第65話 魔女の資質
死と破壊の精霊をその身に取り込んだエルマが霞の様に消えて、箱庭に向かった4人が沈痛な空気に沈む中、突如、床一面に出現した魔法陣が強烈な光を放ち、石造りの室内を強烈な光で満たした。
足もとの魔法陣と、それが放つ強烈な光に既視感を覚えたエルザの脳裏に、コルナフースへと続く山道で、リンと共に転移の魔法陣に飲み込まれた記憶がフラッシュバックする。
――これは、あの時と一緒の光……
コルナフースでの出来事が、つい昨日の様に蘇ってエルザの胸を締め付ける。気が付けば、エルザは腰のベルトに固定したポーチに手を伸ばしていた。
……大丈夫。一緒にいる。
革製のポーチ越しに感じる四角く硬い感触に、ほっと胸を撫で下ろしたその刹那、唐突に視界を埋め尽くす強烈な光が消えた。ゆっくりとエルザの目に視界が戻っていく。
ほどなくして、完全に視界を取り戻したエルザの目に映ったものは、先ほどまでいた”箱庭”の中ではなく、見知らぬ大きな広間だった。
「ここは……」
「神剣の間。かつて神器レーヴァテインが安置されていた場所だ」
思わず零れた言葉に、女性の声で答えが返る。エルザは、神器レーヴァテイン……と口の中で小さく反復しながら声のする方へと体を向けた。
漆黒のバトルドレスを纏った黒目黒髪の少女が、悠然とエルザの方へと歩いて近づいてくるのが目に入る。その少女は、そのままエルザの隣まで来て立ち止まり、すっと広間の中心に視線を向けた。
「700年前、我はヴィリーを依代として選んだ。当時、地上は天上神と冥界神の後先考えぬ争いのお蔭で崩壊寸前だった。天上神の長フレイ。冥界神の長ロキ。どちらも、終末を越えてこの世界を手にするのだと息巻いておったよ」
「神代戦争と守護者の伝説……御伽噺に聞いた通りだな」
遅れて近づいてきたシゼルの声が、エルザの後方から聞こえた。
「貴様らヒューマンにとって御伽噺でも、我にとっては単なる思い出話にすぎん」
「アルタナ様……」
見上げるエルザに、ふっと優しく微笑んでから、アルタナは広間の中心に向かって歩き出した。広間の中心部は段が設けられて少し高くなっており、アルタナはそこまで進んでから、エルザとシゼルの方へ振り返って真顔で口を開いた。
「そして、我は言葉こそ違えど、ハンクと同じことをヴィリーに命じた。……間引いてこい。とな」
「「――っ!」」
息を飲んだシゼルとエルザが顔を見合わせる。しばらく呆然とした後、エルザはもう一人の同行者の姿を探して周囲を見渡した。
「アリアさんがいない……」
「そのようだな。だが、すぐに危険が及ぶ様なことはないだろう。まぁ、下手に相手を煽ったりしなければ、の話だが」
「えっと……それはアリアさんがどこに連れて行かれたか、心当たりがあると言う事でしょうか?」
「当然だ。今頃は謁見の間で居並ぶ重臣達に傅かれているであろうよ」
どうして? と続けようとしたエルザを、アルタナは視線で制する。
「だが、今はそれよりも大事なことがある。……エルザよ、精霊王が放つ魔力の波動。お前にはどう感じた?」
「……それは……なんと表現したらいいのでしょうか……」
エルザは自らの右腕に左手で触れながら、考え込む様にそこへ視線を落とした。
箱庭でアリアが精霊王エントを呼んだ際、室内すべてを優しく包み込んだ光。元司祭であったエルザには、それが死と破壊の精霊を取り込んだエルマを浄化したのだということが、何となく直感で理解できた。
それは、神聖魔法フューネラルでアンデッドを浄化するのとは違った、まったく別の優しい光だった。
アンデッドたちを強制的に分解し天界へと送るのがフューネラルであれば、精霊達の力は世界そのものを循環する巨大な自然の巡りへと”魂”そのものを還したのだ、と思う。
”魔力の波動”とアルタナは簡単に言うが、生命核を持たないエルザにとって、それは実体のない霞のようなものとしか判らない。大気中に漂う柔らかな綿のようなそれらは、波動と言うよりはむしろ魔力そのものとでも言えばいいのだろうか。
そうであると認識し、集中することでやっとそれと解る未知の魔法エネルギー。精霊王の持つ力とはそんなものだと感じる。
思ったままを口にしてみるといいと言うアルタナに、エルザは考えたことをそのまま伝えた。思わず「正直、自信ないです」と零してアルタナを見上げれば、そこには目を見開く創造神の姿があった。
