第46話 紅黒の悪魔王

 光る大樹となったアリアを背に、ハンクは剣を構え直した。

 ゆっくりと呼吸を整え、脳裏にこびり付いた映像を振り払う。勿論、その映像とはアルタナが作った漆黒の帳を破る為、高密度に圧縮した魔力を放出した際に見たものである。

 正直、その現象はハンクにとって想定外だった。

 漆黒の帳がコルナーフースの街を覆い、内部を一時的に夜にしたとしても、それは自然現象では無い。あくまでアルタナの力で作られた魔法の産物のはずである。そうであるなら、打ち消してしまうことも出来るはずだ。

 そう考えたハンクは、魔力を高密度に圧縮し、魔法解除の要領で街全体を覆う帳にそれをぶつけた。


 ――それが、魂の干渉を引き起こすなど、露程も思わずに。


 結果、その考えは正しく、ハンクは漆黒の帳を打ち消す事に成功した。そして、魂の力である魔力を高密度に圧縮して可視化した光達は、コルナフースの街に強く残った魂の残滓を掬い上げ、それに干渉したのである。

 単なる魔法のつもりで魔力を解き放ったハンクにしてみれば、それは想定外であったかもしれない。だが、それは至極当然の現象であり、ハンクにいくつかの映像を見せたのだった。

 勿論、その中にはイレーネの姿もあった。

 映像の中で、イレーネは彼女と似た容姿の女性と屈託なく笑い、共に歩く白い髪の男に信頼の眼差しを向けていた。だが、すぐに映像が切り替わると、その白髪の男は表情をなくしており、その手には先ほどアルタナがイレーネの体から引き抜いたものと同じ長剣が握られていた。

 しかし、映像はそこで唐突に終わる。なぜなら、アリアがハンクを現実に引き戻したからだ。もし、アリアが現実に引き戻してくれなかったらと思うと、彼女には感謝の言葉も無い。

 だからこそ、アリアは絶対に守らなければならない。アリアが安全な結界内部に留まらず、精霊王の力を借りた精霊魔法を発動したのは、きっと、何か考えがあってのことだ。

 それに、イレーネの記憶の映像で見た白髪の男。きっと、あれが白き勇者ヴィリーなのだろう。何故彼は無表情でイレーネの前に立っていたのだろうか? 

 加えて、彼らと一緒にいた、イレーネとよく似た容姿の女性は一体誰だったのだろう?

 ……正直、解らないことだらけだ。

 とはいえ、今その事をのんびり考えている暇は無い。ハンクの目の前には、アルタナの力で自分より強い存在となった悪魔王デーモン・ロードイレーネが立ちはだかっているのだから。

 ――目の前の敵に集中しろ。

 ハンクは自分自身にそう言い聞かせてイレーネを見据えた。

 だが、ハンクの正面で憎悪の表情を浮かべるイレーネは、彼を見ていない。先ほどから、この表情になる度に、決まって彼女の視線の先にはアリアがいた。

 ……これほど憎しみに満ちた目をアリアに向ける理由とは、一体何なのだろう?


「なあ、そんなにアリアが憎いのか? それとも、エルフが嫌いなのか?」


 瞬間、ハンクに向けて斬撃が雨の様に降り注いだ。まるで、その問いに答える気などないと言わんばかりだ。斬撃を繰り出すイレーネの顔に表情は無い。

 とはいえ、アリアから注意を逸らす事には成功した。イレーネがこちらを無視して、アリアに向かって突撃されたらと思うと、正直、肝が冷える。

 ハンクはイレーネの斬撃を冷静に受け止めて、反撃に転じた。しかし、ハンクの剣はイレーネの流麗な剣技の前に尽く阻まれ、彼女の体にその剣が届くことは無かった。

(俺より強いところは剣技って、一番厄介だな……)

 アリアから気を逸らす事に成功したものの、イレーネを倒す決定打を繰り出せない状況に、ハンクは心の中で舌打ちする。

 イレーネが首にかけているミスリル製のマナクルタグは伊達では無い、と言う事だ。

 前回アルタナが召喚した冥王竜ラダマンティスは、「生命体」としてハンクより強かったが、ただそれだけだった。ハンクの放った雷霆魔法 《リトリビューション》を、碌に防御もしないで受けてくれたからこそ勝つ事が出来たのだ。

