第47話 イレーネ・フリージア
どこか諦めたような、それでいて何かに納得したような笑みを浮かべた後、イレーネは自身を支える事が出来ず、倒れ込む様にハンクへともたれ掛った。
ハンクは咄嗟にイレーネの体を左手で受け止め、視線を彼女へと向けた。紅黒に彩られたイレーネの体が元の白い服装へと戻っていく。
それと同時に、イレーネの背中に突き出たハンクの右腕と、その手に握られた生命核が露になった。途端、イレーネの白い衣服が、彼女自身の血液で心臓の辺りから真っ赤に染まる。
だが、それも束の間。
光の大樹となったアリアが降らせた一筋の光条は、イレーネの生命核を灼いた後、その体積を膨らませてハンク達2人を眩い光の中へ飲み込んだ。
刹那、ハンクの腕に掛かっていた重さが、ふっと消えた。
「なにが、何も考えてない訳じゃないだよ……口ばっかりだな、俺」
最後にその身をハンクへ預けたイレーネの体は軽く、先ほどまで死闘を繰り広げていた
だが、それは紛れも無く、現実だ。
悪魔に成り損なったイレーネが、ノーライフキングとなってコルナフースを滅ぼした事も、アルタナの力によって
なにより、最後に彼女の体から溢れ出たものは、赤い血だった。
それは、イレーネが
――結局、自分は再び同じことをしてしまったのだろうか?
もうすぐ、見たくも無い映像が頭の中に流れ込んでくるだろう。
剣に魔力を纏わせて生命核を砕けば、魂の記憶に触れなくて済んだかもしれない。イレーネの憎しみを取り払う事が出来れば、彼女を助ける事が出来たかもしれない。
「ッくそ! なんでだよ! どうしてみんなッ……そもそも、なんで悪魔なんかになったんだよ! あんな死に方、いい訳ないだろ!」
ハンクの脳裏に、イレーネがアルタナによって何もない空間から引きずり出された時の姿が浮かんだ。
彼女は鎖骨から腹部にかけて長剣で串刺しにされて絶命していた。その体を貫いた剣は、ハンクの見た映像の中で、表情を無くした白髪の男が握りしめていたものと同じだ。状況からして、彼の仕業と見て間違いないだろう。
だが、その直前の映像で彼等は信頼の眼差しを向けあい、笑顔で会話していたはずだ。
……正直、意味が解らない。解りたいとも思わない。
それに、彼の特徴は今までの情報から考えて、多分、帝国の白き勇者ヴィリーだろう。仮に、彼が本物のヴィリーだったとして、魔王であるリンを襲った事に辻褄が合っても、仲間であるイレーネをその手に賭けた事に辻褄が合うことは無い。
ハンクの頭の中で、断片ばかりの情報が氾濫する。
――答え合わせを強要するかのような映像など、見たくも無い。
「ふざけんなよ……なんで、あんな簡単に人が殺せるんだ。仲間だろ……。勇者じゃねえのかよ!」
支えるものが消えて自由になった左腕を、ハンクは自身の右腕で強く掴んだ。最後にイレーネがそこにいた事を忘れない様に、強く。
「――神より聞いてはいたが、本当にあなたはお人好しだな、守護者殿。いや、ハンク殿」
聞こえるはずの無い声に名前を呼ばれて、ハンクが弾かれた様に顔を上げた。笑顔でそこに立つ人影に、ハンクが「どうして……」と、呟きを漏らす。
通常、魂の記憶がハンクを認識する事はない。
なぜなら、あくまでもそれは記憶であり、過去の出来事だからだ。
「本来なら、生命核を砕かれた時点で私は消失するはずだった。なんと言っても
自嘲気味に鼻で笑って、彼女――イレーネ・フリージアはアルビノの瞳を軽く閉じた。
「まあ、神の受け売りだがな」
言ってから、イレーネは後ろを確認する様にちらりと振り返った。その視線の先には、眩い光の空間があるのみで、誰かがいると言う訳では無い。だが、ハンクはその光の先に、よく知った気配がある事を感じとった。
「……ったく。泣いて謝っても許してくれないんじゃなかったのかよ」
「そんな事を言うものでは無い。神は――アルタナさまは、優しいお方だ。それに、この場を満たすおびただしい量の
憑き物が落ちた、とはこういう事を言うのだろう。イレーネの表情にそんな感想を持ちながら、ハンクが彼女の顔を眺めていると、
「ハンク殿。あのエルフの少女に、私が感謝していたと後で伝えて欲しい。もし、あなたがいなければ、私はハンク殿に憎悪の過去ばかりを見せていただろうからと」
