第70話 取引と契約、再会 ③

「妹の命を保証する代わりに、私達を封じて来るようにと言われたのか…………では、どうするというのだ精霊王の巫女よ。玉砕覚悟で私達に戦いを挑むのも一興だが、それでは結局、お前の妹は神降ろしをさせられる。当然、失敗すれば魂の滅びが待っている。とはいえ、万一成功したところで、私達に敵う訳も無いだろうがな」


 天上神フレイは自身を鋭く睨むアリアの視線など構いもせずに近づくと、耳元にそっと顔を寄せた。


「こんな運命を課したスクルドが憎くはないのか? 私に従うのであれば、お前の妹――現預言者も救ってやろう」

「――っ!」


 まるで心の内を見透かすようなその言葉に、目を見開き、身をよじってアリアはフレイから遠ざかった。

 そんなアリアに向かって、手招きをするようにフレイが手を伸ばす。


「”箱庭”に残ったヴィリーの置き土産に細工をしておいて正解だった。本来であれば、強力な魔力や生命核に反応して魔法陣が起動する仕組みであったが、それをマナに反応して起動するように変えたのだ。お前たちは必ずあそこにたどり着き、死と破壊の精霊に取り憑かれたあの少女を救おうとする。その時、間違いなくエントの力を借りる」


 簡単な話だろう? と、フレイが自信に満ちた微笑みを浮かべた。その言葉に、アリアが柳眉を吊り上げる。


「あの子……エルマがどんな気持ちでアレをその身に閉じ込めたと思ってるの……。それに、サラ先生の精神を揺さぶってあんなものを呼ばせたのは、あなたの後ろにいるヴェルダンディでしょ? それなのに、よくもそんなことが言えたわね」

「おや、勘違いしないでほしいものじゃな。もともとあれをサラに仕込んだのはスクルドじゃ。それに、妾はサラが可愛がっておったラーナとかいう少女の運命を教えてやったにすぎん」


 ヴェルダンディは心外そうにそう言うと、


「残酷な死の運命じゃ。他の子供達を戦地に送らせまいとして、自ら大森林に赴き罪もないハイエルフの誘拐に加担する。ヴィリーのことを快く思わない帝国重臣達の思惑で、愛弟子と同胞がかつてない苦しみを味わう。すべての元凶は、7年前スクルドの神降ろしを拒否したお前にあると教えてやったまでじゃ」

「……それが、一体…………どれだけサラ先生を苦しめたと思ってるの!」

「じゃからのう、その身体を妾に寄越せば全て解決してやろうと言ったのに、サラはそれを拒否した。するとじゃ、サラの持つ暗い感情に呼応して死と破壊の精霊が呼び出された。……アレはもはや呪いじゃな。スクルドはお前に妾が邪神と化すと言ったのだというが、そのような呪いをサラに仕込むあたり、奴もたいして変わらんの」


 サラの身体で、声で、女神ヴェルダンディが元の身体の持ち主をいかにして追い詰めたのかを語る。怒りに手を震わせるアリアのことなどお構いなしだ。

 ――叶うなら、今すぐにあの口を黙らせてサラの身体を取り返したい。

 だが、相手は天上神。神が実在するこの世界に於いて、彼等はヒエラルキーの最上位に位置する存在である。そもそも、アリアが敵う相手ではない。

 事実、アリアは人外の象徴である生命核を得たわけではないのだ。何をどう足掻いたところで、彼女は普通の人間という括りの中にいる。

 ……だというのに、只の精霊使いでしかなくなってしまったサラの身体を奪って、女神ヴェルダンディに何の得があるというのだろうか。精霊王と運よく契約を交わした”普通の人間”でしかない自分に、天上神フレイは何を期待しているのだろうか。


 ――そもそも、精霊王エントとは何者なのだろうか。

 

