第60話 聖女の決意

「現皇帝自ら案内していただけるとは、恐縮の限りですな」


 客室へと続く廊下を歩きながら、ザカリアは自らの前方を悠然と先導する背中に向けて軽口をたたいた。

 勿論、その背中の主とは、誰あろう現リガルド帝国皇帝ベルナード・ガウェイン=リガルドその人である。

 ここが謁見の間であれば、問答無用で衛兵に飛び掛かられてもおかしくないその発言に、隣を歩くヴェロニカがザカリアを肘で小突いてじろりと睨み上げた。

 首だけで後ろを振り返ったベルナードが、その様子を見て小さな笑い声を漏らす。


「ああは言ったが、最早、余に実権は無い。それに、政の殆どはフレイ様が既に取り仕切っておられる。実際のところ、体の良い小間使い位しかやる事がないのだ。恐縮などいらぬ」


 その言葉に、ザカリアが我が意を得たりとばかりに不敵な笑い声を漏らす。それとは対照的に、ヴェロニカが「そんな……陛下!」と言葉を詰まらせてベルナードを見上げると、威厳に満ちたその顔にニヤリと笑みが浮かんだ。


「――余は、フレイ様の言いつけに従って、残り2日の皇帝位を空手形に、お前たちを歓待と言う名で軟禁しようとしているのだぞ?」


 ベルナードの、今更隠すことでも無いだろうと言わんばかりの仕草に、ヴェロニカが目を瞠った。期待通り驚くその姿に、ベルナードの顔が満足気にほころぶ。

 しかし、ヴェロニカもベルナードの期待どおりそのまま呆けている訳にはいかない。すぐさま思考力を再起動させて、現在の状況を整理する。

 ヴェロニカとザカリアが天上神フレイに面会した後、2人が来ることを知っていたかのように、ベルナードは突然現れた。

 そして、フレイの命によって現れたベルナードは、天上神フレイの名前を出すばかりでは収まらず、リガルド帝国皇帝という権力を行使してまでヴェロニカとザカリアの身柄を確保した。

 普通であれば、そこまでする必要など全くない。天上神フレイと、現リガルド帝国皇帝ベルナード・ガウェイン=リガルド。付いて来いと言うのに出す名前など、片方で十分である。なんなら、自ら赴く必要すらないのだ。

 ……だというのに、ベルナードは自らの目的をあっさりと明かした。しかも、そこに自虐的な皮肉まで添えて。

 破天荒な性格と言うところでは、もともとザカリアといい勝負であったが、なにも、今それを発揮しなくてもいいのではないかと思う。

 お蔭で、今もヴェロニカの脳内は、ベルナードの言葉に裏の裏があるのではないかと必死に処理中なのだ。

 そんなビジー状態のヴェロニカに替わって、ザカリアが普段の口調でベルナードに答えた。


「そういうことを平然と言うところは、ちっとも変りませんな。まあ、そのお蔭でオレとヴィリーはいろいろ自由にやらせてもらえましたからね。今更ですが、感謝してますよ陛下」

「ちょっとは国王らしくなったのかと思えば、お前もたいして変わっとらんようだな、ザカリアよ」

「それはお互い様でしょう。兄上一家が謀殺されなければ、オレは国王になる気なんて更々無い、ただの特級冒険者だったんですよ?」


 憮然とするザカリアを視界の端に捕らえて、ベルナードが声を立てて笑う。


「圧倒的な力で犯人どもを粛正し、その豪放磊落さとカリスマ性で以って王位をその手にした。貴様のやっていることはフレイ様と大差ない。新たなるドワーフの王よ、感想はどうだ?」


 愉快そうに言ったベルナードに向かって、ヴェロニカが「陛下っ!?」と、素っ頓狂な声を上げた。


「……だから、そういうところだって言ってるでしょうに。まあ、一言でいえば最悪ですよ。オレがやらなきゃ収まりがつかないから国王などやっているだけで、窮屈ったらありゃあしない」

「ザック! 不敬よ。それに陛下も。人目も憚らずなんてことを仰るんですか!」

「あのなあ、ヴェル。オレ達はこれから軟禁されるんだぞ。先にそれを言われちまったら、今更取り繕っても仕方ないだろうが」


 何と言ってもフレイは神だ。こちらの作戦を見抜いたとまでは言わなくとも、何かしら不穏な気配を察知したからこそ、こうやってベルナードを寄越したのだろう。

 ザカリアの言葉が持つ言外の意味など、とうに承知している。

 しかし、だからといって、あっけらかんといつもの調子に戻るザカリアを放っておくことが出来るヴェロニカではない。ザカリアに何か言い返そうとヴェロニカが口を開きかけたところで、前を歩くベルナードの足が扉の前で止まった。

