第五話「チェリー・ブロッサム・トゥ・アバウト」
「お兄ちゃんはチェリーだよ! メリーが証拠! ママもそうだって言ってたもん!」
「でも……エリーの居ない所でこっそりとか……」
「信じてくれないならもう、お兄ちゃんなんてきらい!」
「……だって……」
彼は苦しんでいる。人気作曲家にやっと成れたというのに例のレインの一件から二人も然ることながら作曲さえ避けるようになり、自室から出る事と言えばトイレとシャワーと下を向いての食事に成り果ててしまった。まだかまだかと騒ぐリスナーたち、ケツ向けるエリーの娘メリー、無口な彼を心配する二人にさえ疑心暗鬼を生ず彼はチェリーである。
それにも関わらず自分をおごり高ぶって『チェリーの俺がチェリーでなくなった』等の悲観を彼女が否定しても止めない彼は、実は何か良いキッカケが欲しくて堪らないのだ。
『チェリー、良い酒を飲まないか?』体育座りのまま頭を横に振る彼、
『ポール、引き籠ってちゃダメだよ』態勢は変わらず頭を縦に振る彼、
そして誰もドアを叩かなくなって半日ケータイがピロピロ鳴り続くがそれも無視する彼。
『参ったな。よし、ドアを外してやろう。調子はどうだ兄弟!』
ファッカーは部屋のドアを外し、彼の隣でタバコと酒臭い息を吐き続ける事を選んだ。
『スモーク・オン・ザ・ウォーターを弾けるようになったよ!』
レインはエレキギターを借りて、彼の前で有名な楽曲を練習して唸らせる事を選んだ。
仕事の時間を割いて出した二人の選択肢は彼にとって最高にイエスなものであるのだが俯いては笑顔を堪え身震いし、頑なに感情を声に出そうとしない。彼の性格は二人も良く分かっているがココまで反応が無いと詰まらないし時間の無駄、早々に二人はお手上げで
「俺のハッピードラッグだ。余り考えるなよ、相談にはいつでものるから」
「これ、私の『兼業』してるカフェの娘の番号。このコは良いコだからね」
互いの秘密にしている大事なものを置いて仕事へ出て行くと彼はニタニタ臭い息を吐く。
「メリー、ここに俺がチェリー・ガイであるか否か最たる判断材料が揃った。ああ二人のプレゼントとも言うしギャンブルとも言う。この薬と紙を俺の目前に置いてこれから行う自らを以てしての人体実験を大変心苦しい中、いざ、ここに始めようと思う」
ド真面目な彼は二人の愛想の限界ギリギリラインを見計り我慢に我慢を重ねた末に手に入れたハッピードラッグ一箱とオンナの電話番号で本当の自分を知る事が必要と考えた。
『挑戦状、且つ遺言書―――俺の人生とは、二人の友に支えられて出来ている。
俺は、どちらにも手を染めない“チェリー・ガイ”が極まっているのか? そうである
のならば溜まったものを自分の手によって放出した後、食事を取って二人に陳謝するで
あろう。これは実験である。たとえ俺の肉体がチェリーでなかったとしても、精神的に
“チェリー・ガイ”であるの如何かという、自らを以てして行う人体実験なのだ。
どちらか一つに手をつけた場合、必ずもう片方にも手をつけてしまうとても危険な二つ
である為、困惑、後に発狂して自殺する事も視野に入れなければならない。その時は、
二人にこれを読んで欲しい。今までありがとう。迷惑をかけただけの人生だったな。
地獄ではちゃんと汗水たらして労働して報酬を貰い、セックスだってするのだろう。
遺体はエリーを埋めた場所に。 ―――チェリー・ガイ・フォーエバー』
「お兄ちゃん、ここまでしなくても立派なチェリー・ガイなのに……」
「自分を、自分が自分である為に……だ。では午前九時半、実験開始」
思い切った彼の実験結果は、最終的にチェリー・ブロッサムしてしまうのであるのだがそれまでの経緯を彼はしっかり箇条書きでメモ帳に残していた。順を追って見てみよう。
☆メモ帳――アイデンティティ――
・午前九時半……やはり初めだからか若干のソワソワを覚え自慰。少し気が楽になって、
まず朝食をとってから顔を洗って歯を磨きストレッチ。これからの万一に備える。
・午前十一時……少し虚ろで居た。正確にはテレビのワイドショーが詰まらなくて、見て
いて欠伸が止まらないものだったから、そうなってしまいメモを疎かにしてしまった。
昼になればまた違ってくるだろう。気付けにコーヒーを飲んだが不味かった。
・午前十一時半……約三十分程度のウォーキングから帰って来た。公園の暗がりを見ると
