第72話 光る大樹

「ハンク…………? どうしてキミは、そこまでして私を助けてくれるの? 私……キミに本当の事、なにも伝えてないのに……」


 まるで花弁の様に折り重なった32枚の魔法盾アイギスが、1つの大きな半球を形作り、地面に向かって垂直に落下していく。その中心で目を覚ましたアリアは、自身を助けに来たハンクの姿を見て形の良い眉を歪めた。


「は? 何言ってんだよ、バカッ! 今はそんな事関係ないだろ! ったく、命をなんだと思ってるんだよ……心臓が潰れるかと思った……」


 先に上体を起こしたハンクが、未だ横たわったままのアリアに向かって口を尖らせる。


「キミにバカって言われる様じゃ、私もおしまいね。……でも、来てくれるって信じてたわ」


 アリアはゆっくりと体を起こしながら、安堵の笑みをハンクに向けた。だが、目覚めたばかりのせいか、アリアは自身の上体をうまく支えることが出来ずバランスを崩した。満足に受け身を取れそうにもないことを直感で悟って、アリアは咄嗟に目を閉じる。

 しかし、予想していた衝撃はいつまで経っても来ず、替わりにやって来たのはハンクの両腕と胸の感触だった。アリアはほんの一瞬びっくりした様に目を瞠った後、軽く目を伏せた。


「その……ありがと。本当は、こんな空の上まで助けに来てくれて、とても嬉しい」


 咄嗟の事とはいえ、その胸に抱きしめたアリアから聞こえたしおらしい言葉に、ハンクの返事が中途半端なものになった。

 ハンクはそれを誤魔化す様に1つ咳払いをしてから、半球状のアイギスを操作してゆっくりと展開していく。逆さ向きの傘の様に広がったアイギスは徐々に空気抵抗を増大させて、ハンク達の落下速度を更に減速させた。

 そして、自分達の頭上にいる存在の事を思い出したアリアが、ハンクの腕の中から慌てて上空を見上げた。


「気を付けてハンク! この上にフレイがいるわ。このままじゃ――

「分かってる。でも、あっちも今すぐ俺達を攻撃する意思はないみたいだ。……地上に降りてから決着を付けようってつもりなのかもな」


 アリアは真剣な眼差しで上空を見つめるハンクの顔を見ながら、意を決した様子で口を開いた。


「……あのね、ハンク。聞いてほしいことがあるの。私がどうして森を出たのか。キミと出会った次の日、どうして私が一緒に帝国へ行くって言いだしたのか。そして、私の本当の目的がなんなのかを」


 ハンクの腕を抜け出したアリアの頬を、ふわりと風が撫でた。煌めきながら舞う金髪が、アリアの表情を覆い隠す。

 ほんの少し間を置いてから、アリアは少しだけ乱れた髪を片手で軽く押さえて、ハンクの緑色の双眸をまっすぐに見つめた。


「私の本当の目的はね……サラ先生と守護者ヴィリーを殺すこと。7年前のあの日――サラ先生が天上神ノルンの神降ろしを拒否した日に、私は天上神ノルンの3女スクルドと取引をしたわ」

「え……?」


 間の抜けた返事をするハンクに、アリアは少しだけ微笑んで、


「これより先の未来で、ヴィリーとサラの身体に憑依した天上神フレイとヴェルダンディが邪神化するだろう。その時、邪神となった2柱の神を葬る為、新たなる神降ろしの依代として預言者をイーリスとした。彼女がダメならば他の者に神降ろしを行う。それをさせたくなければ、精霊王エントの力を以って2柱の神を生命核に封じ女神スクルドに捧げよ。そして、このことは口外を禁ずるってね」


