第5話 古代オリエント編(5)オリエントの諸民族

(1)これまでに登場した民族


※セム語族という分類は現在は使われておらず、アフロ・アジア語族セム語派と分類されまず。


【ア】 シュメール人  

 系統不明 シュメール語

 紀元前3500頃にはシュメール地方に定住していました。

 シュメール文明を築いた人々です。灌漑農法による生産量を背景に繁栄します。

 ウル第三王朝を最後に独立国家は生まれず、セム語系民族と混同していきました。


【イ】 アッカド人

 セム語系(東方セム語) アッカド語

 紀元前3000頃にはアッカド地方に定住していました。

 (アラビア半島南端からメソポタミアに来た?)

 シュメール人同様、バビロニアの民と混同していきました。

 アッカド語は後にメソポタミアの公用語になります。

 なお、アッシリア語は、アッカド語の北方方言です。


【ウ】 アムル人(アモリ人)

 セム語系(北西セム語) アムル語

 シリア地方出身の遊牧民族で、シュメール語で「西の地」を意味するマルトゥと呼ばれました。

 イシン、ラルサ、バビロン、マリ等の都市を建設。

 古アッシリアやヤムハド王国などもアムル人の国です。

 前1200年のカタストロフによる混乱の中、最後の独立国家アムル王国が滅びます。


【エ】 エラム人

 系統不明 エラム語 

 エラム地方(イラン高原南西部の沿岸地域)出身の遊牧民族。

 紀元前3200年頃から前539年にアッシリアに占領されるまで複数の王国を生み出しました。メソポタミア諸王朝とは相互に介入と侵略を繰り返してきましたが、地理的な要因もあり混同することはありませんでした。

 オリエントを統一したアッシリア帝国、アケメネス朝ペルシャの支配の中で姿を消してしまいます。

 中心となる都市はアンシャン、スサ。


【オ】 グティ人

 系統不明

 イラン高原出身。ザグロス山脈からメソポタミアに侵入したとされます。

 伝説では神の怒りに触れたアッカドの王ナラム・シン王に対する神罰としてグティ人が差し向けられたそうです。

 アッカド王国崩壊後、120年程度の間メソポタミアを支配したとされますが、この時代は無政府状態に近く、暴力が支配した時代でした。そのためシュメール人やアッカド人からは「山の竜」と忌み嫌われた。

 ウトゥ・ヘガルがエンニギの戦いでグティ王ティリガンを破ると、メソポタミアから駆逐されます。その後の消息は分かりませんが、グティ人の名は蛮族を意味する言葉として長らくメソポタミアに残りました。


【カ】 ヒッタイト人

 インド・ヨーロッパ語族 ヒッタイト語

 紀元前2000年頃に北東からアナトリアに侵入。ハッティ人と呼ばれる原住民を吸収します。高度な製鉄技術を持ち、鉄器文明を築いたことで有名です。

 ミタンニ王国などと争う中でフルリ人の文化を吸収します。

 最後はエジプトやアッシリア帝国との戦争で疲弊し、前1200年のカタストロフの際に『海の民』の攻撃を受け、ヒッタイト王国が滅亡。その後継国家もアッシリア帝国に吸収され、民族として姿を消しました。

  

