第36話 ホラーナイト

 鬱蒼と茂る木々の間から現れたのは、損傷の激しい武器防具を装着したスケルトン、ボロ布を体に張り付けただけのゾンビ、透けた体にローブを纏ったゴースト、総勢20体のアンデッド達であった。

 言葉に成らない呻き声を上げる異形の彼等を、焚き火の炎が照らす。もし、此処にいたのが、戦闘手段を持たない小さな商隊や、住む場所を焼け出された難民達であったなら絶望的な状況であっただろう。

 だが、現在、此処にいるのはハンク達冒険者5人に加え、ミズガルズ聖教会の司祭エルザと神殿騎士イザークの合計7人である。数の上ではアンデッド達が3倍近いが、戦闘能力に於いてそれが同様に成り立つことは無い。

 しかも、出発前の前日に、アリア、シゼル、ハッシュの3人は、それぞれの武器へデニス司教から天上神の加護を授けて貰っている。お蔭でアリア達3人の武器は、その加護が有効な間、実体のないゴーストを切り裂く事が出来るのだ。

 とはいえ、ハンクとリンの武器に加護は無い。

 シゼルはアンデッド達を油断なく見据えながら、立ち位置を変えるようイザークに手振りで合図する。イザークはシゼルに頷き返してから、剣を構えたままゴーストの進行方向へ、ゆっくりと移動した。

 

「ハンク、リン。ゴーストは俺とイザークがやる。お前達はスケルトンやゾンビを頼む」

「了解、まかせた。てか、あいつ等、どう見てもお化けだよな……」

「お化け? アンデッドはアンデッドだ。恐れることは無い。デニス司教に浄化の加護も貰ったからな」


 この世界の住人にとって、アンデッドはお化けでは無い。あくまで魔物だ。勿論、対抗手段もある。それを物語る様に、ニッとシゼルは男臭い笑みを浮かべた。

 とはいえ、やはりハンクにとって、アンデッドはお化けである、と言う先入観はすぐに消えてくれない。本能に刷り込まれた恐怖を気合で抑え込み、長剣を構えつつ、他の前衛達をちらりと見た。

 シゼル、イザーク、そして自分。だが、あと一人いない。あそこにいたのは、確か――

 そう思った瞬間、後方からハッシュとリンの声が聞こえた。


「何してんのさリン! 僕の後ろに隠れないでよ。リンの方がずっと強いだろ!」

「……ごめん。無理。私、お化け大嫌い。さっきカッコつけてた自分を殺したい」

「そんなんでこれからどうするのさ……コルナフースはアンデッドの巣窟なんだよ!」

「みんながいれば怖くないかなって思ったけど、夜にお化けとかやっぱ無理…………帰りたい」


 女性にしては中背のリンと、男性では身長低めのハッシュ。ちょうど同じくらいの体格の為、ローブを着たハッシュの後ろにリンが隠れると、見事に視界が隠れるのだろう。

 たしかに、異世界でもなければ、アンデッド達がぞろぞろ歩いてくるこの状況はホラーでしかない。

 何となくハッシュが満更そうでもないが、状況が状況である。戦力が減るのは見過ごせない。それに、なによりイザークが不機嫌な顔をしている。

 アリア達の話によると、イザークが出逢った初日に手合わせを言い出したのは、その前の戦いで仲間を喪ったため、実力不足ならエルザを連れて帰るつもりだったそうだ。

 それなのに、リンがアンデッドの見た目に怯える姿は、イザークを不機嫌にさせるのに十分な理由だろう。

(お化けが怖い気持ちは分からなくも無いけど、そりゃあ、イラッとするよな……)

