第53話 ハンク誘拐される

 ズドンという鈍く重い音と共に、ザカリアの体が少し宙に浮いた。

 常人なら重傷を負うであろうが、幸いにもザカリアは全身を筋肉の鎧でこれでもかと武装している。なにより、気配からして彼の強さは特級冒険者レベルだ。きっと、大丈夫のはず。ルクロでイザークと戦った時のようになることは無いだろう。これなら、うまく気絶させられるはずだ。

 そう自分に言い聞かせながら、ハンクが拳を引いて顔を少し上に向けた。ザカリアの顔がもう少しでハンクの視界に入ろうとした、その瞬間。ザカリアの蹴りがハンクの側頭部を捉えた。

 鋭い衝撃の後、ハンクの視界が短い放物線に沿って移動し、最後に地面が映る。そして、全身を襲う2度目の衝撃。

 それは、空中で身を捻るようにして回転させたザカリアが、追撃となる渾身の蹴りをハンクに叩き込んだものだった。


「戦いの最中に油断する貴様が悪い。骨の何本か折れたかもしれんが悪く思うなよ」


 不敵な笑みを漏らしながら、ザカリアが地面に横たわったハンクを見下ろす。

 そんなザカリアに、骨の何本どころか常人なら死んでるだろ! と、地面に突っ伏したままハンクは心の中で突っ込みを入れた。

 確かに、今のは油断したハンクが悪い。しかし、そうは言ってもやり過ぎである。

 相手がハンクだったからこそ暢気に突っ込みを思い浮かべているものの、これがアリアやシゼルであったならそうはいかない。

 ……そもそも、アリアとシゼルであれば、このような事態になることすらなかったであろうが……

 それはさておき、このまま起き上がって戦闘を継続するべきか否か、地面にうつ伏せに寝転がった状態でハンクは思案を巡らせる。

 強かに蹴り飛ばされはしたものの、体にダメージはない。その気になれば即座に立ち上がることだって出来る。とはいえ、本当にそれでいいのだろうか? 先ほどのザカリアと帝国密偵の遣り取りを見る限り、彼は敵方だ。いっそ、このまま”気絶したふり”をしてこれ以上の接触を避けるのが賢明な判断と言える。

 なにより、サラにつながる手がかりを何一つ手に入れていない状況で、ヴィリーの体を乗っ取った天上神フレイにこちらの居所を特定させるわけにはいかない。

 もし、それがフレイに露見するようなことにでもなれば、今までの苦労はすべて水の泡だ。

 ――それだけは何としても避けたい。

 コルナフースでフレイと邂逅し、暴走したリンとそれに飛び込んだハッシュが神器に格納されてから3か月。ハンク達はフレイに対抗すると言ったアルタナの言葉に従い帝都フレイベルクに身を隠した。

 アルタナが敢えて敵地のど真ん中である帝都フレイベルクを選んだ理由は、「木を隠すなら森の中、であれば、人を隠すなら街の中は道理だろう?」だそうである。

 実際、アルタナの言葉は正鵠を射ていた。

 3か月前のハンク達は、即死寸前の重傷から辛うじて生還したエルザを休ませる場所が必要であったし、エルフ王アルヴィスより受けた先代預言者サラ=アウテハーゼの奪還という依頼の遂行中でもあった。

