第16話 出頭命令

 目を疑うとは、まさに今の状況を言うのだろう。

 そんな事を思いながら、ハンクはテーブルを挟んで向かい側に座るアリアを見た。まるで悪戯が見つかった子供の様な表情を浮かべている。

 そして、その向こうでは、笑顔のイーリスが仁王立ちでアリアに睨みを利かせているのであった。心なしか、彼女の青味がかった銀髪が、風も無いのに揺らめく様に見える。

 ――どうやらアリアに逃げ道は無いらしい。

 笑顔のまま怒気を纏ったイーリスの視線を遮るように、アリアは木製のジョッキを両手で持って顔を隠している。ハンクの側からだと、アリアの狼狽する顔が丸見えだ。どんな言葉を言えばいいのか、考えを巡らせているのだろう。

 ややあって、意を決したのか、アリアがそーっとジョッキから顔を覗かせた。

「……怒ってるわよね」

「怒ってるに決まってます」

 イーリスは短くそう言って、アリアをじろりと睨み付ける。イーリスの眼光にたじろぎながらも、アリアは木製のジョッキを机に置いて、目の前の妹と視線を合わせた。

「イーリス。ごめんなさい! 私が悪かったわ!」

 椅子に座ったまま、アリアが深々と頭を下げる。目の前で頭を下げる姉を見ながら、イーリスは大きく一つ、息を吸い込んだ。

「まったく。いっつも勝手に決めて一人で突っ走って。父様と母様に会う度に愚痴をこぼされる私の身にもなってよ! それに、世間知らずだから変な男に騙されてないかとか、怪我してないかとか! ずっと心配してたんだから! 姉さんのバカッ!」

 イーリスは溜まった鬱憤うっぷんを一斉に吐き出してから、椅子に座ったまま頭を下げるアリアに突然抱き付いた。虚を突かれたアリアは、イーリスに頭から抱きすくめられる形になった。ぎゅうっと強く抱擁するイーリスの腕の感触が、彼女がどれ程心配したかを物語っている。

「ホント、ごめん。心配かけちゃったね……」

 イーリスの腕の中、二人だけが聞こえる声でアリアはそっと呟いた。


「あの……預言者様……」

 しばらくして、後ろで控えていたマレインが、気まずそうに声を掛ける。その声で我に返ったのか、イーリスはアリアから離れて、居住まいを正し、一つ咳払いをした。

 そう、本題はこれからなのだ。気持ちを切り替えて、イーリスはアリアを見据える。

「アリア=リートフェルト。エルフ王アルヴィス陛下より、出頭命令です。明日朝、王宮へ参内するようにとの王命です。お連れのヒューマンの皆さんは、私が王宮へ招待するので、一緒に来てくださいませんか?」

「な……」

 再び笑顔に戻ったイーリスが伝えた内容に、アリアが絶句した。

「姉さん達が捕縛した密偵、視させて貰いました。巨大範囲の精霊魔法、邪精霊アイアタルの出現と、それを一瞬で消滅させた光の柱。そして、精霊語を教えるハイエルフ。どれも見逃せない事ばかりです。詳しい話を聞きたくて、皆さんに会いに来ました。招待、受けてくれますか?」

 アリアを見ていたイーリスの視線が迷いなくハンクへ移動し、目が合うと彼女はにこりと微笑んだ。

 視ると言うことが、具体的に何を意味しているのか判らないが、あの場に居なければ知り得ない事を、この少女は口にしている。しかも、彼女は意図的にハンクと目を合わせた。明らかにハンクがやったと知っている様だ。

