第3章 迷子の魔王
第19話 冒険者ギルド
ハンク達4人がエルフの街を出発してから10日が経ち、彼等はドルカスへ到着した。大森林南端と、アドラス湾の間にある陸路入り口に置かれたこの街は、石を積んで造られた城壁に囲まれている。
陸路の先と、アドラス湾の向こうは、すでにリガルド帝国なのだ。その為、ドルカスはアドラス王国防衛の要を担う城塞都市である。当然ながら、城門を通過するためには身分証の提示が求められる。
ハンクはエルフの街での苦い経験を思い出して、どうしたものかと思案していると、シゼルが革製の小さな袋を兵士に手渡して、ハンクを指差しながら2、3言声を掛けた。
賄賂、それとも入国税の様な物だろうか? この事について、シゼルは事前に何も言わなかったが、同じように並んでいる他の入街希望者達が金品を渡しているようには見えない。彼等は、それぞれ何かしらの身分証を兵士に提示して、城門の中へと入って行く。そうなると、身分証の無いハンクが揉め事を起こさず城門を通過するのに、1番手っ取り早い手段は賄賂である。
(――異世界でも、人間そんなに変わらないって事か……まあ、そりゃそうだよな)
妙に納得しながら歩いて城門を通過し、ハンクは独りごちた。
神や魔法が現実に存在する異世界であろうと、人の欲と言うものは一緒らしい。そんな人々が、何を思って信仰を神々へと向けるのか、ハンクには今一つ理解できない。そんな事を考えている間に、4人は城壁を抜けた。
眼前に広がる中世ヨーロッパ風の街並みに、ハンクの口から思わず「すげぇな……」と感嘆の声が漏れる。ついさっきまで考えていた、人々の信仰がどうのこうのは、ドルカスの街並みの中へ、あっという間に埋もれてしまったのだった。
「ハンク。まだ日も高い。先に冒険者ギルドへ行って登録を済ませよう」
石畳で舗装された道をしばらく歩いたところで、シゼルが口を開いた。
「了解。この街のことはサッパリだし、シゼルに任せるよ」
ハンクにしてみれば、どこに何があるのかもわからないのだ、任せるより他に無い。
「それと、さっき兵士に渡したお金、後で返すから教えてくれ」
「返さなくていいぞ。ハンクは身分証を持ってないから、入街税が掛かるが、さっきはパーティの財布から出しといた。賄賂じゃないから安心しろ」
「なんだ、そうだったのか……てっきり、賄賂かと思った。でも、お金払ったら入ってオッケーなんて、入街税なんてものは、税と名が付いただけの賄賂みたいなもんだな」
あまり深く考えずにハンクがそう言うと、ハッシュが「ハンクらしいや」と笑う。
「キミは面白い考え方をするのね。時々、見た目よりずっと年上みたいな事を言ってるわ」
外套に付いたフードを被ったアリアが、不思議そうな目をハンクに向けた。ハイエルフであるアリアの容姿は、やたらと目立つ。自衛のためにも、街中ではフードを被って人目を避けているのだ。
(――変なトコ、鋭いな……)
転生したお蔭で、ハンクの見た目は16歳くらいの少年だが、そうなる前は29歳のれっきとした大人だったのだ。そんな事をアリアが知る由も無いが、ハンクは彼女の観察眼に目を見張ったのだった。
そして、雷に打たれたようにハッシュが口を開いた。
「そういえば、入街税の話。誰もハンクに説明して無いじゃないのさ!」
「「あ…………」」
シゼルとアリアが硬直するのを見て、ハンクは「それ、大事な所だろ……」と、うな垂れる。城門の兵士は欲深い訳では無く、しっかり仕事をしていたのだ。偶然にも、今日は身分証や通行証を持った者が多かっただけで、それらを持たない者は、入街税を納めない限りドルカスに入る事は出来ないのである。
――そうこうしている間に、4人は冒険者ギルドへ到着したのだった。
交差した剣と槍の中央に、マナクルタグを模した意匠が施された看板が掛けられた建物の中に入ると、4人は受付窓口へと向かった。
大きくスペースの空いた室内には、受付窓口のあるカウンターと、丸テーブルと椅子のセットが並べられた待合があり、丸テーブルの大半は冒険者達で埋め尽くされていた。そして、その横の壁には、大量の依頼書が張り出された大きな掲示板があった。
待合の脇を抜け、受付窓口のあるカウンターまで行って、アリア達3人は依頼報告の窓口、ハンクは冒険者登録の窓口へそれぞれ分かれる。
「冒険者登録したいんですが……」と、ハンクが声を掛けると、赤毛の受付嬢が対応に現れた。