【キ】 フルリ人

 系統不明 フルリ語。

 アーリア人と関係が深く、馬術、冶金、陶芸に優れたそうです。

 コーカサス地方からアッシリア地方に移住。いくつかの国を作りましたが、その中で最も強力だったのがミタンニ王国です。

 ミタンニ王国は最終的にヒッタイトの属国となり、アッシリア帝国に滅ぼされます。


【ク】カッシート人  

 系統不明 カッシート語。

 シュメール文化を受け入れ、アッカド語で公用文書を残したために元のカッシート後については謎が多いようです。フルリ語と同系統ではないかとも言われています。

 イラン高原出身の山岳部族でザグロス山脈からメソポタミアに侵入したと考えられています。

 当初はアッシリア地方のテルカを拠点としていましたが、ヒッタイトがバビロンを陥落させるとバビロニア地方に勢力を伸ばしていきます。

 エラム人によりカッシート王国が滅ぼされた後もバビロニア地方の主要な住民であり続けました。



(2)地中海東岸の諸民族

 前1200年のカタストロフによりヒッタイトが滅亡し、エジプトが衰退すると

地中海東岸地域に空白地帯が生まれます。そこで、以前はヒッタイトやエジプトの強い影響下にあった民族が活発に活動するようになります。

 これらの民族もやがてアッシリア帝国の勢力下に置かれますが、オリエント全体に大きな影響を持ち続けます。


【ア】アラム人

 セム語系 アラム語

 前1200年頃シリア地方に定住。陸上交易で活躍し、統一国家などを建国することはありませんでした。

 ダマスクス等の都市を建設。ダマスクスは前732年にアッシリアに制服されます。

 彼らの造り出したアラム文字は、アルファベットの一種でアッシリア帝国において楔形文字と併用されました。この併用はアケメネス朝ペルシアでも続きました。アラム文字は楔形文字を駆逐し、やがてオリエントの国際公用文字となります。

 アラム文字はフェニキア文字を元に生まれたもので、ヘブライ文字、パルミラ文字、マンダ文字、(シリア文字→ナバテア文字→アラビア文字)へと発展しました。また、パフラヴィー文字、アヴェスター文字、ソグド文字、ブラーフミー文字なども生み出しました。


【イ】フェニキア人

 セム語系フェニキア語。

 紀元前1500年頃からウガリットを拠点とし、海上交易で活躍しました。しかし、ウガリットは前1200年ころ『海の民』によって滅ぼされます。

 そこで、南へ移動し、シドン、ティルス(テュロス)、ビュブロス、ベリュトス(現在のベイルート)などの都市を新たに築きます。そして地中海貿易に乗りだし、はるかイベリア半島や北アフリカに植民都市を建設します。

 フェニキア本土の特産品としてはレバノン杉と貝紫が有名です(ちなみにレバノン杉はスギとは関係なくマツ科の植物です)。

 前814年には北アフリカにカルタゴを建設します。

 他にもガディル(現在のカディス)等が植民都市として有名です。

 フェニキア本土は紀元前9~8世紀ごろにはアッシリア帝国に従属させられます。

 中心都市であるティルスは前701年にエジプトと同盟し、アッシリア帝国に反乱しますが、5年後には降伏します。前669年にも再度エジプトと同盟し、再びアッシリア帝国に反乱します。

 帝国亡きあとの紀元前585年、新バビロニア王ネブカドネザル2世の遠征軍に包囲され13年間にわたり抵抗した後、服属します。

 その後アケメネス朝ペルシアの庇護下に入ります。

 それでも、これらの期間、海上交易では繁栄を続けていました。

 しかし、前332年、マケドニアのアレクサンドロス3世(大王)の東征軍に対し、フェニキア人の中で唯一激しく抵抗します。ティルスは包囲され、要塞化されたティルス島に立てこもるも大王は7ヶ月かけて島との間を埋め立てて突堤を築き、攻撃を仕掛けました。抵抗虚しくティルスは陥落し、ティルス側の戦死者は8000人、陥落後さらに2000人が殺害され、3万人のティルス市民が奴隷として囚われました。その後再建は許されましたが、過去の栄光が戻ることはありませんでした。

 フェニキア本土が衰退した後も、フェニキア人は植民都市カルタゴを中心に地中海貿易で繁栄します。カルタゴについては古代ローマ編で詳しく述べます。


 彼らが生み出したフェニキア文字はギリシアに伝わります。アラム文字が東に伝播したのに対し、フェニキア文字は西に伝播し、ギリシア文字、ラテン文字の原型となります。フェニキア文字は、エジプト神聖文字(ヒエログリフ)→原シナイ文字→原カナン文字→フェニキア文字と進展していったもので、前1050年頃には生まれていました。


【ウ】ヘブライ人(イスラエル人)

 セム語系 ヘブライ語。

 元々はメソポタミアの遊牧民でしたが、前1500年頃、カナン人を服属させ、パレスチナ地方に定住しました。

 また、一部の者はエジプトへと移住しました。彼らはエジプトのファラオ、ラムセス2世の時代、奴隷として強制的に働かされるなど圧政に苦しんでいました。ヘブライ人は指導者モーセに率いられエジプトを脱出します(前1280年頃)。というのが旧約聖書にある『出エジプト記』にまとめられています。