 ……莫迦げてるでしょ? アリアは震える声でそう言って、左手を右腕に当ててぐっと掴んだ。


「だから私は、サラ先生が邪神の器になる前に見つければ何とかできるかもしれないって思って森を出た。冒険者になって、有名になれば気付いてくれるかもしれないって思った。でも、それよりも……無力な私のせいで使い捨てにされるかもしれないイーリスや他のエルフ達の顔を見ていられなかった! ……助けてもらったのにゴメン……私は……本当は、グランドオーダーが達成不可能だって知ってた……」


 アリアの碧い双眸には涙があふれ、無意識に左手に力が籠る。


「全部知ってた……? じゃあ、なんでグランドオーダーなんて受けたんだよ! やってることが真逆だろ? それに、そんな大事なこと、なんでもっと早く言わないんだよ!」


「口外を禁じられてるって言ったでしょ? ……キミと会った日の夜、女神スクルドが私に話し掛けてきたわ。すべての運命が動き出した。その男が全てのカギを握っている。共に帝国へと向かい、取引を果たせって。だから、アイアタルを単身で滅ぼすほどの強力な魔力を持ったキミが、私に協力してくれる口実が欲しかったの。……ズルいでしょ? キミは自らの意志で帝国に向かおうとしてたのに、私はそれを利用したのよ。私ひとりじゃ何もできないから……」 


 涙声で肩を震わせるアリアを見ながら、ハンクはわざとらしくため息をついた。


「……ったく。俺の事、散々バカって言ったくせして、アリアも大概だな。そんなことで俺が怒るとでも思ってるのかよ……。てか、初めて会った時の隠し事のヤバさなら、どう考えたって俺の方が上だっただろ? だから……その、気にすんなよ」


 ハンクはアリアの左手をそっと掴むと、


「アリア、今度はその力を俺に貸してくれ。俺のやり方じゃあ、どうしたって相手を消滅させることしかできない。それはさ、邪神となって歪んだ神の意志とか記憶を無理矢理見せつけられるってことなんだ。……正直、そんなもの見たくもない」

「ハンク……」


 呟くように名前を呼ぶアリアに向かって、ハンクは明るく笑みを浮かべた。


「一緒にフレイとヴェルダンディを封じよう。そして、アリアにクソみたいな取引を持ち掛けたスクルドを脅してやろうぜ。イーリスに危害を加えようってなら、次はお前の番だってな」


 瞬間、アリアがハンクに抱きついた。「ありがとう」と絞り出すように言うアリアの頭を、ハンクはそっと撫でる。

 そのまま、ほんの少し時間が経過した後、ハンクは間近まで迫った地面に視線を向けた。


『精霊王エント、聞こえてるか? 俺達に力を貸してほしい。どうやって神様を生命核に封じるのか教えてくれないか?』


 精霊語でそう言ったハンクに応えるように、2人の真下の大地から光る大樹が姿を現す。光る大樹はどんどん大きくなり、地上に向けて落下するハンクとアリアに光る樹冠が迫る。


 わずかな時間の後、ハンクとアリアは地上に到達する寸前で、巨大な光る大樹――精霊王エントに飲み込まれた。



 皇宮最上階。つい先ほどまで謁見の間と呼ばれたその場所で、ラーナは突如真横に出現した光る大樹に目を向けた。


「精霊王エント……真の契約を果たすの?」

(そうだ。神器ミストルテインの顕現は目前に迫っている)

「アルタナ様が言った通り、これでヴィリー様やサラ先生みたいな人を出さなくて済むといいね」

(……だといいがな。それよりもラーナよ。お前には大事な役目がある、抜かるなよ)

「最終試練か……。分かってるよアルタナ様。でも、ちょっと気が重いな」


 ほう、と嘆息を漏らしてから、ラーナは視界の端にヴェロニカを抱えて走るシゼルとエルザの人影を見つけた。2人は光る大樹と、その向こう側で戦闘を繰り広げる2人の女性を指さして何事か喋っている。


(ククク……マナを会得したエルザに騎士が何人束になったところで敵うものではない。期待通りだ)


