第69話 取引と契約、再会 ②

「我ら? 私が取引をしたのは天上神ノルンよ。天上神フレイ、あなたは関係ないわ」


 笑みを浮かべたフレイが、こちらへ向かって一歩二歩と接近してくる。その姿にアリアが形の良い眉を嫌悪感で歪ませると、すぐ後ろにいたベルナードが呻くように口を開いた。


「現在を司る女神ヴェルダンディ……天上神ノルンがそこにいる? どういうことだ? それに、アリアと言ったか。精霊王を制御し、神と取引を行ったお前はエルフ族の依代――預言者なのか?」

「違うわ。私は預言候補としてサラ先生に育てられただけ。預言者は別にいる。……精霊王エントと契約を交わしたのも、そうせざるを得なかっただけよ」


 アリアは後方で呆然とするベルナードに軽く視線を送ってから、その顔に複雑な表情を浮かべた。そして、再び視線を謁見の間の中ほどまで進み出たフレイに戻す。すると、フレイはその手を腰に佩いた長剣――神器レーヴァテインへと伸ばして、すらりと引き抜いた。 


「懐かしい顔に再会させてやろう。話はそれからだ」


 フレイは自身の右側に、大きく半円を描くようにしてにレーヴァテインを動かした。

 レーヴァテインの動きに合わせて、何もないはずの空間がぐにゃりと揺らめき、それが収まると同時に一人の女性が姿を現す。

 白を基調とした長衣を纏ったその女性が、ゆっくりと顔を持ち上げる。彼女は顔にかかった栗色の髪を左手で背中に流すと、アリアに向けた琥珀色の瞳を僅かに細めた。

 ――瞬間、アリアは息を飲み、言葉を失った。

 長く伸びた明るい栗色の髪を、ゆったりと後ろで束ねた妙齢のエルフの女性。彼女と再会するのは、最後に大森林で別れて以来、実に7年振りである。


「――サラ先生っ!」

「……残念じゃが妾はサラではない。そなたらエルフの主、天上神ノルンの次女ヴェルダンディじゃ。先程、自分でそう言ったであろう?」


 思わずかつて師であったハイエルフの名を呼ぶアリアに、ヴェルダンディが挑発的な仕草で言葉を返した。


「許せない……死と破壊の精霊を使ってサラ先生を殺した上に、その身体を勝手に弄ぶなんて……」

「勘違いしてもらっては困るな。アレはサラが呼んだのじゃぞ? まあ、素直に身体を明け渡さないサラに、魔力暴走と精神崩壊を起こさせたのは妾じゃがな」

「――っ!」


 変わらぬ口調で喋るヴェルダンディに、アリアが怒りのあまり絶句する。その様子に、フレイがククッと喉を鳴らして嗤いを漏らした。


「お前の師には感謝しなければならないな。神剣の間で滅びを待つばかりだった私に、最高の依代と配下を連れてきてくれたのだからな」

「御意に御座います、フレイ様。妹スクルドの未来予知の通り、サラの身体との繋がりを絶たずに待って正解でございました。フレイ様復活の折りに激しく損傷したこの肉体も、レーヴァティン内部にて生命核の生成を行ったおかげで、妾が扱うに十分な依代となりました」


 フレイは満足そうに頷いた後、アリアをその視界に捉えて、


「これで解っただろう? お前がノルンの末妹と行った取引は、ノルンの主でもある私と行ったに等しいということだ。我らにとって邪神と言うべきアルタナを封印するためには、私とヴェルダンディの協力があれば容易い。だからこそ、お前は賓客なのだ」


 無言のアリアに自身の重要性を伝えると、フレイはベルナードに視線を向けた。


「……ところでベルナードよ。先程地下で、ドワーフ王ザカリアと反逆者ヴェロニカを処分した。2人は神剣の間を探して地下施設にいたようだ。愚かにも、奴らはヴィリーの魂を取り返そうと必死であった。ただ、興味深いことに、ヴェロニカは私がヴェルダンディの助力を得ていたことに気が付いたようだ。まあ、それを知ったところで、奴らには何も出来なかったがな」

「なっ! フレイ様! ザカリアとヴェロニカの2人を殺したと仰られるのですか!?」

「そうだ。だが、そんな事よりも、私の言いつけを忘れた訳ではあるまいな? 私はあの二人を客間に留めておけと命じたはずだぞ。この、役立たずめが!」


 フレイは、ベルナードがほんの僅かに気色ばんだのを見逃しはしなかった。不機嫌そうに口を開くと、目に見えない重圧を強めてベルナードに叩き付ける。刹那、苦し気な声を漏らしてベルナードが床の上に倒れこんだ。

 思わずアリアがベルナードに駆け寄ってしゃがみ込んだ。


「……気を失ってる。あなたの眷属でしょ?」

「これは無能な眷属に対する当然の罰だ。心配せずとも、殺しはしない」


 ベルナードのことなど意にも介さずといった様子で、フレイは「もう一つ、いいことを教えてやろう」と口角を吊り上げた。


「地下にお前の仲間達がいたぞ。あの男の気配はなかったが、2人で神剣の間内部に隠れていた。1人はあの時フェンリルの魔王を庇った反逆者だ。今頃、もう一人の反逆者の処分を任せたイザークが、その2人も処分しておるだろう」

