第61話 死と破壊の精霊

 ――少し時間は遡って、ヴェロニカとザカリアが、皇宮内の廊下でベルナードに遭遇した頃。


 ラーナに案内されたアリア、シゼル、エルザの3人は、ヴィリーが帝国軍参謀兼、魔導将軍であった頃に別宅として所有していた屋敷、通称”箱庭”と呼ばれる建物の内部にいた。

 ”箱庭”と言っても、造りが特別であるとか、まるで城壁のような壁が建物を囲っているという訳ではない。

 リガルド帝国でもオーソドックスな石造りの屋敷は、各部屋の間取りがやや大きめに作られていること以外に特筆すべき事柄は無く、屋敷を囲う塀も標準的な高さであった。

 だというのに、なぜこの屋敷は”箱庭”などと言う呼ばれ方をしていたのか。

 それは、ヴィリーがこの屋敷に管理者として住まわせていたハイエルフの女性と、彼女が養育していた孤児の子供達を指して、他のリガルド帝国重臣達が暗喩として用いた言葉だからである。


 勇者ヴィリーは、自らの地位を確固たるものとする為、手駒となる有能な部下を育成し皇帝陛下に取り入ろうとしている。褒美と聞かれて、だだっ広いだけの屋敷を欲しがったのは、勇者ヴィリーと、その腹心であるハイエルフがその為の場所を手に入れる為だったのだ。


 ――くだらない。サラ先生はそんな目的の為に私を育ててくれたわけじゃない。ヴィリー様が稽古をつけてくれたのだって、「自分の身は自分で守れるようなるんだ」っていつも言ってたからだ。


 の室内をゆっくりと見回しながら、不意に蘇った嫌な記憶にラーナは眉を顰めた。ここに引き取られて唯一苦痛だったのは、精霊語の習得でも、ヴィリー直々の特訓でもない。帝国重臣達のやっかみを聞くことである。

 それらは、度々訪れる貴族の来客者や、その従者を送り出すときにも何度も聞かされた。

 彼等はそうすることで、自らが重臣達の忠実な僕であるとアピールでもするつもりなのだろうか。不快極まりない誹謗中傷を、ヴィリーがいないところでこれ見よがしに自分に聞かせたところで、何の意味もありはしないのに。

 ……というか、狙いは見え見えだ。大方、こちらを煽って先に口なり手なり出させようとしているのだろう。これほど安い挑発もない。

 そんなことを内心で思いながら、ラーナは努めて素知らぬ顔を作り彼らを見送った。

 お蔭で、「お前たちのくだらない本心などお見通しだ。用が済んだならさっさと帰れ」と言わんばかりの能面で無反応なラーナの態度は、毎度、あっという間に来客者たちの興を削いだ。

 その甲斐あってか、しばらくすると来客者たちが帰り際にラーナを煽ることもなくなった。だが、運命とは皮肉なものである。そんなラーナの姿がとある帝国重臣の耳に入り、彼女を帝国軍密偵部隊へ入隊させ、その支援をしてほしいと要請が入ったのだ。

 もちろん、ヴィリーに付け入るため隙を作る、新たな嫌がらせである。

 当然、ヴィリーは皇帝に掛け合ってすぐにその要請を破棄させると言ってくれたが、ラーナはその要請を受けた。

 いつか、ヴィリーの補佐として戦いに赴く時に密偵の技術は役に立ちそうだったし、いけ好かない帝国重臣達の懐の中に飛び込めば、逆に彼等の秘密を探ることも出来るかもしれない。なにより、「私がやらなきゃ他の子達がつらい思いをする。私が帝国軍の仕事で功績を立てれば、あの子達はこんなつらい思いしなくて済む」と、そう思ったからだ。

 事実、帝国重臣達からの文書には、”精霊使い”と書いてあってもラーナという少女の名前などどこにも書かれていなかった。1年3か月前の当時、ラーナは16歳。他に4人いる孤児たちは14歳から12歳とまだ幼く、その事がラーナに自らを犠牲にする決断をさせた一因となった。

 そういう訳であったから、”一人前の帝国密偵になるための訓練”と言うものを受けさせられていた時、帝国の重臣たちの顔と名前はすぐに頭に入った。もちろん、横と縦のつながりも含めて。


