第7話 こうして僕らは親しくなった(歓迎会)

 仕事が終わると、みんな、いそいそと車で帰って行く。

 

 ここは街から遠いうえ、公共交通機関がない。そのため職員は全員、車通勤なのだ。

 あわてて職場を出ようとすると、木下さんに会った。


「よ、お二人さん。みんな、楽しみにしてるからね〰〰」

「た、楽しみって何です? 木下さん」


 早口で食ってかかるみゆき。何、動揺してるんだよ……。いまさら。


「ほら、みゆき。歓迎会に間に合わないぞ」


 車のそばで僕はみゆきを呼ぶ。


「今、行くって! ったく……」


 彼女はほっぺたを膨らませて、怒鳴りかえしてきた。

 そんな僕らの様子をみて、木下さんはニヤけていたのだった。


***


 歓迎会の会場は街の中心部にある。お店に入ると和室に通された。ちょうど十畳くらいで、他の客もいないので静かだ。

 じっくりと今後のことを、みんなと話せるな、とその時は思った。


 すでに今村さん、鈴木さんや木下さんたちや、事務の渡辺さん、看護師三人が待っていた。今日は忌々しい管理職はいない。ある意味、無礼講だ。


 僕とみゆきは上座に案内された。

 なんだか落ち着かない……。研修医時代はずっと格下だったから。


 形だけの乾杯を終えると、最初にやってきたのが看護師さんだった。


「私、戸川。看護師です。どうしていつもみゆきさん達って、恋人繋ぎなの?」

「へ? こ、恋人繋ぎ?」


 思わず二人で顔を見合わせた。確かに手は繋いではいるけど……。

 僕は繋いでいる手を改めて見てみた。指同士、一本一本絡みあっている……よね。


「これは突然、みゆきが倒れないように、こうしてるだけで……」

「あ、あたいも、浩がその辺にぶつかったりしないようにだな……」


 ツッコミを入れられて、僕たちはしどろもどろになった。みゆきと出会って、最初の頃はこんなにべったりじゃなかった。それがいつの間に……。


「まさかと思うけど、一緒に住んでるんじゃないわよね?」

「一緒に住んでるけど?」


 軽く言うみゆき。このタイミングで言うか……普通。


「え? ええええ! ま、まさかでしょ? 念のため聞くけど、ベットは一つ?」


 大きな声で驚く戸川さん。

 急に静かになった。そしらぬふりをして、全員が聞き耳を立てているのがわかる。


「……ええ。二つのベットをくっつけてだけど……」

「ぐはっ! なんていうリア充! ま、まさか手繋いで寝てるわけじゃないよね?」


 木下さんと今村さんが身を乗り出してきた。なんでそんなに素直に答えるんだ? みゆきは……。不安になって、彼女の顔色をうかがった。


 ……おい。日本酒を呑んでるじゃないか……。

 彼女に日本酒は厳禁だ。日本酒を呑ませると、すぐ意識が飛ぶし、絡み酒なんだよ……。


「……繋いでるよ。しっかり」


 バカ……。僕は頭が痛くなった。


「いいい! うらやましいな〰〰。そ、それでエッチは? エッチな気分にならないの?」

「……あたいがね……せっかく……ね……ひっく。スケスケ下着で……ゆう……」


 ……あ、寝落ちしちゃったよ。つか、今、何て言った? みゆきのヤツ……。いつも黒いレースの下着つけてるのって、おまえの趣味じゃなかったのか?


 まったく、人の膝の上で猫のように寝やがって……。


「あらら。みゆきさん、寝ちゃったね。いいや。本間さんに続きを……」

「ほらほら、本間君。白状しちゃいなさいよ」


 木下さんと戸川さんが迫ってくる。


「えっとですね。朝、起きるとみゆきが布団の中にいるのは事実ですよ。でも僕とみゆきはそんな間柄じゃないんですよ」

「うそうそ、何か隠してるでしょ? ほら、本人も寝ちゃったし、ほんとのことを話しても……」


 戸川さん……。なんでそんなに、僕らのことを聞きたがってるんだ?


