第74話 棘

「――私にやらせて」


 フレイが放った魔法の流星群を前に、アリアは静かな声でそう言うと1歩前に踏み出した。そして、自らの胸の前で両手を組む様に絡ませ、弓を引き絞る様な動作をする。

 瞬間、アリアの手の中に、黄金に輝く弓矢が出現した。


「神器ミストルテイン。万物の護りを撃ち抜いて――」


 先程と同様、静かに言い放つアリアに向かって、大気中に満ちる薄絹の様な魔力――マナが集束していく。

 刹那、神器ミストルテインを構えた金髪碧眼のエルフの少女の手に、縒り合わせるように凝縮したマナが1本の矢となって現れた。

 まるで神話の戦乙女を思わせる神々しさに、ハンクは頭上に迫りくる脅威の事も忘れてアリアに目を奪われた。

 しかし、それも束の間。

 神器ミストルテインを一杯まで引き絞ったアリアが、上空へ向けて矢を放つ。放たれた矢は黄金色に輝く一筋の光となって大気中を駆け上り、《ミーティア》によって作られた数多の流星を前にすると、夥しい数の光線に散開して地上に迫る流星の悉くを撃ち抜いた。


「相棒って言うからには、これくらい出来ないとね」

「はは……封印どころか、フレイの存在ごと消し飛ぶんじゃないのかソレ……?」


 満面の笑みを浮かべるアリアに向かって、ハンクが頬を引きつらせた。

 とは言え、全ての元凶が取り除かれたわけではない。彼がこの程度で消滅するはずがないのだ。

 その事を思い出したハンクとアリアは、すぐに厳しい表情に戻って上空を見上げた。


「神器ミストルテインと精霊核を継承したのか。それに……アルタナの守護者よ。どうやら貴様は、エントによほど信頼されていると見える」


 ハンクとアリアの頭上を埋め尽くしていた数多の流星は既に無く、雲一つない空の下、不敵な笑みを浮かべた天上神フレイが2人を睥睨していた。


「――再び問おう、次代の精霊王よ。この地上を我らのものとする為、私の為にその力を使え。安心するといい。天上神ノルンの末妹スクルドとの取引など、この私がどうにかしてやろう」


 さも当然の様に従属を迫るフレイに向かって、嫌悪感をあらわにしたアリアが神器ミストルテインを向けた。


「お生憎様。私にはもう心強い相棒がいるの。……だから、天上神――いえ、邪神フレイ。あなたをこの神器ミストルテインで、ヴィリーの生命核に封印させてもうわ。あなたみたいな邪神に仕えるなんて、こっちから願い下げよ!」

「ククク…… まあ、よい。ならば、予定通りお前もろとも精霊王と守護者の生命核を取り込むまで。覚悟するといい」


 それまで不敵な笑みを浮かべていたフレイの表情が邪悪に歪む。直後、フレイは神器レーヴァテインを空に向かって掲げ、大きく息を吸い込んだ。


「天上神フレイが今ここに宣戦しよう! 敵は創造神アルタナとその守護者ハンクだ!」


 そう言い終わると同時に、フレイが神器レーヴァテインの切っ先をハンクへと向けた。そのまま、フレイは何も無い空中を蹴ってハンクに急接近し、高速の斬撃を繰り出す。

 甲高い金属音が響いてハンクがフレイの斬撃を受けとめると、両者は地に足を付けて数合打ち合った。

 ハンクの持つ魔剣グラムの紅い軌跡と、フレイの持つ神器レーヴァテインの白銀の軌跡が盛大に火花を散らす。


「吸収したイレーネの剣技を自らのものとしたか。ならば…… 《プラズマアーク・トリジンタプル》!」


 口の端を僅かに歪めたフレイが、ハンクから少し距離を取りつつ魔法起動コールの声を上げた。同時に、通常の30倍の魔力で構成された最上位電撃魔法が紫色の光条となってハンクに襲い掛かる。


「 《アイギス・オクタ・クアドラプル》!」


 ハンクが咄嗟に展開した32枚のアイギス魔法の盾が、極太のレーザー砲さながらの光条を正面から受けとめた。途端、その3分の1が瞬時に溶解して蒸発する。このままでは耐えきれないことをすぐに悟って、ハンクはアイギスを斜めに倒して、極太のレーザーを上空へ受け流した。


「ほう……アレを凌ぐか。流石だなアルタナの守護者よ。今のは貴様がドルカスで倒した、冥王竜モドキの放ったドラゴンブレスの数倍威力があるのだがな」

「……そりゃ、どうも。てか、そんなもん帝都のど真ん中でぶっ放してんじゃねぇよ」


 テメェは何処の決戦兵器だよ、と内心で毒づきながらハンクは油断なく周囲に視線を送った。

 気が付けば、間近まで迫った皇宮の中から、シゼルとエルザの気配を感じる。きっと、激しい戦闘に巻き込まれない様に避難しているのだろう。アリアと同じように転移させられた2人の生存に、ハンクはほっと胸を撫で下ろした。

 そして、皇宮とは反対の丘の中腹では、エステルと女神ヴェルダンディの戦う姿が見て取れた。絶対助けに戻ると約束したのはつい先ほどの事であるはずなのに、かなりの時間が経過したような気がして、ハンクの心に焦りが生まれた。

 いくらエステルが人造の生命核ダインスレイフを持とうとも、相手は神である。長くはもたないだろう。

 そんなハンクの視線に気が付いたのか、フレイもちらりと丘の中腹へ視線を送る。


「ヴェルダンディめ。あのような小娘相手に、いつまで手をこまねいているのか。……遊んでいる場合ではないぞ」


 イラつきながらそう言って、フレイが眉間に皺を寄せた。その時、何本もの黄金色の光線が、横合いからフレイに襲い掛かった。


「全く……油断も隙もあったものではない」


 フレイは小さく舌を鳴らしてその場から飛びすさり、それを回避しながらアリアに向けて神器レーヴァテインを振り被る。僅かな風切り音と共に3度、神器レーヴァテインが閃くと、斬撃が衝撃波となってアリアに迫った。