イレーネがアリアのいるであろう方向を向いて、ふっと頬を緩ませた。
「俺がそう言う力を持ってるって事までアルタナに聞いてるのか……。いつの間にそんなやり取りをしてたのかは知らないけど、さっきまでとは別人だな」
「それを言われると、返す言葉も無い。ここにいる今の私は、最後に残った良心の残滓のようなものさ」
だからこそ、と一言小さく呟いて、イレーネは言葉を続けた。
「憎悪で歪んだ私の生命核を、正しい形にしてハンク殿に渡したい。その為にも、どうして私がああなったのか、ハンク殿には伝えたい。……話を聞いてもらえるだろうか?」
そう言って真っ直ぐ視線を合わせたイレーネに、ハンクはゆっくり頷いた。
――
だとしたら、アリアに礼を言わなければならないのは、自分だ。きっと、この状況を作り出すためだけに、彼女は障壁魔法の内部に留まる事を拒んだのだろう。
(デカイ借りが出来たな……)
正直、どうやって返したらいいのか、見当も付かないほど大きな借りだ。
ならば、まずはしっかりと受け止めよう。
アリアの覚悟とイレーネの生命核――”魂”を。
「もちろん、聞かせて貰うよ。出来れば、イレーネがどんな人だったかも教えてくれないか?」
「ありがとう。でも、自分がどんな人間だったか、上手く語る自信は無いな……」
イレーネは満面の笑みでそう言った後、居住まいを正してから、彼女の身に起きた真実を語り始めた。
話は3ヶ月前に遡る。
当時、コルナフースでは、街の至る所で怪奇現象が発生し、住人を不安に陥れていた。
その内容とは、枯れたはずの水路に、水が並々と溢れて逆流しているというものから始まり、火種もないのに街の至る所で明かりが灯り、太陽の光の下でも消えない闇の塊が出現すると言ったものだった。
そんな折、イレーネはコルナフースにいた。もちろん、怪奇現象の調査依頼を受けたからである。
普通、特級冒険者の彼女がこのような依頼を受けることは、まず無い。
だが、リガルド帝国の白き勇者ヴィリーが、直接、イレーネに解決を依頼して来たのだ。
ヴィリーと旧知の間柄であり、彼に想いを寄せていたイレーネは、それを二つ返事で承諾し、怪奇現象の解決に乗り出した。
何日か経ったある日、ヴィリーはヴェロニカを伴ってコルナフースへとやって来た。本来であれば、事件の解決を待たずして依頼者が現れることは、冒険者の実力を信頼していない行為だとして、あまり気分の良いものでは無い。
しかし、この時ばかりは事情が違った。
怪奇現象の原因を精霊力の異常だと見抜いたイレーネが、エルフのサラに助力を求めた結果、帝国首都を離れることができない彼女の代わりに、ヴィリー自らコルナフースへ赴いたのだ。
イレーネとサラ、そしてヴェロニカの3人は、ヴィリーが魔王の支配から帝国領土を取り返す戦いで、共に戦った仲なのだと彼女は説明した。
もちろん、そこでハンクはイレーネに、エルフの街でサラは7年ほど前に失踪した事になっていると伝えた。
だが、イレーネはそんな話聞いた事無い、サラはヴィリーに助力を請われて、大森林から帝国に赴いたはずだと返される。
怪訝な顔のハンクを後目に、イレーネは話を再開した。
イレーネはヴィリーの到着をコルナフース城で出迎え、ヴェロニカを含めて3人で夕食を摂り、精霊力の異常について対策を話し合った。
本音を言えば、ヴィリーとイレーネの2人で十分だった。とはいえ、ヴェロニカも彼に想いを寄せている事は、イレーネも知るところだ。だから、そうなるであろう事はイレーネも予想していた。
イレーネは内心で苛つきを覚えながらも、それを表面には出さず、別々の場所で育った双子の妹に半眼をくれてやったのだそうだ。
――ハンクが驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げたのは、言うまでも無いだろう。
イレーネとヴェロニカが双子の姉妹だと言う事もだが、彼女の外見はどう見てもエルザとそう変わらない。そう言ってポカンとするハンクに、イレーネは「ははっ。ありがとう。でも、お蔭でいろいろ苦労もしたんだ。ちなみに、もし生きていたなら、私は今年21だ」と笑って答えたのだった。
そして、その日の深夜。イレーネはヴィリーに呼び出された。正直、色々期待する所がなかったかと言えば、それは嘘になるだろう。