「登録希望ですね。では、マナクルタグに刻印する名前、出身、種族、性別を教えて貰えますか?」
「名前はハンク。出身はドルカス。種族はヒューマン、男だ」
「はい。承りました。では、マナクルタグを用意するので、少々お待ちください」
簡単な質問の後、赤毛の受付嬢は奥へと引っ込んでいく。そして、言葉通り少し待つと、再び彼女が現れ、カッパーで出来たマナクルタグをハンクに手渡した。
「内容に間違いはありませんか?」
笑顔で尋ねる受付嬢を横目に、ハンクはマナクルタグを確認する。内容に間違いはなく、ハンクは「大丈夫です」と短く答えた。そのまま、カッパーで出来たマナクルタグの左右に開いた穴から、革製の紐を通して左手首にはめた。
「登録は無事完了です。では、注意事項と簡単な説明をしますね」
赤毛の受付嬢が説明した内容は、ドルカスへ向かう道すがら、シゼルとハッシュに聞いていたものと同じであった。
マナクルタグは冒険者の識別票であり、5つあるランクによって素材が異なる。
特級冒険者はミスリル製、上級冒険者はゴールド、中級冒険者はシルバー、下級冒険者はブロンズ、それ以下の見習い冒険者はカッパー製である。その為、冒険者同士では、自分のランクをマナクルタグの色で伝え合うのだそうだ。
見習い冒険者は、見習い向けの依頼しか受ける事は出来ないが、中級冒険者以上のパーティに加入している場合に限り、そのパーティで一番ランクの高い冒険者の、一つ下のランクまで依頼を受注して同行できる。ハンクであれば、アリアとシゼルが上級冒険者なので、中級までの依頼なら同行してもいいことになるのだ。とはいえ、普通、高ランクのパーティが、見習いであるカッパーをパーティに入れて、一から育てようなどと言うことはしない。欠員が出たからと言って、上級や中級冒険者のパーティに見習いを入れるのは自殺行為に等しいのである。
しかし、下級冒険者の入れ替わりは激しい。ギルドでの扱いは1人前と言えど、死亡や大怪我、大きなトラウマを負った者や冒険者としての芽が出ずに故郷へ帰る者、そういった事が一番多いのは彼等、下級冒険者達なのだ。そして、必然的に彼等は同ランクでパーティを結成するのが難しくなり、見習いに声を掛けるのだと言う。こうして、実力や運の良い者だけが、より上位のランクに昇格出来るのだ。
昇格は、依頼の達成をそれぞれ功績と言う評価点に換算し、一定数を超えることで次のランクに上がる事が出来る。
ちなみに、特級冒険者はこのバスティア海周辺の国々すべて合わせても、10人しかいない。英雄である。上級冒険者は、街ごとに5、6人いればいい方であり、その街の有名人。規模の小さな街では、上級冒険者がいない街もある。中級冒険者がベテランもしくは実力派冒険者、下級冒険者で一人前。
そして、マナクルタグ最大の恩恵は、身分証明証になると言う事である。その身分は、冒険者ギルドの保証の下、バスティア海周辺の国々すべてで認められている。ただし、国境や城門の通過、多くの公的な効力を持つのはブロンズからである。カッパーは見習いの為、登録したその街の中でしか証明に使えない。
最後に、死亡した冒険者を発見した場合と、紛失したマナクルタグを拾得した場合は、速やかにそれを冒険者ギルドに届けるようにとの事だった。
「何か質問はありませんか?」
説明を一通り終えて、赤毛の受付嬢が笑顔で尋ねるが、特に疑問も無い。ランクがカッパーでは、街の外で公的な効力が無いため、国境を越える為にブロンズに昇格する必要がある。概ねシゼルとハッシュから聞いた通りだ。大丈夫だろう。そう思った瞬間、ふと、アイアタルの姿が脳裏をよぎった。
「もし……もしなんだけど、犯罪行為とか、市街地を破壊するような事に関わったりしたらどうなるんだ?」
「そのような場合は、冒険者ギルドの信用を保つためにも、討伐依頼が各地で出されて、粛清対象となりますのでお気を付けください」
「はは……粛清か……。良く分ったよ。あとは大丈夫。頑張っていい冒険者になるよ」
ハンクの口から乾いた笑いが漏れた。もちろん、ハンクの懸念は、魔神の刺客が市街地に出現する事である。そのような事になれば、市街地などタダでは済まない。
とはいえ、むしろこっちは被害者だ。きっと、全冒険者に命を狙われる事なんて無いだろう。そう自分に言い聞かせるハンクであった。
「えっと、ハンクさんはシゼルさん達のパーティに入られてるんですか?」