 客間に到着したのだ。

 ベルナードが振り返ると同時に扉が開いて、室内に控えた使用人がヴェロニカに入室を促した。隣を歩くザカリアを見れば、さっさと入れと言わんばかりに顎をしゃくっている。


 ……どうしてザカリアはそんなに聞き分け良くできるのだろうか? 今自分たちが捕まって、即位式当日まで軟禁されたら、誰がハンクをフレイの前に誘導するというのだろう。誰が囚われたヴィリーの魂を解放するために、必死になってくれるというのだろう。

 このままここで蚊帳の外に置かれるくらいなら、いっそ――


「――やめておくといい”聖女”殿。レーヴァテインを人の身でどうこうしようなどと考えぬことだ。あれは神器。我々人間の領分を遥かに超えた、人外の象徴だ」


 優しく諭すようなベルナードの声に、ヴェロニカの肩がビクリと跳ねた。声のする方へゆっくりと移動するアルビノの瞳は、今にも泣きだしそうなほど震えている。唇も同様だ。

 それでも、ヴェロニカは震える声で言葉を紡ぎ出した。


「でもっ! 陛下は……フレイ様は、どこまで知っておいでなのですか!?」

「神の御心など、余如きには計り知れぬ。しかし、余自身の事であれば話は簡単だ。隠すほどの事など、何も無いのだからな。なにせ、勇者と聖女の2人がしばらく姿を見せぬと思っておれば、件のノーライフキングを討ったと言ってコルナフースから帰還した。その上、ヴィリー殿が神器レーヴァテインを携え、聖教会より派遣された”聖女”殿が、彼は天上神フレイだと言う。――あれは、神器レーヴァテインは歴代の皇帝しか存在を知ることが許されぬ、特級呪物なのだ…………どうやってかは知らぬが、我らが主は勇者殿を喰らったのだな」

「――っ!」


 ヴェルナードの言葉に、ヴェロニカの瞳が見開かれた。あの時、地下の安置所にはヴィリーとヴェロニカ、そして裏切り者のサラしかいなかったはずである。だというのに、ベルナードはあの場所で起きた、天上神フレイの降臨と言う結末を言い当てた。

 だが、驚きと同時にやはり、とどこか納得する自分もいる。

 ベルナードは神器レーヴァテインを知っていた。彼の言によれば、あれは歴代皇帝しかその存在を知らない。だからこそ、フレイとヴェロニカがコルナフースから帰還した折、勇者ヴィリーは天上神フレイである、などと言う荒唐無稽な話をベルナードだけが信じたのだ。

 神器レーヴァテインが本物だと唯一知っていたが為に。


「さて、昼食の準備ができたら、こちらへ運ばせよう。それまでゆっくりと寛いでいるといい。大人しくしていてくれよ”聖女”殿。悪いようにはせぬ」


 ふらり、と幽鬼のようにヴェロニカが数歩室内へと進む。考えの纏まらないまま、ゆっくりと踵を返せば、こちらを見つめるベルナードと目が合った。

 そこに、一瞬だけよぎる影。何となくではあるが、僅かに感じる違和感。単に何かを言いかけて躊躇ったようにも見えるその仕草に、ヴェロニカが「どうかされたのですか?」と言葉を投げ掛けるよりも早く、扉が閉まった。

 直後、カチャリと響く軽い金属音――扉が施錠された音だ。ヴェロニカは、どこか他人事のような気持ちでその扉を見つめた後、室内を移動して窓を開けた。

 3階にある客間の窓から眼下に広がる庭園は、きちんと手入れが行き届いており、芸術的な造形が見る者の目を楽しませる。

 ……だが、今の自分にそんな余裕などない。

 命こそ失わなかったものの、計画は潰えたに等しいのだ。こうなってしまっては、ハンクの協力だって怪しいものである。彼の目的はサラの奪還であって、ヴィリーの救出ではない。このまま自分が姿を見せなければ、フレイと対峙したハンクは何の躊躇もなくレーヴァテインを灼き尽くすだろう。

 でも、もしかしたら、サラの奪還を望むハンクは呪いの解除をやってのけ、そのお蔭でヴィリーが助かることだって――


 ――ふざけるな! あの女が澄まし顔でこの世界に舞い戻ることなど、到底許容できるわけがない。


 ヴィリーとサラは昔からの付き合いだと言っていたが、それがなんだと言うのだ。あの二人が特別な感情で結ばれていることなんてとうに知っている。自分が入り込む隙間なんて、元からほとんどなかったことも。

 でも、だからといってあんなことしていいはずがない。

 魂を呪いで縛って永遠を約束するなんて、あんな狂気に満ちた愛情は歪にも程がある。

 それを目の前で見せつけられ、置いてけぼりにされた自分が、大人しくすべてを諦められるとでも思ったのだろうか。抜け殻となったヴィリーの体を乗っ取った天上神フレイに尽くして、その姿形だけを見て満足しろとでもいうのだろうか。

 

