第64話 持つ者と持たざる者

 大通りに沿って密集するように建築された民家の上を走り、人気の疎らな通りを飛び越えて、ハンクとエステルは帝都フレイベルクの中心にある皇宮を目指して移動した。通常であれば悪目立ちして然るべきはずの2人の姿は、隠密魔法 《ミラージュ・タイド》によって作られた魔力のうねりに覆い隠されて、誰の目にも触れることは無かった。

 途中、上級平民街と貴族街を隔てる第2防壁が2人の行く手を遮った。本来であれば、城門を守る衛兵に身分証を提示し、通行の許可を取る以外に第2防壁を通過する手段は無い。

 だが、今のハンクにそんなことを悠長にやっている暇はない。なにせ、皇宮に向かったザカリアとヴェロニカの身に緊急事態が発生しているのだ。

 ……であれば、取るべき行動は一つ。

 エステルを片手で抱えたまま走るハンクは、第2防壁前の広場で検問の順番待ちをしている馬車の一つに狙いを定めた。


「舌噛まない様に、しっかり口閉じてろよ」


 ハンクは早口でそれだけ言うと、エステルの返事も待たず、走る勢いそのままに馬車を踏み台にして高く飛び上がった。急峻な放物線を描いて上昇するハンクの視界の隅で、突然馬車を襲った衝撃に驚いた2頭の馬が嘶きを上げ、御者がそれを必死で宥める姿が映った。

 ハンクは心の中で見知らぬ御者に一言詫びてから、着地点と定めた第2防壁の上部にある通路に視線を這わせた。衛兵たちは、突然嘶きを上げた馬の様子を見ようと通路の前方に集まっており、そこにはハンクが着地するだけの十分なスペースが出来ていた。

 思わぬアシストに、ハンクが「ナイス馬!」と快哉を叫ぶ。

 しかし、それも束の間。

 エステルを抱いたハンクの身体が、第2防壁上の通路に高速で接近する。当然のことながら、このまま着地すればその衝撃はかなりのものとなるだろう。

 音や姿を完璧に消し去る隠密魔法 《ミラージュ・タイド》といえど、着地の衝撃だけは誤魔化すことが出来ないのだ。

 その為、ハンクはすぐさま着地の態勢に入り、通路に足底が触れた瞬間、下半身全体をバネの様に使って衝撃を和らげた。

 ちらりと後ろに視線を向ければ、未だ衛兵たちは第2防壁前の広場で嘶く馬を笑いながら眺めており、ハンクが着地した僅かな衝撃に気付く者は誰もいなかった。

 まさに、馬様様である。

 今も城壁の下で嘶く馬達に感謝の念を送りながら、ハンクはエステルを抱えたまま第2防壁を飛び降りてその内側――貴族街へと侵入した。

 前方へと目を向ければ、ハンクの立つ地面は石畳で舗装されており、馬車が数台並んで通行できるほどの大きな通りは真っ直ぐ皇宮へと延びていた。

 不意に、エステルがもぞりと動き、ハンクの腕の中から抜け出て石畳の上に降りた。


「お兄ちゃん。もう落ち着いたから、わたし自分で走るよ」

「大丈夫なのか?」

「もちろん! 移動しながらも少し話したけど、ダインスレイフは人工の生命核みたいなものだから。足手まといになんかならないよ」


 にっと笑顔を見せるエステルを見ながら、ハンクは喉元まで出掛かった「無理するなよ」という言葉を無理矢理飲み込んだ。


「……ったく、説明なんてしなくていいって言ったろ」

「へへ……でも、お陰でチョット楽になったよ」


 封印が解かれたままの神器ダインスレイフが指し示す、謎の緊急事態。ザカリアとヴェロニカの安否が分からないこの状態で、そもそも大丈夫もなにもあったものではない。

(無理してるに決まってるよな……って、今はそんな事グダグダ気にしてる場合じゃないか)

 ハンクは嘆息を漏らしてから、目の前に立つツインテールの少女を視界に収めた。


 小麦色に近い褐色の肌に、明るい茶色の髪。ドワーフに一般的とされる2つの容姿を併せ持つ彼女は、自らの体内にその証を持つ、真なるドワーフの王だ。

 その証こそが神器ダインスレイフであり、1000年続く戦乱の時代、ドワーフによって造られた数多の人造神器のうちの一つである。

 かつて魔剣の名を冠したそれは、一度解放されれば、周囲に存在するすべての生命体を駆逐するまで動きを止めない決戦兵器であった。

 だが、いつのころからか神器ダインスレイフは、その姿を剣から生命核に変じた。勇敢なる王が神器ダインスレイフの凶暴性を取り除こうとして失敗したとも、狂王が自らを神格化するために行った呪いの産物とも伝わるその真実は謎に包まれている。