 帝都フレイベルクは、その両者を成立させる唯一の場所なのだ。

 だからこそ、ハンク達はその二つの目的を果たすべく、敢えて敵地に飛び込む選択をした。

 ……それを台無しにするようなこと、絶対にするわけにはいかない。

 その為なら、無様に地面に這いつくばって気絶するふりをするくらい、何を恥じることがあるだろうか。

 腹は決まった。

 ――このまま気絶したふりでやり過ごそう。

 そうハンクが決意した瞬間、ハンクの体がぐいと持ち上げられ、ザカリアの肩に担ぎ上げられた。


「エステル! 父ちゃんの勝ちだ! それよりも、お兄ちゃんは気絶しちまった。連れて帰って手当てしてやならないとな」

「やり過ぎでしょ! お兄ちゃん大丈夫なの? 死んじゃったりしてないよね?」

「まあ、大丈夫だろ。行くぞ」 


 頬を膨らませながら「ホントに大丈夫なの!?」、と何度も詰め寄るエステルを豪快に笑ってあしらいつつ、ザカリアはハンクにだけ聞こえる声でボソリと呟いた。


「手ぇ抜いて戦われたのは癪だが、それであの打ち込み。ホントにお前は何モンだ? ……まぁ、いい。今度こそ本当に付き合ってもらうぜ」


 ……マズいことになった。かといって、咄嗟に打開策も浮かばない。

 ザカリアの肩に担ぎ上げられ、上下運動を繰り返すだけの現状に、ハンクは内心で滝のような冷や汗を流す。

 このままどこへ行く気なのかは知らないが、ザカリアはハンクを何処かへ”連れて帰る”らしい。一国の王が帝都フレイベルクに滞在する場所なぞ、下手をすれば第一防壁の内側――皇帝の居城だ。

 それまでにこの状況をなんとかしなくては……。

 ザカリアに担ぎ上げられ、気絶したふりを続けながらハンクは思案に耽った。

 今のハンクは魔力の出力を特級冒険者レベルに絞った状態だ。逃げる為とはいえ、一瞬でも魔力を解放すれば、即座にハンクの居所がフレイにバレてしまうだろう。

 かといって、突然暴れたところでザカリアの手を簡単に振り解けるとも思えないし、そのまま”薬屋”まで尾行されることなく帰れるとも思えない。

 ならば魔法で眠らせて、その間に逃げれないかとも思うが、周囲の気配からしてここは大通りだ。そんなことをすれば、周囲の人々が異常を察知して警邏の騎士達を呼んでしまう。

 しかし、見方を変えればこれはチャンスだ。このままザカリアに担がれて城に入れるなら、サラの情報が手に入るかもしれない。なんだかんだ言っても、現状、サラにつながる情報は皆無なのだ。

 敵地への単独潜入。

 ……ちょっとかっこいいかもしれない。

 ハンクは、降って湧いた名案に思わず頬が緩みそうになるのを堪えながら、はたとあることに気が付いた。

 この状況、ハンクが異世界転生を果たした直後、赤い荒野でアリア達3人に出会って問答をしたのち、ハッシュに《バインド》を掛けられ、そのままシゼルに担ぎ上げられた以来であることに。



 ハンクがザカリアに担ぎ上げられて、帝都フレイベルクを何処かへ向かって移動していた、ちょうどその頃。


「ハンクさん達、ちょっともう一回見てくるって言った割に、ちっとも戻ってきませんね……」


 ハンク達が拠点としている”薬屋”の厨房で、夕食の準備をするエルザが隣でそれを手伝うシゼルに話し掛けた。心配の所為か、エルザの顔には不安の色が浮かんでいる。


「うむ。確かに遅いな。だがハンクのことだ、心配はないだろう。案外、エステルの父親が見つかって長話でもしてるのかもしれんな」

「だといいんですけど……」


 微塵も心配する素振りを見せないシゼルに、エルザが言葉を濁す。


「大丈夫。何と言ってもハンクは”守護者”だ。何かに巻き込まれたところで怪我なんてしないさ。それよりも、味付けを濃くし過ぎると我らが主人、アルタナに文句を言われるぞ?」

「そうでした……。いつだったか、ハンクさんが作った食事も、味が濃いと文句を言われてましたね」


 クスリと笑うエルザの横で、優しく微笑んだシゼルがテキパキと夕食の準備を手伝う。鍋の前に立つエルザがそれを眺めながら、


「いつも思うんですけど、その手際の良さを見ているとシゼルさんが貴族だったなんて、その……なんと言うか……とてもそんなふうに見えないですね」

「貴族だなんて言っても男爵家の5男坊だ。食い扶持を減らすためにアドラス王国騎士団に入れられたが、下級貴族の扱いは下男のようなものだったからな。まあ、お蔭で冒険者になった今も身の回りに困ることは無い。皮肉なものさ」


