第73話 精霊王エント

 ハンクとアリアが光る大樹の樹冠に飲み込まれた直後、2人を乗せた32枚のアイギスは青白く光る粒子となって霧散した。

 咄嗟の事にハンクは身を固くするが、予想していたような落下が起きることは無かった。それどころか、2人の身体は眩く光る空間の中を綿毛の様にふわりと漂うように降下していった。


「これは……イレーネの……あの時、アリアが作り出してくれた場所と同じ……?」


 まるで、無重力空間に放り出されたような違和感を受けながらも、ハンクは見覚えのある眩く光る空間の中を見渡した。

 やがて、地に足が付いたような感触と共に、ハンクとアリアの身体は降下を停止した。


『察しがいいね。さすが、僕のアリアが好い…………ゴホンッ。認めただけのことはある』


 不意に正面から聞こえた精霊語の声に、アリアが『なっ! ちょっと!』と素っ頓狂な声を上げた。アリアにしては珍しく狼狽するその様子に、ハンクは呆気にとられながらも視線を正面へと戻す。

 するとそこには、ふさふさの毛に覆われた獣の様な耳を頭部に生やした、幼い少年が笑顔で立っていた。


『初めまして、守護者ハンク。僕の名前はエント。遥か古代より大森林に住まう精霊の王さ』


 そういって無邪気に手を差し出すエントに、ハンクは握手を交わした。


『ありがとう、精霊王エント。俺の声に応えてくれたんだな』

『礼には及ばないよ。僕だって、キミに助けてもらったしね。それと、僕のことはエントでいいよ、ハンク』


 気さくにそう言った後、エントはハンクの隣に立つアリアの方を向いて唐突に抱き着いた。


『無事で良かった! さっきはゴメンよアリア。さすがの僕も一時はどうなるかと思ったよ』

『私こそごめんなさい。フレイに勝てる見込みなんて無いのに、あなたを危険にさらすようなことをしてしまったわ』

『構わないさ。僕の本質はマナ。”外側”なんていくら壊されたって平気だよ!』

『エント……』


 エントが嬉しそうにアリアの腹部に顔を埋める。仮にも自らを”精霊王”と呼称するエントのその姿に、アリアは苦笑いを浮かべつつも精霊語で礼を言った。

 そんな二人の仲睦まじい姿に、ハンクは何となくムッとしたものを感じて、エントの後ろ姿に半眼を送り付ける。


『うらやましいかい? ハンク。これは僕の特権だから、代わってやらないかな』

『お前な……』


 ちらりと後ろを振り返って意地の悪い笑みを浮かべる精霊王に、ハンクのこめかみが引き攣った。

 ……何か言い返してやろう。そんな考えがハンクの脳裏をかすめたその直後、エントは真面目な顔でゆっくりとアリアの腹部からその顔を離した。


『まあ、冗談はこれくらいにしておいて……そろそろ本題に入ろうか』

『本題……?』


 思わず鸚鵡返しに”本題”という言葉を口にしたハンクに、『力を貸してくれって言ったのはキミだろう?』と、エントが挑発的な笑みを浮かべた。

 そんなエントを見て、思いつめたような表情のアリアが口を開いた。


『……教えて、エント。あなたに神を封じる力があるならそれを私達に貸してほしい。対価が必要だって言うなら――

『そうじゃないよアリア。……違うんだ』


 エントは困ったようにそう言うと、アリアに片膝をつくよう促す。アリアは困惑の表情を浮かべながらも、エントの指示に従った。


『アリア=リートフェルト。我、精霊王エントは巫女たる汝と、ここに真の契約を結ぼう』


 エントが『……僕の手を取ってアリア』と小さな声で呟きその手を伸ばす。訳が解らないながらもゆっくりと手を取るアリアを見て、エントが満足気な表情を浮かべた。


『我、精霊王エントは、アリア=リートフェルトを後継者と認め、神器ミストルテインと精霊核を継承する』

『――え?』


 突然エントが言った言葉の真意を量り兼ねて、アリアが小さく声を漏らした。エントは小さく目を見開くアリアの頬に両手を当てると、


『アリア。キミが対価を払う必要なんてないんだよ。キミは十分苦しんだ。だから、受け取ってほしい。心配しなくても大丈夫さ、精霊核の継承は神降ろしとは違うからね。条件さえ満たしていれば、生命核の様に魂を喰らうことは無いよ。そして、この2つはキミたちの望む力となるだろう』


 呆然とするアリアに向かって、エントがニッと微笑みかける。


『……ゴメンよ、騙すようなことをして。でも、こうでもしないとキミは素直に受け取ってくれなさそうでさ』

『当然よ……そんなことをしたら、あなたは……』


 ほんの僅かの間、エントはそのままの姿勢でアリアの瞳を見つめてから、ハンク方へ顔を向けると再び挑発的な表情を浮かべた。


『守護者ハンク。ミストルテインの弓矢が向けられるのは、なにもフレイだけじゃない。キミにだってその可能性はあるんだぜ? ……それを忘れないようにね』

『待ってくれエント! 何がどうなってるんだよ!』


 咄嗟にハンクがエントの肩に手を伸ばすも、その手はなにも掴めずに精霊王の身体をすり抜けた。

 そんなハンクに向かって『いいところなんだから、ちょっと待っててくれよ』と、エントがわざとらしくため息をつく。絶句するハンクを後目に、エントは両の手で頬を包むアリアに向かって、ばつの悪そうな表情を浮かべた。


『実を言うとさ、アリアを僕の後継者として真の契約するように勧めたのは、サラなんだ。いつだったか、彼女はとても思いつめた表情をしていてね。何かあったのかい? って訊いたら、思い人を殺せってノルンに言われたらしくてさ。……まぁ、それはキミも知ってるか』

