第54話 運命の日
「ほら! 起きなさい! 今日は休みじゃないわよ!」
朝から激しくアパートの扉を連打しているのはさよこだ。
そういや、さよこを家族代理にお願いしたんだっけ。
後片付けや部屋の整理をして、いつの間にか寝てしまっていた。気がついたら、朝の七時過ぎだ。
「悪い、悪い。これから準備するから、ちょっと近くのコンビニで待っててくれないかな」
「はあ〜。今日、オペ日でしょ? 支度しなさい」
「はいはい、でも午後からだから、オペは」
「いいから早くっ!」
さよこはみゆきとは正反対で早起きだ。そのうえ、時間にとても厳しい。毎度の事ながら、足して二で割ったらいいのにと思う。
「できたぞ〜。じゃ、行こうか。さよこ」
「まったく! 遅れちゃうじゃない、行くわよ」
慌てるさよこをなだめるように、彼女の頭を撫でた。
***
何度来ても、大学病院は古巣だ。
見知った後輩たちと、何度かすれ違った。
咽頭ガンは本来、耳鼻咽喉科が担当する。ただうちの大学病院では、
西村先生が担当するのは稀だ。
こっそり聞いた話だと、患者が僕だったからだそうだ。
病室をいろいろ融通してくれて、みゆきと一緒にしてくれたのも、恩師のおかげだ。
「これからだな、本間君。開始予定時刻は十三時、終了予定時刻は十九時だ。知ってのとおり、六時間では終わらないかもな」
ガンの手術はたいてい長引く。
想定外のところに転移していたり、検査で確認したより大きかったりするからだ。
「さよこ」
手術の同意書に署名しながら、声をかける。
「何? 浩さん」
「別に最初から最後まで、僕に付き合わなくてもいいぞ。六時間以上も待てないだろう?」
「何、寝言、いってるの! 大丈夫よ。今日明日、年休とったし、ずっとそばにいるから」
「明日も年休とったのか。そこまでしなくて………あ、ごめん」
泣きそうになっているさよこ。
慌てて僕は謝った。
「現場が大変なのはわかってるわよ」
「ほんとごめん。でも待ち疲れたら、休んでくれ」
「うん、わかった」
素直にうなづくさよこに、
「荒井君、そんなに現場が大変なのか?」
驚いたような、あきれたような表情で西村先生が尋ねる。
「はい、先生。看護師たちがクビになっています。そのうえ本間君たちが抜けてしまったので、結構ハードです」
「そうか。でもその苦労も今日までだぞ、荒井君」
「え? どうしてですか、先生」
そんなはずはないと言わんばかりに、さよこは身を乗り出してきた。
「今朝のニュースを見なかったのか? 今、君たちの病院は検察の家宅捜索を受けているぞ」
「「え? そんな」」
目が飛び出んばかりに驚いているさよこ。
もちろん僕もだ。診察室で思わず二人で大声をあげてしまった。
昨日はそんな兆候もなく、みんなは普段通り仕事をしていたのだ。事前にわかっていたなら、院長直々に何らかの指示があっただろう。
じゃあ、今、家宅捜索を受けているのは抜き打ちなのか。
「気になるか? まあ手術の説明はしたし、事前診察も終わったから、ロビーか病棟のテレビでも見て、確かめるといいよ」
同意書を受け取りながら、西村先生は僕たちに言った。
***
手術室に入るまで時間があった。
「お腹がすいたわ。ねえ、ちょっと付き合わない?」
病室に荷物を置くなり、さよこが催促してきた。
「いいけど? 僕はもう何も口に入れられないけどいいのか?」
「そっか、これから手術だもんね。でも付き合ってよ。職場の様子も気になるしさ」
手術は全身麻酔だ。
もうオペまで四時間を切っているので、水分もとれない。
切る場所は咽頭全てと甲状腺全てだ。頸部リンパの多くも場合によって、取り除いてしまうだろう。食道や気管まで転移があれば、それも取り除くことになる。