 ただ一つ確かなことは、生命核となった神器ダインスレイフのお蔭で、主神を持たないドワーフ達が今日までその種を存続することが出来たと言う事実があるのみだ。

 冥界の入り口と名高いエルダー山の麓で都市国家プエルタムエルタを形成するドワーフ達にとって、滅亡の危機は常にすぐ傍にあった。絶体絶命の窮地を、神器を解放した国王が単身で打ち破り、その命を散らしたことは片手ではきかない。

 だからこその”秘密兵器”であり、不用意な乱用の防止を目的とした承認による起動が、そのプロセスに組み込まれているは道理といえた。


「伯父さんが殺された後、突然わたしの身体にダインスレイフが出現したの。でも、お父さんはわたしが不安がってるのを見て、自分が継承者だって言って身代わりになってくれてるんだ」


 神器ダインスレイフについて語った後、父親であるザカリアがドワーフ王を名乗る理由を、エステルは身代わりだと締めくくった。

 でも、それは違うとハンクは思った。きっと、ザカリア自身だってそう思ってなどいないだろう。

 ……ザカリアの事だ、不安に震える娘の為に周囲を偽って王を名乗ることくらい、何の躊躇いもなかったに違いない。

 それに、彼はミスリルタグを持つ、元特級冒険者である。普通に暮らすドワーフからしてみれば、十分、人外の領域に棲む鬼神に等しいのだ。


「急ごう。ザカリアだけに何かあったとは考えづらい。ヴェロニカにも何か起きてるかもしれ――


 ハンクは、石畳の上に立ってこちらを見上げるエステルにそう言いかけて言葉を飲み込んだ。

 東の方角。唐突に大きな精霊力が膨れ上がると同時に、巨大な光る大樹がハンクの目に映る。

 コルナフースで見た時と同じく、光の精霊達によって形どられたそれは、精霊王の力の具現。当然、そこにあるのはアリアの気配だ。同時にシゼルとエルザ、何となく雰囲気が違うがアルタナの気配も感じる。


 ――ダメだろ! 何やってんだアリアのやつ!」


 ハンクが思わずそう口にした瞬間、皇宮に強力な魔力の気配が立ち上った。

 ……最悪の事態だ。

 ハンクの心臓が早鐘の様に拍動し、送り出された血液がガンガンと脳髄を突き上げて警鐘を鳴らす。

 一呼吸の後、アリア達の気配は一斉に貴族街の東方面から帝都フレイベルクの中心へと移動した。

 青ざめた表情のハンクに向かって、エステルが恐る恐る口を開く。


「どう……したの、お兄ちゃん? 何があったの?」

「アリア達の居場所がバレた。……いや、あれじゃあこっちから教えたようなもんだ」

「え? それじゃあ、薬屋のお姉ちゃんたちは……? 大丈夫なの?」


 そんなの、こっちが聞きたいくらいだ。正直、どうしてアリアがあんな街中で精霊王を呼んだのか、訳が分からない。何か事情があったのかもしれないが、それにしたって軽率過ぎる。

 ……あの場所でいったい何があったというのだろうか。

 なにより、薬屋にいたはずの4人が、どうして貴族街にいたのも不可解だ。仮に、自分がザカリアとヴェロニカと一緒にいる情報を掴んでのことだったとしても、アリア達が情報の裏も取らずに動き出すとは考えにくい。

 第一、薬屋にはアルタナも一緒にいたはずである。あの神の事だから、もし自分が誘拐されたと解っても、平気で「放っておけ」などと言いかねないだろうが、その分こちらとしては動きやすいはずだ。

 だと言うのに、そこにはアルタナの気配も含まれていた。

 正直、なにがなんだか分からない。しかし、だからと言ってここで手をこまねいていても何の解決にもならないだろう。

 ……ならば、前に進より他に道はない。

 すべての答えは、帝都フレイベルクの中心に集束を始めたのだから。


「行こう、エステル。俺も皇宮へ行かなきゃならなくなった」

「うん」


 決意の眼差しで帝都フレイベルクの中心を見つめるハンクに、エステルも神妙な面持ちで頷く。


「――隠れんぼはお終いだ。急ぐぞ」


 隠密魔法 《ミラージュ・タイド》によって作られた魔力のうねりによって周囲の景色が僅かに歪む中、ハンクとエステルは全速力で帝都フレイベルクの中心にある皇宮へと進路を取った。



 ヴェロニカがゆっくりと目を開いた時、そこには2メートルを超す大男がこちらに背を向けて立っていた。

 大男は「がふっ!」とくぐもった声を出してから、足元の床へゆっくりと横向きに倒れた。ドスンとやたら大きな音が響いて、ヴェロニカの前方の視界が開ける。

 鋭く風を切る音が響いて、白髪の青年が剣についた血液を払い落とす。周囲に向けて振り払われた血液が、ヴェロニカの神官服と頬を汚した。


「逃げろ……ヴェル。アイツの、ハンクの所まで……早く……」


 息も絶え絶えな大男――ザカリアの声が、ヴェロニカの足元から聞こえた。ゆっくりと声のする方を見れば、そこにはヴェロニカの足元まで広がる血の海と、その中心に横たわるザカリアの姿が見えた。