『ええ。よく、知ってるわ』

『その時、サラは言ったんだ。この先、アリアはノルンに無理矢理神降ろしをさせられる。預言者候補として娘同然に育てたアリアを、そんなふうに使い捨ての駒になんてさせたくない。でも、私にそれを止める力は無い。だから、ノルンが強制的にアリアへ生命核の生成を行おうとする寸前で、あなたが彼女を助けてほしい。ってね』


 つっ、とアリアの碧い双眸に涙が溢れた。アリアは頬を包むエントの両手に自らの両手を重ね、『サラ、先生……』と震える声で呟く。


『勿論、僕はそれを引き受けた。だって、そりゃあそうさ。アリアに先に目を付けていたのは僕なんだからね。それに、預言者になれなかったら契約してもいいって約束までしてたんだ。当然助けるに決まってる。取られてたまるかってんだ! …………ゴホンッ。まぁ、それは置いといて……真の契約はそれとはまったく別の次元に問題があるんだ』

『どういうこと……?』

『あの時、ノルンからアリアを助けるために交わした契約は、今代の精霊王の巫女としてのもの。キミの魂と僕の精霊核をつないでマナをやり取りし、精霊王の力を具現化させるためのものだ。だけど、真の契約はそこから先にある。オドではなくマナの結晶体としての精霊核をその魂に融合させるためには、巫女がマナを会得する必要があるのさ』


 咳払いの後、急に真面目な様子でエントが力説する内容に、アリアは未だ要領を得ない。エントは、どうしたものかとわずかの間逡巡すると、


『大気に、世界に溶け込む薄絹の様な魔力を感じたことがあるだろう? それがマナさ。……だけど、それが難しいんだ。なんてったって、歴代の巫女でこれを感じたものは1人もいなかったからね。知ってるかい? 本来僕を顕現させるためには、ある程度魂を削る必要があるんだ。とてもじゃないけど、1日の内に2度もそんなことをしたら、魂を消費しつくして存在ごと消滅してしまう。でも、アリア。キミはそんなふうになったりせず、ピンピンしてるだろ?』


 こくりとアリアが頷く。エントはその肯首に満足そうな表情を浮かべる。


『どうしてかは知らないけど、7年前、サラは既にアリアがマナの入り口にたどり着いたことを知ってみたいだ。だから、彼女は僕にキミを後継者にするよう勧めた。いつか、アリアはあなたの全てを必要とする時が来るだろうってね』


 半透明だったエントの身体が、徐々に薄れていく。


『――そして、サラの言った通り、アリアは僕の全ての力を欲しいと願った』


 ハッとするアリアに向かって、エントはこれ以上ないほどの慈愛の表情を浮かべると、


『……時間切れ、みたいだ。これから先、僕はずっとキミと共に在る。その隣をハンクに譲るのは悔しいけど、彼ならきっと大丈夫さ。まぁ、ちょっとはっきりしないところがあるのは玉に瑕みたいだけど…………最後に感じたキミのぬくもりは、本当に尊かったよ。じゃあね』


 別れの言葉と共に、精霊王エントの姿は眩い光の中へと消えていった。最期に残った僅かな光の粒子も、アリアの周りを漂った後、ハンクの耳元まで流れて、蒸発するようにふっと溶けた。








「……ったく。そう言う事は言わずに行けってんだ」


 光の粒子が消える直前、耳打ちする様に聞こえたエントの声にハンクが毒づく。


『300年後の最終戦争に向けて、大森林を守護するための実体が欲しい僕と、神器ミストルテインでヴィリーの魂を残したままフレイを封じてほしいサラの利害が一致してね。だから、キミにはとても期待してるよ』


 どうやら精霊王は、相当な期待を自分に寄せているらしい。だが、それはこちらも望むところだ。その為に精霊王に助力を願い出たのだから。

 アリアを護り、精霊王の残した力――神器ミストルテインでフレイを封印する。

 それは、対象の魂に干渉し、一番強く残った記憶を読み取ってしまう自分にとって、なくてはならない助けだ。如何に異世界に転生して神と対等に渡り合える体を手に入れたとはいえ、自分の心までそうなった訳ではない。人間”奥村桐矢”だったころの、普通で未熟な心のままなのだ。


「――アリア。さっき、自分には何の力も無いから俺の事を利用してた、とか言ってただろ? でもさ、今度は俺がそれを言う番だ。頼りにしてるぜ、相棒」


 ニッと笑ったハンクが、両膝をついて眩く光る空間に視線を彷徨わせるアリアに手を伸ばす。突然のハンクの言葉に一瞬きょとんとしたアリアだったが、すぐにその言葉の意味を理解すると、伸ばされた手を取って立ち上がった。


「まさか、キミにそんな風に言われる日が来るなんてね……でも、望むところよ。よろしくね、相棒さん」


 アリアはそう言って破顔すると、小さく噴き出した。久しぶりに見るアリアの明るい笑顔にハンクが少なからずたじろいでいると、唐突に周囲を包む眩い光が消えて元の景色へと戻った。

 瞬間、ハッとなったアリアが上空を見上げた。


「ハンクッ! 上!」

「分かってる!」


 足もとに広がるフレイベルクの丘、謁見の間が崩れた皇宮、それらを全部通り越してハンクもまっすぐ上空を見上げる。

 すると、そこには目視できるほどの高さを悠然と降下するフレイの姿があった。


「久しいな、アルタナの守護者よ。受け取るといい、私からの挨拶代わりだ! 《ミーティア!》」


 直後、地上で空を見上げるハンクとアリアに向かって、魔力の塊で創られた数多の流星が降り注いだ。

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