「出来る訳ない……ヴィリー様。どうして、サラなの? どうして、あの時抵抗してくれなかったの?」


 さっきまで見えていた庭園は涙で歪んでぐしゃぐしゃだ。涙が勝手に頬を伝う。

 少しでも気を抜いたら嗚咽してしまいそうで、窓枠を握る両手にありったけの力を込めた。

 そうやって歯を食いしばれば食いしばるほど、ヴィリーがサラに囚われる直前に見せたあの表情が、どうやっても脳裏から離れてくれない。血まみれのサラとレーヴァテインを抱き寄せ、一緒に永遠の世界で微睡みましょう、と言う彼女に向けた全てを受け入れるようなあの目。愛という言葉だけでは推し量れない不可解な関係の2人。どんなに振り払っても振り払っても……消えない。

 だからこそ余計に許せない。あんな勝ち逃げあってたまるものか!


「自称天才司祭の嬢ちゃん! だからあいつに惚れるのはやめとけって言っただろ。故郷へ帰ってから、もっといい神殿騎士を捕まえろってな」


 唐突に隣の部屋の窓が開いた音がしたかと思えば、揶揄うようなザカリアの声が聞こえた。

 視界が涙で埋まっていても分かる。

 稀代の天才司祭に向かって、あんなふざけた呼び方をした男は、後にも先にもザカリアだけである。

 その上、ヴィリーに羨望の眼差しを送るたびに言われたのと同じ言葉を再び言われて、ヴェロニカのイライラがあっさりと限界を振り切った。


「うっさいわよ! そんなのあたしの勝手でしょ! あたしはヴィリー様がいいの! オッサンはすっこんでてよ!」

「だっはっはっはっ! 調子が出てきたじゃねえか。それでこそヴェルだ。いつからお高くとまるようになっちまったのかと思ったぜ」

「こんな時にしんじらんない! それに取り繕ってるのはお互いさまでしょ! エールでも飲んでぶっ倒れてなさいよ、バカッ!」


 ふざけんじゃないわよ! と、ヴェロニカが盛大な音を立てて窓を閉めた。それと同時に、カートに昼食をのせた年若いメイドが、呆気にとられてこちらを見ていることに気が付いた。

 物思いに耽っているうちに、いつの間にか昼食の時間になっていたようだ。

 手の甲で乱暴に涙を拭ってから、軽く目を閉じて照れ隠しの咳ばらいをする。視界の端で、昼食をテーブルに置いたメイドがそそくさと退室するのを確認してから、ヴェロニカはガラスの張られた窓の外に目を向けた。

 その視線の先に、ある建物があることに、はたと思い当る。今一番思い出したくないその建物は、ヴィリーが帝国軍参謀兼、魔導将軍であった頃に別宅として所有していた屋敷だ。そこは通称”箱庭”と呼ばれており、サラと精霊使いの素養を持った孤児たちが住んでいたと記憶している。

 元々は、戦闘を嫌うサラの代わりに、戦いに赴くヴィリーの身の回りの世話する随行員を育成するのが目的だと聞いた。とりわけ、ラーナと言う少女が優秀で、下手な上級冒険者では手も足も出ないだろうという話だった。もし、、年の頃は17。ちょうど、エルザと同じ年だ。


「あなたは反逆者。信仰を奉げるべき天上神を裏切ると言うなら、妹でも何でもない……か」


 ボソリと呟くように言って、ヴェロニカはそれを鼻で笑い飛ばした。あの時は、エルザをリンという名前の魔王から遠ざけたい一心でそう言ったが、今となってはそれもお笑い草だ。

 なにせ、自分は天上神フレイに直接歯向かおうとしているのだから。しかも、動機はいたって単純。男のため。あまつさえ、横恋慕である。よくもまあ、友情に信仰を賭けた妹に向かってあんなことを言えたものだ。思い出せば思い出すほど、自らの浅ましさに乾いた哂いしか出ない。


 現在、エルザはハンク達と行動を共にしているという。しかも、反逆の咎により彼女は神聖魔法のすべてを失ったと聞いた。

 正直、いったいどんな顔で会えばいいか分からなかったところだ。

 だが、こうなった以上、エルザと会える日はもう来ない気がする。そして、そんなことに少しホッとする自分がいる。我ながら情けない限りだ。

 そう遠くない未来。エルザと同じく、自分も反逆者として神聖魔法を失うだろう。その時、”聖女”という冠は”魔女”という茨となってこの身を締め上げるはずだ。


 ――それでも、浅ましくても。あたしはヴィリー様を助けたい。


「天上神よ。我が身を絶対の防壁にてお護りください。 《アブソリュート・プロテクション!》」


 ヴェロニカの祈りに応えて絶対防御の神聖魔法が発動した。超高圧に圧縮された魔力がヴェロニカの神官服と肌の露出した場所に、不可思議な文様を描く。

 そして、ヴェロニカはゆっくりと、それでいて力強く客室を見渡した。


「……まだ、大丈夫。絶対に、諦めてたまるもんか」

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