第52話 路地裏の出会い②

 1時間後、ハンクはエステルを伴って中級平民街の大通りへと戻ってきた。

 もちろん、エステルの両親を探すためである。

 現状、ハンクが手にしている情報と言えば、エステルがドワーフなのだから彼女の両親もそうに違いない、という程度だ。

 アリアによる探査魔法が期待できない以上、頼りになるのは自らの気配感知だが、会ったこともない相手の気配などそうそう判るものではない。

 ハンクの気配感知は、魂の力を根源とするエネルギー――魔力を直接感知することで対象の存在を認識する。

 つまり、魔力を感知できるということは、そこに何かしらの生命がいるということに他ならない。

 当然、生命核を持つに至った存在ほどその気配は大きく強い。

 ハンクの頭の中で、それらは青白く光る点となり、まるでレーダーのように彼を中心として浮かび上がるのだ。

 ちなみに、ハンクが仲間たち個人を特定できていたのは、一緒に旅をしたことで相手の持つ人となりや雰囲気のようなものを理解し、それを気配感知の結果に重ねていたからである。一見すると、青白い光の点でしかないそれらは、集中して識別することで蝋燭の炎のように揺らぎ、ハンクにいろいろな情報をもたらす。

 故に、親しい仲間か生命核を持った同種の存在でもない限り、ハンクの気配感知は個人を特定することに不向きなのだ。

 そんなわけで、ハンクは気配感知でエステルの両親を探す事を早々にあきらめて、目視による捜索を余儀なくされていた。


「なあ、エステル。お前の両親ってすごく強かったりするのか? それか、病気で困ってたりしないか?」

「うーん……わかんない。でもね、わたしお父さんと二人で歩いてこの街に来たんだ。朝はとても元気だったよ。あとね、お母さんは一緒に来てないんだ。お家でお留守番してるよ」


 ハンクの問いの意図が理解できず、幼いエステルの顔に疑問符が張り付く。それでも、エステルは必死に何かを思い出すようにして、首を左右に傾けながらハンクの問いに答えた。

 そんなエステルの顔と、左右に揺れるツインテールを見ながら、ふと、ハンクは1時間前のやり取りを思い出した。

 帝都滞在中の潜伏先兼拠点である”薬屋”で、エステルを全員に紹介した後、にやりと笑みを浮かべたアリアにこっそり耳打ちされたのだ。

 彼女は精霊語で、


『そういえば、さっき何をしどろもどろになってたかしらないけど、ドワーフは20歳くらいでやっと外見と精神が一致する種族なの。それでも、見た目はヒューマンの16、7歳くらいらしいわ。だからね、今のエステルは見た目のまま10歳くらいの精神しか持ち合わせていない”お子様”よ。それなのにあんなに動揺するなんて、キミはホントにイーリスといい勝負ね』


 アリアの言ったことは、この世界で常識として広まっている。

 当然、それを知らないハンクは、15歳という年齢を聞いただけで動揺を隠せないでいた。なにせ、同年代の女の子の頭を気軽に撫で、お姫様抱っこのまま壁を飛び越えて大通りまで移動したと思っていたのだ。

 そうは言っても、元々ハンクの中身は29歳のれっきとした大人である。

 自分ではそう信じてやまないが、最近、自分の見た目に合わせて精神年齢が幼くなっている気がする。そうでなければ、同年代と聞いただけで、気恥ずかしさから挙動不審になる説明がつかない。

 なにより、事あるごとに茶々を入れるアリア相手に、自分は不思議と上手く立ち回ることが出来ない。

 挙句の果てには、それを見ていたエステルに「尻に敷かれてる」とまで言われる始末だ。

 ……どうしてこんなことを突然思い出したのだろう?