そんな事を考えていると、赤毛の受付嬢がおずおずと言った調子で切り出す。
「ああ。入ってるけど」と、短くハンクが答える。
「じゃあ、きっとそんな事にはなりませんよ。あの3人はドルカスでもトップランクの実力を持った方々ですから!」
心配無用とばかりに、はにかみながら赤毛の受付嬢が両手で握り拳を作った。
「お人好しなだけかと思ったら、すごかったんだな。あいつ等」
「ハンクさん、なんて事を言うんですか。それ、見習いが言っていいセリフじゃないですよ」
赤毛の受付嬢が人差し指を立ててハンクを
上級冒険者と言えば、その街で有名人だと説明を受けたばかりである。そんな彼等を、冒険者登録したての新人があいつ等呼ばわりするなど、普通は在り得ない。
「でも……あの、そういう性格のせいで苦労されてるのは本当なんですよ。特にシゼルさんとハッシュさんの二人ですけど……」
「だろうな。あいつ等、絶対、他の冒険者と揉めた事あると思う。目に浮かぶよ」
言いにくそうに言う赤毛の受付嬢を尻目に、ハンクが笑いながら答えた。
「もう。ハンクさん、そういう所ダメですよ。不遜というか、妙に落ち着いてると言うか、気の荒い人たちもいるんですから気を付けてくださいね」
「ありがとう。そういうヤツらの前では大人しくしてる」
礼を言うハンクに、赤毛の受付嬢は、はにかんだ様に「約束ですよ」と笑う。
「では、頑張ってくださいね」
はにかんだ笑顔のまま、軽くお辞儀をして、赤毛の受付嬢は奥へ下がっていった。
赤毛の受付嬢が奥へと下がった後、一人ポツンと待つ形になったハンクは、ふと、アリア達3人に視線を向けた。3人が淡い緑の髪の受付嬢と談笑しているのが見える。淡い緑の髪の受付嬢が3人を労っているようだ。
(そういや、ドルカスを拠点にしてるって言ってたよな……)
拠点にしていると言うだけあって、3人と受付嬢は顔馴染みなのだろう。そんな事を思いながら彼等を見ていると、ふと、自分に向けられた視線に気が付いた。――放っておけば、そのうち消えるだろう。そう思いながら我関せずを決め込んでみたが、視線は消えない。少しの間、そのままでいると足音がハンクに向かって近づいてきた。
ドルカスの冒険者ギルドは、待合に酒場を併設していない。隣の建物に、ギルド運営の宿屋兼酒場があるのだ。そのため、ギルド内で酔っ払ったベテランが、新人に絡んでくると言ったことはまず無い。ということは、この視線の主は、明らかに目的があってハンクに近づいてきたと言うことになる。
(――早速絡まれるとか、テンプレにも程があるだろ……)
今後の為にも一発かましてやろう。意を決して、ハンクは近づいてきた視線の主と目を合わせた。
髭もじゃのベテラン冒険者かと思いきや、そこにいたのは18歳くらいの少女であった。意志の強そうな目と、オレンジ色のショートヘアが印象的だ。跳ねた襟足が快活さを窺わせる。そして、中背の彼女は身長ほどもありそうな
「こんにちわ。すごく堂々としてるけど、この窓口に居るってことは新人さん?」
「ああ。そうだよ」
「やっぱり! 私はリン。よろしくね。最近この街に来たばっかりで、ランクもブロンズだから、一緒に組んでくれそうな新人さんに声を掛けてるんだ」
にまっと笑ってリンと名乗った少女が手を差し出した。
「ちょっとまった! なに握手しようとしてんのさ! ハンクは僕たちのパーティだろ!」
今にも握手を交わそうとするハンクに気付き、そこへ滑り込む様にハッシュが割り込んだ。
「あ。手を出されたからつい……」
「ついじゃないよ! まったく」
差し出された手に握手を交わす。それは同意したと言っても過言ではない。ハッシュが憤慨するのも当然である。
「残念。お連れさん、いたのか。強そうな人たちだし、私と組む必要なんて無いよね」
近づいてくるアリアとシゼルを見て、リンと名乗った少女が差し出した手を下ろす。そして、何か言い掛けるが、すぐに口を閉じた。
「ちょっ! 待ちなよ。ハンク一人で決めるのが駄目なだけだよ。何か力になれるかもしれないじゃないのさ! ドルカスに来たばかりなんだろ?」
(お人好しも、ここまで来ると見上げたもんだな……)
踵を返そうとするリンに慌てて声を掛けるハッシュを見ながら、ハンクは苦笑いを浮かべたのだった。
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