第71話 徒渡り

 帝都フレイベルクの貴族街を猛スピード駆け抜けながら、ハンクは正面の皇宮を視界に収めた。隠密魔法 《ミラージュ・タイド》が作る魔力のうねりのせいで、帝都フレイベルクの中心にある、なだらかな丘全体を使って建設された荘厳な城が、僅かに揺らいで見える。


(――無事でいてくれ……)


 祈るような気持ちで進行方向に視線を向ければ、最後の障害――皇宮を護る第1防壁がハンクの進路を遮るように横たわっていた。

 素早く視線を薙いで侵入に適した場所を探すと、大勢の騎士が城門前で人だかりを作っている光景が目に映る。

 ハンクの隣を並走するエステルもそれに気付き、


「お兄ちゃん、見て! 騎士達が正門前に集まってる!」

「ああ。なんでかはしらないけど、都合がいい。他の手薄な場所から第1防壁の中に侵入しよう」


 視界の端でエステルが頷いたのを確認してから、第1防壁を回り込む様にハンクが進路を取ったその時。なだらかな丘の中央にある皇宮の最上階が、大音量の爆音を轟かせて消失した。

 突然の事態にハンクとエステルが言葉を失っていると、城門前の騎士達が何事かと騒ぎ出す。口々に天上神フレイと皇帝ベルナードを心配する声が上がり、すぐさま城門が開かれた。


「行こうエステル。俺たちもあいつらにまぎれて中に入ろう」

「うん。何があったんだろ……」

「解らないけど、あそこからアリアとフレイの気配がする。あと、知らない強力な気配もある。くそっ! アリアの奴、なんてとこにいるんだよ!」


 慌てる騎士達に紛れてハンクとエステルが第1防壁内に侵入する頃には、爆発による煙も晴れて皇宮の最上階が露わになった。


 ――そして、今度こそハンクは息を飲み、言葉を失った。


 その目に映るのは、まるで階段でも上る様に悠然と空中を歩くフレイの姿と、魔力の檻に閉じ込められた、金色に光る大樹だった。


「アリアッ!」


 大空に向かって叫ぶハンクの視線の先では、アリアを捕らえたフレイが、見る見るうちに上空へ向かって上昇していく。地上では、それを見たリガルド帝国の騎士たちが口々にフレイを称賛した後、今度は皇帝ベルナードの安否を急ぎ確かめようと再び前進を始めた。


 ――どうやって追いかければいい? 飛行、それとも浮かぶ足場を魔法で作って?


 だが、ハンクが奥村桐矢として培ってきた常識が、咄嗟の魔法構築を阻害する。人は飛べないし、浮かべない。もし本当に出来るのであれば、それは神のみに可能な御業だ。

 早くしなければという焦りが、ぐるぐる回る思考の出口を奪う。浅い呼吸が嫌な予感を更に掻き立てる。

 あんな風にアリアを檻に閉じこめて、遥か高空に連れて行く理由など1つしかない。それは――


「突然現れた巨大な生命核の気配に誰かと思って来てみれば…………妾の眷属である精霊王の巫女の命は諦めて貰おうか、アルタナの守護者よ。妾は天上神ノルンの次女ヴェルダンディ。――それとも、この姿の持ち主サラ=アウテハーゼと言った方がいいかのう?」


 突如、大勢の騎士たちがいなくなったその場所から聞こえた揶揄うようなその声に、ハンクの思考が真っ白になった。そのまま青ざめた表情で、油のきれた人形の様にぎこちなくそちらを向く。

 ゆらり、と長く伸びた明るい栗色の髪が風に揺れて、見覚えのある長衣を纏ったハイエルフの女性が1人、ハンクへ向かって歩いてくる。

 頭を殴られたような衝撃と共にフラッシュバックした映像と、目の前の女性が重なった。


「アンタは……サラ……なんで? フレイを復活させたときに死んだんじゃあ……?」

「ほう……そんなことも知っておるのか? あの時は聖女殿に大変世話になった。まぁ、もう生きてはいまいがな」

「……どういうことだよ? ヴェロニカをどうした! それにザカリアも! アイツらに何をしたんだ!」


 エステルに宿った人造の神器ダインスレイフ、その突然の封印解除を裏付けるヴェルダンディの言葉に、ハンクが声を荒げた。

 ヴェルダンディは、やれやれといった様子で、


「あの2人は愚かにもフレイ様に逆らった。神剣の間ならば、フレイ様を討てるとでも勘違いしたのじゃろう。なにせ、あそこは封印の地にある。特殊な力場が妾達神の力を弱め、本来の力を発揮することができぬからの。じゃが、タイミングが悪かった。あの2人はヴィリーの魂を取り戻そうと神剣の間を目指す途中で、”箱庭”から転移してきた侵入者を始末しに行ったフレイ様に殺されたのじゃ。実際フレイ様が自ら手を下されたのはドワーフ王のみで、反逆者となった聖女殿は神殿騎士にその処分をお任せになったがの。とはいえ、あの聖女殿もなかなかじゃ。最期には妾の存在に気が付いていたからのう」

