第54話 やってもらいたいこと

「結論から言おう。ハンクの救出はしない。時間の無駄だ」


 厨房兼食堂の入り口に立ったアルタナは、さも当然の様にそう言ってから、血相を変えたエルザの横を通り抜けて、ゆっくりと上座にある自らの席に腰かけた。

 呆気にとられるアリアとシゼルを順番に眺めてから、未だ立ったままのエルザに着席を促す。


「エルザも座るといい。折角の料理が冷めてしまう」


 優しく微笑むアルタナに返す言葉も見つからないまま、エルザが無言でシゼルの隣にある自らの席に着くと、


「ところで、どうしてハンクが誘拐されたなんて話になったのか、私にも説明してもらえるとありがたいんだけど?」


 我に返ったアリアが、空いた席を一つ挟んで上座に座るアルタナに真剣な顔で問いかけた。

 斜め向かいに座るシゼルもそれに肯首で賛同する。


「簡単なことだ。我とハンクは神とその依代なのだからな。ハンクの場合、依代と言うには多少語弊があるが……それはさておき、奴に今なにが起きているのかを察知するくらい、難しい事ではない」


 アルタナに向けたアリアの訝しむ様な目が、小さく見開かれた。


「自然に溶け込んでるけど、そうだったわね……」

 

 目の前で夕食を口に運び、エルザに向かって「良い味付けだ」、と口元を綻ばせる黒髪の少女を動かしている存在の本質は、創造神アルタナである。

 この3か月、アルタナと共に行動しているうちに、いつの間にかそのことをすっかり失念していた。

 そして、その器となった黒髪の少女――ラーナは正しい意味で、アルタナの依代たる”守護者”だということも。


「それに、ハンクの体は我の最高傑作だ。本気を出せば、神の軍勢と互角以上に渡り合えるほどのな。……人間相手に奴の身を案じる必要など無い」


 アルタナは伏し目がちにそう言った後、アリアの方をゆっくりと向いて挑発するような表情を作った。


「アレは我のものだ。転生させてやったからには、我の目的を達成してもらわなければならん。それが我とハンクの”取引”なのだからな」

「――っ」


 ぐっと心臓を鷲掴みにされるような感覚に襲われて、アリアは息を飲んだ。その脳裏を、廃墟と化したコルナフース城前庭で、アルタナの一睨みによって意識を奪われたイザークの姿が浮かぶ。

 アルタナ曰く「3日間は生命活動が低下するように暗示をかけた。4日後に勝手に起きるから心配するな」だそうである。その言葉を信じて、イザークを帝国軍野営地のエリック司祭に託してきたが、今、自分が彼と同様に意識を刈り取られるわけにはいかない。

 自身の目的の為にも、蚊帳の外にいるわけにはいかないのだ。

 そうでなければ、サラは……イーリスは…………まだ、ハンクにだって本当のことを言ってはいないのに……

 突如として襲い掛かる息苦しさに、アリアの思考が渦を巻く。 

 ……だが、いつまでたってもアリアの意識が闇に飲まれることは無かった。

 そして、アリアはあることにハッと気が付いた。

 この息苦しさはアルタナのプレッシャーの所為ではない。心の内を見透かされた、アリアの罪悪感がもたらしたものであるということに。

 それは、アリアが森を出た理由に起因する。半分は行方をくらませたサラを探すため。もう半分は――


「我を誰だと思っている。精霊王の巫女よ、お前がノルンの末妹に何を言われたかくらいは想像がつく。お前の”取引”の内容もな」

「……全部お見通しなのね」

「そうとも限らん。我は守護者であったヴィリーがフレイに乗っ取られるまで、奴の苦悩に気付きもしなかったのだ。その意味で、今、お前が立たされている状況は、その一端といえるだろう」


 軽く目を閉じて「許せ」と言うアルタナに、アリアは小さな嘆息を漏らした。

 

「あなたが謝る必要なんてないわ。だって、これはノルンの神託に背いて依代としての力を失ったサラ先生と、1人じゃ何もできない私の所為だもの」


 決意と自虐。その両方がないまぜになった瞳で、アリアはまっすぐにアルタナを見つめた。

 その脳裏に、7年前天上神ノルンと交わしたある”取引”が浮かぶ。幾度思い出したかわからないその内容は、それこそがアリアが森を出た理由の残り半分であり、天上神ノルンによって口外を禁じられている。もし、禁を破ろうものなら、たちどころにその”取引”は破棄され、最悪の結末が彼女を待ち受けることになるだろう。