「アリアッ!」


 咄嗟にハンクがアイギスを展開するべく手を伸ばす。しかし、アリアは神器ミストルテインを構えたまま「大丈夫」と短く言うと、衝撃波に向かって光の矢を放った。

 直後、爆撃にも似た盛大な破裂音が3つ響いて、斬撃と光の矢の両方が消失した。


「さっきまでの私と一緒だと思わない事ね、天上神の長さん。今の私は、あなた達と同じ人外の存在なのよ?」


 アリアはフレイに向かって挑発的にそう言った後、ハンクと視線を合わせて1つ頷いた。思わずきょとんとするハンクであったが、すぐにその口元に笑みが浮かんだ。


 ――アリアの事を”相棒”と言ったのは、他でもない……自分自身だ。

 ならば、今は目の前の邪神フレイにだけ集中しよう。背中はアリアに任せればいい。それこそが、一番早くエステルを助けに戻る手段となりうるはずだ。


 瞬時にそう決断して、ハンクは魔剣グラムの切っ先をフレイへと向けた。


「悪いけど、お前との戦いはさっさと終わらせてもらう。エステルの奴に、アリアを助けたらすぐ戻るって約束したからな」

「……ククッ、ハハッ。この私が舐められたものだ。いいだろう、2人纏めて消し炭にしてやる。天界を灼く劫火の炎をその身に浴びるといい!」

 

 激高したフレイがハンクとアリアへ神器レーヴァテインを向けて、ありったけの魔力を集束させる。勝利を確信するかのように口の端を歪めて、魔法起動コールの声を上げようとした、その時――


「――茶番はこれくらいで終わりにしようかのう、フレイ様。それにあの時、神剣の間で言ったじゃろう? あなたの魂は私だけのものだと。大人しく、妾の贄となってくださいな」

「ぐ……貴様、ヴェル、ダンディ……? 天上、神の、長たる私を……裏切るというのか……」


 自らの胸部より突き出た女神ヴェルダンディの右腕。その手に握られた生命核。だらりと下がった自らの手に握られた神器レーヴァテイン。そして――背後で妖しく微笑む女神ヴェルダンディ。

 フレイが身を捩って、それらを順番に目で追っていく。


「そのようなお顔、こちらへ向けないで貰えますかのう。妾には妾の望みがありますのじゃ。悪く思わないでくだされ」


 邪神フレイが、信じ難いものを見る目でヴェルダンディを見た。生命核を奪われたことで、制御を失いつつあるフレイの身体が小刻みに震える。

 そんなかつての長を哀れむように、ヴェルダンディは空いた左手で、その頬をそっと撫でた。


「望み……だと? 貴様達、天上神が……私の導きの下、この、地上を手中に収めること以外、な……にが、あるというのだ」

「主神オーディン様に、よろしくお伝えくださいませ。さらばじゃ、哀れで愚かな我らが長よ」


 フレイがさらに何か言い返そうと口を開いたその刹那、ヴェルダンディは生命核を握った右手を乱暴に引き抜いた。

 直後、だらりと脱力するフレイの身体から、神器レーヴァテインを奪い取った女神ヴェルダンディは、その切っ先で、右手に持つ生命核を刺し貫いた。


「幸せなお方じゃ。ここは最早、妾達の故郷と遠く離れた異郷であると言うのに…………そうじゃろう? アルタナの守護者ハンクよ」


 妖しい微笑みを浮かべたヴェルダンディが、ハンクの方を流し見た。

 ゆっくりとハンクに見せ付ける様に開かれたヴェルダンディの手の中で、神器レーヴァテインとそれに貫かれた生命核が、まるで塩の様に崩壊を始める。

 キラキラと光る細かな粒子が、するするとヴェルダンディの手から流れ落ちては雪の様に消えていく。

 

 ――その光景を何度思い出し、何度悔やんだだろう。


 中身は違えど、同じ外見を持つ彼女と会話をするたびに、いつも心の奥底に刺さった棘が痛んだ。

 最近でこそ、毎日の様に彼女の顔を見ることでその痛みの事を感じない日もあったが、それはただ痛みに対して鈍感になっていただけの話。

 罪悪感や後悔を縒り合わせて出来た棘は、相変わらず心の奥底に存在し、ほんの少し僅かな力を加えるだけで、その先端は無防備な心のさらなる深みを穿つ。


 忘れていた痛みが、再び同じ傷口を抉る時ほど無抵抗な瞬間は無い。

 転生初日、アイアタルの生命核が自らの手の中で崩壊した時の感触をありありと思い出して、ハンクは吐き気を催した。同時に、異様な眩暈を感じて地面に膝を突く。

 高速で心臓が脈打ち、胸に何か詰まったような感触がして息苦しさを覚える。隣に立つアリアがハンクの名前を呼び肩を支えるが、その声は遠く明瞭としない。


 ――そんな中、玉を転がすような彼女の声だけが、やたらと鮮明にハンクの鼓膜を揺らした。


「女神ヴェルダンディ。その人をあまり苛めないでほしい。彼をその事で苦しめていいのは、私だけが持つ特権なんだ。……いくら見た目がサラ先生であろうとも、それだけは許さない!」


 突如、殆ど足音も立てずに現れたラーナが、ハンクとヴェルダンディの間に割って入った。

 その腕に、ぐったりと意識を失くしたエステルを抱えて。

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