 まさかの戦力減に、ハンクが内心でイザークに同情していると、うずくまるリンの方を向いたハッシュがその両肩にそっと手を乗せた。


「リン。無理に剣で戦うことは無いよ。魔法で戦えばいいじゃないのさ。君は強い。大丈夫だよ」


 優しく勇気づけるように言うハッシュを、半泣きのリンが見上げる。そして、鼻を啜ってからハッシュの手を取り、ゆらり、とリンが立ち上がった。


「……ハッシュ、ありがとう。そうだった、私強いんだった。女子高生なめんなよ…………アイツ等、化けて出た事を後悔させてやる!」

「……え? ちょ、リン? 何言ってんのさ?」

「そうだね。薙ぎ払っちゃえばイイよね。簡単」


 恐怖のピークを超えて記憶がごちゃ混ぜになっているのだろう。ハッシュには理解不能な単語を呟きながら、1歩、2歩とリンがフラフラ歩き出す。どう見てもおかしい。明らかに普段と違うリンに、アリアが声を掛けた。


「リン! 大丈夫? …………って、どう見てもダメそうね。――解ったわ。山火事になるから、火だけは使わないで!」


 コクリとリンが1つ頷く。本当に伝わったんだろうか? そもそも、アリアはなんであの状況でリンと会話が成立するのだろう?

 一連のやり取りを見ていたハンクが、心の中で訝しんでいると、リンが前方にスッと右手をかざした。

 俯き加減のリンは、その視界にハンク達を一切捉えていない。


 ――嫌な予感がする。


「ヤバいのが来る。左右に散れ!」咄嗟にハンクがイザークとシゼルに向けて叫んだ。異様な気配を察してか、イザークとシゼルが即座に左右へ散る。

 そして、お互いを遮るものが無くなったリンとアンデッド達は、街道とは名ばかりの、舗装もされていない道の上で対峙する。

 自分達に向かって右手を翳して単身立ち尽くす少女に狙いを定め、アンデッド達が突進を開始した瞬間、その少女が一言、魔法起動コールの言葉を発した。


「《カラミティ・ヴォルテックス!》」


 リンの魔法起動コールに合わせて、アンデッド達へ四方から強烈な突風が殺到した。直後、轟音と共に直径1.5メートル程の小型の竜巻が3つ発生し、アンデッド達をその渦に呑み込みながら、捻じり、よじ切り、ひしゃげさせていく。

 そして、暴力的な風の渦は、ものの数分でアンデッド達を蹂躙し、役目を終えると何事も無かったかのように、その場から消えた。しかし、実体を持たないが故に無事だった2体のゴーストが奇声を上げると、小さな火球が数個現れて、リンに向かって放たれる。

 普段のリンであれば、このような攻撃を食らうことは無いだろう。だが、今に限っては、そうもいかない。その事に気が付いたハンクが、盾魔法を発動するべくリンの方を向くと、そこには既にエルザが立ちはだかり、短杖を両手で握りしめて立っていた。 


「リンさん。大丈夫。彼等は怖くなんてない。天上神よ、我らをお護りください。《ホーリー・ウォール!》」


 エルザの祈りに応えて、半円状の青白い防壁魔法が彼女の周囲に広がり、襲い掛かる火球の全てが防壁に直撃し炸裂する。だが、その火球は派手な音を立てただけで、防壁に傷一つ入れることも出来なかった。


「ごめん。あまりの怖さに、我を失ってた……立場が逆だね」

「いえいえ。リンさんは一撃でアンデッドのほとんどを薙ぎ払ったじゃないですか。それに、仕上げは司祭である私の仕事です」


 火球が炸裂した派手な音で正気に戻って、申し訳なさそうにうな垂れたリンに、エルザが笑顔でかぶりを振る。

 そして、エルザは防壁の中から出ると、その視界に捉えたゴースト達に向かって、真っ直ぐに歩き出した。

 勿論、エルザが近づいてくる間も、ゴースト達は彼女目がけて攻撃魔法を放つ。だが、エルザはそれらを、再び自らの前面に展開した防壁魔法で防ぎながら進んでいく。ゴースト達がいくら攻撃魔法を打ち込もうと、彼女の歩みを止める事は叶わない。

 悠然と歩を進め、エルザがゴースト達の眼前まで辿り着くと、澄んだ良く通る声で祈りの言葉を発した。


「天上神よ、現世を彷徨う彼らを輪廻へとお導きください。《フューネラル》」


 瞬間、エルザの持つ短杖から柔らかい光が溢れ、アンデッド達を照らした。死者の魂をノーライフキングの呪いから解放する、浄化魔法の光だ。アンデッド達がその光を浴びると、低く呻き声を上げて身悶えする様に蠢いてから、唐突に消えた。

 その圧倒的な姿を前に、ハッシュが「すごい……あれが神聖魔法と司祭の実力なのか……」と呟くと、アリアとリンも感嘆の声を漏らす。

 少しして、静けさの戻った街道の上で、エルザが戦いの終わりを告げると、彼女はそれぞれに労いの言葉を掛けた。

 だが、ハンクはその言葉に中途半端な返事しか出来ず、一人離れた場所で、アンデッド達が消えたはずの場所から目が離せずにいた。

 なぜなら、ハンクの目には「黒く光る粒子の塊」であったそれらが、「仄かに青白く光る粒子の塊」となって地面から浮かび上がり、視線の高さでしばらく浮遊した後、大空へ向かって霧散していく様が映っていたからである。

 当然、その光の粒子に手を伸ばしたなら、簡単に触れる事が出来るだろう。だが、ハンクはそれをしなかった。というか、出来なかった。

 この光は、魂の光だ。

 アンデッドとなった者達の魂が、エルザの魔法のお蔭で、ノーライフキングによって魂に刻まれたアンデッド化の呪いから解放されたのだろう。もし、そんなものに触れようものなら、いったいどれだけの感情や記憶を見る事になるか分かったものでは無い。

 勿論、この光に触れる事で、ノーライフキングの情報を得る事が出来るかもしれない。

 それでも、ハンクの心はその光に触れる事を明確に拒否している。

(――ラーナの時みたいなのは、もう二度と御免だ)

 やはり、あの時の事はトラウマなんだなと実感する。ドルカスの難民街で、ラーナがアルタナの依代となって現れた事で、さらに拍車がかかっているのも事実だ。正直、サラを助けに行くと言う依頼を隠れ蓑にして、その事を考えないようにしている自分もいる。


「割と俺は、そんなにお人好しじゃないみたいだ。……ごめんな」


 ぼそりと、小さく呟いて彼等に背を向けると、いつの間にか近づいてきたアリアと目が合った。アリアは、1つ、小さく溜め息をついてから、おもむろにフードを脱いだ。


「あのね、ハンク。キミにどんな景色が見えるのかは解らないけど、無理な事は無理でいいんだよ。リンとティナの時は違うわ。見ず知らずの人達なの。だから、キミが責任を感じる事なんてない」

「アリア……」

「だから、その……そんな辛そうな顔しないで。アルタナ相手に私の強さじゃ、ほとんど役に立たないだろうけど、それでも、今度会ったら文句くらいは言ってやるわ」


 ちょっと照れくさそうに言うアリアを見て、ハンクは彼女が難民街でアルタナに食って掛かった事を思い出した。

 アルタナは神だ。それに対してアリアはこの世界に住む普通の「人」である。不興を買えば即座に消されてもおかしくない。まさに命がけである。それなのに、アリアはハンクの為に文句を言ってやると、当然のように言う。

 一体何でアリアがそこまでしてくれるのか解らないが、それが仲間と言うことなんだろう。だとしたら、感傷に浸っている場合では無い。彼女は、そんな自分に発破をかけてくれているのだ。

 

「程々にしといてくれよ。マジギレしたアルタナ相手じゃ、みんなどころかアリア一人だって守れるかどうか分からないからな」

「じゃあ、私達を守れる位、もっともっと強くなればいいのよ。そもそも、キミを強くする為にアルタナはあんなことしてるんでしょ?」

「はは…………アリアには敵わないな」


 確かにアリアの言う通りなのかもしれない。アルタナのちょっかいを跳ね除けるくらい強くなればいいだけなのだ。単純明快な話である。

 とはいえ、そこまで強くなってしまったら、その時の自分は、一体「何者」なのだろうか?

