第25話 茜色の空 後編
「……いつ気が付いたか知らないけど、お姉さんすごいね。でも、生命核を渡す事なんて、もう不可能だ。こいつは僕の身体と融合してるんだからな」
座ったままのヴァンは、そう言ってリンを見上げた。
それにしても、よくもあそこまで幼気な少年を演じられたものである。自らの大根役者ぶりを思い出して、リンは内心
「最初に気が付いたのはね、あなたが街で絡まれてた時。少しだけ殺気をにじませたでしょ。そこかな。元々、冥界竜を倒したのも、生命核の気配をたどって居場所を見つけたのも、私なんだよ。ヴァンから同じ気配がしたから、すぐ判った。だから、ずっとボロを出すのを待ってたんだ。でも、出してくれそうに無いから、ちょっと揺さぶらせてもらったの」
ヴァンを挑発するように、リンは薄く
「だから…………あんなこと言ったのか。よくもヴィリー様を散々バカにしやがって!」
ヴァンがありったけの怒気を込めてリンを睨みつけ、自らの首に突き付けられた両手剣を全く意に介すことなく、そのまま
ヴァンが立ち上がるのに合わせて、切っ先が上着を上から下へと切り裂いていく。
そして、裂けた上着の隙間では、ヴァンの心窩部に埋まった、握り拳大の赤黒い菱形のクリスタルが妖しく脈動していた。――冥界竜の生命核だ。
「どういう方法を使ったか知らないけど、ホントに融合してるね。…………でも、それはあなたを侵食して、やがてあなたそのものを別の物へと変えちゃうけど、解っててやってるんだよね、きっと。じゃなきゃ、そんなこと出来ない」
「ああ、そうだ! ヴィリー様が僕に言ったんだ。私の為に戦ってくれってな! だから僕はコイツを自分に融合させたんだ。
ヴァンはリンの言葉を肯定し、その胸の生命核を、左手で撫でるように触れた。
「ヴァン……君は魔物になってまで何をするつもりだったのさ……。それに、ヴィリーって、まさか白髪の人の名前かい? だとしたら、帝国の白き勇者と同じ名前じゃないのさ……」
出来れば信じたくない。豹変したヴァンを見るハッシュの表情が苦悶に歪む。
「ああ、そうさ。お前らが捜していたのは、白き勇者ヴィリー様だ。僕はあの人に仕える帝国軍人だ」
白き勇者ヴィリー。彼は10年ほど前、リガルド帝国に現れた。当時、リガルド帝国は、北方に連なる大蛇の尾根を越えて侵攻してきた魔王に、国土の半分を占領されていた。魔王の圧倒的な力の前に、誰もが帝国の崩壊を疑わなかったほどである。だが、ヴィリーは5年と経たず帝国領土を取り返し、さらに魔王を滅ぼして、その眷属や魔物を駆逐した。彼は破格の戦闘力に加え、誰も見た事のない用兵術を駆使したそうだ。白髪に灰色の瞳をした彼は、その姿から白き勇者ヴィリーと呼ばれたのだ。
だが、それよりもハッシュを驚かせたのは、よりにもよってヴァンが帝国軍人だと言う事である。
「君はまだ子供じゃないのさ! しかも、軍人だなんて……それに、なんで勇者が魔物を利用するのさ!」
勇者と言えば、魔物と対極の存在のはずだ。それなのに、何故ヴィリーがヴァンを魔物化させようとするのか、意図が分らない。そして、それを受け入れるヴァンの気持ちも、ハッシュには全く理解出来ない。
「ハッシュ。勇者って言っても、その力をくれた神様が天上神だったから、そう呼ばれるっていう事に過ぎない。勇者は聖人、魔王は邪悪って訳じゃ無いんだ。それに、魔物を使う理由は簡単だよ。魔物が街を壊したなら、誰も帝国の仕業だなんて思わない。不幸な事故っていうだけ。相手が王国なら、尚更。被害は大きいほどいい。だからこその、冥界竜だったんだね。そして、防衛のままならないこの街を、その期に乗じて攻め落とすつもりだったんだと思う。難民街では、さっきみたいに絡んでくる奴を殺して贄にしてたんでしょ?」
静かに口を開いたリンに、ハッシュは絶句しヴァンはニヤリと口角を歪めた。
ヴァンが一瞬纏った禍々しい殺気。それは、理不尽に対する怒りなどでは無く、無慈悲な殺意から漏れ出したものだったのだ。
「へえ、割と知恵が回るんだ。でもさ、それを知った所で、お前らは僕に殺されるんだ。僕には冥界竜の力がある。生命核を得た事で、あの人と肩を並べて戦える。その為なら、姿なんてどうだっていい! 残念だったな! お前らも、僕の贄にしてやるよ!」
自信満々に言い放つヴァンを見て、リンは小さく溜め息をついた。
