第三話「ドライング・アロング・レインピス」

「チェリーレインピス、アンドハニー、カギは必ず掛けろよ。いってきます」

「いわれなくても!……はい、分かりました、いってらっしゃいませ」


「いってらしゃいダーリン! はい、ポールちゃんは足を上げてー?」

「いえそこまで……いや、お前は人の事いえねえだろ!」

「朝ご飯を作ってあげたのは誰でちゅかー?」


「……美味かったです」チェリーにニートに居候に小便漏らしに飲兵衛と、様々な汚名を返上し切れないほど背負わされて流石の彼も参ってしまい、それでも匿ってくれる家主のファッカーには頭が上がらず丁重にお見送りする午前七時半とは、彼にとって久しい朝の世界だ。昨夜、彼は気絶してソファに染み込む大量失禁をしてしまった事に気付かないでイビキをかき、テレビの音によってやっと眼が覚めたくらい深い眠りについていたのだ。



「まあ良いんだけど、かなり久々じゃないかな。三人で朝ご飯たべたの」

「五六年ぶりだが、お前もゆっくりしていられないだろう。食器洗いくらいさせろ」

「あーそっか、ポールは知らないか。食器を洗う機械を買ったのと今日、私は休日だよ。だから男のポールはくっさいソファを外に出して私と新しいソファを見てこよう!」


「……別に良いけどな、別に良いけど……」レインと一緒に行動する自分が想像できない彼は言葉をどもり濁してソファと共に外に出たく俄かに持ち上げれば案の定ドシンと音を立て落としアタフタさせた彼女は意地悪だ。二人掛けのソファは大の男でも一人で持てるワケないのに弱っている彼を更に弱らせて自分をもっと優位に立つ為にサラッと罠を張り


「あーもう、私が端を持つからそっち持って!」という風に彼がさも悪者だと仕立てる。




「ぜえ、ぜえ、どこまで行けば良いんだよ!」

「粗大ゴミなんだから、ゴミはホームレスに!」

「公園なんて遠過ぎる!」

「誰がゴミにしたのさ! 人目につかれないように、急ぐよ!」


 彼は太陽の光に眼を焼かれながら無我夢中になってひたすらカニ歩きを速める。彼女のパワーで自分の非力さに嘆く道中、車に道を譲ったり犬の散歩をする貴婦人に当てたりのてんやわんやを経て公園に着く頃には過呼吸になって彼女にソファを引きずらせていた。



「ぜえ、ぜえ、もう、だめ、行って……」

「男のクセして情けないなーっ! ハロー? そこのサンタが貧しき人々にと!」


 草陰に身を隠していたホームレスにそういうと喜んでアンモニア臭のするソファを受け取ってそそくさと住処に持ってゆく。彼女もばてたが彼は過呼吸が収まらなく、汗だくで地面に這いつくばって落ち着かせようと必死な姿を憐れな子羊を見る眼して背中を撫で、

「ポール、分かるかな? ほら、もう終わったからベンチに座って?」


「ぜえ、ぜえ……眩しくって瞼が、開かない……」


「もーっ! ほらそこの蛇口で顔を洗って! なっさけない、こんなの介護だよ!」と、彼女は大声でそういって公園で遊んでいた子供もその親にも心配を掛けさせ自分の立場を明確にさせる。子供は悪気なく彼に指をさし、その親は子を思って危ないから帰ろうと、騒然となった朝の公園の総てが彼女の一声で征服したみたく、茂みに隠れるホームレスと彼が流す水道の音以外になくなり、幸せの全部を一掃した彼女は達成感と快楽を覚える。