 その後、前1200年のカタストロフによって地中海東岸に権力の空白地帯が生まれ小国家が乱立すると、ヘブライ人の中でも強いリーダーシップを求める声が強くなりました。それまでのヘブライ人は12の部族の合議制のような体制だったようです。

 まずサウルという男が王に選ばれました。ヘブライ王国の建国です。彼はペリシテ人との戦いで戦死します。

 第二代の王はダビデ[前1000-前961]です。彼はペリシテ人との戦いで大活躍をしました。さらに軍事的な成果を挙げ、モアブ人、アラム人、エドム人、アンモン人等を征服し、配下に収めます。

 エルサレムに首都を置いたのもダビデ王です。彼の代にヘブライ王国は中央集権的な君主制を樹立しました。


 第三代の王がソロモン[前971―前931]です。彼はヤハウェを祀るソロモン神殿を建てました。彼はエジプトのファラオの娘と結婚するなど外交面を固め、交易を広げて経済面を強化、官僚制度を確立して国内制度の整備を行いました。外国との貿易のための隊商路を整備のため要塞化された補給基地を建て、大規模な土木工事をもって国内各地の都市も強化しました。こうしてイスラエル王国は経済的にも軍事的にも繁栄します。

 ただ、その事業は重税と賦役を民衆に課すことにもなりました。さらに晩年享楽に耽ったため財政が悪化します。加えてソロモン王は多神教を容認したので宗教的な対立を生みます。

 そういった事情からソロモンの死後、ヘブライ王国は分裂してしまいます。

 ソロモン王を継いだのはレハブアムでしたが、彼も父同様に民衆に重税を課したため反発を招きます。そこで、ヤロブアム1世[前931―前910]を王として10部族が離反、北のイスラエル王国を建国します。

 レハブアムの国はユダ王国と呼ばれるようになります(ダビデ・ソロモンの出身部族がユダ族。12部族のうちベニヤミン族だけがユダ族側につきました)。

 イスラエル王国は首都をシケムにしましたが、やがてティルツァをへてサマリアとなりました。

 イスラエル王国は人口・耕地面積ともに南のユダ王国を上回っていましたが、反ユダ族の寄り集まりに過ぎず、内部抗争に明け暮れ、クーデターが頻発し何人もの王が暗殺される始末でした。さらにアッシリアの圧力を常に受け続けました。19代253年続き前722年にはアッシリア王サルゴン2世により滅ぼされてしまいます。

 一方のユダ王国はレハブアムの代にエジプトの侵略を受け属国化します(前925)。イスラエル王国滅亡後もアッシリアの属国として存続しますが、アッシリア滅亡後のメギドの戦い[前609]に敗れ、エジプトの属国となります。

 カルケミシュの戦い[前605]でエジプトが新バビロニアに敗北すると、今度は

新バビロニアに屈服します[前597年]。その後も属国として存続しますが、エジプトと結んで新バビロニアに反抗しようとする計画が露呈し、エルサレムを破壊され、支配層の人間を首都バビロンへと連行されてしまいます(バビロン捕囚)。

(ただし、バビロンへ連行された人々は拘禁されたわけでも奴隷化されたわけでもないようです。捕囚というよりも強制移住と言ったほうが適当かもしれません)。

 これによりヘブライ人の王国は南北ともに滅亡します(前586)。

 バビロン捕囚の間、彼には王国も神殿もなく、新たな信仰形態を模索しなければなりませんでした。そして、解放されたのちそれがユダヤ教として完成したのです。これ以降ヘブライ人をユダヤ人と呼ぶようになります(ユダヤの名称はユダ族かが語源)。


【エ】 ペリシテ人

 ペリシテ人は『海の民』の一派で、パレスチナ地方に入植した者たちを言います。彼らの名がパレスチナの語源です。

 アシュドド、『アシュケロン』、エクロン、『ガザ』、ガトの5つの都市国家(ペンタポリス)に定着し、五市連合を形成します。古代イスラエルの主要な敵として有名です。

 聖書に出てくる『ゴリアテ』はペリシテ人の巨人兵士です。ダビデは投石器を用いて彼を殺害します。


【オ】 カナン人

 セム語系。

 パレスチナ地方に原住していた民族。ヒエログリフを元に原カナン文字を生み出しました。

 海の民の侵略を受け、その後にメソポタミアからやってきたヘブライ人に従属させられてしまいます。



 

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