「……悪趣味ね。通りで聖女に見限られるはずだわ」


 眉根に大きく皺を寄せたアリアが、ものの数歩の距離まで近寄ったフレイを見上げた。その隣には、ヴェルダンディの姿も見える。

 アリアは余裕の表情でこちらを見下ろすフレイ達に顔全体で嫌悪感を示しながらも、その言葉に内心でほんの少し胸を撫で下ろす。

 フレイが言ったのはきっと、シゼルとエルザの事だ。別々に飛ばされていたらと思うと心配でならなかったが、どうやら2人は一緒だったようである。

 とは言え、安心は出来ない。箱庭で一緒にいたはずのラーナがどこに飛ばされたのかも分からないし、フレイと共に地下に降りた帝国騎士10名の動向も不明だ。いくらシゼルと言えど、イザークと帝国騎士10人を纏めて相手にするのは無理だろう。それに、神剣の間がどんな場所なのかも不明である。

 だが、無理に戦わずとも、脱出する事なら可能かもしれない。もしくは、室内に立てこもって時間さえ稼げばラーナの助けが間に合うかもしれない。

 たとえそれが僅かな希望でしかなかったとしても、今はそれにすがりたいと思う。そうでなければ、この絶望的状況下にいる自分には、何の希望も無くなってしまうから。


 ……でも、本当は違う。


 自分だって助けてほしい。天上神ノルンとの取引から解放されたい。

 なによりも、今、目の前でこちらを見下ろす天上神フレイ達を追い払ってほしい。

 しかめっ面で恐怖心を隠し、フレイを睨みつけて虚勢を張ってはいるが、それにだって限界と言うものがある。なにせ相手は神なのだ。戯れで人を殺すなど造作も無い。

 その所為か、気が付いてみればハンクが助けに来てくれることを願っている自分がいる。他力本願だと言われようが、こればかりはどうしようない。

 それが本当の気持ちなのだから……


「そう怖い顔をするでない。フレイ様はアリアを殺すためにここへ呼んだ訳ではないのじゃ。7年前の取引を覚えておるじゃろう? あの時、契約を交わした精霊王の力を妾達に貸してくれぬか? あの日、アリアがスクルドと交わした取引を――


 ゆっくりとした動作でフレイの脇から進み出て、優しい口調で語りかけるヴェルダンディの言葉は、アリアにサラがエルフの街からいなくなった日のことを否が応でも思い出させる。しかも、その姿がサラのものであるだけに、記憶はますます鮮明さを纏って押し寄せる。


『最後に見た予言よ、アリア。どうしてかは分からないけれど、いずれ私はヴィリーを殺してしまう。その所為で、ヴィリーが世界を脅かす存在になった時、あなたと、あなたの”守護者”が私達を殺すわ。だから、お願い。私を許さないで』


 ――そんな言葉、聞きたくなんてなかった。そんな言葉、サラ先生に言わせないでほしかった。


 すべての発端は7年前のあの日、いつか邪神の器となるヴィリーを殺せというスクルドの神命にサラが背き、神降ろしを拒否したことにある。

 ……それはそうだろう。いくら神の命令だからといって、愛する男をその手に掛けることなど、サラに出来る訳がない。

 当然、サラはそれをヴィリーに打ち明けた。自らの立場も顧みず。

 すぐさまサラの離反に気が付いた天上神ノルンの末妹スクルドは、ヴィリーを討つべく、サラの身体へ強制的に神降ろしを開始した。

 だが、”守護者”であり、サラの伴侶でもあるヴィリーがそれを黙って見ていることは無かった。ヴィリーはサラを魔力で描いた特殊な魔法陣の中で保護すると、天上神ノルンと対話を試みた。

 しかし、未来を司る女神スクルドが持つ未来予知は絶対である。端から話し合うつもりなど毛頭無いスクルドは、偶々その現場に居合わせた預言者候補のアリアに目を付けた。

 ――依代の強制交代と、神降ろし。

 危険の芽を摘み取る為、女神スクルドはその場で瞬時に判断を下した。もちろん、アリアにそれを拒否出来る術など無い。

 そんな時、、そのまま犠牲となるはずだった彼女を救ったのは、精霊王エントだった。

 エルフの街に於いて、預言者とは神の依代であると同時に、優秀な精霊使いでもある。既に精霊使いとしてエントに認められるまでに至っていたアリアは、精霊王からの契約の誘いを、いつか預言者になるかもしれないからと保留にしていたほどだったのだ。

 結果として、天上神ノルンの末妹スクルドの襲撃は失敗に終わり、サラとヴィリーは大森林を去った。そのすぐ後、一人その場に残されたアリアは、スクルドより預言者がサラからイーリスへ交代したことを伝えられ、取引を持ち掛けられた。

 その内容はアリアが絶対に飲まざるを得ない内容で、お世辞にも取引と言えたものではなかった。なぜなら――


「……何も知らないくせに勝手な事ばかり言わないで。あの時、サラ先生と一緒にいなくなったなら、私が貴女の妹と行った取引の内容なんて、正確に知らないでしょう?」


 理不尽な神と、それを拒否できない自分の弱さへの怒り。ドス黒い炎が、ゆらりと立ち上がったアリアの心を灼く。


「折角だから、教えてあげるわ。スクルドの未来予知で邪神と化すのはフレイだけじゃない。……ヴェルダンディ、貴女もよ。口外を禁止されてるけど、既にそうなってるんだから、もう、その必要もないわ」


 アリアがフレイとヴェルダンディを睨む様に見据えた。


「私がしたスクルドとの取引はね、邪神と化したあなた達を、意志あるマナの塊である精霊王エントの力で、それぞれの生命核に封印する事。もし、私がそれに失敗すれば、イーリスが……私の妹がスクルドによって強制的に神降ろしをされるわ。……だから、分かったでしょう? 何をどう都合よく解釈してるのか知らないけど、私があなた達に協力する事なんてありえないわ!」

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