 これ以上思い出したら、情けなさに泣いてしまうかもしれない。

 ハンクはがっくりと項垂れたまま、ゆっくりと息を吸い込んだ。 


「お兄ちゃん、どうかしたの? 顔が引き攣って笑って泣きそうにもなって、大変なことになってるよ?」


 突然会話が途切れたと思ったら、一人百面相を始めたハンクをエステルが心配そうに覗き込んだ。急に鼻先に現れた可愛らしい顔に、驚いたハンクが正気に返る。

 ハンクはおもむろに横を向いて咳払いをした後、「何でもない、気にすんな」と誤魔化した。そのまま、記憶の糸を手繰って最後の会話を思い出す。

 ……エステルの両親の話をしていたのだった。

 エステルの幼い仕草に気を取られて余分な事を思い出してしまったが、それはさておき、彼女は両親とではなく父親とこの帝都フレイベルクへ徒歩でやってきたという話だった。迷子になった経緯はしっかりと聞いてはいないが、大方この雑踏で離れ離れになり、そのまま迷子になったのだろう。

 エステルによると彼女の父親は、異種族に会ったら取り敢えず”お兄ちゃんお姉ちゃん”って言っとけば大丈夫などと娘に教える辺り、そういう事態も見越していたと思われる。

 ちょっとあざとい気もするが、エステルは実際に幼い。

 

「そうか……なんか目立つ要素でもあればいいけど、ドワーフって言ったら背が小さくてガッチリしてるって感じだろ? この人込みでそれは正直キツいな……」

「そんなことないよ! お父さんはとっても大きいんだ。肩車してもらうとね、遠くの方までよーくみえるんだよ」


 ハンクは、大きく手を広げて父親の大きさをアピールするエステルを見ながら、彼女がずんぐりむっくりした髭もじゃのドワーフに肩車される姿を思い浮かべる。

 ハンクは自身の脳内でイメージされたエステルの父親が、学生のころに見たラノベやゲームのイメージにかなり引っ張られている気がしつつも、敢えてそれに知らない振りを決め込んで雑踏を見渡した。

(まあ、見つければ姿は拝めるんだし、今は仕方ないよな……)

 そう思いつつも、低身長で肥満体型の男性ばかり目で追ってしまう。お蔭でハンクの脳内では、エステルと彼女の父親は同じくらいの身長だ。どう考えても、エステルの言葉と盛大に齟齬が生じている。

 人探しにおいて、先入観など百害あって一利なしなのだ。

 ……一度、リセットしよう。

 軽く瞑目して、ゆっくり深呼吸。そして、開眼したハンクが再び視線を正面に戻した時、天を貫くような偉丈夫が目の前に立ちはだかった。小麦色に近い褐色の肌に、明るい茶色の髪。身長2メートルはあるのではないかという大男の特徴は、エステルと同じものだ。

 ひょっとして、とハンクが心の中で思ったのも束の間。大男に勢いよく抱き着いたエステルが、すべてを証明したのだった。


「お父さん! どこ行ってたの! 悪い人に囲まれるし、お兄ちゃんには助けられるしで大変だったんだよ! 怖かったんだからね!」

「ははは……ゴメンなエステル。ちょっとばかし油断しちまった。まあ、無事だったんだから良かったじゃねえか」


 低くよく通る声でエステルと話した後、お父さんと呼ばれた偉丈夫と目が合う。


「え……お父さん? ドワーフ……マジで? デカ過ぎじゃあ……」


 ハンクが、自身の脳内で描いていたエステルの父親と、現実に目の前に現れた偉丈夫とのあまりのギャップに数秒呆然とする。

 あくまでも、ハンクにとって”ドワーフ”という種族は、身長150センチくらいで樽のような体型というイメージだったのだ。

 だというのに、目の前でエステルを抱く偉丈夫は、2メートルを超すであろう長身に鎧のような筋肉を纏っていた。低身長どころか、ヒューマンより一回りも二回りも大きいその姿は、まるで格闘家だ。

 先入観による全力の抵抗。それは、ハンクの思考能力を数秒奪うには十分な理由であった。


「どうやら、娘が世話になったようだ。礼を言わせてほしい。ありがとう。俺はドワーフの長、ザカリア=ダインだ」

「え? あ、俺はハンク。この街に来たのは最近で、今は薬屋を手伝ってる」


 差し出された手にハンクが握手を交わすと、ザカリアは「そうか」と言って破顔する。ザカリアの肉厚な手が力強くハンクの手を握り、デコボコとした胼胝が掌越しに伝わった。

 きっと、ザカリアも凄腕の戦士なのだろう。急速に思考能力を取り戻した頭で、そんな感想を抱きながら、ハンクもザカリアの手を強く握り返す。

 

