第59話 けしからん奴
ハンクとエステルが帝都フレイベルク内を”薬屋”に向かって移動している頃、ヴェロニカとザカリアは、皇宮内にある一番位の高い貴賓室の扉前にいた。
木製で出来た重厚な両開きの扉を前に、ヴェロニカは目だけでザカリアを見上げ、視線で入室の合図を送る。2メートルを超す偉丈夫が視界の上の方でゆっくりと頷いたのを確認してから、ヴェロニカは軽く扉をノックした。
「ヴェロニカです。ドワーフ王ザカリア=ダイン様をお連れしました」
ほんの少し沈黙が流れた後、重厚な木製の扉が音も無く内側から開いた。扉が開ききると、その陰から年若いメイドが現れてカーテシーでヴェロニカとザカリアを出迎えた。
その後、2人はメイドに案内されて、荘厳華麗な調度品や家具が置かれた貴賓室の中を奥へと進んでいく。ゆっくりとメイドの後を歩きながら、見せつけるように並べられたそれらの調度品を横目に、ザカリアが眉を顰めた。
そんなザカリアに、ヴェロニカはアルビノの目を細め、揶揄うような視線を送る。
「あら、帝国解放の時ですら入れてもらえなかった貴賓室に入れたっていうのに、不満そうね」
「フン。本当に別人になっちまったんだなと思っただけだ。昔のアイツなら、ヴィリーならこんなところで優雅に寝泊まりしねえだろ」
ヴェロニカは軽く肩を竦めてザカリアに応えると、扉の前で立ち止まったメイドに倣って足を止めた。
再び現れた両開きの扉を、案内のメイドが軽くノックをする。一瞬間が空いた後、室内から「入れ」と男性の声が響いた。
その声は、数ある貴賓室の中でも一番位が高く、他国からの王族や貴族を持て成すために設けられたこの部屋の現在の主で、白き勇者ヴィリーの体を乗っ取った天上神フレイが発したものだ。
聞き慣れた声。けれど、記憶とはまったく違う物言い。ヴェロニカとザカリアの顔に、自然と緊張の色が浮かぶ。だが、それも一瞬の事。
ほんの少しの間の後、普段の表情を取り戻したヴェロニカが、扉を開けて部屋の主に声を掛けた。
「フレイ様。ドワーフ王ザカリア=ダイン様をお連れしました」
「ああ。ご苦労、我が聖女よ。初めまして、と言えばいいかなドワーフ王? 密偵には謁見の間と伝えさせたが、思うところがあってな。貴賓室に場所を変えさせてもらった。お互いを見極めるとしようではないか」
大きな出窓の前に置かれた執務机に肘をついたフレイが、揶揄うような口調でザカリアを見上げた。一瞬、ぐっと言葉に詰まったザカリアだったが、大股でフレイの前まで進み出るとそのまま片膝を突いた。ヴェロニカもそれに倣う。
「お初にお目にかかります。天上神フレイ様。この度は、ミズガルズ神聖皇国の建国と皇帝位への即位、重ねてお慶び申し上げます。このザカリア=ダイン、ドワーフを代表してご挨拶に参じたからには、即位式への参列をお許しいただきたく存じます」
「私に恭順の意を示すならば、喜んで許可しよう」
どこか揶揄うようなフレイの調子は変わらない。王者の余裕と言うよりは、底意地の悪い策士の様だ。
――ヴィリー様なら、ともに死地を潜り抜けた戦友に、あんな顔を向けることなど絶対ありえないのに。
ヴェロニカは努めて無表情を装いながら、頭を垂れたままフレイとザカリアの会話に耳を傾けた。
「我が国はアドラス王国北部エルダー山の麓にあります。エルダー山深部より這い出る魔物に対抗する為、我らは彼の国と友好を結び、その庇護を受けております。恭順、と言うことであれば、我らは皇国の属領になるということ。恩知らずにもアドラス王国を差し置いて、そのようなことをするわけにはいきません。ですが、協力、同盟ということであれば、この身は勇者ヴィリーと親しき間柄、なんの問題もありはしないでしょう」
大袈裟な笑顔で話すザカリアの、低くよく通る声。……戦争当時のままだ。
ザカリアの発した”勇者ヴィリー”という言葉で、ヴェロニカの脳裏に過去の記憶が蘇る。
あの頃のザカリアは、こういう言葉の化かしあいを一番毛嫌いしていた。ドワーフの都市国家プエルタムエルタの王族でありながら、冒険者家業に身をやつしているのは、そこに理由があるのだと言っていたことを思い出す。
「アドラス王国か。そんなところに義理を立てても破滅するだけだ。やめておけ。奴らは、ドルカスが正体不明のドラゴンに襲われたのは、勇者ヴィリーによる明確な侵略行為だとぬかしてきた」