 空中から響くように聞こえる満足気な声に、ラーナは苦笑を漏らした。

 アルタナに言われるまま、ラーナはシゼルとエルザを地下施設に置き去りにしてきたが、2人が相手にしたのはリガルド帝国屈指の実力を持つ第1騎士団の精鋭10人だ。天上神フレイと供に地下施設に降りた彼らは、主の命令で反逆者を掃討すべく地下に残っていた。一人一人がミスリルランクと呼ばれる特級冒険者に近い実力を持っている彼らを相手にして、普通ならば無傷で済むはずがない。それどころか、卓越した実力を持つ彼等の連携の前に、為す術も無く殺されても不思議はないはずである。

 だというのに、実際にシゼルとエルザの二人は無傷だ。意識を失っているだけのヴェロニカにも傷一つない。

 マナを会得したばかりだとは言え、きっとエルザのことだから、拘束魔法や睡眠魔法などであっさり相手を無力化したのだろう。なにせ、エルザは司祭として長年神聖魔法を使ってきた素地がある。その分、飲み込みも早い。

 ……これではアルタナ様が悦に入るのも仕方ないか。

 ラーナは内心でそう納得してから、光る大樹の向こうで激しい戦いを繰り広げる二人に目を向けた。一人は見た目10歳くらいの少女、もう一人は栗色の髪のエルフの女性。

 心の底から会いたくて仕方のなかったその顔を見て、ラーナの頬を一筋の涙が伝う。


「サラ先生……ごめんね、私達がいたから貴女は女神ヴェルダンディに付け入るスキを与えてしまった。私さえいなければ、心が壊れることだって無かったかもしれないのに……」


 実を言えば、帝都フレイベルクに来た時、”箱庭”に人の気配が無いことにすぐ気付いた。勿論、替わってそこには死と破壊の精霊がいることも解った。ドルカスで心の壊れたヴァンにあった時から、なんとなくそんな気はしていたのだ。

 でも、現実にそれを目の当たりにすることが怖くて、すぐに状況を確認に行けなかった。みんなの死を認めるのが怖かった。ひょっとしたら、自分が失敗したせいで見せしめに殺されたのかもしれないとすら思った。

 だが、現場を確認した今ならば、そうではなかったと解る。サラの魔力暴走痕と死と破壊の精霊がもたらした結末。それらに彼女の心が耐えれきれず発症した精神崩壊。すべては天上神フレイと女神ヴェルダンディの仕業だ。

 孤児だった自分にとって、サラは師以上に母のような存在だった。種族なんて関係ない。時折見せるつらそうな顔を笑顔にしたくて、精霊語を頑張って覚えた。ヴィリーが新設した特務部隊で功績を挙げて、彼直属の魔導将軍になる為に戦闘訓練だって頑張った。

 ……だというのに――


(我が守護者よ。サラの未来は、ああなるよりほかになかった。それも全ては我がヴィリーの抱える人としての弱さに気付いてやれなかったからだ。……許せ)

「アルタナ様のせいじゃないよ…………ところで、私との約束覚えてる?」

(当然だ。契約だからな)


 その言葉に、ラーナは満足そうに微笑むと、瓦礫の間から瀕死の重傷を負った一人の男性を引きずり出した。奇跡的に爆発から助かったものの、崩れた瓦礫で体の至る所が潰れて曲がったその男性は、リガルド帝国皇帝ベルナードその人であった。


「 陛下……ギリギリ間に合った。《リジェネレイション》」


 ラーナの再生魔法によって、ベルナードの身体があるべき姿を取り戻していく。わずかな時間の後、再生を終えたベルナードが規則正しい呼吸を取り戻した。


「……行こう、アルタナ様。あの人――ハンクへ次の試練を与えに」


 瓦礫の山となった謁見の間で、ゆらり、と黒衣の少女の姿が霞の様に揺らめいて消えた。

 動く者のいなくなったその場には、瀕死の重傷から奇跡的に命を取り戻した皇帝ベルナードだけが、ぽつりと残されたのだった。

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