 ……それだけは何としても回避しなくてはならないのだ。

 しばらくの沈黙の後、アリアは自らを呆然と眺める視線があることに気付いた。――エルザである。

 そういえば、彼女もまたコルナフースで天上神フレイに背き、神聖魔法のすべてを失ったのだった。

 アリアはゆっくりとエルザの方を向き、頬を緩める。


「ハンクといい、サラ先生といい、神様に逆らおうってはずれ者は案外いるものよ。元気を出してっていうのはちょっと変だけど、落ち込まないで」

「そうじゃ……ないんです。アリアさんを見ていると、とても辛そうで……すみません。こんなこと、神様に逆らった私が言えた義理じゃないですよね」


 恥じ入るように頭を下げたエルザに、アリアがクスリと笑いを漏らした。


「エルザ、落ち込まないでって言ったでしょ? あなたは、リンとフレイの戦いを止めようとして結果的にそうなっただけ。それに、シゼルとハッシュを守ろうとして大怪我まで負ったわ。なのに、自分を責めるなんて間違ってる。どう考えたって、悪いのはフレイよ」

「そうだな。フレイは非道が過ぎる。話を聞く限り、善良な天上神とはとても思えん。歪、とでも言えばいいだろうか……」


 シゼルが眉を顰めて、考え込む様にため息を漏らす。シゼル自身、フレイの印象をどう言葉にすればいいのか考えあぐねているのだろう。

 束の間の沈黙の後、一人悠然と食事と続けていたアルタナが、その手を止めて口を開いた。


「――700年前のことだ。当時、我は神代戦争を終息させるためにヴィリーを”守護者”とした。結果、休息の時代を迎えた訳だが……フレイはその時ヴィリーによって消滅させたはずの神なのだ。だというのに、奴はのうのうとその存在を維持している。腑に落ちない点はいくつかあるが、ああなってしまった以上、フレイはただの邪神だ。堕ちた天上神に協力しようなどと言う天上神はいないだろう」

「天上神の長だとフレイは言っていたけど、誰もついてこない長なんて……滑稽ね」


 アルタナの言葉にアリアは嘆息を漏らした。眉を顰めたその顔に、呆れとも軽蔑ともとれるものが浮かぶ。

 

「なにせ、相手はこのアルタナなのだからな。破滅の確定した泥船などに誰も乗りはしまい。天上神どもは皆、300年後に始まる最終戦争が本番だということをしっかり理解しているのだ。……とは言え、フレイも一端に長としての権能は維持しているようだ。エルザの神聖魔法が全く使えなくなってしまったのも、その所為だろう。まあ、それに関しては別の手段を講じるとしよう」


 さて、とアルタナは話を区切り、


「我の話はおしまいだ。それよりも、お前たちにはやってもらいたいことがある」

「やってもらいたいこと?」

「確認作業のようなものだ。説明は、直接させよう」


 要領を得ないアルタナの言葉に、アリア達3人の顔に疑問符が張り付く。


「――さあ、”眠り姫”のお目覚めだ」


 ”眠り姫”。その言葉の意味するところに思い当り、アリア達3人の顔に一気に緊張の色が走った。

 だが、目の前の黒髪の少女は、それらを置き去りにしてすっと目を閉じると、ゆっくり1つ深呼吸をしてから居住まいを正した。

 しん、となる室内。3人の視線が刺さるように黒髪の少女へ向けられる。

 そして、ゆっくりとその瞼が開いて、黒い双眸があらわになったとき、そこには表情を強ばらせた、まったく見知らぬ少女がいた。


「初めまして、でいいのかな。私はラーナ。……えっと、大森林ではいろいろと迷惑をかけて、済まなかった」


 気まずそうに言ってから、今の今までアルタナであった黒髪の少女――ラーナは、深々と頭を下げた。

 重い沈黙が室内に落ち、唇を真一文字に引き結んだアリアが、ラーナを睨むようにじっと見つめる。そんなアリアに、掛ける言葉も見つからずシゼルとエルザが互いに顔を見合わせた。

 ややあってから、アリアがすっと立ち上がりラーナの横へ移動した。その気配を感じたラーナがアリアの方を見上げる。だが、うつむいたアリアの顔に、煌めくような金の髪がヴェールの様に覆い被さって、ラーナがその表情を伺い知ることは出来なかった。

 そして、アリアは表情を隠したまま、その口を開いた。


「ラーナ。あなたがエルフの街でしようとしたことは、到底許されることではないわ。それが、例え人質同然の子供たちを守るためだったとしても。……それに、なによりもあなたは帝国の密偵のはずよ。しかも、ハンクに命を奪われてる。そのあなたが、何故帝国を――サラ先生を裏切ってまで私たちに協力してくれるの?」 


 本当はサラのことを今すぐにでも問い詰めたい。未遂、だったとはいえ、ハイエルフを捕えようとしたことを責めたい。アリアの家族や友人、そのすべてが対象だったと思えば尚更である。


