日本の土台

 朝9時、今日も東京証券取引所の前場が始まった。株の活発な取引が行われ企業の株価の上げ下げを狙った鉄火場となる。


 キャルは本部から送られてきた川城正幸という男と面談中である。この男は手元資金がたったの三百万円からスタートして、億の金を手にいれた伝説のトレーダーである。


 キャル自体は株は素人なのでスペシャリストを呼んだというわけだ。


「あなたを呼んだのは他でもないわ。トレードをしてほしいの。それも20銘柄ほどの株をね」


 キャルは銘柄名のリストを川城に見せた。

「こ、これは……」


 新○鉄住金、神○製鋼所、合○製鉄、三菱マテ○アル、○同特殊鋼……


「全部鉄鋼銘柄じゃないですか。日本の製造業のいしずえ、これらを買い漁る訳ですね」


「そう。全銘柄にTOB (敵対的買収) をかけてほしいの。ここ西日本には、世界中のセレブが集まっているの。資金は無尽蔵にあるわ。そしてシステムはこれよ」


 キャルは研究室の一角にトレーディングシステムを置いていた。モニターが五台もあり、全て川城の指定したシステムを完備している。


「さっき渡した銘柄にTOBを勧告し、仕掛けてほしいの。最終目的は全銘柄の51%以上の株の取得をし、経営権を握ること。出来るわね」

「資金ショートしなければ問題なくできるでしょう。しかしあなたの考えていることは恐ろしい。鉄鋼株を押さえることは全ての製造業をコントロール下に置くわけですからね」


「日本を征服する方法は、昔のようにドンパチやるだけが方法じゃないわ。経済的に押さえるのもその手段よ。頑張って」


 株はどんどん買われ、持ち株比率が51%を越えれば経営権が取得できる。言い換えればその企業のオーナーになれるのだ。特に鉄鋼株は製造業の大元にあたるので、オーナーになった場合、その影響は計り知れない。


 そんな大人の会話をジト目で見ている者がいる。リヒトだ。


 あの男はキャルからなんだか特別待遇を受けている気がする。少しだけうらめしい。


 川城のほうはそんな少年のことはつゆ知らずトレードを開始した。成り行き買いにして、まずは○同製鉄を買って買って買いまくり十分ほどでストップ高に持ち込んだ。


 次は三菱マテ○アル、次は神○製鋼、次は……


 ニ時間もすると新○鉄住金を残して前場が終わった。やれやれと川城は大きく伸びをした。


「御苦労様」

 キャルが声をかける。

「新○鉄以外はみんなストップ高に追い込みましたよ。しかし新○鉄はタフですね。時価総額が違いますからね。でも後場に入ったら直ぐに決めてみせますよ」


 川城がトイレに立つとその後ろにリヒトはそ~っと忍びよりいきなりカンチョーをかました。


「ぎゃい!!!」


 川城は悶絶し、床に倒れこんでジタバタ暴れている。


 だんだん痛みが引いたようでようやく動かなくなった。


「大丈夫?」

 キャルが心配そうに背中をさすっている。



 川城はやおら起き上がると「このガキ!」とリヒトの腹を蹴る。しかしノーダメージだ。

 逆に川城の足が痛くなる。


「なんて格好してやがる。てんとう虫のコスプレか? 次にやったらただじゃおかないからな」


 川城はトイレに消えて行った。


 キャルが真っ赤な顔をリヒトに向けて金切り声をだす。


「なんてことするのよ。大切なお客様に!」


 スパーン!


 しかしリヒトのジト目は変わらない。

「だって……キャルに馴れ馴れしいから」

 リヒトはそう言うとトレーディングシステムの前から去っていった。


 川城がトイレから帰ってきた。リヒトのカンチョーがよほど効いたのかまだ少し内股で歩いている。


「あの悪童はどっかに閉じ込めて下さいよ」

「分かりました。目のつかない所にピクニックにでも行ってきますわ」

 キャルは相手が機嫌を損ねないように平謝りしている。




「出た」

 川城がテレビに変えているモニターを見ながら声を弾ませて言う。


 お昼のニュースが鉄鋼株が軒並みストップ高に追い込まれたことを報じている。それにつられるように関連銘柄までストップ高になっている。日経平均株価は大荒れながらも二倍近くも上がっている。


