第35話 遭遇
翌日の朝、ハンク達5人は旅の準備を整えて、ルクロの教会前に現れた。
ハンクとリンの都合で、2人に天上神の加護を授けて貰う事を断った手前、教会前を集合場所にするのは、普通に考えれば避けるべきだ。それなのに、彼等が教会前でエルザ達を待っているのには理由がある。
コルナフースへの移動は、すでに現地へ派遣されている司祭達への補給も兼ねて馬車で行く。
荷物には食料や装備、それに対アンデッド用の聖水といった割れ物もある為、普段であれば慣れた御者を雇うのだが、行き先を聞いて誰も首を縦に振らない。仕方なく、御者はイザークが務める事になったが、正直、馬車の操縦などほとんどやったことが無い。その為、出来れば大事な荷物を積んで街中を移動するのは極力避けたい。なので、どうしても教会前まで来て欲しいと、エルザとイザークがアリアに懇願したのである。
いろいろ好条件で依頼を受けた手前、アリア達もその頼みを断る事が出来ず、教会前を集合場所にすることを承諾したのだった。
だが、そんな事情などお構いなしに、大理石で作られた荘厳な外観を見て、ハンクが感嘆の声を漏らした。大聖堂と見紛うべきその威容を前に、キョロキョロ上を眺めてそわそわするその姿は、完全にただのおのぼりさんである。
元より信仰心を持ち合わせてなどいないが、転生前は一端のオタクだったのだ。その為、教会や大聖堂を舞台にした創作物はいくつも目にしている。当然、テンションが上がらないはずが無い。
対悪魔専門の特務機関とかあったりするのだろうか? 武装した神父とかいたら是非とも会ってみたい。それなのに、天上神の加護を授けてくれるなどと言う話の所為で、大聖堂内部を見ると言う、せっかくの機会を逃してしまった。
――まったくもって、余分な気を回してくれたものだ。
ミズガルズ聖教会の聖職者達が聞いたら憤慨するどころか、1発で異端者認定されるだろう。勿論、武装神父が実在すれば戦闘は避けられない。
すっかりとその事を忘れて、本気で中に入ってみたかったなあなどと思いながら、ハンクは小さなため息を1つ吐いた。
「どれだけ中が気になっても、キミは絶対入っちゃダメよ」
「……何で分かるんだよ」
「そんなにそわそわしてたら、誰だって分かるに決まってるじゃないのさ……」
アリアとハッシュが、ハンクに呆れた視線を向ける。ハンクは「ちぇ、勿体無いなぁ」と呟いてから、ガラガラと音を立てながらこちらへ近づいてくる幌付きの馬車に気が付いて、そちらへ視線を向けた。
そこには御者台から手を振るエルザと、真剣な表情で、手綱を引いて馬車を減速させるイザークの姿があった。
(
そんな事を内心で独りごちていると、エルザが停止した馬車の御者台から降りて声を掛けてきた。
「おはようございます。ご足労おかけして、すみません。早速出発するので荷台に乗ってください」
亜麻色の髪を揺らし、笑顔で言うエルザと裏腹に、ハンク達5人の返事がすぐに出て来ることは無かった。
――どうやら、全員同じことを思っていたようである。
すると、この状況を見かねたシゼルが、ゴホンッと一つ咳払いをしてから口を開いた。
「2人とも、良かったら俺が馬車を操縦しようか? 家の都合で、よく兄貴達を乗せてたから、割と慣れてるんだが……」
「ホントですか!」
シゼルのその言葉に、パアアァとエルザの顔が輝く。
イザークも「何! 本当か?」と、御者台から身を乗り出すあたり、シゼルに御者を譲る事に
「なんだろ。いきなり不安なの、私だけかな」
「奇遇ね、リン。私も一緒よ。それに、乗せて貰う側だったはずのシゼルが、馬車の操縦に慣れてるってどうしてかしらね。嫌な予感しかしないわ」
「ホントだ。貴族……だったんだよね、シゼル」
アリアとリンがひそひそ話している間に、御者台にはシゼルとイザーク、荷台にハンク、ハッシュ、エルザが乗り込んだ。
そして、御者台の上で、手首をほぐす様に回してから手綱の具合を確かめるシゼルを見て、アリアが額に手を当てた。
「揺れるわね。きっと」
「やだなぁ……」
中々馬車に乗らない2人を見かねたハッシュが、幌に覆われた荷台の後ろから顔だけ出して、彼女達に声を掛けた。心なしか、その顔は既に何かを諦めたように見える。
「なにしてんのさ! 2人も早く乗りなよ」
アリアとリンも、それぞれ諦めたように返事をして、馬車の荷台に乗り込んだ。それを確認して、シゼルが「出発するぞ!」と声を掛ける。
そして、誰の返事も待たず、シゼルが「ハアッ!」と馬に鋭く鞭を入れると、甲高い馬の
――この後、荷物を守る様に抑えたハンク達に、シゼルが激しくツッコミを入れられたのは、言うまでもない。
※
ルクロの街を出発して3日が過ぎた。
予定では、ルクロの街からコルナフースの街まで、6日間の行程だ。その為、現在、ハンク達はコルナフースまで、ちょうど半分の距離に差し掛かった所である。ルクロの街を出た時には、遥か遠く見えたコルナ山も、今ではこの目でそれと分かる程に近づいてきた。このまま、あと1日半も移動すれば、そこはコルナ山を挟んで北と南へ別れる迂回路の分岐点だ。
コルナ山の麓の街コルナフースがあるのは北側迂回路の先であり、分岐点から1日半ほど進んだ所に、その街は置かれている。
順調に行けば、予定通り3日後にはコルナフースに到着するだろう。
そんな中、ハンクは馬車の荷台に座り、
真っ暗な視界の中で、ガラガラと馬車の車輪が転がる音だけが聞こえる。そして、ハンクはリンに教わった内容を頭の中で反芻した。
「自分の体の中心の魔力を感じる要領で、今度はその対象を外側に向けると、自分以外の魔力を感じる事が出来る。私が練習した時イメージしたのは……ソナーかな?