どうやら、この少年は自分を殺せる気でいるらしい。その胸に融合している生命核の元の持ち主、冥界竜を倒したのは誰だったか忘れているのではないだろうか? もし、それを実現するのであれば、冥界竜では無く冥王竜を召喚する必要があるだろう。冥界竜は低位の神くらいの強さだが、冥王竜ともなれば、その強さは高位の神に匹敵する。
「元々、私が倒した冥界竜の生命核くらいで、どうしようと言うの? 忘れたんだったら、しょうがないけど。それに、その生命核を返して貰いたいのは私なんだ。……友達の命が掛かってるから」
もう、余計なことは考えない。努めて冷やかに言って、リンは漆黒の
――神器グレイプニル。それがリンの持つ両手剣の本当の名前だ。
依代達が神降ろしを行った際、神から受け取った強大な魔力を元に、神話と伝承に基づいて顕現する神威の結晶。それが神器である。
そして、神威の結晶である神器は、神そのものと繋がっており、直接力のやり取りを行う事が出来るのだ。
勿論、最初にグレイプニルを顕現させたのはリンでは無い。フェンリルの依代である、ティナだ。
ティナが神降ろしと同時にグレイプニルを顕現させた時は、先端に分銅の付いた漆黒の鎖であった。ティナの右手に絡みつく様に顕れたグレイプニルは、伸縮自在の打撃武器だったのだ。
だが、致命傷を受けたティナの魂が崩壊を始めた時、リンがグレイプニルを受け取ると、それは両手剣へと姿を変えたのだった。
そして、リンは名も知らぬ魔王を打ち倒し、その力をグレイプニルに吸収した。裏を返せば、名も知らぬ魔王も、リンの生命核を吸収して、自らの力を高めようとしただけだったのだろう。だが、結果として、そのような事にはならなかった。逆に、リンが名も知らぬ魔王の生命核をグレイプニルに吸収し、その力で以て、フェンリルの存在とティナの魂を今まで維持していたのだ。だが、その力もあと僅かで尽きようとしている。
「さよならヴァン。――貪り食らえ! グレイプニル!」
その瞬間、漆黒の剣身が、ぐにゃりと輪郭を無くし、何倍もの太さに膨らんだ。
「リン、待って! もう少しだけ、話をさせてよ」
「…………邪魔、しないで。あの子は私に殺されるだけの理由がある。沢山の人の命も脅かそうとしてる。それでいいでしょ?」
「ごめん。リン、君は僕が納得できるように、わざと回りくどい手を使ってくれてた事も解ってる。でも、最後に一つだけでいいんだ」
リンは絶対待ってくれる。微塵も疑わない目で、ハッシュはにこりと微笑んだ。
――反則だ。いろいろ恵まれなかった私に、その目を向けるのは、ずるい。
ハッシュの青い双眸を直視する事が出来ず、リンは両手剣を構えたまま動きを止めた。無言の肯定に、ハッシュは「ありがとう」と、小さく言ってヴァンの方へと向き直る。
「最後に聞かせて欲しい。と言うか、確認させてほしい。ヒューマンの君が、
「そんな事、どうだっていいだろ。お前には関係ない事だ」
静かに問いかけるハッシュへ、ヴァンが冷ややかに答えた。このままでは、取りつく島も無いだろう。
「じゃあ、質問を変えよう。ハイエルフのサラ、もしくは帝国密偵のラーナって名前を知らないかい?」
リンには聞き覚えの無い2人の女性の名前をハッシュが出した途端、ヴァンの両目が大きく見開かれた。精霊を扱うと言う事が、その二人に何か関係があるのだろうか? ハッシュにもそれなりの事情があり、ヴァンから情報を引き出そうとしているのは明らかだ。ヴァンも素直に喋る気は無さそうだが、あれでは肯定しているようなものである。
「…………知ってるんだね。帝国で精霊に関わるなら、その2人の事を知ってるかもしれないって思ったんだ。生命核の融合はサラさんにやってもらったのかい?」
「サラ先生はそんなことしない! これは僕がやったんだ。ヴィリー様のために!」
ヴァンの言葉に、今度はハッシュが目を見開いた。
「サラ先生……まさか、君もラーナと同じで、彼女が育てた子供たちの1人?」
「そんなことまで……どこまで知ってるんだお前! 一体何者だよ!」
「君みたいな少年が……いや、精霊使い達が、軍人、兵士として既に利用されているんだね。もう、手遅れじゃないのさ……僕は、ハンクとアリアになんて言えばいいのさ」
たじろぐヴァンに、ハッシュが呟くような声で答えた。めまぐるしく入れ替わる言葉の攻守に、リンが目を白黒させていると、その隙を突く様にヴァンが動いた。
「ハッシュ。お前から殺してやる! 『力を解放しろ!