「……死を垣間見たからこそ解る、と言うことか。合格だ。それこそが、世界そのものに宿り循環する魔力。名をマナという」
「マナ……ですか」
「そうだ。そして、それこそが神聖魔法を失ったお前が新たに得る力の名前だ。極めることで生命核を持つ者たちと対等に渡り合える、唯一無二の方法でもある」
アルタナが、破顔した顔をエルザに向ける。普段見ることのないその表情に、エルザは照れ笑いを返した。
「なんだか、精霊魔法みたいですね」
「そうだな。自然現象として具現化したマナを精霊と定義するのであれば、元は同じものだ。先ほど見た精霊王エントとは、意志を持った超高密度のマナが樹木の形を取っているにすぎん。だから、精霊の力の薄い場所だろうと何だろうと、マナさえあればああして呼び出せるのだ。精霊魔法は精霊語に言霊を埋め込むことで、自身の魔力と精霊を結びつけマナに介入している。もちろん、意志あるマナの塊、つまり精霊王に認められ契約する必要はあるがな。……とはいえ、これからお前が扱う魔法にそんなものは必要ない。なんなら、自身の魔力さえほとんどいらん」
アルタナの言葉を聞き漏らすまいと、エルザが真剣な表情で頷き返す。隣に立つシゼルは、腕を組んで渋面を作った。
「大事なのは、マナを常に認識し同化する事。イメージに従って、なるべく広範囲からマナを集めることで、それは魔法として具現化するだろう。自身の魂を魔力の発生源にしている今までと比べて、出力は桁違いだ。自らの心に従い、必要だと思ったことに使うといいだろう」
世界そのものに宿る魔力、マナ。正直なところ、エルザには話の規模が大きすぎて、そのすごさがいまいちピンとこない。
それでも、精霊王エントが顕現したと同時に感じた、あの優しい魔力を思い出してエルザはゆっくりとマナを集めた。
――すごい。軽く引っ張っただけなのに、今までの私の魔力総量を超えてる……
引っ張れば引っ張っただけ、無限に集まる薄布のようなマナを感じながら、あることに気が付いてエルザの動きが止まった。
……言葉も無しに具現化って、どうすればいいんだろう?
少し考えてみるが、いい方法が浮かばない。このままではせっかく集めたマナが無駄になってしまうだろう。もし、そうなってしまえば、アルタナとアリアの期待を裏切ってしまうような気がして、エルザの心の隅に僅かな焦燥感が顔を覗かせる。
どうすれば……と思ったその時、エルザの脳裏に「精霊魔法は精霊語に言霊を埋め込むことで、自身の魔力と精霊を結びつけマナに介入している」というアルタナの言葉が蘇った。
これだ! と思えば、エルザの胸から焦燥は消え、替わってそこには一つの言葉が浮かんだ。
「《ルミナス》」
瞬間、大人の腕で一抱えもある巨大な光源がエルザの頭上に浮かび上がり、薄暗い広間全体を真昼の様に照らした。ありえないほど大きなその光球を前に、エルザの表情が固まる。
本来であれば、ルミナスは自身の周囲2、3メートルを淡く照らすだけの魔法であり、作成される光球も握り拳ほどの大きさでしかない。その分、消費魔力も少なく扱い易い魔法であるため、洞窟探索から日常生活まで、幅広く使用されている。
だというのに、目の前で浮かぶ光球はその限度を遥かに超えていた。使用された魔力は、エルザの魔力総量の数倍。日常生活であれば眩し過ぎて使えないし、洞窟探索であれば魔物の的になること請け合いである。
「は、初めてだから加減が分からなくて……」
「これは……使い道が限られそうだな」
光を手で遮りながら真面目に答えるシゼルに、エルザが引き攣り笑いを返す。そんな二人を見て、アルタナが満足そうに笑みを浮かべた。
「エルザよ。我と共に来い。我が眷属となれ。お前は今、真の意味で”魔女”の入り口に立ったのだ」
途端、エルザの脳裏にコルナフース城の地下牢での記憶がフラッシュバックする。
アルタナに勧誘され、それに応じるリンとただの一瞥で崩れ落ちそうになった自分。あの時、なにも出来ずに守ってもらうだけだった自分が、今はアルタナから共に来いとまで言われるまでになった。
とても誇らしいと思うのと同時に、もっと早くこの力が手に入りさえすればリンをあんな目に合わせることもなかったのに、と言う自責の念が浮かぶ。
でも、リンは未だ消えてしまったわけではない。アルタナの力によって、漆黒の立方体となった神器と共に腰のポーチの中にいる。