愚かな奴等よ、とフレイは鼻で笑いながら言葉を続ける。
「私が器とするこの身体に、神の力を余すことなく発現させようとするならば、もっと生命核の純度を上げねばならない。その為の贄だと言うのに、奴らはそれを理解しようとしない。神の意志に異を唱えるアドラスは近いうちに滅ぶだろう。……ザカリア。ドワーフは、貴様は、正しい判断を出来ると私は信じているぞ」
「では……謎のドラゴンを葬ったとされる神の雷霆は、フレイ様の手によるものであったと?」
ザカリアの言葉に、フレイの顔から表情が消えた。だが、それはザカリアも同じだ。
……というより、寧ろよく我慢している、と言った方がいいだろうか。
なぜなら、彼は昨日、コルナフースの真実を知る1人に加わったのだから。
横目で見るザカリアの向こうに、双子の姉イレーネと、ヴィリーを慕って自ら命を差し出した少年――ヴァンの姿が浮かぶ。
何も知らない彼らは、そのすべてがヴィリーによって引き起こされたことだと信じていた。けれど、自分は違う。
――全部知っていた。ヴィリーの中には天上神フレイがいることも、彼が2人の命を道具と同等にしか見ていないということも……全て。なのに、自分はただそれを見ていた。見ていることしかできなかった。
後悔、罪悪感、怒り、悲しみ、それらがヴェロニカの胸をぎゅっと締め上げる。それと同時に、目の前にいるこの男は自らが仕える天上神であり、圧倒的戦闘力を持つ人外の存在である、と言う事実が何をしても無駄だと諦めの気持ちをチラつかせる。
「あれは私ではない。我が仇敵アルタナの遣わした”守護者”の仕業だ。本来であれば、コルナフースが片付く頃に収穫を迎えるはずであったのだがな。……それに、ちょうどいい器がいたから泳がせておいたのだが、それも当てが外れた。奴に関わるとロクなことがない。……まったく、忌々しい奴だ」
「それは…………けしからん奴ですな」
仏頂面でフレイの話を聞いていたザカリアが、自ら発した言葉とは裏腹に不敵な笑みを浮かべた。
……”けしからん奴”とは、間違いなくハンクのことを言っているのだろう。それに思い当って、プラチナブロンドの髪の奥でヴェロニカの頬がわずかに緩んだ。
「とはいえ、奴を喰らうことが出来れば、この身体の生命核はよりいっそう純度を増す。たまにチラつく気配から、奴がこのフレイベルクに来ていることは間違いないだろう。まあ、私にとってもその方が都合がいいがな」
「都合がいい、とは?」
「簡単なことだ。私は即位式で奴らに向けて宣戦する。この世界を、我らが天上神のものとするための第一歩としてな」
そこに負けは無い。自身に満ち溢れた表情が、言外にそれを滲ませる。幾多の苦難を共にした戦友のままであったなら浮かぶはずの無いその歪な笑みに、ザカリアは再び表情を引き締めた。
「我らが、と言うことは他にもいずれかの天上神様が顕現なさっている、ということなのですか?」
「私は天上神の長だ。下級神どもに選択の有無は無い。そんな事よりも、当然、ドワーフは私に従うのだろう?」
「……はは、参りましたな。そこまで計画なさっておいででしたとは。しかし、我らは人の身。末席に加わったところで、ほとんど戦力にはなりますまい」
笑いながらそう言ったザカリアの目は、笑ってなどいなかった。
昔から、こういう目をした時のザカリアは、心底怒りを覚えている時である。昨晩、ハンクから聞いていたとはいえ、平然と自らの為に信徒は一丸となって命を差し出せという神に、軽々しく従うなどと言えなかったのだろう。
……そろそろ助け船が必要かもしれない。ザカリアには上手いこと言葉を濁して、この場を凌いでもらう必要があるのだ。
ザカリアを横目で見つつ、2人の会話に割って入ろうとヴェロニカが顔を上げると、
「しかし、フレイ様。アドラス王国とて天上神を信仰する信徒のはずです。あなたが真に天上神である、ということを彼等に見せていただけれれば、きっと彼らは考えを改めるのでは?」
「ふむ。それも一理ある。信じて当然と思っていたが、この身は人であったな。神の証明が必要だということか」
全てを見透かすような眼差しのフレイと目が合って、ヴェロニカの背筋にゾクリと冷たいものが流れた。
