第66話 神剣の間にて①
大きな講堂くらいの大きさがある広間全体を、エルザの唱えた《ルミナス》の光が隅々まで照らし出す。そんな中、ここが出口だとばかりに広間の端へ向かって歩き始めたアルタナを追いかけるように、シゼルとエルザはその後を追った。
歩きながら、シゼルは神剣の間と呼ばれた広間をぐるりと見回した。
中心部に段が設けられて少し高くなっている以外、石造りの広間には装飾どころか換気口も見当たらない。
この部屋の由来となっている神剣とは、神器レーヴァテインのことだ。
つい先刻、アルタナがそう言ったはずである。だというのに、ここには天上神フレイを讃えるような絵画も、ミズガルズ聖教会のような荘厳さもない。
神剣を祀るというよりは、封印し厳重に管理するための部屋という表現の方がしっくりくる。
なにより、広間の中心部に設けられた段の真ん中は、赤黒く乾いた血液が石床にこびり付いており、とてもではないが神聖な雰囲気とは程遠い。
隣を歩くエルザを見れば、彼女もその血液をみて眉を顰めたのが分かった。
「……シゼルさん。何か聞こえませんか? 声?」
石床にこびり付いた血液を見ていたエルザが、ふと何かに気が付いてシゼルの方を見た後、アルタナの待つ広間の端へと目を向けた。
エルザの隣を歩きながら広間の端へ近づいていけば、シゼルの耳にも確かに声が聞こえた。
声は2種類。男と女の声が一つずつ。何か言い争っているようにも聞こえるが、詳しくは分からない。
「壁の向こうで誰かが言い争っている?」
「内容はよく判りませんが、私にもそう聞こえます」
警戒した様子のシゼルとエルザがアルタナの方へ視線を向ければ、そこには氷のように冷たい無表情があった。
「本来であれば、フレイの転移魔方陣によって我ら3人はこの壁の向こう側へ飛ばされていた。そして、待ち構えていたヤツに全員やられていたかもしれん。まぁ、ラーナの身体でどこまで戦えるか、未だ全力を出したことは無いから分からんが、それでもタダでは済まなかっただろう」
「どういうことだ?」
シゼルの問いには答えず、アルタナは2人に背を向けて石壁に右手を当てた。すると、広間の床、壁、天井全てに青白い文字と幾何学模様が浮かんだ。
アルタナはそれらを指でなぞりながら、静かな声で口を開いた。
「神剣の間にはな、神の世界からの力の流れをほとんど打ち消す特別な魔法陣が組み込まれている。勿論、それは我とて例外ではない。今の我は、ラーナのフォローのお蔭で、こうして動いているだけにすぎん」
「つまり、アルタナ様は敢えて神剣の間に行き先を変更することで、天上神フレイを誘い込み、お互い神の力を制限したうえで戦われるおつもりだったのですか?」
エルザの言葉に、背を向けていたアルタナがちらりと振り返り「それは無いだろうよ」と呟く。
「我が見たところ、ヴィリーの意識はあの体の中にはない。そのような状態で、一度でもフレイがこの神剣の間に足を踏み入れれば、ヴィリーのフォローの無いフレイは満足に動くことすら出来ないだろう。それはヤツも分かっているはずだ。それ故、我がここいると分かっても無理矢理入ってくるということはあり得ぬ。しかし、だとしたら、そもそもヤツはどうやってここを出たのだろうなと思ってな」
「答えは見つかったのか?」
「仮説を得た。その程度だ」
アルタナは今度こそシゼルの問いに答えを返して、「こんなところか」とひとり呟きながら振り返った。
「魔法陣を書き直して、ここに通路を作った。皇宮の地下施設へ直接出る。……正直、ギリギリだがな」
要領を得ないその言葉に、シゼルとエルザが顔を見合わせる。すると、前方の石壁が左右に分かれて向こう側と繋がった。同時に、《ルミナス》によって作られた光が、その向こう側を照らし出す。
ギラリと鈍色の光が見えたかと思えば、そこにはダークブラウンの髪の騎士がこちらに背を向けて長剣を構えており、それは今まさに目の前の相手に止めを刺す斬撃となって襲い掛かる寸前であった。
慌ててシゼルとエルザがその騎士の正面に視線を向ければ、こちらを向いてアルビノの目を見開くヴェロニカがそこに立ち尽くしていた。切り裂かれたその胸元からは、真っ赤な血液が溢れ出している。
見開かれた目に力は無く、意識はもうほとんど残っていない。立っているのが不思議なほどだ。
「――ヴェロニカ? 姉さんっ!」
突如通路の向こう側に現れた姉の窮地に、エルザが防御魔法を唱えるべくマナを集める。だが、長剣は既に振り下ろされ始めており、とても間に合いそうにない。
――このままじゃヴェロニカが殺されてしまう!