「俺の力に物怖じしないのか。……ハンク、と言ったか。只者ではないのだな」

「買い被り過ぎだろ? そこそこ体を鍛えてあるだけさ」


 興味津々といった視線を向けるザカリアに、ハンクはかぶりを振ってこたえた。

 下手な詮索は身を亡ぼす。特に、ハンクの立つ”こちら側”は人外の領域だ。如何にザカリアが凄腕の戦士であろうと、あくまで”人間”である彼がそれを知るには荷が重い。彼は生命核を持っている訳ではないのだから。

 ハンクは軽く微笑んでザカリアと視線をまっすぐに合わせた。


「握手。緩めてもらえると助かる」

「失礼した。強い者を見ると、つい興味が湧いてしまう性分でな。許してくれ」


 握手で強さを測るとかどこの脳筋だよ、とハンクは心の中で突っ込みを入れつつ、豪快に笑いながら手を引くザカリアに抱かれたエステルの方へ顔を向ける。

 もし、家族が現れなければこのまま一緒に帰って保護する事になっていたが、幸いにも父親であるザカリアに引き渡すことが出来た。

 迷子のレッテルから解放されたエステルとは、これでお別れだ。

 エステルとは半日行動を共にしただけであったが、いざ別れともなるとハンクの心に何となく寂寥感が漂う。しかし、だからと言ってずっと一緒というわけにはいかない。とりわけ、ハンクの周囲は危険なのだ。

 それに、なによりもエステルには彼女を保護するべき父親がいる。その父親であるザカリアを差し置いて、エステルがハンク達と一緒にいる道理はない。

 ハンクはエステルに向かって、ニッと笑顔を作った。

 エステルは眉を八の字にして、今にも泣きそうな相好でハンクを見つめている。彼女も別れを察したのだろう。


「お父さん。見つかって良かったな。もう迷子になるなよ」

「……うん。お兄ちゃんありがとう。お店のみんなにもありがとうって伝えてね」

「分かった。伝えとく。あと、ドワーフの街に帰る前に店に来いよ。いくつか薬を分けてやるから。エステルなら――


「――ザカリア様。こちらにおいででしたか。主命によりお迎えに参上いたしました」


 そんな別れの空気の真っただ中に、黒装束を纏った仮面の男が割り込んできた。

 どこからどう見ても異質であるはずなのに、周囲の誰もが黒装束の男を気にも留めない。それどころか、そこに彼がいる事さえ誰も気が付かない様子だ。

 黒装束の男が一歩踏み出し、ザカリアの前で片膝をついた。その動きに合わせて、黒装束の男の周囲が揺らぐ。まるで陽炎を纏ったかのようなそれは、認識阻害魔法の効果によるものである。

 普通であれば、誰もが気付くであろうその異質な姿と動きを、大通りを歩く人々は一顧だにしない。それは、黒装束の男を覆う認識阻害魔法の効果が並外れて高いことの証左でもあった。


「……影か。俺は今、恩人と話をしている。新皇帝ヴィリーには明日挨拶に伺うと伝えろ。だが、勘違いするな。話を全て鵜呑みにする気はない。見極めさせてもらう」

「――承りました。屈強なるドワーフの王ザカリア=ダイン様。明日は、謁見の間にてお待ちしております」


 低く冷たい声と共に相手を押し潰すような覇気。ザカリアは容赦なくそれを黒装束の男に叩き付けた。だが、黒装束の男がそれを意に介した様子はなく、淡々と事務的な口調でザカリアに答えた後、ゆらり、と陽炎を纏って雑踏の中へと消えた。


「フン。謁見の間だと……まるで俺が臣下に加わるのが当然だとでも言いたげだな」

「お父さん! 落ち着いて! お兄ちゃんがビックリしてるよ!」


 愛娘の指摘に、ザカリアが弾かれたようにハンクの方を向いて「すまん! 大丈夫か?」と声をかけた。突然の闖入者を前に押し黙ったハンクが、エステルには恐怖を感じたように映ったのだろう。眉を顰めて立つハンクの顔色は、心なしか悪い。

