第二話「チェリー・シンク・トゥー・マッチ」
「おかえりー。冷えてるよ」
「ただいま。今日は一段と……アレだったよ」
「お疲れ様、ダーリン! にゃんにゃん」
「乾杯、ハニー! にゃんにゃん」
公務を終えて帰宅したファッカーはまた懲りずにワンカップと安タバコを引っ提げて、至福のひと時をレインと共に過ごすのが恒例だが疲れからか二人のやりとりは誰にも見てらんない程のバカップル振りなので『にゃんにゃん』という言葉で差し控えさせて頂く。
「うぃ~。おはよう諸君~」
「良い曲は出来たか?」昼夜逆転している彼が二人のにゃんにゃんを終わらせても、特にヤな顔ひとつせずそういつも通りに問いかけると、彼は複雑な顔して曖昧な返事をする。
「ああ、出来ていた。レイン、コーヒー入れてくれ~」
「はいはい、くっさいポールはシャワー浴びてねー」
「……チェリーだっつってんだろうが、ちんちくりん」
ソファに横になり膝枕をしていたファッカーの頭を退かせ、カフェでバリスタの仕事をしているレインは彼の為にタダで極上のコーヒーを入れてやる。何故この二人は愛の巣に邪魔している筈のチェリーにこんなに良くしてやっているのかというと、そりゃ見返りを求めているからであるのは当然だが、二人の思う見返りとはチェリーの可笑しな哲学だ。
この前なんてチェリーパワーという謎の力の解説を披露していた。チェリーの栄養素というものではなく、童貞に秘めたる悶々とした溢れんばかりの想像力はどんなバカにされようがバカに出来ないものであるという。他の動物一つ追随を許さない人間の頭の出来を陵駕する程の研ぎ澄まされた我々童貞の思考回路は、ナイフの様に鋭く、血は煮え滾り、体液が全身を巡って出来た骨肉に通る管はドクンドクン蛇の如く脈打ち破裂しそうな心の臓から頭に直接ながれ込んだパッション迸る形で出来ていて、その連続的な爆発によってゲロみたいに吐き出る非常に野生的かつ無秩序的な感情の調節をし、その暴れ渦巻く形を巧く模写の出来る力をチェリーパワーだと命名し真剣な顔つきで力説していたのだったが
「お前、最近つまんないよな」
「俺がつまらないとは何事だ」シャワールームから裸のまま靴を履いて出て来ても二人は最近のスッカリ、過激な演説を終えて当選した大統領みたく落ち着いたチェリーに物足りなさを感じている。本人に自覚はないが、皆で三十路を迎えて体力が落ちたからだろう。
「うん、起きてすぐ洗面台でゲロってた頃のポールったら」
「チェリーだっつってんだろレインピス! 早くチョコを持ってこい!」
「ほら、コーヒーにチョコだなんて言ってるよ。お酒、控えてんの?」
脚を組み直し、挑発したレインがわざと少なめに入れたコーヒーに、二人が飲んでいた酒をしかめっ面して入れる彼はやっぱり酒が無ければ何も出来ないチェリーガイだ。勿論チェリーパワーという力も言葉も存在しない只の幻想だが彼は生い立ちからして例外なのかもしれない。乾杯し直せば彼は陽気に笑い出し空いたコーヒーカップに酒を注ぎ直す。
「お前さ、今になってもまだ女を抱きたいって思わないか?」
「いきなり何をアホな事を、俺は毎日抱いているぞ」
「ああ、あのモニターの中の動かないケツ向けた美少女か」レインが作ったアテで晩酌をしながら、彼はそれを朝食としながら酒で流し込んでいればテーブルを叩いて吠え出す。
「ファック! モニターに閉じ込められてしまった彼女を外に出す為に毎日寂しくない様
話し掛けて、画面という壁で隔てられた悲しく切なく愛し合い、涙を堪えてセックスする身動きの取れない彼女と俺のこの気持ちはお前らに到底理解できんだろうな!」
「真面目な話なんだがな。俺がいうのも何だけど、三十過ぎてんだぜ」タバコに火を点け煙を吐きながらファッカーはそう自分でいって涙が溢れそうになった。自分の歳で悲しくなったワケではなく、寧ろファッカーには秘密に遊び相手が居るので未だ遊び足りない程だが彼は真逆に、産まれて約三十年間の中で一度たりとも女性の身体に、幼馴染でもある彼女のレインにすら触れた事が無いという異次元な現実を生きている其の人生は、自分であったらとても正気を保って居られないだろうと想像もおぼつかないものであるけれど、そんな彼がこうして楽にのうのうと息している目前の事実が不思議で仕様がなくなった。