 ……とはいえ、結局、運命とは皮肉なものであることに変わりはなかった。

 3か月前、リガルド帝国皇帝ベルナードがヴィリーを神だと認めたことで、帝国重臣達は態度を一変させたことだろう。なにせ、相手は神だ。彼等は過去に自分達が何をしたのかすっかり忘れて、ヴィリーの皮を被った天上神フレイに取り入ろうとするはずである。

 最早、ラーナが帝国密偵でいる必要すらなくなったのだ。


 ――だというのに、もう、ここには誰もいない。

 

 ラーナは唇をきゅっと真一文字に引き結んで、ここにいるはずだった大事な家族の顔を一人一人思い浮かべた。

 ここにいた孤児は、自分を含めて全部で5人。ドルカスで冥王竜ラダマンティスの触媒となった、少し思い込みが激しくて、闇精霊に好かれたヴァン。おっとりとしていて争うことが嫌いだったエルマ。短気の所為か炎の精霊と相性がよかったヤン。そのヤンをライバル視して、いつも2人でじゃれあっていた風の精霊使いグラード。

 そして、師匠であり母であったハイエルフ、サラ=アウテハーゼ。

 その誰もが、この”箱庭”から姿を消していた。


「誰もいないなんて……何かあったんでしょうか? ラーナ様の話だと、ここにはサラさんと他の孤児の皆さんが住んでいたはずだったのに……」


 険しい表情で周囲を見回すラーナに、困惑した面持ちのエルザが話しかけた。


「7か月前、大森林へと向かう前日に帰った時はね、みんないた。……送り出して、くれたんだ……」

「そんな……」


 ラーナは力なく微笑みを浮かべて、暖炉の前に置かれた椅子の背に、そっと手をのせた。


「たぶん、この感じだと無人の状態で数か月は経過してる。……これはね、サラ先生のお気に入りの椅子。いつもここに座ってた」


 サラがそこに座る姿を思い浮かべながら、懐かしいものを見るように、ラーナが椅子に目を落とした。

 わずかな沈黙の後、隣の部屋へと続く扉が開いて、フードを被ったアリアが現れた。首を小さく左右に振るその表情は硬く、その碧い双眸には落胆の色が浮かんでいた。


「ラーナ。誰もいないってどういうこと? 部屋に荒らされた形跡もないから、襲撃されたとは思えないし……。アルタナとあなたは、ここで何を確認したかったの?」


 7年間捜し歩いたサラに、やっと会うことが出来る。その期待が大きかった分、盛大に肩透かしを食らったアリアの落胆は計り知れない。だが、それでもアリアは決して自棄になったりせず、この箱庭の中をつぶさに調べて回っていた。


「いえ、質問を変えるわ。この場所全体に淀んでる精霊力の歪み。これは何? こんなところにずっといたんじゃ頭がおかしくなるわ。先生やあなたたちは、本当にこんな場所でずっと過ごしてたの?」


 まるで洗脳でもされてるよう、とアリアが眉根を寄せる。


「私には何も感じられませんが……そんなにひどいものなのですか?」


 エルザが心配そうにアリアを見た後、ラーナに視線を向けると、黒髪の少女はそれに肯首で答えた。


「ああ、かなりひどい。死とか破壊を司る精霊たちの力が異常に強くて、見境なしに負の感情を増幅させようと私たちに語りかけてきてる。こんなところに3日もいたら、蟻も殺せない精霊使いだって、立派な殺人鬼になるだろう」

「じゃあ、ここにいた人たちは……」

「ドルカスでヴァンにあった時、ありえない精神状態に気が付いた。あの子は思い込みの激しいとこはあったけど、素直で優しい子。一番年下なのに、いつもみんなの心配ばかりしてた。そんな子を、自ら冥界竜の触媒となるべく難民街で殺戮を繰り返すような存在へと変えてしまう。それほど濃密で、歪な状態なんだ。当然だけど、私が最後にここに来たときはこんな状態ではなかった」


 その言葉に絶句するエルザを後目に、ラーナは目線で暖炉の内部へ注意を促した。


「死と破壊の精霊は、その特徴から精霊王に次ぐ上位の精霊よ。下手に手を出したら、精神汚染でこっちがおかしくなるわ。それを分かって手を出すからには、何か理由があるってことよね」