「……どう? 楽になったなら帰るよ?」

「帰るって、ソファを見に行くんじゃないのか」

「アハハ! そういやポールは運転免許すら持ってないか! アッハッハッハ!」

「ああそうか、車……そ、そんなに腹を抱えるほど笑える事なのか?」


「今日は何だか気分が良いよ! アッハッハ……ケホケホ、流石はポールだね!」

「チェリーだが……気分が良いのは善い事だな! 流石チェリーパワーは伊達じゃない」



 昨日の事があったので彼も気分を良くし、ウィンウィンの関係に出来たのは自分の力だと思わせられる彼女の力は変態的な迄に彼と相性が良いようで実に可笑しくなった彼女は今日一日で彼をどこ迄どうしようか考える度に気が違っているみたいに笑ってしまうので彼ですら幼馴染だからとか女だからだとか分け隔てなく気を付けて接しようと考える程、あの頃から平等に歳をとり変化してゆく人間の有情というものを感じざるを得なかった。




「……少し酒を飲ませてくれ。俺にはその、強すぎた」


「何そんな朝っぱらから険しい顔して。車でワンカップ飲んで良いから早く乗ってよ」

 明らかに目付きが変わった彼女は忙しく車のエンジンを掛けて助手席をポンポンと手で叩きながらそういうので、逃げようとした彼は尻に敷かれたみたいに従うしかなかった。




「カギ掛けたね。じゃあ行くよ」

「ああ」しっかりシートベルトをする彼はロデオのような車中を強いられるのだろうかと瞼をぎゅっと閉じて覚悟をしたが、意外や意外の安全運転でスピーカーからは彼の作った曲が流されているし、やっと胸を撫で下ろし背を凭れた。こっそり空のワンカップ容器に入れたテキーラを飲んでも怒られず御陽気になった彼は知らずに、彼女の掌の上で踊る。



「本当、何百回と聴いてるけどこんな曲を作れるのはポールしか居ないよ」


「流石は俺の幼馴染だけある! ファッカーもお前も類は友を呼ぶというヤツだろうが、この曲の醍醐味としてはエレキテルとアコースティックの調和で、ダンスミュージックと思わせといてからの、こっからガラリとジャズに成りそして……そうここでまた極自然にアレッと驚くほど初めのキラキラしたリフに綺麗に戻るも実は!」

「ジャズの時も同じメロディなんだよね」

「そこから一気にテンポアップしてパンクロックに成って!」

「首を振っちゃうハードコアってねーもう天才」テキトーでも彼のテンションに着かずもしっかりした返答が出来るのはファッカーとの会話を盗み聞きして憶えておいたからだが素っ気無くとも、ちゃんと的を射た発言を彼女がするから彼は嬉しくヒートアップする。


「ああ、こりゃあ懐かしい! ひっく、これは確か、俺が二十五の時に作曲した!」

「才能あふれる曲だよね、私これ好き」調子の良い事をいう彼女は真顔で、ヤに透き通る声色でいっているのに酒が回っている彼は訊いてもいない曲の解説をしてしまうのだが、それこそが彼女の罠であった。車にケータイの電波を繋いで二人で聴いているのだが其のプレイリストには彼の作った現在から未成年時代の過去作から全部はいっていて、順番に曲が若くなってゆくよう組んであるも、彼はちょっとした懐古談を挟みつつ解説に必死で順々に穏やかな曲調になってくるから彼女も共に口角が上がってゆくのを抑えられない。



「かーっ! 美味い! お前がここまで音楽に興味があると思わなかった。これはええと成人して間もない頃のだろう。軽快なテンポのワルツではあるが、ワルツとは三拍子で、多分……そうだ三拍子だから三小節で展開しているという妙で、意外と他に無いんだ」

「うんうん、思わず身体が揺れちゃうのはそういう事かー」

「ワルツは古くから舞踏曲であるが人間とは不思議なもので、遺伝子に組み込まれているごとく俺らの世代でもそうなってしまうのが面白い! 俺は今のダンスミュージックより単調でも三拍子の曲を聴いている方が、いや俺の場合はエア指揮棒を振ってしまうね」