 天上神2柱を目の前にして、ひりつく様な緊張感の中、アリアの脳裏に精霊王エントと出会った時のことが浮かぶ。

 その日、アリアはいつもと同じように大森林を歩きながら、森に精霊力の乱れがないか調べていた。

 精霊力の乱れは強力な魔獣を生み出す。

 実際、大森林の北端、大蛇の尾根に近い場所では、精霊力の乱れ易い森林限界で発生した強力な魔獣達がうろついている。ゆっくりとではあるが、精霊力の歪みから次々と産まれる魔獣達は、それぞれに住処を得る為、常に縄張り争いを繰り返す。

 それが大森林北端で収まっているうちは何の問題もない。しかし、時々、縄張り争いに負けた個体や、気まぐれに狩りをしようとする個体が、エルフの街のある大森林中央部まで足を延ばしてくる時がある。

 魔獣は単体と言えど、獰猛で危険な生き物だ。エルフ達にとって脅威以外の何物でもない。だからこそ、早めにそう言った魔獣を見つけ、深刻な被害が出る前に王国衛兵隊は一丸となって魔獣を討伐する。

 そんな時、魔獣の存在を見つけ出すのが、アリア達精霊使いだ。

 魔獣はねぐらを作り、周囲の自然を荒らすことで精霊力を乱す。精霊使い達は魔獣を探索する為、主に探査魔法を用いて精霊力の乱れを見つけ出すのだ。

 しかし、大森林は広大である。王国衛兵隊が管理区域とするエルフの街周辺だけでもかなりの広さがあり、とてもではないが、王国衛兵隊だけで偶々紛れ込んでくる魔獣を見つけ出すのは容易な事ではない。

 そう言った事情を知って、アリアは王国衛兵隊の警邏を手伝うようになった。勿論そこには、限られた精霊使いの数で街を守る王国衛兵隊に協力したいという思い以外に、堂々と街の外へ出て大森林を歩き回りたいという下心もあった。

 だから、アリアが精霊王エントに出会ったのは、まったくの偶然だった。

 探査魔法で自身の魔力を蜘蛛の糸のように細く伸ばし、周囲の精霊力を調べていたアリアは大森林の奥に奇妙な違和感を感じた。精霊力の乱れとも違う、まったく異質な何か。例えるなら、魔力を持った大気が薄絹の様に幾重にも折り重なって一か所に集中しているような感じ。

 興味本位で近付いたその場所には、森の奥でひっそりと朽ちるのを待つ巨木があった。何となく触れてみると、その巨木は自らを精霊王エントだといい、アリアに契約しないかと持ち掛けてきた。

 アリアは、その巨木が遥か昔より、大森林のどこかで森全体を守護していると信じられてきた精霊王だと知って驚いたが、現在自分は預言者候補として修業中の身だからとそれを断った。

 いつか、預言者が自分ではなく妹のイーリスに決まり、自由気ままな精霊使いとして生きる日が来たら契約を交わしてほしいとアリアが伝えると、精霊王エントはそれを了承した。

 ……そして、その日は唐突に訪れた。

 アリアの魂がスクルドの魔力で満たされ、強制的に生命核へ変容しようとしたその瞬間、いつか感じた薄絹の様な魔力がアリアの魂を包みそれを阻んだのだ。

 結果、アリアは精霊王エントと契約するに至った。

 いままで自分たちが信じてきた天上神が、自分を使い捨ての駒にしようとした。まるで、その事実を証明するかのように。


『――エント。あなたに神を封じるその力があるなら、私に全部貸して』


 結局、アリアの中で答えは出なかった。

 フレイは精霊王エントを意志あるマナだと言ったが、それがどういったものかも正直理解できたわけではない。

 ただ、あの時大森林で感じた、大気に溶け込む薄絹の様な魔力。それがエントの本質なのだろうと、ぼんやり思い出しただけだ。何故それに意思があるのか、どうして自分に契約を持ち掛けてきたのか。そんなことはどうでもいい。