 とは言え、別にやましい事は無い。もちろん、敵意など微塵も無いが、それを示す為にも素直に招待を受けるべきだろう。

「招待、謹んでお受けするよ」

 ハンクはそう言って、目が合ったままのイーリスに笑いかける。すると、彼女は安堵したように微笑んで、「ありがとうございます」と返した。

 ――ハンクが、エルフにとって脅威となり得るか見極めること。

 それこそが、イーリスの本当の目的なのだ。

 そして、イーリスは再びアリアと視線を合わせる。

「姉さん。たっぷり怒られてくださいね」

 微笑みながら嫌味を言うイーリスに、アリアが「何よそれ!」と憤慨する。どうやら、いつものアリアに戻ったようだ。

「はは……アリアに勝ち目は無いな」

 姉妹のやり取りを見ながらハンクが苦笑いすると、隣に座ったシゼルが「ああ、まったくだ」と笑いながら相槌を打ったのだった。


 次の日の朝、衛兵隊長マレインと副官がハンク達4人を迎えに来た。

 4人はマレインに連れられ、王宮にある謁見の間へと案内された。エルフ王や重臣達が待ち構えているものだとばかり思っていると、そこに居たのはイーリス1人であった。

「おはようございます。みなさん」

「出頭命令なんて言って、アルヴィス王は来て無いじゃないのよ」

「ふふ。事は重大です。誰彼聞いて構わないような内容では無いので、私の部屋でお話ししましょう」

 昨日の夜同様の笑顔でイーリスが答え、マレインと副官に「ご苦労様」と声を掛けた。

「勿体無いお言葉、痛み入ります。では、私共は別室にて控えておりますので」

 そう言ってマレインは副官と共に下がり、4人はイーリスに案内されて預言者の執務室へと移動した。


「ひさしぶりだな。先生の部屋。今はイーリスの部屋か……」

「私が預言者を継承しましたからね。窓際のテーブルにどうぞ」

 イーリスに促されて、4人は窓際にある大きな長方形のテーブルに、窓を背にして1列に座った。そして、アリアの向かいにイーリスが座ると、使用人達がそれぞれの前に飲み物を置いていく。良く見ると、1つ多い。場所は上座。まさかとアリアが思っていると、最後にエルフ王が入室してきた。

 すぐさま椅子から降りて、アリアとイーリスは片膝を付く。

「俺たちも同じ様にした方がいいのか?」

 姉妹の作法に倣った方がいいのか判断が付かず、ハンクはひそひそ声でハッシュに問いかけた。

「自分の国の王様ならそうだろうけど、僕等は冒険者だ。席を立ってお辞儀する位で失礼にならないと思うよ」

 それを聞いて、ハンク達3人は席を立ち、エルフ王に一礼する。それをみて、エルフ王は軽く手を上げて応えた。

「私がエルフ王、アルヴィス・ルドルフ=エントだ。よく来てくれた。さらに、帝国密偵の捕縛、アイアタルとマンティコアの討伐。重ねて礼を言う」

「陛下よりそのような御言葉が頂けるとは、恐縮です。本日はお招きいただき、光栄に存じます。シゼル=ランドルフ、冒険者です」

 左手首のマナクルタグを露わにして、年長者のシゼルがアルヴィス王と言葉を交わす。

 ハッシュもシゼルと同じく左手首を露にして、「ハッシュ=ルポタ、同じく冒険者です。お招きありがとうございます」と再び一礼した。

(……そういえば、一般人はアウトだったんだよな)

 ハンクは街の入口の一件を思い出しつつ、「ハンクといいます。お招きいただき光栄です」と軽く会釈をした。

「久しぶりだな、アリアよ。顔を上げて楽にするといい」

「お久しぶりです陛下。アリア=リートフェルト、陛下の命により参上しました」

 片膝を付いて参上と言うアリアに、はてとアルヴィス王の脳裏に疑問符が浮かんだ。

 昨晩イーリスの使者より、明日の朝、アリア達4人を王宮に招待するから、預言者の執務室に来て欲しいと聞いていたが、普通、招待された者が参上などと言う言葉は使わないはずである。

 どういう事かと思い、ちらりとイーリスを見ると、にこりとイーリスが微笑んだ。なるほど、そういう事かとアルヴィス王は得心し、そのまま奥の席へ座った。イーリスなりのお返しなのだろう。

「皆も席に着くといい。そして、大森林での出来事を教えてはくれないだろうか?」

 アルヴィス王の言葉にイーリスが立ち上がり、4人に着席を促してから、最後に自分も椅子に腰を下ろす。そして、一呼吸の間を置いた後、本題を切り出した。

「預言者である私は、運命の女神ノルンの依代です。女神様達の御力を借りる事で、過去・現在・未来を視る事が出来ます。その御力で私は帝国密偵から、過去の情報を得ました。

 先日、大森林で観測された巨大な精霊魔法と、光の柱。ハンクさん。それらは両方ともあなたの魔法によるものですね? 先日のあれは、伝承の禁呪ですら生易しく感じるほどの魔力でした。