 彼は現在どこを走られているのか全く判っていないのは酒や運転免許あるなし以前に、外の世界では開発や建築が活発に行われている事に興味を持たず屋内に籠って其れを知ることもしないからであろう。彼女はかれこれ数時間も同じ所を何周もして持久戦を図り、良い具合に彼がまだ若い頃の曲の方が優れている事実を目の当たりにしようとする。だが調子の良い事ばかりの彼女はぬかった。運転する体力はあるものの車の方がいう事きかずエンプティマークが点灯してしまって、ガソリンスタンドへ行ったらば彼の注意が逸れてしまうし駐車したらば若き曲にのめり込み過ぎて策がバレるのではないかと懸念を抱く。


「ああーっ、これ大好きな曲だからちょっと停めていい?」

「おっそうか、さっきからエンジンの音がうるさかったな。というか――」

「タバコ吸って良いんだよ? 私もたまに吸ってるから、これで良かったら」


「……なんだ妙に気が利くな、今朝の所業に反省でもしてんのか」

「しーっ! 聴こ、ね!」危うく全部がパーになる所で彼の口にタバコを突っ込んで火を点けてやる女の離れ業をして押し退けたが、彼は懐かしげに街を見て煙を吐き黙りこむ。



「この曲、大好きなんだけどさ……何でなんだろ?」

「パルプ・フィクションのパロディ曲だからだ。ふう……腹が空いてきた」


「…………」黙ってそのファックなパロディ曲に集中しているフリをするが、ファックと叫びたくなるほど後ほんのちょっとで仮題曲十八に行き着く筈だったし、その映画は彼と初めて劇場へ行き見たもの、それからファックという言葉が学校中で流行り、彼は未だに愛する単語なのだから記憶は両者ともに鮮明でありどんな映画だったかすっとぼけられず

もどかしいイラつきから舌うちして頭を掻き、彼女もタバコを吸わざるを得なくなった。



「あの映画も、今見たら結構ちがってくるのかもな」

「ふーっ……それはどうかね。ファックばっかりいってた記憶しかない」

「このミザルーは一度聴いて忘れられるワケないぞ。これの冒頭は簡単だし女が弾いたらカッコイイし、何処でも誰でも『懐かしい!』とか絶対ウケも良いと思うが」


「お? それならギター借りて練習してみようかな」

 食いついた! やったぜ! こっから話を元に戻そう! 彼女は小さいガッツポーズを衝動的にしてそのまま固まってしまった。この流れからまた彼に自作曲を集中させる事は全く容易ではないと考えてしまうのは自分も罠を張り巡らす集中力が切れてしまったからだろうが、それと同時にパルプ・フィクションを二人して親にばれない様こっそり外出し待ち合わせて劇場に忍び込んだ未だ青い頃の情景が音楽によって思い出して浮つくのだ。



「だから好きだったんだ、この曲……」らしくない素直な感想を述べると彼も懐かしむ。


「この曲はまあパロディにしてより良く昇華させたが、そうだな。ミザルーほど衝撃的なイントロは無いってくらい頭にこびり付いて……ビビりっぱなしだったよな」

「そうそう、いきなりこのイントロが始まってね……。まあ子供が見る映画ではなかったのは絶対だったよなーあれは! 内容から何から全部、当時ファックの意味なんかタダの暴言だとしか思ってたしね。でも、今思えばそれが良かったのかも」

「だな。大人ってカッコイイとさえ思えた。正直、俺も内容は全然わかんなかったが其のファックファック言って無様にケンカする大人を見て、逆に何故か平和を覚えて憧れて」

「実際になっちゃって」


「……カッコ良くは無いが……ハッ、笑っちまう程ファックな大人になったよ」


「ハハッ、私も人の事いえないけど……ハンバーガーでも食べよっか」何か思う所あったのか其のパロディ曲にリピートボタンを押してドライブスルーで金の無い彼に買ってやる彼女の目的が変わる迄に、本当に好きな曲になったのだった。ハンバーガー片手に当初の目的である新しいソファを見に家具屋へ向かって走り着く頃、彼は喋り疲れ眠っていた。

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