だが、ヴィリーがイレーネを伴って向かったのは、コルナフース城最奥の広間。つまり、謁見の間であった。
さすがにイレーネも、ヴィリーを訝しんで目的を尋ねた。
その瞬間、イレーネの身体は金縛りにあった様に動かなくなって、その場に両膝を突いた。もちろん、ヴィリーの姿を似せた何者かが仕組んだ罠かもしれないとも思った。
しかし、イレーネはミスリルタグを持つ特級冒険者だ。生半可な相手の拘束魔法など、瞬く間に
つまり、今この拘束魔法を使っているのは、本物のヴィリーだという事である。
信じられない思いでヴィリーを見ていると、彼はゆっくりとイレーネの方へ振り返った。
ヴィリーは、すらりと腰の長剣を抜くと、ゆっくりイレーネに近づいて来た。
その顔に表情は無く、瞳に冷たい輝きさえ纏わせて。
自分はヴィリーに殺されるのだと直感で理解した。もちろん、理由も解らない。だからといって、解りたくもなかった。よりにもよって、ヴィリーに殺されると言う目の前の現実を受け入れる事が出来ず、イレーネは涙を流して彼に懇願した。……命乞いだ。
そんなイレーネを見ても、ヴィリーは眉一つ動かさなかった。
ただ、「折角だから、理由くらいは教えてやろう」と言って、彼はその理由を語りだした。
もちろん、そんな理由など聞きたくも無かった。
そして、その理由は驚くほど身勝手極まりないものであった。
その理由とは、勇者を超えた現人神となること。その為に、他の生命核を取り込んで強くなる必要があると言うものだった。
今回の目的は、コルナフースの街の精霊力を乱して負の力場を作り、住人全てを贄として、依代代わりのイレーネに悪魔の生命核を宿らせると言うものだった。
イレーネに白羽の矢が立ったのは、生命核を得るためには強靭な肉体を持つ依代が必要だったからにすぎない。
その為、ヴィリーは精霊力を乱す為に、まず、闇精霊と相性のいい少年に闇、火、水の精霊を閉じ込めた精霊石を大量に作らせた。だが、それだけでは何の役にも立たない。そのまま使ったところで、精霊石は周囲の精霊力を一定量消費した段階で壊れてしまうからだ。
だから、精霊石が暴走するよう細工をした。……延々と精霊力を消費し続けるように。
後は密偵を使って、それをコルナフースの至る所に設置させた。
そして、今や行程は最後段階であり、後はイレーネを揺さぶって負の感情を抱かせたところで、彼女自身の血と魂を最初に奉げることで悪魔の顕現は開始される。
そう言ってヴィリーは長剣の切っ先を、イレーネの左の鎖骨にあてがった。
――心臓を串刺しにするために。
ヴィリーが手に持つ長剣は、リガルド帝国で厳重管理されているはずの魔剣だ。その魔剣を手にした者は、劫火の様な怒りに支配されて自分を見失う。
つまり、その剣の力でイレーネの怒りを増幅させる事で、悪魔が顕現する成功率を高めようとしたのだ。
……実を言うと、その辺りから良く覚えて無いとイレーネはかぶりを振った。
ただ、天上神に選ばれた勇者であるヴィリーが、自身の強化の為に街1つと、イレーネを犠牲にしたことに、烈しい怒りを感じた。魔剣の力に頼る必要も無い程に。
そして、なによりヴィリーに裏切られたことが、イレーネには世界そのものに裏切られたような気にさせた。
あとは、毎晩繰り返されるその光景に苛まれ、最後に残った自我さえ消える寸前で、アルタナが現れた。黒衣の彼女が、イレーネを赦し助けてやろうと耳元でささやいた後、その身は
彼女は、自分がハンクと戦う姿を、自身の体の中から眺めていたのだと言う。その間、ハンクの事や自身の身について、アルタナといろいろ話したのだそうだ。
「……戦闘中、エルフが嫌いかと私に問いかけただろう? 勇者ヴィリー殿を助けるべく行動を共にしていた私は、彼の一番大事な存在になりたかった。……でも、なれなかった。彼の心にはいつもエルフのサラがいた。それに、妹の聖女ヴェロニカ。彼女もまた、私と同じ事を願っていた。そんな二人と接する時、私は表面で笑顔を取り繕いながら、その実、心の底では嫉妬とも憎しみともいえぬ、どろどろしたのものが常に渦巻いていたのさ。ふふ、醜いものだろう?」
そう締めくくって、イレーネはその目を伏せた。
「なんだよそれ…………。勇者のやる事じゃないだろ!」
