕はレインがやってくれたんだとしか心当たりが無いのだから僕も又、レインを信じ、互いに信じ合っていられるのだ。



「先生……やっぱり僕はバカなんでしょうか、さっき夢を見ずに眠ってたんです」


「それは頑張り屋の証拠だからバカじゃないよ。ノンレム睡眠といって頑張った人にだけ神様は眠りに邪魔なものを取り払ってくれるの。その代わり、寝ぐせが出来るけど」


 先生はクシで寝ぐせを解かしてくれるも、妙だ。先生の声が寝る前とは随分とクリアに聴こえるし先生は本当に味方なんだって判るのは、微かにしわがれた声をしているという年齢が良く聴こえているからなのか、そんなデタラメを何のことも無く聞き流せられる。


 一時的なものだろう、今さっき熟睡したばっかりなんだから頭がスッキリしているのは当然だ。けれど人間ここまで良く聴こえるものなのかと自分を疑ってしまうほど不思議に

「僕は、生きてる」そう口走ると涙が溢れてきて、先生は何も言わず抱きしめてくれた。



 それは一時的なものではなかったのだ。車中のエンジンの音、カーラジオの男女の声、家に帰ってパパママの声さえ、何もかも聴こえる総てが新しく生まれ変わったみたいに、くぐもっていたのが冴えてきて新鮮な姿形が見えてくるのだから世界観も一変してくる。



(レインのお陰だ、レインが僕を救ってくれたんだ。僕は今まで何をしていたんだろう、本当にバカだったんだ。信じる者は救われるんだね。でも、お礼はどう返そう?)


 宿題をせずにそう問うてみればキンとまた耳が鳴り、音がくぐもって歪む死んだ世界がやって来る。けど病院や親などという言葉は僕の痛む頭から消えていて、勉強机に座ってプリントの問題を解いてゆけば自ずから止み、ペンの綴る音がまた聴こえてくるのだからこれがレインへ返せられる礼、彼女を神様とすれば善行であるという事だと理解した僕は次第に耳鳴りが回復傾向にあるという知らせと同時に、成績も身心も良い状態になった。


「私レイン! よろしくね、ハリーっ!」……そう、このカエルがゲコゲコ鳴くまでは。



「……『レイン』という名は、その……レイナーで良いかな?」


「良いよ何とでも! 私は隣に引っ越して来たから、お母さんがコレ持ってけって」


「隣……ああ、レイナって特徴的な声をしてるね、僕には持病があってさ……」


「あー、それならお大事に! これでも同い年だから、学校でもよろしくね!」



「……よろしく……」僕は見送る事も出来ず立っているのがやっとだった。耳鳴りで音がひん曲がると共にジワジワ痛み出す重たい頭がレインという名を認識すると雷に打たれたみたいに、今まで生きてきた世界がフィクションだったんじゃないかって位の錯覚を生じ


(『レイン』とは、僕のレインは……唯一無二の神様的存在のはず、なのに……?)


僕の中の深い所に在る『芯』がそう迷いと惑い玄関で嗚咽を漏らしながら大声で泣いた。




 中学生にもなってもう……なんて考えも出来ずにママの胸の中で身体の内側を吐き出すみたく振り絞ってウワンウワン泣き喚いたのだろう、涙が乾いてくっ付いた瞼を開けると僕はベッドの中で、せきが出て何だかクラクラ熱っぽく、窓の外はもう暗くなっていた。



(レイン?……レイナ? あれ、おかしいな。レイン……ナ?)


 しとしと……音が聴こえて来て、次第に降りが強くなるレーン。まるで、死んだ世界に恵みの水を撒き、それを飲んで喉を潤す動物も何もかも総てを洗濯している様に見えた。



「ハリー、ご飯よ」

「ママ。もうちょっと、これを見ていたいんだ」

「……うん。パパと待ってるからね」

 この雨雲の向こう側に神様が居るといわれている其れは、全く間違えではないと思う。

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