 報じているアナウンサーも、あり得ない事態を飲み込めないようで声が少し震えている。

 それを見ながら大笑いのキャルと川城。


「バブルよねぇ」

「バブルだよ。ただし作られたね」

 二人でハイタッチをして喜んだ。


 後場は軒並みほぼ全面高からスタートした。最後の狙い、新○鉄住金を残すばかりとなった。


 結局後場も買い上がって、何とか新○鉄をストップ高に持ち込んだ。




 後場が終わった。ストップ高した銘柄は実に百に及んだ。


「かんぱーい!」


 キャルと川城がソファーに座り、祝杯を上げている。目標はTOBを成功させることだが、とりあえず今日のミッションはクリアした。


 キャルの横に座るリヒト。

「僕にも頂戴」

 とシャンパンをねだるも

「子供はダーメ」

 と、取り合わないキャル。


「ねえ、キャルはいつからここにいるの?」

 いきなり呼び捨てとは……リヒトのイライラがたまっていく。

「三年前かなあ。もうそんなになるのね」

「俺が三億に到達した年だね。これで一生遊んで暮らせると証券会社の口座からネットバンクに金を動かしたのをよく覚えているよ」


 キャルはメイドを呼び、リヒトにジュースを持ってくるように言う。


「しかし……本気で日本の実権を握るつもりですか?いくら資金が有っても人心が付いて来なければ国家は成り立ちませんよ」

「人心ねぇ……今東日本の失業率は30%に達しているわ。それに比べてクリーンライトが統治しているこちら西日本はわずか2%、人心がどちらに付くかは明らかでしょう」

「そんな単純な問題かなぁ」


 川城は長い指でつまんでいたワイングラスをテーブルに置き、大きくあくびをする。


「いやなにね、トレーダーをやめてからは俺も無職と言えば無職なもので。でも書類なんかに無職って書くのは気が引けるので、最近安い中古アパートを買って賃貸業を名のってますけどね、こういう人案外多いんじゃないかなーと思いまして」

「うふふ、おじいちゃんの発想ね」

「おかしなもので一生遊んで暮らせる身になると労働意欲が湧いて来ましてね。この前大型とけん引の免許とったんですよ。憧れだったんです。大型トレーラーの運ちゃんをやるのが」


 川城はテーブル上にあるさきいかをつまみにシャンパンをあけた。

「へー、人は見かけによらないわね。三億持っている人がトラックの運ちゃんだなんてふふ、変な人。今は無人トラックが走ってて、人のする仕事じゃあなくなってるのに」


 すると川城は手酌でシャンパンをワイングラスへ注ぐ。

「今から100年以上くらい前に空前のトラックブームが起きたんです。アメリカの映画ですけど。そのなかでも『トランザム7000』って映画がめっちゃ面白くって、主演のバンディッドサイコーって感じで。見ます?今からその映画」


 川城の誘いにキャルものってやる。

「見たい見たい。最近映画見てないし」


 腕時計型のスマホをいじくると大型モニターに動画が流れ始める。

「昔の映画が好きなんですよ。今よりもっと夢があって」


 照明を落としに行っていた川城がつぶやく。


 映画の内容はトラック野郎バンディットが、テキサスの大金持ちビックとその息子から“28時間以内にテキサス州テクサカナまで行きビールを積んで帰ってくれば8万ドルの報酬を出す”という挑戦を受ける。さっそく相棒のクレダスと共に天下無用の大爆走を開始するというものだった。


 キャルはカーアクション映画を見るというのは初めてだった。車の運転は自動が当たり前の世代だからだ。しかし映画の方は手に汗握る展開で結構楽しめた。男の子が好きそうな映画だなぁと思った。


「面白かったでしょう」

「そうね。楽しめたわ、ありがとう。さて、私はもう寝る時間だから行かなくっちゃ、また明日ね。バーイ」

 そこへリヒトが口に含んだジュースをぶーっと川城に吹きかけた。


「あっ、このガキ!」

 基地内でまた追いかけっこが始まった。

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