 冗談めかして言ったシゼルがニッと笑う。

 それでも、エルザが聞いたところによると、シゼルはアドラス王国騎士団に入団後、1年と経たず5人いる騎士団長達に匹敵する強さを身に着けていたのだそうだ。そして、騎士団が嫌になったからと退団する頃には、彼の横に肩を並べる人物はいなかったらしい。もちろん、急に騎士団を辞めてドルカスに戻ってきたシゼルは、父親と4人の兄達にこっぴどく叱られた。だが、シゼルはそれを意にも介さず「冒険者になる!」と宣言し家出同然に屋敷を飛び出した。きっと今頃は良くて勘当、悪けりゃ絶縁だ、と笑いながら話していたのを覚えている。

 同じ最強でも私の知る最強とは大違いだ、とエルザは心の中で苦笑を漏らす。


「私も神聖魔法を会得した後、司祭と言えど身の回りのことは自分でするものです、って教育係のシスターに言われました。なのにヴェロニカはちっともやってくれないから、私がお世話してたんですよ。ヴェロニカがヴィリー様のもとに遣わされた時は、あの人がこれからどうやって生活するのか心配ばかりしてたな……」


 鍋の蓋を閉めてから、エルザは懐かしいものを思い出すように自身の胸に手を当てた。

 そこは、3か月前に帝国密偵が放った短剣に貫かれた場所だ。しかし、そこに即死寸前の重傷を負った痕はない。なぜなら、エルザの姉であるヴェロニカが、全魔力を以って即座に治療を行ったからである。

 

「私は……天上神を裏切って、神聖魔法のすべてを失って。なのに、ヴェロニカは私を治してくれた。こんな傷、痕も残らないくらいに治したら、魔力のほとんどを使っちゃうのに」


 ヴェロニカは、行方をくらませた自分のことを心配してくれているだろうか、と思う。

 あの場所で、ヴェロニカと最後に交わした言葉。「反逆者となり、信仰を奉げるべき天上神を裏切ると言うなら妹でも何でもない」そう言い放った彼女の冷たい顔が脳裏から離れない。

 だけど――


「きっと、今頃ヴェロニカはエルザのことを心配しているだろう。そうでなければ、フレイに逆らってまで君を治療し、礼を言ったハンクを怒鳴りつけるなんてことしないさ」


 シゼルの言葉にエルザの視界が涙で歪む。そうであってほしいという願いを、エルザの代わりにシゼルが言葉に出してくれた。

 ――このままここにいては、堰を切ったように泣き出してしまうだろう。

 ルクロでハンク達5人に出会ってからこっち、私は泣いてばかりだ。気が付けば、すっかり泣き虫になってしまった。お蔭で、リンとハッシュはここだと、黒い立方体を見せられた時もかなり泣いてしまった。

 ……泣いてばかりいる訳にはいかないのだ。

 エルザは鼻をすするようにゆっくり息を吸ってから、


「ありがとう。私もそうだと嬉しい。……食事、出来たからアルタナ様達を呼んできます」


 そう言って、無理やりはにかむような笑顔を浮かべ厨房の外へ早足で歩き去っていった。

 エルザの言葉と行動のちぐはぐさに、呆気にとられたシゼルが彼女の背中を見送ると、入れ替わるようにアリアが厨房へ入って来た。

 そして、わざとらしくため息をついて、形の良い碧眼をすっと細める。


「何やってんのよ。こういう時は黙って胸を貸すのが男でしょ? ……まったく。うちの男どもは情けないのばかりね」

「ご忠告痛み入る。……よく覚えておこう」


 シゼルがニッと笑顔を浮かべると、アリアも口元で軽く笑ってそれに応える。2人がそれぞれ椅子を選んでテーブルに着くと、そこへ血相を変えたエルザが戻ってきた。


「大変です! ハンクさんが誘拐されました!」

「「――は?!」」


 見事にハモったアリアとシゼルの間の抜けた声が、夕方の厨房に響いたのだった。

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