 ――気を抜いたら、荒ぶる感情の波に飲み込まれてしまいそうだ。


 今やラーナは守護者となり、その気になれば自分たちなど一瞬で殺すことも出来るような人外の存在である。アルタナとの”契約”を受け入れ、強大な力を手に入れたからと言って、それほど簡単に掌を返せるものなのか。サラ先生との日々は、ラーナにとってそれほど軽いものだったのか。


 ……だからこそ、ラーナの言葉でその理由を聞きたい。


 ゆっくりと、アリアは俯いた顔を上げて、ラーナと視線を合わせた。再びの沈黙がしばらく訪れた後、ラーナが言葉を選ぶように、ゆっくりとアリアに語りかけた。


「貴女は、サラ先生を知ってるんだね。とても優しくて、でも、ちょっと危なっかしくて。6年一緒に暮らしたけど、孤児の私には本当のお母さんみたいな人だった。『精霊魔法は自然と共に生きるための魔法』って、いつも口癖のように言ってた」

「だったら何で!? どうしてあなたはハイエルフの誘拐になんて手を貸せるの!?」


 不意に聞こえたサラの口癖。その部分だけ精霊語だったことに、思わずアリアが声を荒げた。


「すまない……今思えば、あの時の私はどうかしてた。ヴィリー様に……いや、フレイに利用されたヴァンを見た時、心からそう思った。ずっと、私がやらなきゃ他の子達がつらい思いをする。私が帝国軍の仕事で功績を立てれば、あの子達はこんなつらい思いしなくて済むって、ずっと思ってた」


 ……そんなはず、あるわけないのに。ポツリと呟いて、ラーナが自嘲めいた嗤いを浮かべる。


「最初はね、こんなにも誰かの事を呪うことが出来るのかってくらい、あの人のことを憎んでいたんだ。だから、アイアタルに変換された私の体が負けた時、とても悔しかった。最悪の未来ばかりが浮かんで、絶望で目の前が真っ暗になった。どうせ、英雄気取りで神様からもらった力に酔って、本当に大事な事なんて顧みることもしないような、最低なヤツなんだろうって」


 言いながら、ラーナは胸の前に右手を持ち上げてそこに視線を落とすと、その掌から青白い燐光をいくつも生み出した。そして、すぐさま手を強く握りしめて、青白い燐光を霧散させた。

 まるで、《アナイアレイション》によって霧散した、アイアタルのように。

 突如、話が変わったことにアリアは一瞬訝しむような顔をするが、それが誰のことを言っているのかすぐに気が付いて、思わず小さな笑みを浮かべた。


「でも、違ったんだ。あの人はそうじゃなかった。自らの行いに後悔して、苦しんで。最善の答えなんてどこにも無いのに、ずっとそれを考えて。しかも、本心からそう思っている。……狡いにも程があるでしょ? だからね、私はあの人がサラ先生とみんなをフレイから助け出そうとしてくれる限り、協力しようと決めたんだ」


 信頼と好意と期待。それらが温かい感情となってラーナの頬を優しく微笑ませる。再びアリアと目を合わせようと、ラーナが顔を上げた瞬間、そこにアリアの手が差し出された。


「ラーナ。あなたを信じるわ。私はアリア=リートフェルト、ハイエルフよ。予言者候補として育てられ、サラ先生とは小さい頃からずっと一緒に暮らしてた。アルタナと同化してたあなたなら、私がノルンと交わした”取引”のことも知ってると思う。だから、お願い。私達を助けて……」


 結局のところ、”守護者”と言えどラーナも一人の人間だったのだ。ラーナは彼女にとっての”最悪の未来”を回避するために必死で生きていたにすぎない。

 ――それならば、自分もラーナを信じてみようと思う。彼女がハンクを信じるように。


「ありがとう、アリア。あなたの”取引”に関しては、ある程度理解している。多分、口外してはならないものだってことも含めて。きっと、私かあの人――ハンクのどちらか、もしくは両方が必要だってことも。こちらこそ、よろしく」


 ラーナは差し出されたアリアの手を握り返し、ふわりと微笑んだ。そして、アリアもそれに笑顔で応えた後、再び自らの席に座った。


「では、改めて。私はラーナ=アウテハーゼ。サラ先生に育てられた孤児たちは、この名前を使うことを本人から許されて名乗っている。その上で、アルタナ様の言った、皆さんにやってもらいたい事とは、第1防壁東門のすぐ外側にある、元帝国軍参謀であり魔導将軍ヴィリーの別宅の調査。つまり、私と他のみんなが育った孤児院、通称”箱庭”の現状確認です」


 道案内は任せてほしい。最後にそういってふわりと微笑むラーナの言葉に、アリアとエルザが息を飲み、シゼルがごくりと生唾を飲み込んだ。

 帝都フレイベルクに潜入し約3か月。杳として知れなかったサラの居所は、目覚めを決意した”眠り姫”によってもたらされたのだった。

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