ヴァンが生命核に左手を当て、精霊語でそう叫ぶと、その体が一瞬で禍々しい魔力に包まれた。そして、振り上げた右手に、竜の鉤爪の様な刃を魔力で出現させる。ヴァンが、その右手をハッシュへ向かって振り下ろそうした瞬間、高速で横切った黒い何かによって、彼の右肘から先は、喰い千切られた様に無くなっていた。
勿論、リンのグレイプニルである。
「ヴァン、勘違いしないで。ハッシュの為に時間をあげてるだけ」
「……ありがとう、リン」
油断なくグレイプニルを構えるリンに、ハッシュが礼を言った。
ヴァンは右腕から、血液よりもドス黒い液体を流出させながら、「ぐ……クソッ!……」と呻く。それを見て、ハッシュの表情が曇る。
「ヴァン、ラーナは大森林で魔物に、いや、邪精霊アイアタルに変えられた。そして、彼女を倒したの僕らだ。……ごめん。まあ、僕はほとんど何もできなかったんだけどさ。でも、彼女を殺してしまった仲間――ハンクは、その事をものすごく悔やんでる。もっと他にやり方があったはずだって。……だからさ、こんな状況になっても、未だに僕は君が死ななくてすむ方法が無いか考えてる。でも、ごめん。僕には何もしてあげられそうにない……」
何度も謝りながら、ハッシュは俯いた。ぎゅっと杖の柄を握りしめて。
――悪いのは私だ。今も無慈悲にヴァンを喰い殺そうとしている。さながら、狼の様に。だから、ハッシュに落ち度は無い。
お喋りは、もう、お終いだ。すっと目を細めて、リンは口を開いた。
「今度こそ、さよなら。ヴァン」
これ以上ないほどの憎しみをこちらへ向けるヴァンに、リンは狼の
しかし、リンが無慈悲に振り下ろしたグレイプニルは、ヴァンに届くことは無かった。なぜなら、見知らぬ少女に素手で受け止められたからである。
グレイプニルは神器だ。しかもリンは魔王。その一撃を、只の少女が素手で受け止めるなど、常識外れも甚だしい。だが、現実にそれは目の前で起きていた。
リンとヴァンの間に突然現れた16歳位の黒髪黒目の少女は、漆黒のバトルドレスを纏い、肩まで伸びた艶やかな黒髪に、雪のような白い肌を首元まで覗かせていた。
「――嘘。でしょ?」
咄嗟にグレイプニルを引いて、リンは間合いを取った。広がった視界に、信じられないものを見る目で、黒髪の少女を見上げて呟くヴァンの姿が映る。
「……そん…………ナ……ゃ……?」
腕を失った激痛に、声を張る事も出来ないのだろう。距離をとったリンには、その全てを聞き取る事は出来そうにない。
「……フェンリルの転生者か。この少年には私も用があるのだ。それに、もうすぐ私のハンクがここへ来る。少し待ってくれないか」
足元のヴァンには目も呉れず、全てを冷たく見下すような彼女の物言いに、リンとハッシュが絶句する。しかも、彼女は一瞥しただけのリンを転生者と見抜き、その上「私のハンク」などと、言っているのだ。正直、理解の範疇を越えている。
そして、何より彼女から
少しでも対応を間違えは、即座に殺される。エルダー火山で対峙したヴィリーですら、彼女に遠く及ばないだろう。背筋にうすら寒いものを感じ、リンは無意識に生唾を飲み込んだ。
――どれ程の時間がっただろう?
ひょっとしたら、ものの数十秒だったのかもしれない。とても長い時間、黒髪の少女と向き合っていた気がする。
唐突に、黒髪の少女の口元が緩み、後ろを振り返る。
「遅かったなハンクよ。我を待たせるとは、いい度胸ではないか。待つのは好きではないと、あれほど言っただろう?」
「――なっ!」
玉を転がすような声で、悪戯っぽく言う彼女の視線の先には、大きく目を見開いたハンクと、警戒の色を露にしたアリアとシゼルがいたのだった。
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