 天上神フレイが恐れるものを自分はもっているのだ。

 大丈夫。もし、ダメだったとしてもハンクがいる。これほどの魔力を放出するのだ。ハンクならば、それが自分だと絶対に気付いてくれるはずである。

 しかも、その場にフレイとヴェルダンディがいるのだ。彼ならば、きっと2柱とも倒してくれる。

 ……ただ、その時自分は彼の横に立っていられないかもしれない。

 でも、それでも。フレイやヴェルダンディに媚び諂うのは真っ平御免だ。


「ごめんなさい。やっぱり、あなた達には協力できないわ。だから…………さよなら」


 アリアは、自身に向かって薄絹の様な魔力を全力で集束させた。折り重なるように集まるそれは、アリアが持つもともとの魔力などあっという間に超えていく。僅かな時間で超高圧に集束した魔力が限界を超えると、そこに光る大樹が形成され始める。


「愚かな! ならば貴様の魂ごとレーヴァティン内部に取り込んで精霊王を我がものとするまで!  《エクスプロージョン・オクタ》」


 眩い魔力に包まれていくアリアに、激高したフレイが爆破魔法を放つ。8つの爆撃がアリアを包み、皇宮を激しく揺らす。僅かな時間の後、そこには跡形もなく吹き飛んで外の景色が丸見えになった謁見の間と、無傷のアリアがいた。


「神の魔力を拒絶するか……ならば、直接大地にその身を打ち付けるといい! 《イモータル・ケイジ!》」


 抜剣したフレイがレーヴァテインをアリアに向けると、魔力で作られた巨大な檻が出現した。魔力の檻は光る大樹となりつつあるアリアを丸ごと捕らえると、フレイの手の動きに合わせて宙に浮かび上がった。

 フレイはアリアを魔力の檻で捕縛したまま謁見の間の端まで歩いていくと、虚空に向かって一歩踏み出した。一歩、二歩と踏み出す度、フレイの身体と魔力の檻に捕らえられたアリアが、まるで階段を上る様に上昇していく。


「特別にレクチャーしてやろう、精霊王の巫女よ。精霊とは全てマナを根源としている。マナとは世界に満ちる魔力の事だ。すべての神々の中で、唯一アルタナだけが自由に使えるそれは、無限の魔力の源なのだ。それに比べて、我らは内なる魔力オドしか使えない。自らの存在と魂の強さに比例するそれは、マナに比べて圧倒的に出力が弱い」


 気付けばフレイとアリアの眼下に見える皇宮は米粒大の大きさになっていた。周囲に見える山々を遥かに超える高度に達したせいか、冷たい風が吹き荒れる。いつしか光る大樹の形成が止まり、だんだんと小さくなり始めている。


「しかし、マナにも弱点はある。世界を形作るものから遠く離れてしまえば、それは途端に弱まってしまうということだ」


 フレイの言葉が終ると同時に、音も無く光る大樹が消失した。魔力で出来た檻の中で、1人取り残されたアリアが精霊王の名前を呼ぶ。


「言っただろう。これだけ大地から離れてしまえば、いかにエントと言えどその姿を保持することは出来ぬ。さて、精霊王の巫女――アリアと言ったか。お前が大地に打ち付けられて絶命したその瞬間、その魂もろとも精霊王を私の神器に吸収させるとしよう。忌々しきアルタナと、あの生意気な守護者はその次だ」


 刹那、アリアを空中で捕らえていた檻が掻き消える。

 その下に、アリアを受けとめるものは何も無く、重力に絡めとられた彼女の身体は、重力加速度に従って高速で落下を始めた。


「――ククッ、ハーッハッハッハッ! お前の妹が神降ろしをして私の前に現れたら、魂が消失する前にレーヴァテインに吸収してやるとしよう。姉妹で天上神フレイの力となるのだ。これ以上の栄誉はあるまい!」


 フレイはその顔を邪悪な笑顔で歪めてから、アリアの魂を捕らえるべく、ゆっくりと降下を開始した。


 ――その手に、午後の陽光を反射して禍々しく光る、神器レーヴァテインを握りしめて。

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