「――お父っ……さん……っ!」


 怒りに言葉を失ったハンクの横で、エステルが悲痛な声を漏らした。


「神器ダインスレイフ……? 真のドワーフ王はお主か、娘よ。通りであの男が死んだ時、何の力の流入も無かったわけじゃ……僣王か――

「やめろッ! それ以上ザカリアのことを悪くいうなら、この場でお前を消滅させる」


 瞬間、ハンクの周囲に青白く光る燐光が舞う。可視化するほどに圧縮された魔力の粒子が、ハンクの怒りに呼応するように激しく明滅を繰り返す。


「自らの生命核より発するオドのみでこれ程とは……さすが”守護者”よの。じゃが、いいのか? フレイ様と共に上空へ向かった精霊王の巫女は、マナの加護が尽きる遥か高空でその命を奪われるじゃろう。もしかしたらフレイ様の事じゃ、彼女を地上に叩き付けて、絶命する瞬間に精霊王エントごと神器レーヴァテインに吸収されるおつもりかもしれぬ。妾とここでゆっくり喋っている暇などありましないと思うのじゃがな?」

「――お前ッ!」

「お兄ちゃん行って! お姉ちゃんを助けてあげて。もし、この人が邪魔するようなら、わたしがそれをさせないから……」


 俯き加減のエステルが、ヴェルダンディの言葉に食って掛かろうとするハンクの手を捕まえた。 


「……覚悟は、してたから。きっと、そういうことだろうって。――だからっ! お兄ちゃんだけでも大事な人をちゃんと守ってあげて……」

「エステル……」

「早くッ! 私達に翼は無いけど、大空を渡る”力”なら持ってるはずでしょ?」


 涙を溢しながら、エステルが無理矢理笑顔を作る。よく見るとエステルの瞳は真紅に染まり、その小さな身体からは強大な生命核の魔力が溢れ出していた。


「もう、ダインスレイフの抑えが利かないよ。だから、ここはわたしに任せて。……大丈夫。我は失うけど、後戻りできない暴走とかじゃないから」

「……分かった。でも、絶対助けに戻ってくる。少しの間だけ、任せた」

「まかせて。行ってらっしゃい、お兄ちゃん」


 ハンクは大きく深呼吸をしてから「行ってくる」とエステルに返して、薄く微笑むヴェルダンディをちらりと横目で見た後、上空に視線を向けた。


 ――翼が無いなら大空を渡ればいい。


 エステルの言う通りだ。深く考えるな。大河を渡る様に大空を渡れ。目印はアリアの放つエントの気配。

 大気の中に混ざった薄い絹の様なそれが、アリアに向かって大量に流れ込んでいる。しかも、よく目を凝らしてみれば、その薄い絹の様なそれは大気の中の至る所にあって、自らの周囲にも揺らめいている。

 無理矢理空気の中を飛ぼうなんて思うな。薄い絹の様なその上を歩いて渡ることだけ考えろ!


 気付けば隠密魔法は消え、魔力操作のことなどすっかり忘れていた。既に蛇口は全開である。

 今更の様にそのことに思い至って、ハンクは薄く口角を上げた。


「――待ってろアリア。絶対助けるからな……《 徒渡かちわたり!》」


 魔法起動コールの声と共にハンクが上空へ向かって駆けだす。

 そして、ハンクが周囲の山々の高さを越えて遥か上空に差し掛かった時、その更に高空でエントの気配が霧散した。慌ててその場所に向かって感覚を研ぎ澄ませれば、重力に捕らえられたアリアが地表に向かって垂直に落下する気配を感じた。

 すぐにアリアの姿がハンクの目に映る。最初は米粒ほどの小ささだったが、重力加速度に従ってどんどんと速度を上げるアリアの姿がそれと判るころには、既にかなりのスピードが出ていた。

 高速で落下するアリアとハンクとの距離がぐんぐんと縮まっていく。


 ……このまま受け止めたら、衝撃でアリアの身体が持たない。


 直感でそれを感じ取って、ハンクは即座に進路を地表へ向けた。尚も速度を上げ続けるアリアが、ハンクを追い抜いて高速で落下していく。

 その速度に置いてかれまいと、ハンクは全力で足を蹴り出し落下速度を上げつつ、アリアと相対速度を合わせる。そのまま徐々に彼我の距離を縮めていき、それがゼロになったところで、ハンクはアリアを両手で抱き締めた。

 何とか追いついたことに安堵したハンクであったが、落下によって冷え切ったアリアの身体にぎょっとなった。祈るような気持ちで大声で呼びかけてみれば、アリアに僅かな反応があった。

 ハンクはほっと胸を撫で下ろしてから、地表へと目を向けた。


 既にかなりの速度が出ている。このまま地面に直撃すれば、とても無事では済まないだろう。

 ……かといって、無理な減速は禁物である。アリアは普通の生身の人間なのだ。

 

 僅かに逡巡した後、ハンクは自身の身体をアリアの下に入れて地表に背を向けた。暴風と言っても過言ではない風を背中で受け止めながら、なるべくアリアが衝撃を受けない様に位置を合わせる。

 ハンクはアリアの身体ががずれない様に再びぎゅっと抱き締めると――


「 《アイギス・オクタ・クアドラプル!》」


 瞬間、合計32枚の魔法盾がハンクの背中を中心に花弁の如く展開した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る