それが出来れば、生命核以外にも魔力を持った生命体の気配が、手に取るように分かるよ。さらに、相手の魔力の大きさが分れば、それに合わせて自分の力を出し入れすればいいし、なにより、巨大な魔力は生命核だってすぐ分かる。吃驚する位、あからさまに違うから。私が、ドルカスでハンクが生命核持ちだってすぐ分かったのは、その
以前、エルフの街でエルフ王アルヴィスが、魔力とは魂の力を根源とすると言った事を思い出す。だとしたら、神の力と魂が融合した生命核は、リンの言う通り相当巨大なものとして感じるのだろう。
その言葉通り、魂の強さで魔力の強さが決まるなら、肉体の強さにもそれは当て嵌まるのだろうか?
実際、シゼルは魔法がさっぱり使えない。その代わりに、白兵戦における戦闘能力は上級冒険者の中でも群を抜いている。そう言った者が肉体に内包する魔力、即ち「魂の強さ」はどう感じるのだろう?
(――答えは、出来てからのお楽しみって事か)
ハンクは、雑念を振り払う様に、1つ、深呼吸をしてから、水面に落ちた水滴の波紋が広がる様に、意識を外へ向けて拡散させる。何度か繰り返していると、魔力の光に似た青白い光の塊をボンヤリと感じた。だが、何となくそう感じると言った程度の所為か、正直、相手の強さまでは良く判らない。
まだまだ練習が必要なのだろう。
「何となく感じたって程度かな?」
「そうだな。ボンヤリ感じた程度だから、相手の強さまでは判らない」
「そうそう。普通はそんな感じ。魔力操作共々、気配探知も常に無意識で出来るくらい練習しといて」
ドヤ顔で言うリンに、ハンクは「あいよ」と短く返事をする。
リンが少し教えただけで、ハンクは生命核の出力を絞る魔力操作をあっさり出来てしまったが、魔力の気配や強さを感じる気配探知まですぐに出来るなどと言う事は無かった。その為、異世界の先輩であるリンは、その面目を保てて心なしか満足気だ。
珍しく鼻息の荒いリンにハンクが苦笑いをすると、アリアとハッシュも同じように、その顔に苦笑いを浮かべていた。リンとハンクのやり取りを、目の前で見ていたのだから、当然と言えば当然だ。
現在、ハンク達4人は馬車の後方に空いたスペースに座っている。御者台では、手綱を持つイザークの隣にシゼルが座って、イザークに馬車の操縦の仕方を教えていた。エルザはと言うと、そんなイザークが気になるのか、御者台のすぐ後ろで「イザークさん! ちゃんと前見てください!」と、剣技の話で盛り上がって、時折脇見運転を繰り返すイザークを注意している。
エルザとイザークが馬車の操縦に夢中になっている今なら、ガタゴトと地面を転がる馬車の車輪の音も相まって、馬車後方で気配探知の話をしても聞こえる事は無いだろう。
「そういえば、アリアも精霊魔法で生命核を感知してたけど、あれはどうなってるんだ?」
はたと、ドルカスの難民街での事を思い出したハンクが、隣に座るアリアの方を向く。その言葉に、「私もそれ気になってた」とリンもアリアへと向き直った。
突然水を向けられて、アリアが軽く目を瞠ったが、「キミの方が、私よりずっと凄いことやってるじゃないのよ……」と呟くと、すぐに元の顔に戻って再び口を開いた。
「エルフにとって、大森林の草木を育む、光、水、大地の精霊は、それぞれ命を司ってるの。その中でも、特に
森で迷った者が、その光に導かれて助かった話もあれば、その逆もあるの。だから、あの時は
すごい結果が出て、こっちがびっくりしちゃったけど」
言い終わってから、アリアはハンクを見てクスリと微笑んだ。フード越しの笑顔をまともに見て、気まずさと恥ずかしさで、ハンクは思わず視線をあさっての方向に彷徨わせる。
この世界に転生する時、アルタナにそう言われていたにもかかわらず、自分の体に生命核が6個ある事など、ドルカスの難民街でアリアに指摘されるまで、すっかり忘れていたのだ。
あの時、生命核が6個ある事について、言いたくないなら無理に言う必要は無いとアリアは言った。しかし、今や、ハンクが異世界から来た転生者である事は、既に彼女の知る所である。
勿論、隠す様な話でもない。
アルタナに、天使、悪魔、竜族、人族、妖精族、巨人族の選りすぐりの生命核を使ったからと自慢されたなどと教えたら、きっと驚くだろう。