 だが、本当の理由はそうではない。

 ――黒装束の男は帝国密偵だ。

 あの特徴的な仮面を見間違えるはずなどない。なにせ、それが原因でハンクは大きなトラウマを負ったのだから。


「……大丈夫だ。それよりも、長だなんてぼかしてたけど、王様だったんだな」


 ザカリアの問いかけに、ハンクは急いでいつもの表情を取り戻す。

 だが、見かけを取り繕ったとこで今更だろう。ザカリアはハンクが黒装束の男と何かしらの因縁があることに気付いたはずである。

 あれほど分かり易く顔に出てしまったのだ。

 迂闊だったと言わざるを得ない。

 なぜなら、ザカリアはドワーフ王として帝国密偵の主であるリガルド帝国皇帝に招かれた、いわば敵だ。そんな立場にいる者が、今のハンクの反応をみて、何も無かったことにしてくれるなどということは普通ありえないだろう。

 やたらと長く感じる沈黙の後、ザカリアが口を開いた。 


「ハンクよ。少し付き合ってもらえないだろうか?」


 ああ、とハンクが短く答える。すると、ザカリアはハンクに一瞥をくれることなく、エステルをその腕に抱いたまま歩き始めた。

 無言でハンクはザカリアの後に続く。

 正直、嫌な予感しかしない。しかも、この手の予感は大体が百発百中だ。

 ……何とかしてうまくやり過ごす方法は無いだろうか。

 無言で前を歩くザカリアの背中を見ながらハンクが思考を加速させていると、唐突に広い場所に出た。

 周囲を見渡してみるが、人の気配はない。

 ――意図的にこの場所を選んだのだろう。


「気配。分かるんだな」

「武人なればこそ。鍛錬というやつだ」


 ザカリアは言外にハンクの問いを肯定してから、「離れていなさい」とエステルを下ろす。エステルが間延びした声で「はーい」と返事をしてハンクとザカリアから離れ、適度に距離を取ったところでちょこんと地面に座った。


「王様とお姫様だってのに場慣れしすぎじゃないのか?」

「生憎と俺が王になったのは最近でな。まだ1年と経っておらん」


 そんなことより、とザカリアは話を区切る。その口元は確信を得たとばかりに、ニヤリと歪められていた。


「奴等”影”は俺にしかその姿と声を認識させないように、認識阻害の魔法をその身に掛けていた。普通の薬屋が到底見破れるものではない。それに、明らかに奴らと何か因縁があるように見える。――お前は何者だ?」


 ザカリアの言葉にハンクは軽い眩暈を覚えた。

 迂闊どころの話ではない。そもそも、あの場に帝国密偵が現れたこと自体、気が付いてはいけなかったのだ。さらに言えば、認識阻害魔法を無視して会話の内容が手に取るように分かってはいけなかったのだ。

 しかし、そうはいっても後の祭りである。


「アンタの言う、影――帝国密偵とはちょっと訳ありなんだ。悪いけど、答えられない。……それに、知らない方がいい」

「俺では役不足だとでも言いたそうだな小僧」


 低く冷たい声と共に相手を押し潰すような覇気。常人であれば、それだけで気絶してしまうほどの圧力。今度はそれがハンクに向けて叩き付けられる。

 最早、戦闘は避けられないだろう。うまくやり過ごすどころではなくなってしまった。

 またアリアにバカって言われるだろうな……

 ハンクは、げんなりとため息を交じりに口を開く。


「そうじゃないけど、王様なんだからもう少し自重してくれよ……」

「先ほども言ったが、強い者を見ると興味が湧く性分なのだ。お前が正しいのなら、力で証明して見せろ!」


 言い終わるや否や、ザカリアがハンクに向けて裂帛の気合を込めた拳を放つ。しかし、ハンクはその拳を躱そうともせず、自らの額で受け止めた。

 そして、ハンクはゆっくりとザカリアの腕をつかんで、わざとらしくため息をついた。


「見たまんまステゴロかよ……。オッサン、後悔させてやるぜ」


 次の瞬間、やけに鈍い音と共にハンクの拳がザカリアの巨体に吸い込まれたのだった。

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