当然、声は失う。
食道による発話か、電気式人工咽頭を使って話せるよう、これからリハビリをしなくちゃいけない。
「ねえ? 気にならない? 今の職場の様子」
「気になるよ。じゃ、食堂に行こうか」
まだ十時前だからか、食堂は比較的すいていた。
テレビのそばに座ると、ちょうど丘の上病院が映し出されていた。
「へえ、見て! 私達の病院って、上から見るとこんな感じなんだ」
確かに……。各棟が繋がって十字架のようになっている。
教会の付属施設だったというのがうなづける。
テレビには『やすらぎが丘の森病院・やすらぎが丘森障がい者センターの中田英之院長と深沢達也総務部長、収賄容疑で逮捕』、『職員を不当解雇か』などの字幕が踊っていた。
なんだか一気に力が抜け落ちたようだ。
アナウンサーの声が耳に入ってこない。
「さよこ、これって夢じゃないよな」
「ええ。夢じゃないのよ。院長たち、捕まっちゃった」
思わずさよこと二人で見つめあった。あはは、と乾いた笑いが
「でも、肩の力が一気に抜けたよ。すごい脱力感だ」
さよこが何か言いかけたとき、ピリリッ、と僕のスマホが鳴った。職場からだった。
「もしもし、本間ですが」
「ああ、本間君。テレビ見た? 院長と総務部長が捕まったよ。私達が知ってるより、悪いことをしていたんだな。それはそうと、市立病院の小松さんから連絡があってさ、本間君が頑張ってたからって言ってたよ」
今村看護部長からだった。家宅捜索を受けてるというのに、声が弾んでいた。
「今、大変じゃないですか」
「大丈夫。この電話も検察から許可もらっているからさ」
めちゃくちゃ明るい声だ。楽観的な上司でよかったよ。そうじゃなきゃ、今ごろ職場はパニックか、みんなで固まってるかのどちらかだろう。
「小松さんから連絡があったんですか」
「そうさ。入院したことを伝えたら、よろしくって言っていたよ」
「そうですか、わざわざご連絡ありがとうございます」
「いいって、いいって。それよりこれから手術でしょ? 患者さんもみんなも待ってるから、頑張れよ。リア充!」
そう言うなり、プツンと通話が切れた。
ほんとは頑張れだけ言いたかったんだろうな。そう考えると、ちょっと照れくさい。
「どうしたの? 浩さん。もしかしたら職場から電話?」
「うん、看護部長から」
「なんて言ってたの?」
「みんな、待ってるから頑張れってさ」
「うん。ちゃんとみゆきと一緒に戻ろう。また一緒に、ね」
さよこが大切そうに、僕の手をふんわりと握ってきた。
***
病室へ戻ると、僕は術後の準備をはじめた。
さよこはさよこで、落ち着きなく、みゆきの顔を覗いてみたり、僕にいろいろ聞いてきたり。
「さよこ、落ち着けよ」
「だ、だって何だか気が気でなくって」
「まったく、とても脳外科医とは思えないセリフだな」
「し、失礼ね! あなたの手術だから落ち着かないのよ」
「憎まれ口、叩く余裕があるから大丈夫さ。ちゃんと戻ってくるから」
みゆきが倒れたとき、きっと僕もこんな感じだったんだろうな。もっとも今でも所在のなさは続いてるけども。
ふくれっ面をしているさよこの顔を眺めていると、コンコンと病室の扉をノックされた。
看護師二人がストレッチャーを持ってきていた。
ストレッチャーに乗せられると、祈りを捧げるような姿のさよこが目に入った。
「頑張って、浩さん」
「ああ、ちょっと行ってくる」
さよこと後ろに横たわっているみゆきに、僕は軽く手を振った。
ーーー
あと2話か3話で完結予定です。
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