そんな事を思っていると、再び剣技について話を始めたシゼルとイザークに、ジト目を突き刺すエルザと目が合った。
慌てて笑顔に戻るエルザを見ながら、ハンクが苦笑いしていると、「今はこの話、終わりにしましょ」と、アリアの声が聞こえた。その言葉にハンクも賛同の返事をする。確かにアリアの言う通り、この話はこれくらいにしておいた方がいいだろう。
そして、ハンクは再び目を閉じて気配探知の練習に没頭したのだった。
2日後、ハンク達は何事も無く分岐点を越えて、北側迂回路へ入った。
拍子抜けするくらい順調な行程に、ハッシュが「護衛要らなかったんじゃあ……」と不安になるほどだったが、その日の夜、ハンクは今まで感じた事の無い違和感に気が付く。
この2日間、ハンクは気配探知の練習に集中出来た為、相手の気配をある程度鮮明に感じ取れるようになっていた。相手の気配が魔力や魂の強さに応じて、青白い粒子の塊の大きさで区別できるようになったのだ。
だが、この時ハンクが感じた気配をそのまま言葉にすると、それらは「黒く光る粒子の塊」であった。数は20。
勿論、ハンクにそれが何か識別出来るほどの経験は無い。感じたモノをそのまま言葉にしてリンに伝えると、にまっと笑ってから一言、「それが魔物の気配だよ」と言って、彼女は抜剣した。当然、リンも魔物の気配を補足していたのだろう。
「皆、敵襲。多分、数は20。雰囲気からして、アンデッドかな」
「え? すごいじゃないのさリン! そんなことまで分かるなんて。……にしても、やっと僕らの出番じゃないのさ!」
「そうだな。ちょうど腕が鈍りそうだったんだ。相手に不足は無い」
リンの言葉に嬉々として得物を構えるシゼルとハッシュ。それとは対照的に、緊張の面持ちで周囲を警戒するエルザとイザーク。正反対の2組を見ながら、ハンクはその顔に苦笑いを浮かべた。
「油断してアンデッドにされても知らないわよ!」
「はは……ゾンビに噛まれると、ウィスルが伝染するとかじゃない事を祈るしかないな」
どこか緊張感の無いシゼルとハッシュに、アリアがきっちりと釘を刺した。その言葉を聞いて、ハンクの脳裏には、有名なサバイバルホラーゲームの画面が浮ぶ。ゾンビの群れにガリガリ咬まれるのは、正直、勘弁してほしい。
「噛まれたり、引っ掻かれたりすると、傷口が化膿する事が多いですが、それではアンデッドになりません。彼等に命を奪われると、ノーライフキングの呪いをその身に刻まれ、死体がアンデッド化すると言われています」
「なるほど……良く解ったよ」
真面目に答えてくれたエルザに返事をしつつ、ハンクは心のどこかでショットガンとかマグナムが欲しいななどと、未だ姿を見せないアンデッド達に転生前の記憶を重ねる。勿論、ゲームの画面だが……
とはいえ、異世界にそんなものは無い。脳内の銃火器を振り払って、ハンクは自らの長剣を抜いた。
特級冒険者レベルの強さとはいえ、今のハンクは魔力制御でかなりの力を制限した状態である。動体視力は制限前と変わらないが、出せる力はあくまで人間レベルなのだ。
当然ながら、大森林でマンティコアの首を一刀両断したような怪力は出せないだろう。それに、この世界でアンデッドは初見だ。茂みに潜んでいるアンデッドがどんなものか分からない以上、油断するべきではない。
とは言え、特級冒険者の強さとは、上級冒険者数人を相手取って、勝利もしくは互角に渡り合えるレベルである。しかも、それがハンクとリンの2人もいるのだ。もし、その事をこの世界の冒険者であるアリア達が知ったなら、余りの過剰戦力に呆れることだろう。
特級冒険者とは、それ程の存在なのだ。
現在、ハンク達は街道脇に馬車を停め、その近くで火を焚いている。
アンデッド達の気配は木々の茂る山の方から感じ、どんどんこちらへと接近中である。彼等と遭遇するまで、もう間も無い。
ハンク達が油断なく茂みの方へ目を凝らしていると、ガチャガチャと言う音と共に、言葉にならない呻き声の様な物が聞こえた。
――そして、そのすぐ後、茂みから総勢20体のアンデッド達が姿を現したのであった。
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