「親に勘当され……学歴は良いとして職歴は無し、女との接点も無し、外で何かするでも無し、病気やケガ、コンプレックスも特に無く、ギャンブルもドラッグさえ興味が無い、ただあるものは酒とタバコと音楽だけ……お前は本当に人間か? おっかねえ」
「貞操を忘れているぞファッカー。俺はお前にそう訊きたいね、本当に人間かと。お前の性欲が猿並なのは確かだ、過去に何百人とヤったんだ。それでいて性病ひとつしていなく子供も作らず堕ろさず犯歴も無いなんて、おっかねえこと極まりないぞ」
「そんな二人の会話を普通に聞いていられる私も、おっかねーっ!」
この三人は麻痺してしまって居るのだ。客観的に考えて酒を知る前のチェリーのように未だ浮ついているファッカーのように自分を黙して語らぬレインのように、共通して裏の顔がウシャウシャニヤリと蠢いているというのに、楽しけりゃそれで良いの精神で生きて居る危機感の無い三十代たちが一つ屋根の下で暮らしている方がおっかないだろう現状をついにファッカーが一番手に気付いて其の恐ろしさを言語化して、火は燃え盛ってゆく。
「ガリガリな身体以外には喋らなければ特に見た目が悪いでもなく身長も平均的にはありちゃんと立派なのも付いていてチェリーパワー云々いっていたがそんなもんは当然なく、自分がどうやって産まれたかは解る筈だが、どうしてそこまで貞操を固持する?」
「愚問! チェリーパワーは実際にデータが存在する! インドか何処かの百歳を越えた長老はこういった、長生きの秘訣はチェリーを貫いているからだと!」
「……このまま長生きして、一体どうするんだよ」
「崩壊してゆくお前ら、地球、そして宇宙を指差して笑いながら傍観してやるのだ!」
「二人とも、もう良いって。ふあーっ、私もう寝るけどケンカしないようにね」レインは彼が汗びっしょりにしながら追い込まれるみたく現実を直視させられて一所懸命に自分を欺き、そんなに飲んでないのに酔っ払っている風を繕って吠えているのは一目瞭然なので彼女にしたら見るに堪えないし、どうでも良い話題だしと適当に仲裁して、寝室に行けばおいおい俺を置いて行くなよと性処理目当てのファッカーがついてくる事も解っていた。
「男って皆そう」小声で性欲と金だけの男の総てをバカにし、ニコニコ笑顔で振り返ってファッカーにキスをする。そうすれば男は許された気になって、もっと頑張ってやろうと欲しい金と性欲を舌舐めずりしながら自分に与えてくれるという事も彼女は解っていた。
『男は皆そうだ』同じくいう彼はやっぱり面白い……彼女はそう不敵に笑って股を開く。
「今に見ていろファッカー、俺の脳細胞の総ては音で結ばれ繋がっているのだ!」
つい熱くなってしまった自分にムチの酒を十分に入れて自室のゲストルームに戻る彼は点けっ放しのパソコンのモニターに電源を入れれば愛しのエリーちゃんが尻を向けながら微笑みをくれるので微笑み返し直ぐサイトを開き、ごめんよ今はそれどころじゃないんだと詫びの言葉を添えてエリーちゃんを覆い隠した。何故こんなに自信あり気なのかとは、昨日に作曲して出来ていた電子音楽を起き様に聴いてみれば彼の嫌う例のファッション・
ファック・ミュージックに良く似ていたからで、敢えて自分を抑え流行りに乗ったのだ。
その方法に否定的だった彼は恐らく呪われた仮題曲十八を投稿した際に再生数がうなぎ登り状態になった味の快楽を覚えてしまったからだろうが、流行に肖ってでもないと今の時代さまざまな流行り廃りがあるのだからリピーターを作る為にはと妥協したのだった。
「待っていた……待っていた! カッカッカ、ようこそチェリー・ガイの世界へ!」
今の彼に十分なフォロワ―がついてくる。だがココからが問題で、彼はスランプだからファッション・ファック・ミュージックを作ってしまい現在そこに自分の色を入れられずしかも夢中遊行の如く眠っていると思っていたら出来ていた曲がウケてしまったのだから困ったものなのだ。もちろん彼の力は同じ様な曲を続編みたく作られる程のものであるがそれよりもリピーターさんに過去作の評価をして貰いたいのに、やっぱり新作以外の再生回数は一定して二三くらいで留まりハートマーク一つ付かないで仕舞っているのである。