「天上神よ、慈悲深きその御心にて彼を癒し給え。《ヒール!》」


 半ば反射的に祈りの言葉を唱え、ありったけの魔力で回復魔法を発動させる。

 相当な血液が失われてしまったが、まだ大丈夫だ。エルザの時だって間に合った。今だって……

 だが、ヴェロニカの祈りが天上神に届くことは無かった。


「嘘……。お願い! 発動して! 死なないでザック!」


 ザカリアの傷口に押し当てた両手と床に突いた両膝が、血液で真っ赤に染まるのも構わず、2度3度とヴェロニカは祈りの言葉を繰り返した。

 だが、回復魔法は微塵も発動しない。その間にもザカリアの顔からはみるみる生気が失われていき、顔色は青から土気色へと変化していく。

 気付けば、ヴェロニカのプラチナブロンドの髪も、血液に塗れて真っ赤に汚れていた。


「エス、テルに謝って……おいてくれ。約束、破ってごめんな。承認は……外した。心のままに、つよく、生きろと…………」

「ふざけないでよ! そんなの自分で言いなさいよザック! あんたの娘でしょう!?」

「悪い、な……ヴェル。何の、助けにもならず……」

「――っ! ザァーック!」


 そして、ザカリアの瞳から光が失われた。

 完全に力の抜けた巨躯が、血だまりの中央へと沈み込む。ヴェロニカは絶叫するようにザカリアの名前を呼んでから、ありったけの憎しみを込めた目で正面に立つ白髪の青年――天上神フレイを睨んだ。


「許さない……ヴィリー様も、イレーネも、ザックも。全部貴女が奪った。この身が魔女に堕ちたとしても、貴女を地獄の業火で焼き尽くしてやるわ!」

「フフ……あの人とずっと一緒に居られるのなら、他には何もいらないの。さようなら、ヴェル。いえ、我が”聖女”」


 最早すべての疑念は確信に変わった。何故? などとはもう言う必要もない。なんでもいい。誰でもいい。私に力を。神をも滅ぼす、神威の力を。それが叶うのならば、なんだって持っていくといい。肉体も、魂も全て。


 天上神フレイが神器レーヴァテインを鞘に納めて踵を返す。ゆっくりと遠ざかるその脇から、一人の騎士がヴェロニカの方へ向かって進み出て長剣を抜き放った。


「神聖魔法の消失及び、天上神への冒涜を確認した。反逆者ヴェロニカ=ドレッセル。ミズガルズ聖教会の法に則り、神殿騎士イザーク=ブロムベルクが貴女を断罪する」


 ダークブラウンの短髪に鷹の様な鋭い目を持ったその騎士が、感情のこもらない声でヴェロニカに前置きの言葉を告げた。

 ミズガルズ聖教会に属する司祭が天上神に反逆した時、それを確認した神殿騎士は即座に対象を抹殺しなければならない。たとえ、それが誰であろうとも。

 ゆっくりと剣を構える執行者に、ヴェロニカの頬がわずかに緩む。

 まさか、この為にわざわざ顔見知りを用意したのだろうか? しかも、私はコルナフースでこの男の主人を反逆者呼ばわりした。それを分かって彼を執行者に選んだのだろうか。

 ――だとしたら、皮肉にも程があるだろう。本当に、どこまでもいやらしい。

 

「久しぶりね、イザーク。あの子を……エルザを探してこんなところまで来たんだったら、諦めてパルメイア連合国に帰ることを勧めるわ。貴方じゃあ、あの子を幸せになんてできないから」

「黙れ! 例え姉と言えど、貴様は反逆者だ!」


 血に塗れた神官服を引きずって、ヴェロニカは1歩2歩と激高したイザークの前に進み出ていく。


 今の自分に、ギラリと光る無慈悲なそれを防ぐ手段は何も無い。天才だ聖女だなどとおだてられようとも、神聖魔法を奪われてしまえばただの人だ。

 きっとイザークの目には、薄く微笑みながら近付く私が醜悪な魔女に見えることだろう。

 でも、それでいい。だって、私がそれを望んでいるから。

 イレーネは毎晩惚れた男に殺されて、どんな気分だっただろう。

 これは、それを見て見ぬふりをした罰だ。

 今度は私がそうなる番。

 ただ、相手は私が突き放した妹を守る神殿騎士。愛した男に殺され続けるよりかはマシかもしれない。

 それでも、高みに至るのに数百年など必要ない。

 だって、私は天才司祭なのだから。


 


 ――そして、鈍色の軌跡が一筋の弧を描いた。

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