 だが、今回は明らかに違う。悪魔王デーモン・ロードと言う大仰な称号を持つにもかかわらず、イレーネの身体能力はハンクに及ばない。それでも、イレーネは特級冒険者であった時の剣技や魔法を駆使してハンクの前に立ちはだかっている。まさに、戦いの見本とでもいうべき、達人の技だ。

 それに対してハンクの剣の腕は、素人に毛が生えた程度である。圧倒的身体能力のお蔭で戦いになっているが、それだけではハンクの攻撃がイレーネに届くことは無い。

 

「ハンク! 何やってるのさ! 剣で敵う訳無いんだから、魔法で戦わなきゃダメじゃないのさ!」


 ちらりと声のした方を確認すると、隔絶障壁魔法の中から、業を煮やしたハッシュが叫ぶ姿が見えた。

 ハッシュらしいその姿に、ハンクは心の中で苦笑いを浮かべて、すぐに視線をイレーネへと戻した。

 プラチナブロンドの髪にアルビノの目、白を基調とした衣装。およそ悪魔らしくないその姿が、ハンクの心に躊躇いをもたらす。

(――クソッ。あれだけ啖呵切っといて、良い手が何も浮かばねえ……)

 ハンクの長剣を握る手に、自然と力が入る。気付けば奥歯も噛みしめていた。

 そんなハンクの心の動揺を見透かすように、無表情のイレーネが動いて高速の斬撃を放つ。ハンクがその斬撃を正面から受け止め、鍔迫り合いとなった両者の動きが止まった。

 その時、2本の長剣越しに、ハンクとイレーネの視線が交差する。刹那、イレーネの口元に笑みが浮かんだ。

(――コイツ、まさか!)

 ハンクの脳裏に、ラーナは最初から意識をなくしてなどいないと言った、アルタナの言葉が浮かんだ。


「……お前、自我が戻ってるんだろ?」

「ああ。その通りだ。でも、だからどうした? 憎悪の悪魔となった私に情けでも掛けてくれるのか? 守護者殿?」


 ククッと喉を鳴らせてイレーネが顔を歪める。


「折角だ。質問に答えてやろう。……私はエルフが嫌いだ。ヴェロニカも嫌いだ。なにより、私を裏切ったこの世界全てが嫌いだ」


 憎しみを宿したイレーネの瞳が、アルビノの赤から、真紅へと変わる。その瞬間、白を基調としていたイレーネの服装が紅と黒を基調としたものに変わり、その背から翼のような形状の黒く禍々しい燐光が噴出した。


「いよいよ悪魔らしくなって来たな……。ここから本気って事かよ!」


 言ってから、ハンクは長剣に力を込めて押し返し、イレーネに向かって蹴りを放つ。だが、自ら後ろへ回避したイレーネにその蹴りは命中せず、ハンクの足が宙を薙いだ。


「《エクスプロージョン・オクタ・クアドラプル!》」

「やらせるか! 《アイソレーション・ウォール!》」


 合計32連発の爆破魔法が、ハンクとアリア諸共吹き飛ばそうと猛威を振るう。だが、それらを防ぐべく、ハンクも隔絶障壁魔法を魔法起動コールした。

 障壁の展開と共に、強烈な爆発が巻き起こり、そのすべてを受け止める。魔法による爆発が終わると、障壁もまたその耐久度を無くして粉々に砕けた。




「……あれが悪魔王デーモン・ロードの力。悔しいけど、僕じゃ何の助けにもならないじゃないのさ……。シゼル。ハンクは、大丈夫だよね?」


 目の前で繰り広げらる人外の戦いを前に、不安を露にしたハッシュが、その手に持つ杖を強く握りしめた。


「さあ、な。だが、信じるしかない。それに、アルタナは悪魔王デーモン・ロードとなった彼女の記憶がある程度残っていると言っていた。それは、魂の記憶を読み取る力を持つハンクへのあてつけかと思ったが、何か意図があるのかもしれん」