「そうだぞ。本間君。ちゃんと彼女とのことを話せ」


 ずっと黙っていた理学療法士の鈴木さんまで……。


「じゃ、私がインタビューするわ。ちゃんと答えてね。本間君」

「……なんでしょう。戸川さん」

「まず、みゆきさんとのなれそめを聞きましょう。ね、みんな?」


 今村さんや木下さん、事務の渡辺さんまで……。

 みんな箸を止めてまで聞くことじゃ……やりにくいなあ。

 

「そうだなあ。みゆきは研修医時代に知り合った同級生なんですよ。今のように親しくなったのは、最初の当直のときでした。たまたま彼女と一緒だったんです」

「当直は大学病院だったの?」

「ええ。そうです。当直時には眠くなるのは、当たり前ですよね。みんな、眠いのをがまんして、勤務してる」

「まあ、そりゃそうねえ……」


 戸川さんも夜勤あるからな。そのへんはわかるだろう。


「当直の時、急患が来まして……。さあ対応しなきゃって時に、寝落ちしてしまったんですよ」

「あらら。大変だったわね」


 今村さんが、深刻そうに眉をひそめた。看護師としても不安だろう。急患を目の前にした医者が、突然、力が抜けたように倒れちゃったら、頭抱えるよ。


「で、僕が急患を先に診て、急に倒れたみゆきを診たんです」

「ふうん。どうだったんだ? その時の容態は?」


 腕組みをしながら、聞いてきたのは鈴木さんだ。


「画像診断もしましたし、血液検査もしました。でも、なぜ急に寝てしまったのか、よくわからなかったんです」

「それは今も?」 

「はい……。おそらく特発性睡眠障害。もしくはナルコレプシーじゃないかって、西村先生が診断されました」


 特発性睡眠障害はよくわからない病気だ。みゆきの場合は寝落ちすると、昼間に十一時間も寝てしまうことがある。


「特発性睡眠障害って、確か薬がほとんど効かないんだよね?」

「はい。木下さん。根気よく服薬はしてるんですけどね……。ほとんど効いてないようです」


 みんな、みゆきの睡眠障害が重いものだとわかったらしい。深刻そうに口に手を当てる人、眉をひそめている人……反応は様々だ。


「でさ、どうして本間君が手を繋ぐことになったの? それが聞きたい」

「えっとですね、僕とみゆきは、脳外科医を志望してたんですよ。当然、西村先生のオペの助手もあります。最初のオペのとき、みゆきが寝落ちしてしまったんです……」

「オペ中に?」 


 事務の渡辺さんが驚いたように、眼鏡を押し上げる。


「はい。オペ中です。それでオペの手伝いに、僕が呼び出されたんです」

「ははあ……。じゃ、その時、彼女を起こしたのね……」

「戸川さん、ちょっと違います。僕が触ったら、彼女が起きた……って感じでしょうか」

「……なんか眠り姫みたい」


 うっとりした顔で言われても……。そんな、乙女チックなもんじゃない。まあ、最初は驚いたもんな。そう思うのも無理はないかな。

 膝の上で身じろぎしたみゆきに、僕は上着をかけた。


「ねえ……。本間君。ほんとはみゆきさんのこと、愛してるでしょ?」

「ブ————ッ! げ、げほっ、げほっ、げほ……と、戸川さん、な、なにを……」


 戸川さんが妙なことを言うもんだから、僕は盛大にビールを吹いてしまった。


「動揺してるのが怪しいよね。それに今、みゆきさんに上着かけてやったでしょ? 好きでもない女相手に膝枕しないし、上着もかけないわよ」

「ちょ、ちょっと、戸川さん……」


 つい、あたふたしてしまった。


「がははっ! 図星のようだね?」


 ええっ! 今村さんまで……。

 突然、きれいな女の人に、その人のこと愛してるのね?、って言われたら、誰だってびっくりするだろ? それだけだ……うん。それだけ。


「で、いつ、君たちは結婚するんだ? 職場あげて、お祝いしなきゃな」


 うう……。鈴木さんまで……。孤立無援じゃないか……。みゆきはいい気持ちで寝てるし。


「がはははっ! ま、なるべく早く結婚することを祈ってるよ。ちゃんと事前に報告するように! さて、二人ともいじったし、そろそろお開きにしますかね」


 僕たちはからかわれてたのか……。やっぱりなあ。


「で、本間君。この子はどうするの?」


 僕の背中で熟睡してるみゆきを指さして、木下さんが言った。


「大丈夫ですよ。このままうちまで帰りますから。この近所なんですよ」

「じゃ、カップルに邪魔しちゃ悪いから。また明日!」


 歓迎会はひとまず解散となった。


 はあ……。カップルじゃないって言ってるのに……。みゆきとは腐れ縁、一種の運命共同体だと思っている。恋愛感情なんて……。


 背中で寝ている姫……。

 月明かりの中、僕は彼女を、わが家へと運んだのだった。

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