「察しが早くて助かる。それに、今の私は”守護者”だ。負けることは無い」


 自らを”守護者”だというラーナに妙な熱っぽさを感じて、アリアは胸のあたりに奇妙なしこりを感じた。だが、それも一瞬の事。今はサラや孤児たちの精神を汚染したかもしれない、死と破壊の精霊をどうにかするのが先決である。


「エルザ。入り口で見張りをしてるシゼルの所まで走って。合流したら、”箱庭”の敷地からなるべく離れてて。ここにいたら、心を壊されるわ」


 アリアはゆっくりとフードを脱いでエルザの方を振り返った。薄暗い室内で、流れるような金の髪と紺碧の双眸が露わになる。

 ゆっくりとエルザが頷いて、了承の返事をしようとした刹那、黒髪の少女が二人の会話を遮った。突如、ラーナの気配が重くひりついたものへと変わる。

 

「エルザよ。お前には、ここに残ってもらう。昨晩も話したが、神聖魔法に替わる別の手段だ。エントが放つ生命の波動。それこそが新たなる力を起動させるためのカギとなる」

「――ちょっと、急に出てきて何言ってるのよ!? 死と破壊の精霊なのよ? 下手したら、この帝都全域を飲み込んで、悪魔を顕現させかねない災害級の存在なの。そのくらい神様なんだから解ってるでしょ?」


 急に出てきて待ったをかけたアルタナにアリアが食って掛かる。アルタナはその言葉を軽く目を伏せて聞き流すと、酷薄な笑みを浮かべた。


「解っていないのは貴様だ、精霊王の巫女よ。我はアルタナ、ラーナはその眷属であり”守護者”だ。何の問題もありはしない。なにより、我の言った”やってもらいたい事”の中には、このことも含まれているのだからな」

「……分かったわ。そこまで言うなら、絶対守りなさいよ。エルザは、リンにとっても、私にとっても大事な友達なのよ。もしなんかあったら、金輪際あなたの頼みなんて聞かないわ!」

「その時は、ハンクの奴と二人で我に歯向かうと言い。あの男には、神に歯向かうのも一興だと最初に言ってあるのだからな!」


 目を細めたアルタナが、くつくつと喉を鳴らして嗤う。アリアは、先程ラーナの時とはまた違った胸のしこりを感じて、フンと鼻を鳴らした。

 慌てたエルザが、「こんな時にケンカしないでください!」と二人を宥めたところで、呆れ顔のシゼルが扉から声を掛けた。


「おい。外までケンカの声が聞こえてるぞ。まったく、どうしてハンクがいないとお前らはケンカばかりなんだ……」

「「うるさい」」


 まさかアルタナにまで食って掛かられるとは予想だにしていなかったシゼルが、面食らってエルザの方を見る。すると、エルザが諦めたように首を振って、亜麻色の髪が左右に揺れた。そして、小さく嘆息を漏らす。


「いまは身の安全を確保する為にも、そして、サラさんの行方を掴む為にも、お互い仲良くしましょう? 私も精霊王様の波動をしっかり覚えさせていただくので…………その……お二人で、私を守ってくださいね?」


 頬を引きつらせて言うエルザに、「当り前よ!」とアリアがアルタナをにらみつけると、黒髪の少女が面食らったようにたじろいだ。


「えっと……頑張って守らせてもらう。その、なんだ……アリアはすごいな。創造神様に向かってあんなはっきり言えるなんて、正直、尊敬する」

「……同じ顔で真逆のこと言うなんて、卑怯よ」


 頬を赤くしたアリアが、照れた声で小さくそう言った刹那、横合いにある暖炉の内部から、急にぞわりとした寒気が膨れ上がった。

 全身が総毛立つ様な違和感に、その場の全員が戦闘態勢を取る。


『ボクに糧を。死と発狂をちょうだい。甘い甘い、不幸を味あわせて?』


 室内に精霊語が木霊した後、片目だけを覗かせるような独特の髪形に、死に装束を纏った一人の少女が暖炉の前に浮かび上がった。

 ひたり、と素足で地面を掴む音が響く。

 再び、ひたりと音がして、少女はラーナの方を向いて微笑んだ。


『来てくれたんだ。遅いよ、ラーナお姉ちゃん』

「――エルマ!」


 これ以上ないほどの悲痛な声で、ラーナは目の前に立つ少女の名前を呼んだ。

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