「そうだな。その通りだ。でも、それでも私は、まだ心のどこかで彼を信じている。きっと、何か事情があったのでないかとな。我ながら愚かなものさ」
自らの為に、共に戦った仲間の命に加え、街1つ分の人命を犠牲にするヴィリーを許すことは出来ない。だが、それを解っていて尚、心のどこかで彼を信じてしまうイレーネに、ハンクは掛けるべき言葉を見つけられなかった。
「アルタナさまに聞いたが、ハンク殿はきっとヴィリー殿と戦う事になるのだろう。あれほどヴィリー殿の力になりたかった私が、敵となるハンク殿に力を託そうとしている……。分からぬものだ。だが、後悔は無い。あなたなら、きっと正しい道を歩いて行けると、私は信じるよ」
きっと、これが本当のイレーネ・フリージアなのだろう。彼女は、アルビノの瞳に優しさを湛えながらも、強くまっすぐにハンクと目を合わせた。
よく見ると、イレーネの双眸は優しい赤色だ。多分、彼女自身も優しく強い女性だったのだろう。
そんな彼女が、自らの醜い感情までもハンクに晒したのである。
だというのに、イレーネの生命核が砕けた時、見たくも無い映像を前に、ハンクは内心で取り乱していた。
――イレーネの生命核を受け取る資格が、俺にあるのだろうか?
「買いかぶり過ぎだろ。……俺は口ばっかりの臆病者なんだ」
「それでも、エルフの少女はハンク殿に一つの答えを指し示した。まさに命を懸けて。だから、あの少女だけは裏切らないでほしい。ふふ……私のエゴだな」
思わず消極的な言葉を口にしたハンクに、イレーネが優しく微笑みかけた。
(――こんなとこアリアに見られたら、きっとまた「バカなの?」って言われるだろうな……)
本当に自分はどうしようない臆病者だ。だけど、アリアを裏切る訳にはいかない。自らの為に、イレーネを犠牲にしたヴィリーと同じになるなど、こっちから願い下げだ。
「……そうだな。絶対そんな事はしないって誓うよ」
「期待しているよ、守護者殿」
クスリと悪戯っぽく笑うイレーネを見ながら、ハンクは、はたとある事を思い出した。
「ところで、1つ聞いていいか?」
「なんだろう?」
「どうしてエルザを拐ったんだ? 魔法陣まで使って」
はて、とイレーネは考え込むように腕を組んでから顎を触った。
「……不味いな。ソレは私では無い。ヴィリー殿の仕業かも知れない。魔剣にそういう魔法陣を仕込んで、私の心臓に焼き付けたのかも。――急いで彼女達を追いかけた方がいい」
「くそッ! 勇者のくせしてなんて奴なんだよ一体!」
吐き捨てるように言ってから、ハンクは眉を顰めた。
――何か嫌な予感がする。
「最後に、ハンク殿。最早、ヴィリー殿は勇者でも無ければ、人でも無いかも知れない。戯れ言だと受け取ってくれてもいい。ただ、私が想いを寄せた彼とは、何か根本的に違う“ナニカ”になってしまった気がする。だから、十分に気を付けて欲しい」
「――わかった。その忠告、しっかり覚えとくよ」
イレーネはハンクの返事に満足そうに頷いて、ゆっくりと一つ深呼吸をした。
「では、逝くよ。出来れば、あなたとは生きて会いたかったな。……さようなら」
「……ああ、さよなら」
ハンクがイレーネの差し出した手に握手を交わす。
そして、ハンクが視線を上に戻そうとしたその刹那、まるで掻き消えるように、イレーネはその場からいなくなった。
「毎度これでは先が思いやられるな、ハンクよ。……だが、ヒントは得たはずだ。このエルフの娘に感謝するのだな」
全てが消えて、呆然と立ち尽くすハンクの前に現れたのは、アリアを抱いたアルタナだった。
ハンクは僅かに鼻を鳴らして、頬を伝う水滴を右手で拭った。
「ったく。お人好しはどっちだよ。……みんなが危ない。アリアを頼んでもいいか?」
「創造神をこき使うなどお前くらいのものだぞ? まあ、今回は特別だ。行ってくるといい」
任せた。と短く言ってから、ハンクはコルナフース城前庭の出口へ向かって走り出した。
嫌な予感は、未だ収まらない。
もしこの予感が当たっているなら、きっとそこに彼がいるはずだ。
……イレーネの生命核を回収するために戻って来た、白き勇者ヴィリーが。
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