 それに、とシゼルは一言前置きしてハッシュの肩をぽんっと叩く。その顔に自重めいた笑みが浮かぶ。


「《アイギス》を使えるハッシュが助けにならないなんてことは無い。寧ろ、剣しか取り柄の無い俺の方が足手纏いだな」

「そんなっ! 何言ってるのさ!」

「少なくとも、俺とイザークにとってハッシュは守りの要だ。さっきの爆破魔法にハンクの障壁魔法が相打つように砕けた。ここも絶対安全とは限らないぞ」


 シゼルの言葉にハッシュは神妙な面持ちで頷き、二人がイレーネを見据えた。

 相手はハンクより強いのだ。油断は禁物である。シゼルとハッシュが固唾を呑みかけたその瞬間、二人の背後からこの場にいないはずの声が響く。


「二人のそういうとこ。私も見習わないとな。……ただいま」


 ぎょっとなったシゼルとハッシュが後ろを振り返ると、そこにはにまっと笑ったリンと、はにかむ様に笑うエルザがいた。

 咄嗟にハッシュが立ち上がり、その顔を喜色で輝かせる。


「リン! エルザ! 無事だったんだね。……よかった」

「すみません。ご迷惑おかけしました……」


 エルザは申し訳なさそうに言ってから、シゼルとハッシュの足もとで横たわるイザークに気が付いて、「イザークさんっ!」と、悲鳴のような声を上げた。

 すぐさまエルザはイザークに駆け寄ろうとするが、ハンクの障壁魔法がその間に立ちはだかる。


「イザークはアルタナにやられた。ほんの一睨みだ。だが、呼吸はある。あとで治療を頼む」


 シゼルの言葉にエルザが「勿論です」と肯首で答えてから、ハンクの後ろに聳え立つ大樹に目を向ける。


「リンの言った通り、本当にラーナさんは創造神アルタナ本人……それに、あの光の大樹は一体?」


 呆然と呟くエルザに、リンが頷いた。


「そうだよ。何考えてるかちょっと解らないとこあるけど、本物。多分、ハンクと戦ってるあの女の人が、ノーライフキングだと思う。ここに来る間説明した通り、試練の材料にしたんじゃないかな。あと、あの大樹は気配からしてアリアだと思う」

「そんな……」


 目の前の現実に言葉を失ったエルザが、視線を光る大樹の前方にゆっくりと動かした。そして、その大樹を守る様に戦うハンクと、”元ノーライフキング”の少女をその視界に収めた瞬間、エルザは息を呑んだ。


「……え!? ヴェロニカ? 姉さん!」


 エルザが口にした予想外の名前に、今度はリン達3人が言葉を失った。だが、すぐにシゼルが我に返って訝しむ様な表情を浮かべる。


「どういう事だ? アルタナは彼女の事をイレーネ・フリージアと呼んでいた。勿論、名前だけなら俺も知っている。ミスリルタグを持つ英雄。グランドマスター・フリージアの継承者だ」

「冒険者なら誰だって知ってるさ! バスティア海沿岸国全部ひっくるめても10人しかいないんだ。……なのに、エルザがお姉さんと間違えるって一体?」


 だが、疑問を口にしたシゼルとハッシュの言葉が、エルザの耳に入る事は無かった。なぜなら、エルザは激しい憎悪にその顔を歪めたイレーネと正面から目を合わせ、恐怖と混乱の真っ只中にいたからである。


「なんで……どうしてそんな目で見るの? ヴェロニカ……」


 刹那、ニタリと嗤ったイレーネがハンクに牽制目的の爆撃を連発した後、エルザの方に向けて長剣を翳した。


「危ない! 爆破魔法が来る! 《アイギス・テトラ!》」

「守れ! グレイプニル!」


 咄嗟にリンがエルザを庇う様に抱き寄せて、障壁魔法のすぐ脇に入り込んだ。同時に、二人を守る様に漆黒の鎖を隙間なく張り巡らせると、その上からハッシュの盾魔法が4枚展開した。

 間一髪でリン達4人が防御態勢を整えた後、8発の強烈な爆発が彼女達を襲った。



 

 自らに向けられた牽制目的の爆撃を《アイギス》で防御した後、ハンクの目に映ったのは、粉々に破壊されて吹き飛ぶ青白い盾魔法の残骸と、隙間なく半球状に蜷局とぐろを巻いた漆黒の鎖だった。