どうすれば、と心の中で焦るエルザの視界を赤い何かが横切った。
……シゼルである。
シゼルは長剣が《ルミナス》の光を反射した瞬間、既に動きを開始していた。長剣を振り上げる騎士の横合いへ滑る様に移動しながら、同時に自身の長剣を鞘から少しだけ抜いて身を沈める。そのまま、鞘で走らせるように、剣身を下から上へ一気に引き抜いた。
刹那、鋼と鋼が盛大に激突して、室内に大きな音を響かせる。
「……お前は、イザーク? どういうことだ? なぜ神殿騎士のお前が”聖女”に斬りかかっている?」
互いに長剣に力を入れて鍔迫り合いに持ち込むと、目の前の見知った顔にシゼルが問い掛けた。イザークも突然の闖入者がシゼルであることに気が付き、剣を引いて数歩後ずさる。
「シゼル? それはこちらのセリフだ。どうしてお前がこんなところにいる!?」
「……それは…………」
当然といえば当然なイザークの問いかけに、シゼルは言葉を詰まらせた。
敬虔な天上神の信徒であり神殿騎士でもあるイザークに向かって、フレイからサラを取り返しエルフの街へ帰還させるため、箱庭を調べていたらこんなところに飛ばされた、などとはとても言えない。
何と言ったものかとシゼルが思案していると、エルザが血まみれのヴェロニカに駆け寄って抱き留め、その後をアルタナがゆっくりと歩いて続いた。
「エルザ!? 生きて……生きていたのか! ……それに、お前はあの時悪魔を召還した女か? どうして3人がこんなところで一緒にいるんだ!」
絶叫するようなイザークの言葉に、エルザが複雑な表情を浮かべる。僅かに逡巡した後、何かを喋ろうとエルザが口を開きかけたその時、アルタナの声が目に見えない重圧を伴って響いた。
「我が”魔女”に気安く喋り掛けないで貰おうか神殿騎士よ。いつぞやの様に10日ほど眠らせてもいいのだぞ?」
酷薄な笑みを浮かべるアルタナを前に、イザークが低く呻き声をあげた。だが、イザークは気力を振り絞って長剣を構え直すと、
「エルザが”魔女”とはどういうことだ! まさか……貴様がエルザを反逆者にしたとでもいうのか? 答えろ! 貴様は魔王か!?」
怒りを露わにした顔で、長剣をアルタナに向けた。
「イザーク。やめるんだ。この方はお前の思うような存在じゃない。剣を引け」
アルタナの前に身体を割り込ませたシゼルが、今にも斬りかからんばかりの口調で剣を向けるイザークを諭す。
「シゼル! お前も冥界神の下僕に成り果てたのか!」
瞬間、限度を超えたイザークの怒りが爆発し、シゼルに向けて長剣の連撃を叩き込んだ。しかし、怒りに任せた剣がシゼルに届くことは無かった。シゼルはイザークの放った計5回の斬撃を避け、受け流し、弾き返す。
「アルタナ。イザークと話をしてくる。2人の事は頼んだ……こいつは俺に任せろ!」
シゼルは短くそういうと全力で突進し、自らの身体ごとイザークを神剣の間へ押し込んだ。
「……まったく。ハンクの悪い影響だな。我に敬意を持って接するのはエルザだけではないか」
神剣の間へと入っていくシゼルの背中を見ながら、アルタナはそうぼやいて後ろを振り返った。そこには胸部の裂傷から血液を溢れ出させるヴェロニカと、泣きながらその名を呼ぶエルザの姿があった。
アルタナは一歩進み出て2人を見下ろすと、エルザに向かって口を開いた。
「エルザよ。マナを集めて治癒をイメージするのだ。裂かれた組織を再生し、失った血液を取り戻すべくその全身を賦活化させるのだ。集中しろ。マナを常に認識し続けよ!」
「……はい。やります。絶対に死なせません!」
ヴェロニカを抱いたままエルザが答える。後半は殆ど絶叫だ。
出来なければヴェロニカが死ぬ。私がやらなきゃ。やっと会えたのに、目の前で死なせるわけにはいかない!
エルザは震えるように大きく息を吸って、世界に満ちるマナの気配を探る。
大気中に漂う柔らかな光の綿のようなマナが、幾重にも折り重なっているのがすぐに解った。
エルザはそれを集められるだけ掻き集める。自身の胸の前でそれを高密度に凝縮して再生をイメージする。
言葉は、自然と思い浮かんだ。
「絶対に死なせない…… 《リジェネレイション!》」
通常の人間であれば絶対に構成不可能な密度の魔力が、エルザの
その魔力量は、最早エルザの数倍や数十倍では収まらない。本来、回復魔法と言うものは、それほど莫大な魔力を消費する魔法であるのだ。
この異世界で、神聖魔法に回復が出来て通常魔法に回復ができない理由はそこにある。
魂を駆動源として発生する魔力では、身体を回復させるのに必要なエネルギーがそもそも足りないのだ。
傷を塞ぎ、失われた組織を取り戻す。回復魔法とは、すなわち肉体の創造に準ずる行為である。
言い換えれば、それは神の御業だ。
実際、回復魔法に代表される神聖魔法は、祈りの言葉を鍵として神のエネルギーを直接取り出すことで発現する。
神聖魔法が使えるかどうかは、その通路を開く資質があるかないかというだけにすぎない。ただそれだけの借り物の力が、神聖魔法の正体であるのだ。
再生魔法 《リジェネレイション》によってヴェロニカの身体がうっすらとした光に包まれると、彼女の身体が急速に再生を始めた。ざっくりと切り裂かれた胸の傷は瞬く間に消え、ゆっくりとした呼吸が戻る。
「……よかった……姉さん!」
生気を取り戻した姉の身体をぎゅっと抱き締め、エルザは安堵の涙を流した。
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