お分かりの通り彼の過去作ではなく新作がウケている理由は、過去作が流行りのものでない唯それだけで例えばプロの作曲家が聴いてくれるのならば面白い出来かもしれないが一般人が聴けば素通りする様な、またはダサくて聴いてられん様な曲ばかりなのだから、リピーターがつかないのも当然であって有象無象が投稿されているサイトなのだから彼の曲をプロに聴いて貰える確率は誰が何でどんなワケがあっても『運』によって定められる現実はインターネットの普及以前からのものである。逆に、運とはコントロール出来ないものだから偶然に良くなってくれるので、新ジャンルという流行りが生れてくれるのだ。
「……かあ~っ! 解らんね、最近の若者の考えるコトは」
マスかいてワンカップ空けて、少し不安が抜けた彼はぬいぐるみのネコをクッションに天井を見つめながらオッサン臭い事を口走るほど運の非情さにしょんぼりしてしまった。寝そべっている座椅子の横にあるギターを片手でダラランと鳴らしても、ピアノに向ってドミソを弾いても、音で繋がれていると豪語した脳髄からアイデアは出て来なくて、遂に本格的なスランプに入ってしまった運命をダダダダーンと弾き知らせてから、不貞腐れてタバコとワンカップを裸の上のコートのポッケに入れて外の空気を吸う気分転換を図る。
「ふう……女……な……」
ファッカーの言っていた事に一理ある彼は根がマジメであるのが災いして学校とは須く学ぶ事に然るべき場所だからと浮ついたりせず必死に勉学に励んで居て、友人や愛人など邪魔になる存在、未来の為に勉強をせねばと横目に見ていた青春を謳歌するファッカーやレインを羨む事なくひたすらに知識をつけて来たのに今やファッカーは公務員、レインはバリスタ、ちゃんと就職して恋愛して同棲して、知識で凝り固まり大学まで行った自分はその知識以外に何にもないという矛盾とすべきこの人生の在り方は、神も仏も無いだろうと無神論者になったからであろうかと危惧してしまう程まで追い詰められて憂鬱になった彼は、拾ったぬいぐるみの猫にネコと名付けてしまう迄に正直で不器用なのだ。勉強した学校で人との接し方を教えてくれなかったからかもしれない。だから近付き過ぎると吠えたりして男女ともに一定の距離間を保つ事しか出来ない彼は酔っ払えば近付いても大丈夫なんだなということで酒を飲まずに居られないし、飲む事を強要される。その姿が面白いからファッカーが実家から逃げて来た自分に居候を許したと考え、つまらなくなったよなといわれたら次はどうすれば良いか解らないから、貞操を破るしかないのかと思うのだ。
「……ファック。ファーック!」
静かな住宅街にこだまする遠吠えは虚しいものだった。ファッカーもレインもつまらんから出てけと言わないし考えてもいないのに、その発言で彼は実はあの時ちびりそうな位
酷いプレッシャーを受けて恐かったのだ、俺は橋の下で暮らして死にゆくしかないのと。
「……ポール、久しぶりに物音一つしてないね」
「いびきも聞こえないなんてアイツ、どうしたんだろうな」
行為を終えてひと段落したレインもファッカーもこうして彼を心配しているというのにチェリーパワーの所為か考え込み過ぎ、それを止めさせるため酒を飲み過ぎ、疑心暗鬼になってしまった彼は千鳥足でやっと公園のベンチに腰を落としてタバコに火を点け吸えばしゃっくりと同時に煙が肺に入って吐いてしまった。吐いた事によって一杯になっていた胸も頭も少しは楽になったみたいで蛇口から出る水を手で汲んで飲み、顔を洗って今度は