一言でも何か言葉を発しようものなら、たちどころにすべての計画が露見してしまうのではないかという感覚に襲われる。助け船を出すつもりだったのに、その感覚の所為で何一つ言葉を出すことが出来ない。なにか、なにか言わなければ。どうにかしてこの場を切り抜けなければ。気ばかり焦って、考えがうまくまとまらない。
結局、ヴェロニカの口から出た言葉は「ご賢察だと思いますわ」の一言だった。
「そうだな、明後日の即位式で神の証明をするとしよう。そこで私に恭順の意思を示すといい。今日は2人とも下がれ」
その後、フレイに命じられるまま貴賓室を辞した2人は、無言で皇宮内の廊下を出口へと向かって歩いていた。
築城より1000年が経つと言われる城の内部は、カビ臭さどころか古めかしさも感じられず、常に美しい景観を維持している。それは、土台となる石の建材を化粧する大理石が、常に新しいデザインのものと入れ替えられているためだ。美しく廊下を彩る意匠は、ひとえに帝都の石工職人の技術力の高さを証明するものである。
しかし、今のヴェロニカとザカリアの目に、それらが入る余地は一切無かった。
「神の証明か…………」
ヴェロニカがポツリと呟いた、今の2人を捕らえて離さないその言葉。
自らの目前で、ヴィリーの生命核がレーヴァテインの内に囚われた瞬間を目撃したヴェロニカならば、それを口頭で説明することも出来る。実際、コルナフースから帝都に帰還した折に、リガルド帝国皇帝ベルナード・ガウェイン=リガルドを始めとした全ての帝国首脳陣に説明を求められたとき、ヴェロニカはフレイの指示でそれを行った。
多くの帝国首脳陣は、それでも半信半疑であったが、皇帝ベルナード・ガウェイン=リガルドだけは違った。フレイが腰に佩びたレーヴァテインをすぐさま本物と見抜き、その場で膝を折って臣下の礼を取ったのだ。
また、あれをやれというのだろうか? だとしたら、今度は”聖女”の名のもとにヴェロニカが彼の身を保証し、前皇帝となったベルナード・ガウェイン=リガルドが神器レーヴァテインは本物だと保証することになるのだろう。
なんにせよ、即位式は目前だ。明後日には月が替わって10の月となる。
本来であれば、即位式を控えて周囲が慌ただしさにかまける中、計画を実行しようとしていたはずだった。
だが、実際には突然ハンクを伴って現れたザカリアのお蔭で決行は延期となった。それは、ハンクが仲間たちに今回の件を報告し、助力を仰ぐための時間を取るためだ。
そのおかげと言うべきか、今現在、自分たちは何事もなく生き永らえている。もし、計画を実行していたならば、今頃自分たちはフレイの手によって殺されていただろう。
神の証明を口に出した時のフレイの目。すべてを見透かし、やれるものならやってみろと挑発するかのようなあの振る舞い。思い出しただけでも全身が震える。
なんにせよ、今回挨拶に使われた場所が、謁見の間ではなく貴賓室だった時点で計画は詰んでいたのだ。あそこでは、ザカリアが恭順したことを証明するための立会人である、帝国の重臣達がいない。もし、ザカリアがフレイの言葉に従い恭順を示したところで、儀式は行われなかったのだから。
――屋敷に帰ったらハンク達との合流を待って、再度計画を練り直さなければ。
そこまで考えを纏めてから、ヴェロニカはゆっくりと1つ呼吸をして、まっすぐ前を見据えた。
それと同時に、横合いのテラスから廊下へ悠然と侵入してくる男性が目に入る。年の頃は50代半ば。リガルド帝国周辺に多い茶色の髪と瞳。軽装ながらも、その振る舞いにはどっしりとした貫録を感じる。面と向かって視線を合わせるだけで息苦しさを覚える程の覇気を纏うその男性に、ヴェロニカは見覚えがあった。
彼の名は、ベルナード・ガウェイン=リガルド。現在のリガルド帝国皇帝その人である。
ベルナードは咄嗟に跪こうとするヴェロニカを手で制し、ザカリアに一瞥を送ってから口を開いた。
「フレイ様の命により、お前たちを迎えに来た。即位式まで皇宮内で歓待するようにとのお言葉だ。残り2日と言えど、余はリガルド帝国皇帝ベルナード・ガウェイン=リガルドである。直々の誘いを断るような無粋、お前たちならするはずないだろう?」
そういって不敵な笑みを浮かべたベルナードは、ゆっくりとヴェロニカとザカリアの前に進み出たのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます