第24話 茜色の空 前編

 遥か彼方、地平線の上に浮かぶ太陽が、少しづつ、その輪郭を曖昧にしていく。綺麗な茜色に染まった太陽は、線香花火の最後に残った火の玉みたいだ。

そんなことを思いながら、リンは徐々に沈んでいく太陽を眺めた。しかし、その胸の内に去来するものは、1日の終わりに感じる哀愁ではない。もっと暗く、そして、苦いものだ。

 なぜなら、突然、見知らぬ魔王に襲撃され、ティナとフェンリルが今の様な姿にならざるを得なかった日も、こんな夕暮れ時だったからである。

 そして、さらにその前、この世界に来ることになったあの日もそうだった。

(なんで今そんな事、思い出すんだろ……)

 正直、前世の事など思い出したくも無い。あの人達から離れることが出来て、本当に良かったと思う。

 リンは、難民街の寂れた礼拝堂の前にある階段に座り、膝の上に両肘を乗せて頬杖をついた。何となく地面に目を落とし、ため息、とまではいかないものの、一つ吐息を漏らす。

 隣にはハッシュ、その向こうには、先ほどならず者から保護した少年、ヴァンが並んで座っている。

「ねえリン? 聞いてる?」

 不意に自らを呼ぶ声が聞こえた。ハッシュだ。青目青髪の少年が、怪訝な表情を浮かべてこちらを見ている。突然、物思いに耽ってしまったものだから、訝しんでいるのだろう。

「ごめん、聞いてなかった」

「今日はどうしたって言うのさ。迷子になったり、突然ぼーっとしたりして……」

「なんでだろ? 今日は調子が悪いのかな?」

「そんなんでどうするのさ……」

 頬杖をついたまま答えるリンに、ハッシュが口を尖らせる。彼の言い分はもっともだ。そんな調子の悪い時に、白髪の男に出会おうものなら、生命核を取り戻すどころではない。なにせ、その男のほうが実力が上なのだ。万全の状態で臨んで丁度いいくらいである。

 しかし、ここにはもう、白髪の男はいないだろう。この3日間の捜索で、それはほぼ確信したと言っていい。

 なぜなら、難民街に白髪の男の生命核の気配を感じないからだ。

 ほとんどの魔法を使える者は、魔力感知を習得している。だが、生命核そのものを感じることは出来ない。同じく生命核を持つ者だけが、その存在を感じる事が出来るのだと聞いている。勿論、リンが冥界竜を探し出せたのは、そのお陰である。とはいえ、生命核を持っていれば、それだけで他の生命核の気配を感じ取れるようになる、と言う訳では無い。その為には鍛錬が必要であるし、コツもいる。

 それなのに、リンが難民街の捜索を早々に切り上げなかったのには訳があった。

 ――どこかに、冥界竜の生命核の気配が残っているのだ。

 それは、なにかもやの様な物の中にいて、しっかりとは判別出来ない。だが、この難民街のどこかに、その気配はある。一度はその気配をたどり、エルダー火山まで冥界竜を討伐に行ったのだ。間違えるはずが無い。

 ――そして、その時は突然来たのだった。

 集合時間の少し前、何の収穫も無いままに、リン達3人が難民街を歩いていると、ならず者達に囲まれたヴァンに出くわしたのである。

 ならず者達は、身なりのいいヴァンから、金品を巻き上げようとしただけだったのだろう。

 だが、彼等がナイフを抜いてヴァンに迫った時、明らかな殺意と共に、一瞬、冥界竜の生命核の気配がしたのだ。もちろん、ならず者達からでは無い。――ならず者達に囲まれた少年、ヴァンからである。

 そのヴァンは今、リンの傍らに座るハッシュと、自らの身の上について話をしている。ヴァンの両親は武器商で、商売のために、王都から両親と3人でこの街へ来たと言っているが、多分嘘だろう。

 パッと見、身なりが良い13歳くらいのこの少年から、白髪の男が持ち去ったはずの、冥界竜の生命核の気配を感じたのだ。

 どう考えても、王都から来た武器屋の息子が、そんなものを持っているはずが無い。

 当然の事ながら、ハッシュはその禍々しい殺気をならず者達が出したと思ったのだろう。咄嗟に彼はシゼルへ声を掛けて、少年を助けようと持ちかけたのだ。シゼルはすぐに頷いて、ならず者とヴァンの間に割って入った。しかし、ならず者たちの顔を見渡して、どこか訝しむような表情を浮かべた。

 こんな雑魚が先ほどの殺気を出せるのかと、さぞ疑問に思った事だろう。勿論、ならず者達がそのような殺気を出せる訳が無い。それが出来るのであれば、彼等は既にこの難民街で、裏の実力者にでも成り上がっているはずだ。

 そして、ヴァンが脱兎のごとく走り出したのは、シゼルがならず者達に、訝しむような表情を浮かべた直後だった。

 ヴァンから冥界竜の生命核の気配を感じたリンにしてみれば、突然逃げ出すなど、疑ってくださいと言っているようなものだ。

 幸いな事に、白髪の男の気配はもう無い。もし仮に、少年が冥界竜を召喚したとしても、何とかできるだろう。もしくは、そうなる前に、この少年ごと冥界竜の生命核をフェンリルに吸収させてしまおうか……

 ほんの少し、リンが逡巡したその間に、目ざといならず者の一人が少年を追いかけ、さらにハッシュがそれに続いた。のんびり考えている場合では無い。ここでまた、生命核を逃す訳にはいかないのだ。

「シゼル。此処、お願い」

「ああ。あっちを頼む」

 短いやり取りの後、リンはハッシュに続いて、ヴァンを追いかけた。本気で走れば、瞬く間にならず者を切り伏せ、ヴァンの腕なり肩なり捕まえる事は簡単だ。しかし、リンは敢えてそれをせず、ハッシュの魔法の完成を待った。すると、驚いたことに、ハッシュは走りながら魔法を構築し射出した。中級冒険者だと彼は言っていたが、移動しながら魔法が使えるのは、その中でも、一握りの実力者のみだったとリンは記憶している。

 お蔭で、手際よくならず者が倒されてしまった。本音を言えば、ならず者とハッシュの両方と離れてヴァンと二人きりになりたかった。

 もし、ヴァンが生命核を懐に持っているだけなら、それを出させれば話は済む。しかし、冥界竜の生命核はもやの様なものに覆われており、まるでその気配を隠そうとしているようだった。したがって、そこから考えられることは1つ。ヴァンの体内に生命核があり、自らの魔法か、着用している服の付与魔法によって、その存在を隠している、と言う事である。もちろん、そこには白髪の男が絡んでいるはずだ。

 白髪の男が、何の目的でそのような事をしたのかは判らない。だが、ヴァンから生命核を取り返すには、彼ごとフェンリルに吸収させる他無い。それはつまり、ヴァンを殺すと言う事である。

 勿論、ハッシュはそれを良しとしない。ヴァンが生命核を持っていることが確実でない限り、ハッシュはそれを全力で阻止するはずだ。今もハッシュは、路地にへたり込んだヴァンに優しく声を掛けて助け起こしている。当然、その後はシゼル合流して、ハンクとアリアの元へ彼を連れて行くだろう。

(――出来過ぎてる気がする)

 なんでだろう? 正直、嫌な予感しかしない。白髪の男と、ハンク達に面識などあるはずも無いのに、リンの胸の内で警鐘が鳴り止まない。ヴァンはここに引き留めておかなければならない。そんな気さえするのだ。

(ごめんね、ハッシュ。しばらく私に付き合ってもらうね)

 リンは心の中でハッシュに詫びてから、一言、力強く口を開いた。

「まかせて!」

 勿論、でまかせだ。シゼルと合流する気など、さらさらない。こうなったら、出たとこ勝負である。

 わざと迷子になって時間を稼ぎ、ヴァンにボロを出させるか、それでもダメなら、夜の闇に乗じてヴァンごと生命核を吸収するかのどちらかだ。なんにせよ、ヴァンから冥界竜の生命核の気配がしたのは確かなのだ。それに、生命核が無ければティナの魂が崩壊してしまう。どちらの命が優先かなど、天秤に掛けるまでも無い。

 それでも、リンの中で一つだけ迷いが残る。

(せっかく仲良くなったのに、嫌われるのはいやだな……ボロ、出してくれないかな)

 そのあと、首尾よく迷子になって、誤魔化し笑いをしてみたが、リン自身、自分でもどうかと思う程の大根役者振りであった。


「閉門には間に合いそうにないし、今日はこの礼拝堂で野宿するより無いね」

 礼拝堂前の階段でヴァンと一通り喋った後、空を見上げたハッシュが、ため息交じりに呟いた。茜色の太陽は、未だ地平線へ到達出来ずにいる。日没まで、まだ少し時間がありそうだ。

「ごめんなさい。僕が余計な事をしたばっかりに……」

「ヴァンの所為じゃないよ。迷子になったのは、リンだしさ。朝になったら、ドルカスの城門まで送って行くよ。朝早く城門を目指せばきっとご両親にも会えるさ」

 しおらしく謝るヴァンをハッシュが慰めた。わざとやったとはいえ、自分の所為だと言いきられるのは、正直、心に刺さる物がある。とはいえ、今はそんな事にくじけている場合では無い。ヴァンが生命核を所持していることを証明するため、彼にボロを出させなければいけないのだ。最後の手段を行使して、ハッシュに人で無し呼ばわりされるのは御免こうむりたい。

 とはいえ、今の所ヴァンがボロを出す気配は無い。

(すこし、仕掛けてみるか……)

 にまっと笑顔を作って、リンはヴァンと目を合わせた。

「もとはと言えば、白髪の男が私から大事なものを盗むから、こんなとこまで探しに来ることになったんだ。どこの誰だか知らないけど、最っ低だよね」

 我ながらうまくコブシが効いたと思う。特に、最っ低と言った所に。そう思いながらも、リンはヴァンから目を逸らさない。

「そ、そうなんだ……ひどい奴だね。その人」

「え……ちょ、リン?」

 たじろぐヴァンを見て、ハッシュがリンの名前を呼ぶが、敢えて答えない。もう、戦いは始まっているのだ。

「だよね。私もそう思う。だって、人様から奪ったもので罪も無い人をたくさん殺そうなんて、頭おかしいよ」

 あなたの体の中に、その生命核がある事、バッチリ気付いてますよ。そう付け加えるかのように、リンはニコッと微笑んだ。無論、ハッタリである。だが、冥界竜の生命核をヴァンに植え付けて、何をするかなど簡単に想像がつく。この少年の身体を新たな核として、冥界竜を召喚しようと言うのだろう。もちろん、ドルカスの市民を贄として。

 リンの微笑みに一瞬硬直した後、ヴァンの肩がピクリと動き、それを誤魔化すかの様に、咄嗟に俯く。もうひと押しと言ったところか。我ながらひどい事を言っていると言う自覚はあるが、やめることは出来ない。

「やめて下さい……そんな事言うなんて、酷いじゃないですか。僕は両親とはぐれただけの子供ですよ」

 俯き、震えた声で、絞り出すようにヴァンがリンを非難する。だが、リンは白髪の男と言っただけで、まだ誰の名前も出していないのだ。やめてとも、酷いとも言われる筋合いは無いはずである。

「ごめんね。私にも事情があって、つい熱が入っちゃった。どうせ、自分じゃ何も出来ないロクでも無いヤツなんだよ。きっと」

「やめろって言ってるだろ!」

 俯いたまま、そう叫んだヴァンの身体から周囲に向けて、殺気が突風の様に巻き起こった。それと同時に、重くどんよりとした瘴気の様な気配――冥界竜の生命核の気配――を、ヴァンの身体から感じる。

 軽く揺さぶっただけのつもりだったが、あっさり尻尾を出したようだ。

 目の前のヴァンは、思春期の少年らしく、感情の高ぶりが激しいのだろう。しかも、白髪の男にかなり心酔している様に見える。そうでなければ、こうも簡単に話は進まない。

「どういう事なのさ! なんで、ヴァンからこんな禍々しい殺気がするのさ!」

 とっさに立ち上がったハッシュが、信じられないとばかりにまくし立てた。

 そして、すでにヴァンの前に立っていたリンが、漆黒の両手剣クレイモアをその首に突き付けた。

「冥界竜の生命核を持ってたのは、やっぱりあなただったんだね。素直に渡してくれるとうれしいんだけど、無理なら、この剣であなたごとその生命核を吸収させてもらおうかな」

 リンは落ち着いた声でそう言ってから、ハッシュの方をちらりと見て、「黙っててごめんね」と一言謝った。

「そんな……ヴァンが白髪の男の関係者で、生命核を持ってるってこと?」

「そうだよ」

 リンはハッシュの方を振り返らずに、ヴァンを見据えたまま短く答えたのだった。

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