「神野郎め、お前が不平等だから俺のような人間が生まれるんだ。天は二物を与えず所か俺に一物もねえじゃねえか、人間が書いたファンタジーノベルによって作られたお前にはこの気持ち、一生わかるワケねえよな。そうだろう、良い気味だ、だから神野郎。手前は一生そこで脚組んで何もするな。良いか手前を生成したのは俺たち人間様のお蔭なんだ。オカルトの頂点に居る手前に手を合わせて拝むヤツなんて、ロクなもんじゃねえ。自分を非科学的力で幸せにして下さいといっている甘ったれた糞っ垂れだ。俺だって若いころはそう手前にいっていたが、お前も何の役にも立たねえクズニートだってのは俺と同じだ。ただ決定的に俺と違うのは唯一つ、生きているかどうかだ。そうだろう……」
広く遠く真っ黒な天を仰ぎ見てブツブツと神に文句垂れ、改めて敵意をあらわにする事が彼にとっての礼拝なのであった。言い終わると俄かに公園を後にして、またタバコに火を点ける。家で愚痴を簡単にいえないからか其の何年かぶりの礼拝で気分を良くして鼻歌をうたいながらスッキリと、ついさっき迄の最高にファックだった気分を見事に転換させて帰宅すると彼の住処であるゲストルームで小便くさいファッカーがタバコを吸っていた。
「また禁煙に失敗したかファッカーよ。その方が良い、意思が強い証拠だ」
「昨日今日と、変な事が起こったんだよ」
「レインピスがもう、うんざりってか」
「レインピス喰らってから、寝ながらケータイで音楽サイトを眺めていたら心に来るほど素晴らしい曲が投稿されていてな。もう曲名だけでグッときたもんだからグッドボタンを押したんだが、いざ聴こうとしたら消されていたんだよ。これが昨日の変な事でな」
「…………そして今日はその投稿者がファッション・ファック・ミュージックを投稿してご満悦していたんだよな。うるせえ、妥協だって必要なんだ!」
「お前の辞書に『妥協』なんてファックな言葉がいつ載ったんだよ」そう鼻で笑いながらいうファッカーは彼の胸ぐらを掴んでワンカップを見せ付けるも思った以上に驚かれて、
「分かってる、もう分かってんだよ! 出ていけっていいたいんだろ! そりゃそうだよ
つまらないファッキンでチキンのチェリーだ、でもどうすりゃいいか解んないんだよ!」
緊張の糸がプッツン切れたみたく嗚咽を漏らしながら泣かれてしまって大の誤解を招いたファッカーは彼がそんな事を考えているとは思ってもいなかったのだ。余りのうるささにレインが来るも笑顔で大丈夫と首を振って胸ぐらを掴む手を離なさず軽いビンタをする。
「チェリー、落ち着け! 酒を飲めって事だバカ!」
本当は酒を買ってやっているんだから偶にはレインじゃなく俺の要望も聴いてくれよとちょっと脅さなきゃ聞いてくれないだろうとやってしまったファッカーは彼の胸中がそれどころでなく、追い詰められて窮地に立たされていた様に三十過ぎの大人がウオンウオン野太い声で鳴かれては案の定お隣さんが機嫌を損ね壁を足蹴りした音でより大袈裟に彼は貴重な仕事道具であるパソコンが壊れる事も、コートが伸び破ける事も厭わず暴れ回ってキッチンに行きたがるので、こいつは洒落にならんとタマを蹴れば白目をむいて倒れる。
「全部きこえてたよ。ポールに出ていけなんて言ったの?」
「言ってないが……図太かった筈のチェリーの精神状態をここまでさせたのは俺だということは確かなんだ。だから……ああ、チェリーごめんよ起きてくれ……」
「私にだって責任はあるよ。良かれと思って飲ませてたけど逆にストレスだったんだね、そりゃマイペースに飲みたいよね……息はしてるからソファで寝かせてあげよう?」
「ああ……チェリー。このトシでの昼夜逆転も、疲れの原因かもな……」
彼に何度も詫びの言葉を掛けながら軽い身体を持ち上げてソファに寝かすファッカーも彼の大きな靴を脱がして温かい毛布を掛けてやるレインも十余年、一緒に暮らしているが故に自分らもあの頃みたくふざけてバカ出来る歳じゃない現実を痛感させられるものだがそれほど歳を費やしていても人の胸の内を解ってやれるのは親でも兄弟でも無茶な話だし彼は自分の事を割と愛される人物だという自覚もなく、その上スランプ中だったのでこのような誤解すれ違いが生じてしまったのだ。彼がキッチンに行きたがっていたのは、その奥の便所で用を足したかったからであり、一杯の膀胱が弛緩して彼にまた弱みが出来た。
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