 そんな事を考えていると、不意に、リンとエルザの声が横から聞こえた。


「つまり、アリアがアルタナを怒らせたら、アリアは守るけど他の奴らは自分で身を守れって事なんだね」

「アリアさん。エルフだったんだ。きれい……」


 ものの一瞬で再びフードを被るアリアを横目に見ながら、首からギギギと盛大な異音がするのではないかと言う程の不自然な動きで、ハンクが声のした方を向く。すると、そこには手を振りながらニヤつくリンと、目をキラキラさせたエルザがいた。

 ついさっき、アンデッドを怖がってハッシュの後ろに隠れていたのは誰だ? そんなツッコミがハンクの喉まで出かかったその時、エルザの足もとに、血のように赤く禍々しい輝きを放つ魔法陣が浮かび上がった。

 突然の出来事に、目を見開いたエルザがハンクの視界に映る。マズイ。そう思った瞬間、誰かが魔法陣の中へ飛び込んだ。魔法陣の中で、エルザを抱きかかえたその人影と目が合う。――リンだ。

 急いで二人を助け出さなければ。咄嗟にハンクが手を伸ばす。だが、あと少しで手が届くほんの手前で、リンとエルザの姿は足元の魔法陣と共に忽然と消失した。


「リン! エルザ!」

「クソッ! 届かなかった! 一体なんなんだよ!」


 しん、となった夜の闇に、アリアとハンクの叫び声が響いた。

 何でこんなことが起きたのか全く解らない。これでは、まるで誘拐だ。なにより、エルザの足もとに魔法陣が現れたと言う事は、ピンポイントで彼女を狙っていたのだろう。

 だとしたら、ノーライフキングが施した、対司祭用のトラップの可能性が高い。

 ――冷静さを欠いたら相手の思う壺だ。

 ハンクはゆっくりと、一つ、深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。

 状況からして、攻撃系のトラップという線は無いだろう。魔法陣の中には、エルザだけでは無くリンも一緒にいたのである。リンなら、攻撃の気配がした瞬間に、内部から魔法陣を砕いていたはずだ。

 それにもかかわらず、リンとエルザは一瞬で姿を消した。可能性を考えるなら、転移のトラップか魔法だろう。

 そこまで考えてから、ハンクは周囲を気配探知で探っていく。この何日かの練習のお蔭で、探知範囲は山の中腹から、地中10メートルくらいまでは探れそうだ。

 だが、ハンクの気配探知にそれらしい魔力は感じられない。そうなると、残る可能性は長距離の転移魔法だ。正直、ハンクにはお手上げである。どうやって移動先を特定すればいいか見当もつかない。


「ダメだ……近くにリンとエルザの気配が無い。どういう事だ? 長距離転移で誘拐されたとしか思えない」

「私もダメ。探査魔法で調べてみたけど、何処にもいないわ。まるで神隠しね……」


 ハンクとアリアが顔を見合わせて悔しそうに眉を顰めると、2人の後ろから不意に、玉を転がすような女性の声が聞こえた。


「久しいなハンクよ。神隠し、とあっては我の出番かな? それに、自ら力を抑えて危険を増やそうなどとは、見上げた心がけだ。面白そうだから、我も混ぜてくれないか?」


 弾かれた様にハンクとアリアが振り返ったその視線の先には、漆黒のバトルドレスを纏って悪戯っぽく笑う、黒髪黒目の少女――創造神アルタナが立っていたのだった。

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