あのホームレスのヤツらを思い出す。そして若者は嫌いだ、俺を横切る度に睨まれるし
人の気持ちというものが分からないのだろうか? 身勝手にも程がある彼奴等が将来、
国を任される若しくは動かす立場に成ると思うと、ゾッとする。イヤになるね。
・正午……しっかり昼食をとった。いつも飯を作ってくれるレインには頭が上がらないが
たまに入れる謎の葉っぱからは虫の味しかしないので止めた方が良いと言っているのに
また入って居やがったので味が付いている所を避けるのに時間を食わされた。おお。
・午後一時半……俺の手はピアノが喜ぶ。即興ジャズが中々に面白くて、ついつい夢中に
弾いていたらいつの間にこんな時間になり、またメモを疎かにしてしまった。ジャズの
定義とは諸説あるが、楽しく弾ければこそのジャズだと思うのはセッション経験からか
違う、それだけでは無いだろう。リズム感さえあればジャズとはそういう事で、難しく
考えて窮屈に弾くのがクラシックだと俺は考える。クラシックは文字通り当時の当人に
成り切って弾くものでもな× これは音楽に関係ない。実験すら疎かになりかけた。
・先述から一時間後……ジャズとクラシックについての熱い論文が書けた。これすなわち
ひとつの実験結果が出たのだ。まず一つ目、俺は根っから音楽好きだという事である。
二つ目、やはりファッション・ファック・ミュージックは論外。音楽に反するものだ。
そして三つ目、我が人生に於いて酒無くしてアイデンティティの欠片も非ず。以上!
・午後三時……酒を飲んでからというもの至極順調である。
・午後三時十五分……先述が簡単過ぎていたので追記。ファッカーのハッピードラッグも
レインの書いた電話番号も全く興味を示していないのは見ての通り明らかであるから、
順調にやっているという事である。それから少しして、メリーがこんな事を言うんだ。
”人類史上最も成功したドラッグとは、コーヒー等に入っているカフェインなんだよ。
スマートドラッグともいって私たちが日常的、当り前にドラッグを摂取しているから、
ハッピードラッグも表記されていないだけで酒に入っているんじゃないかな?”
驚いたが全くその通りだと思った、酔うという事はハッピーになる事であり其の行為は
液体か個体かの違いしかないではないかと考えるのが自然なのだから。一錠くらいなら
大差なく実感できるし今は実験中、これは果たして言い訳と呼べる案件だろうか?
・午後四時……失敗をした。酒を飲みながらハッピードラッグを飲んでは効いているのか
判別困難である上に酔っ払ってしまいスッカリご陽気だ。ただ判った事とは、この薬は
砂糖でコーティングされているみたいに少し甘くて、そりゃ何千万人と飲む人は絶えず
キャンディみたいと良く言われている由縁、何粒か飲んだが酒は酒で薬は薬だという、
当り前過ぎてもはや常識的な事だ。酔い覚ましに水を飲み再度ウォーキングを行う。
・午後五時半……若者とは何なのか分からん。公園のベンチに居座っていたハイスクール
帰りのヤツらが音楽の話をしていたので話を聞いてみればロックバンドを目指している
というからつい話が盛り上がってこんな時間になってしまった。一人と連絡先の交換に
手間取ったからだろうが、俺の嫌う若者とはハイスクール以前のガキなのであろうか?
未来明るい青年たちであった。フェイスブックで熱く音楽理論をぶつけ合っているが、
そろそろ二人が帰ってくる筈なので現在討論中の彼らには申し訳ないがパソコンを消し
暗く俯かなければならない。 追記、次のメモは遅くなるであろう。
・午後六時頃……まだ二人は帰っていない。先述の青年らの中のベース・ギターと電話で
“ロックンロールに於けるベースの在り方とは”という論議が長引いてしまって俯いて
いられない。彼はジャズ畑である為かロックのエイト・ビートに苦戦している様であり
常識をぶっ壊すのがロックだ! と俺が言うと、それはパンクでは? 云々ぬかす彼に
理屈なんて要らない、ありのままで行け! と電話を切ったが確かにロックもジャズも
定義の細分化競争が今もなお続いていて、言った俺はソレに着いて行けていない現実。
…またロックについても論文を書きたい…しかし二人が… どうする? 俺よ!
・午後六時頃……そんなバカな、ありえない! こんな虐げられている人がこの世に居る
なんて酷過ぎる。俺に車があったら何時でも直ぐにかけつけるのに、畜生!