 そして、ノルンの女神達ですら、貴方が何者か判らない、過去も未来も視ることも出来ないと仰られました。同時に、危険な存在の様には思えないとも。帝国密偵、アイアタル、上位個体マンティコアと、立て続けにこの街の脅威を排除していただきながら、失礼とは思いますが、貴方が何者か教えて貰えませんか?」

 ハンクが何者なのか。それはアリア達3人も気になっている事であった。なにせ、立て続けに人外の力を見せられたのだ。だが、パーティを組もうと持ちかけた際、無用な詮索はしないと約束した。それ以上聞くことは出来ない。とはいえ、気にならないと言えば嘘になる。

 その為、イーリスの問い掛けに、その場の全員の視線がハンクへ集まった。

 それをみて、ハンクは大きく溜め息をついた。

 自分がエルフにとって脅威となり得る存在であるかどうか。それを見極める事こそが、自分を招待した目的なのだろう。そして、イーリスの口にした依代と言う言葉。彼女もまた神々の代理戦争の関係者と言うことになる。

 そうであるならば、自分の身体は魔神によって作られ、しかも、この世界に転生した異世界人だとは、口が裂けても言えない。あまつさえ、ハンクは魔神に、この世界に混沌をもたらせと言われたのだ。

 帝国の一件が落ち着いたら、のんびり冒険者稼業も悪くないと思い始めていたが、下手な事を言えば世界の敵だ。それどころではなくなってしまう。

 それに、あちらには運命の女神が付いている。イーリスの口振りから、彼女は女神達とそれなりに意思疎通出来る様だ。魔神とは大違いである。ハンクの過去や未来を視ることは出来ないと言っていたが、下手な嘘は付くべきではないだろう。

 そして、そもそも自分が何者なのか? 見た目は普通の人間にしてもらうよう頼んだが、正直、ハンクにも判らない。自分が教えて欲しいくらいなのだ。

 なんと答えたらいいか考えあぐねていると、アリアが助け舟を出した。

「ハンクは記憶が無いらしいの。でも、普通は記憶が無くても、常識的な事はある程度憶えてると思うけど、彼にはそれが欠如してる。私たちが住むこの地域とは全く違う国の出身かもしれない。出逢った時から服1枚で、彼が何者か手がかりになりそうな物は持ってなかったわ」

 異世界から来たのだから当然であるが、常識が欠如していると言われると複雑である。

 とはいえ、これ以上誤魔化すことは出来ないだろう。平穏な日常がどんどん遠ざかっていく感じがするが、自らの能力を隠さず見せて、信用を得るのが一番かも知れない。

 打算的な事を言えば、それでノルンの女神達とイーリス、さらにはエルフ達が味方になってくれるなら好都合だ。この世界には勇者や魔王がいると魔神は言っていた。もし、争うような事になれば、こちらもそれなりの味方が欲しい。

「すまない。俺が何者かなんて、自分でも良く分らないんだ。でも、エルフに敵対する意思は無いよ」

 ハンクは徐に立ち上がり、右手を前に出す。魔力を強く圧縮し、可視化するよう念じた。その瞬間、ハンクの周囲や足下、掌から強く輝く青白い粒子が湧き上がった。

 ありえない光景に、アルヴィス王とイーリスが息を呑む。

「そんな……これは魂の力。純粋な魔力を可視化するなんて、ありえない……」

 呆然とイーリスが呟く。それとは対照的に、アルヴィス王は魔力の粒子をしばらく見つめた後、瞑目し何事か考えているようだった。

 そして、強く輝く青白い粒子が、預言者の執務室一杯に溢れた。

「この力の所為で、アリアを危ない目に遭わてしまったし、逆にアイアタルを消滅させることも出来た。そして、何よりアイアタルの依代にされた女の子の魂に触れた。彼女は、ラーナは人質をとられていただけで、本当は誘拐なんてしたくなかったんだ。

 だから、俺は帝国へ行く。それで、ハイエルフの先生とその子供達をあの場所から解放してあげたい。彼女と同じ思いをさせたくないんだ。まあ、自己満足なんてことは承知してるけど……」

 自分が何者かは分らなくとも、これから何をしたいかは決めたのだ。あとは、エルフ達が判断するだろう。

 そして、ハンクは手を下ろし、魔力の粒子をゆっくりと消した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る