 鎖の周辺の地面は深く抉れ、爆発の凄まじさを物語っている。

 未だ土埃は収まりきらず、漆黒の半球は地面に腰を下ろしたまま動かない。それをイレーネは目視で確認した後、雷光の如き速さで漆黒の半球に斬りかかった。

 だが、イレーネの長剣が漆黒の半球に届く寸前で、忽然とそれは消失し、替わってそこには漆黒の両手剣を構えたリンが現れた。

 盛大な金属音が響いた後、イレーネが上空に打ち上げられる。


「《ミリア・インパクト!》」


 上空のイレーネに向かってリンが両手剣を翳して、澄んだ声で魔法起動コールした。

 総数1万の黒いエネルギー弾が、漆黒の流星となってイレーネに殺到する。だが、イレーネは自身の背から翼の様に噴出する黒い燐光で、身を包む様に防御態勢を取った。

 そのまま、イレーネは万の弾丸に打ち据えられて、地面へと墜落する。

 このまま地面に這いつくばっていては格好の的だ。

 本能でそれを察知したイレーネがその場を離れるべく体を起こした時には、既にリンが次の魔法を魔法起動コールしていた。


「《カラミティ・ヴォルテックス!》」


 3本の目に見えないエネルギーの螺旋が、ミキサーの様に高速回転しながらイレーネへと襲い掛かった。螺旋状に高速回転するそれが、周囲の空気や土砂を吸い込み、傍目には竜巻が突如発生したかに見える。

 《ミリア・インパクト》と《カラミティ・ヴォルテックス》。

 どちらもリンが考案したオリジナルの魔法だ。元々のイメージはマシンガンとハンドミキサーである。勿論、威力も折り紙付きだ。生半可な魔物であれば、瞬時に蜂の巣や挽き肉にする程の威力を持つ。

 なにせ相手はハンクより強い。出し惜しみをしている場合では無い事をリンも承知しているのだ。

 荒れ狂う3本の竜巻を油断なく見据えたまま、リンが叫ぶように口を開いた。


「ハンク! 誰かを守りながら戦える様な相手じゃない。皆は私が連れて城の外へ行くから、後は任せる!」

「すまん! 助かる!」

「アリアを死なせないで! 絶対だから!」


 リンが最後の言葉を言い終わる頃には、イザークを抱えたシゼルを先頭にハッシュ、エルザ、リンの順で、コルナフース城前庭の出口へ向かって駆け出していた。

 きっと、爆発魔法を防いだ時から、半球状の鎖の中で準備していたのだろう。それほどの手際の良さだ。


「イザークさんは必ず治します! だから、お二人共どうか御無事で!」


 ハンクはエルザの言葉に軽く手を振って応えてから、荒れ狂う3本の竜巻の中心に目を向けた。

 ぞわりと、悪寒が蛇の様にハンクの背筋を這いずり回る。

 ――イレーネはまだあそこにいる。

 嫌に大きく、ゴクリと唾液を飲み込む音が響いた。相手は自分より強く、命の保証はない。あの竜巻が収まれば、再び彼女と剣を交える事になる。

 当然、それはどちらかが力尽きるまで終わる事は無い。

 つまり、これは命のやり取りだ。

 やけに鼓動が煩く聞こえ、喉がカラカラに渇く。呼吸だって浅い――落ち着け、このままじゃやられる……。

 ハンクの緊張が極度に達したその時、光で出来た木の葉がふわりとハンクの頬を撫でた。


 ――落ち着いて。キミは独りじゃない。


 アリアの声が聴こえた。そう感じた瞬間、早鐘の様に煩く響く鼓動が、だんだんとゆっくりになっていく。

(守る守るって言いながら、みんながいるってのはこれほど心強かったんだな……)

 我知らず、ハンクの口元に小さな笑みがこぼれる。

 ――決めたはずだ。誰も死なせない。

 そっと光の大樹に手をあてて、ハンクはゆっくりと一つ呼吸をした。そして、傍らにそびえる光の大樹に向かって一言、口を開いた。


「アリア。俺に力を貸してくれ」


 刹那、光の大樹が輝きを増し、樹冠より何本もの光る枝が伸びて高空へと駆け上がった。同時に、ハンクが竜巻の中央目がけて疾走する。

 弾けるように、竜巻が内部から四散した。

 その中央に立つのは、憎悪の感情を極限まで濃縮した紅黒の悪魔王デーモン・ロードイレーネ・フリージア。

 見るもの全てを呪い殺す力を持ったその魔眼が最初に映したものは、眼前に迫ったハンクと、彼の右手に貫かれた彼女自身の体だった。


「…………」


 イレーネの耳にハンクが発した言葉が音として認識されることは無く、天高く舞い上がった数多の光る枝が、上昇を止めて下降に転じる様子がその目に映る。


 ――そして、天高く伸びた光の枝が1本の光条となって降り、紅黒の悪魔王デーモン・ロードの生命核を灼いた。

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