―――――――
ここでメモ帳の書きこみは終わった。そして十時頃に彼は二人へ実験結果という件名で長文のメールを送ったのだが二人は彼のデスクにある筈の実験材料を確認できていない。
―――――――
件名 実験結果
実験を成功させた俺の名はチェリー・ブロッサムである。
俺は挑戦状に書いた通り安易にハッピードラッグを飲んで、いつも通り酒で酔っ払って御陽気になっただけと思っていたが実は違ったんだ。
お気楽な社交性が生まれてから午後五時辺りに出くわした、名も素性も知らぬ青年らに話し掛ける事が出来て、会話をして連絡先まで交換し電話で悩みを聞いたハッピー状態の果ては誘発的衝動にかられてか、例の連絡先が気に成りだして電話した。
初めは喋るだけで良かった。だが悲しい彼女は会いたがるので公園に待ち合わせをして車でやって来てくれた。助手席に乗ってシートベルトを締めると運転席から身を乗り出し抱かれ撫でられ、深く長いキスをされた其の時に、俺は“心”の意味を理解した!
それからはもう面白い事だらけさ。また会う約束もした! 追伸、帰りは遅くなる。
―――――――
「ううっ……チェリー、静かに頑張っていたんだなあ……だがレイン、チェリーに渡した例の連絡先とはドコのどいつのもんだコラおい! 隠し事は無しだろ!」
デスクの上に置きっ放しにされていた挑戦状と題する遺言書とメールを一人見て感涙を流すファッカーだがレインは興味を持たずメールすら見ないで男共を待ち草臥れていた。
「アンってコだよ、色々と面白いコだから気が合うと思って。おかえりポール」
彼女が喋りながらドアを開けると居合わせたかのように縄で身体をグルグル巻きにされガムテープで口を塞がれている彼が、呻くのも疲れて震えながらゴロンと置かれて居た。
「チェ、ポール! お前、何をしやがった!」レインを睨みながらガムテープを外すと、
「カッカッカ……ファッカー、ファッカー、俺様に巻かれている縄を早く解けい!」
彼は声を掠らせながらイツもの調子で喋り出したので固く結ばれている縄を解いたらばレインと彼は笑い合って握手する。メールも挑戦状も見たファッカーには訳の分からないちんぷんかんぷんな光景であるが万が一にと腕を組んでしっかり彼女を睨みつけている。
「ヤった? ヤられた?」
「カッカッカ、馬鹿野郎め! 俺が縛られたので判るだろ、このバカ!」
「完璧、女だったでしょ?」
「女だった……ああ、飲み過ぎてクラクラしてきた。腹へったけど寝るわー」
「おやすみ、ポール!」
会話を聞いてもワケ分からず、ただ彼が物凄い幸せ顔をして笑い声も久々に聴いたので彼女が何かを企てて悪事をさせたというワケじゃないのを確かにしたファッカーは二人で静かな食事中にアアでもないコウでもない考えを張り巡らせながら慎重に彼女に尋ねる。
「最近、『エル・ジー・ビー・ティー』という言葉を良く聞くが……?」
「そ。取ってないけど私よりも女らしいトランス・ジェンダーのファッキンビッチ」
「マズいんじゃないのか、差別はしないけど……だって初めてがケツって」
「男が女性ホルモン投与すると胸は出ても精神が不安定になっちゃう様で、更年期障害はホルモンバランスの崩れから成っちゃうんだって。彼女は一生それを背負っていく覚悟と宿命をしっかり自覚してるから性病にならない様させない様に下準備はイツだって完璧。ポールもアンもハッピーだろうけど次に待ってるのは、分かるよね大黒柱さん?」
「……小便漏らしにはどちらの依存性が強いか、考えられない様だな」
二人は食べ終えた皿に音を立ててフォークを置いて睨みあうが、その音で彼が飛び起き
「は! はあ……はあ、酷い悪夢を見ていた、俺は一体」と言うと二人を見て笑い出す。
「まだまだ現役だねー。ほら、臭いからシャワー浴びてきて!」
「チェリー、お前の見ていた悪夢はただの淫夢だ。だが……」
両者止まず睨み合って火花を散らすのは、どちらが彼の性格を理解しているのかといういわゆる嫉妬の感情から来ているのだ。彼女は幼馴染で付き合いが長いから、彼氏は女に男の心は判るまいとして、今は休戦するものの再び争わねばならぬサガが発展してゆく。
「明日は休日だ」
「私もだよ、ファッカー」
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