ゆっくりとそこに目を落とせば、リンにまた会いたい、一緒に笑って旅をしたい、そんな思いがエルザの胸一杯に溢れた。
――魔王と魔女なら、私が貴女の隣にいたって誰に咎められることもないよね。
”魔女”とは、ミズガルズ聖教会の間で、反逆者の女司祭を指す隠語である。
……これ以上自分に打って付けの呼び名も無いだろう。
だとしたら、答えなんて最初から決まっている。もとより他に道など無い。
「”魔女”……ですか……。魔王であるリンが、悪さをしない様に監視する役目の私にはピッタリですね」
エルザはアルタナへ向かって、はにかむ様に微笑み返して居住まいを正す。そのまま、ゆっくりと一つ深呼吸をしてから片膝をつき、アルタナの前に首を垂れた。
「私、エルザ=ドレッセルはこれより創造神アルタナ様の”魔女”となることを約束いたします」
「安心すると言い。その力は我に歯向かったとて消えはしない。あくまで、お前個人の力なのだからな。……なにより、あの粗忽物がまたせっかちを起こさぬ様にしっかり見ていてやるといい」
思わぬアルタナの言葉に、エルザの目から一筋の涙が零れた。
ついに、聖女ヴェロニカの妹エルザとしてでは無く、一人の人間として誰かに認められる日が来たのだと実感する。
正直、長年信仰した天上神を裏切って神聖魔法を失った自分は、死ぬまで陰日向を隠れるように生きていくものだとばかり考えていた。
実際、帝都フレイベルクに来てからと言うもの、ミズガルズ聖教会関係者に会うのが怖くて、薬屋から1歩も外に出ない生活が続いている。
ハンク達の話によれば、コルナフース城から助け出された後、イザークを帝国軍野営地の司祭エリックに託した際、エルザは死んだと伝えたと聞いた。
だが、自分の命を助けたのは姉の聖女ヴェロニカに他ならず、しかも、その主である天上神フレイには直接神聖魔法を奪われている。
……本当は自分が生きているということなど、すぐにバレるだろう。それどころか、今頃バスティア海周辺国中の教会に、自身の手配書がまわっていたとしても何の不思議もないのだ。
ミズガルズ聖教会において、神殿騎士は反逆者を見つけ次第抹殺するように教えられている。だとしたら、イザークをはじめとする神殿騎士達にあったら最後、戦う術を持たない自分に助かる道は無い。
……そうは言いつつも、エルザはつい先ほどまで、イザークになら殺されても仕方ないと、なかば本気で思っていた。
なにせ、天上神を裏切り反逆者となった挙句、死んだと偽って姿を消したのである。
しかも、魔王であるリンを友達といい、その魔王を守るために天上神フレイに歯向かったのだ。命を懸けて司祭を守護するのが役目のイザークにとって、これ以上の裏切りも無い。
ならば、神殿騎士の規律など関係なく、イザークにとってエルザは憎悪を向けられるに値する、唾棄すべき醜悪な存在だ。
罵声を浴びせられた挙句、楽には死なせてもらえない。エルザにはその覚悟もあった。
――でも、これからは違う。都合のいい自己正当化だと言われようと、生きなければならない。自責の念に駆られて、簡単に命を差し出すわけにはいかない。
「……イザークさん、みんな。ごめんなさい。許して、なんて都合のいいことは言いません。…………さよなら」
エルザは司祭として長年使いこんだ短杖を、固定用のベルトごと外して足もとにそっと置いた。そして、アルタナとシゼルの顔を順番に眺めてから、
「……お待たせしました。これで私もシゼルさんと同じく勘当の身ですね」
と、再びはにかむような笑顔を浮かべた。そんなエルザにシゼルもニッと笑みを返す。
「命を狙われてるだけ厄介な気もするが……まぁ、似たようなものだな。だが、人間相手なら俺に任せろ。どこかでばったりイザークに遭ったとしても、オレがエルザを守ろう」
「期待、してますよ。シゼルさん」
笑い合う2人を視界に納めながら、アルタナがその口角を意地悪く吊り上げ「その言葉、よく覚えておこう」と言った後、すっと踵を返した。
「行くぞ。我が”魔女”とその下僕よ。……その笑顔、無くさぬようにな」
それだけ言うと、広間の出口へ向かってゆっくりと歩き始めたのだった。
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