第12話 エルフの街へ

 春の空にうっすら白く霞みが掛かっている。空気中の水蒸気が多いせいだろう。

 この時期、大森林の南に広がるバスティア海から吹く海風が、沿岸部に湿った空気を届ける。

 そのため、大森林一帯では、気温が低く晴れた日に朝もやが発生する。さらに、それらが木の葉や草に結露して朝露あさつゆとなり、大森林に植生する植物は潤沢な水分を得る事が出来るのだ。そして、大量の朝露は、そのまま大地に浸み込み、地中を通って湧水や小川を形成し、再びバスティア海へと戻っていく。


 ハンク達4人が、エルフの街へ進路を取ってから、2日が過ぎた。

 時間は早朝を少し回ったところだ。

 食事と出発の準備を終えた後、ハンクは3つの革で出来た水筒と1つのコップを前に集中していた。その横ではパチパチと焚き火が音を立てて燃えている。

 凍えるほどの寒さではないが、それでも夜は冷える。焚き火の炎も無しに、マントや毛布のみで寝るには、この時期は未だ寒い。

(蛇口をほんのちょっとあけるイメージで……)

水の精霊ウンディーネ達。水を分けてくれ』

 ハンクは慎重に魔力を調整しながら、周囲へ精霊語で話しかける。すると、水筒とコップに水が湧き出て、溢れる事なく、それらを丁度一杯にした。成功である。

「よし! バッチリだな」

「うまくなったわね。上手じゃない」

 少し驚いたように言うアリアに、「だろ?」と、ハンクが得意げな笑みを浮かべた。この2日間、食事休憩や野営の度に、ハンクは魔力を調整する練習をしていたのだ。

 最初の内は何度か洪水を引き起こしていたが、筋力強化魔法を練習した時の、蛇口を捻るイメージを思い出して、魔力調整のコツを掴んだのだった。

「すごいじゃないのさ! ヒューマンが精霊魔法を使うなんて聞いたことないよ」

「多分だけど、帝国はそれを軍隊でやろうとしたのね。だから、ハイエルフをさらおうなんてふざけた事思いつくのよ」

 素直に驚くハッシュとは対照的に、アリアが不快感を露わにした。

「案外その読みは当たってるのかもしれないな。軍隊……帝国軍内で水を無尽蔵に供給できるとなったら、行軍の常識が変わるだろう」

「水だけじゃないわ。火の精霊サラマンダーで火を起こしたり、土の精霊ノームで防壁を作ったり、風の精霊シルフで索敵と監視も出来る。しかも、その精霊使いは攻撃にも参加するなんて事になったら、普通の軍隊じゃ勝ち目なんてないわ」

「なんなのさソレ……反則じゃないのさ」

 シゼルとアリアの言葉にハッシュが呻くように呟いた。

「でも、精霊使い1人が出来る事はたかが知れてるわ。軍隊を賄う程の人数を育てようと思ったら、何十年と掛かるはずよ」

 3人の言葉を聞きながら、ハンクの脳裏に魔導将と言う言葉がよぎった。ラーナの記憶を見た時に聞いた言葉である。もし、他の子ども達が、自らの意志で指揮官となり、こちらへ攻撃をしてきた時はどうすればいいのだろうか?

 しばらく考えを巡らせてみたが、答えは出ない。

 そもそも、望まれて帝国から引き離しに行こうと言う訳では無い。拒否されることだって十分あり得るのだ。そして、そのまま彼等が帝国に残れば、その子供たちはシゼルやアリアの言う通り、優秀な人材――むしろ兵器となるだろう。

「相当な難題だな……」

 冷静に考えてみると、思った以上に困難であることに気が付き、ハンクは我知らず呟きを漏らした。

「そうね。あまりのんびりもしてられないわ。そろそろ出発しましょ。街まであと半日も掛からないはずよ」

 アリアが立ち上がり、浅い呼吸で死んだように眠っている密偵を一瞥してから、腰に水筒を掛ける。シゼルとハッシュの二人も、同じように腰に水筒を掛けた。

 ハンクはコップの水を一気に飲み干して、水滴を払ってからシゼルに借りた革製の袋にコップを入れた。そして、密偵を担ぎ上げ肩に乗せる。睡眠魔法が良く効いているようだ。密偵を一瞥してから、既に歩き出した3人に続いて、ハンクも歩き出した。

 最初、密偵に《アスフィクシア》を掛けた時点では、睡眠とハンクによる魔法解除が無ければ起きられないと言うだけの魔法であった。しかし、次の日になって、密偵にも生理現象が起きる事に思い当たったのだ。

 エルフの街まで2日半。水分補給が無ければ衰弱するだろうし、生理現象も何度か起きるだろう。

 今後の事を思うと、何かいい方法は無いものかと考えた挙句、《アスフィクシア》に身体機能の低下と睡眠の両方をイメージして、魔法を掛け直したのだ。当然、ハンクの魔法解除のコールが無くては起きられないようにしてあるため、逃亡の心配も無い。

 これで、2日間くらいなら水分補給や排泄の心配をしなくてもいいだろう。

 そして、ハンクは「《ストレングス》」と呟いて、筋力強化魔法を自らに掛ける。強化倍率は10倍。その結果、肩に担いだ密偵の重量の体感は元の10分の1となる。

 しかし、実はハンクに《ストレングス》は効果を及ぼしていない。

 ハンクがそれに気が付いたのは、出発してから、3回目の《ストレングス》を使用した時だった。

 アリア達3人は、武装以外にも野営の道具や食品を手分けして荷袋に入れている。さらに、そこへ密偵を担いで歩くとなると、それらは相当な重量になる。

 しかし、ハンクには倍率10倍の《ストレングス》がある。そのお蔭で、密偵の重さはトウモロコシくらいにしか感じない。それに、魔法の掛け直しも自分自身に行うのであれば、大して気を遣わなくて済む。しかも、ハンクの荷物は皮袋に入ったコップのみである。そういった理由から、ハンクは自ら密偵を運搬する役に回ったのだ。 

 そんな訳で、ハンクが欠伸を噛み殺しながら、大森林をエルフの街へと向かってボンヤリ歩いていると、いつの間にか《ストレングス》が切れていた。あわてて、魔法を掛けなおそうとするも、ふと違和感に気が付く。

 そう、重くないのだ。

 密偵も成人男性である。普通に考えれば、一人で肩に担ぐことが出来たとしても、歩行速度はかなりゆっくりなものになるだろう。しかし、ハンクは先ほどまでと何ら変わりない歩行速度を維持している。

 肩に担いでいる密偵は、依然としてトウモロコシでは無いかと言う程度の重さにしか感じない。

(……そういえば、身体の素材に巨人とか竜とか混ざってるとか言ってたけど、そのせいなのか?)

 転生前に読んだマンガやラノベでは、人間が鷲掴みにされるシーンが良く出て来た。ということは、今の自分は、そういう事なのだろうか? 認めたくはないが、モンスター側と言う事なのだろうか?

(見た目は普通の人間でって頼まなきゃ、いったいどんな姿でこの世界に放り込まれてたんだ……)

 一歩間違えば、厳つい巨人や、キマイラの様な姿で異世界転生させられていたかもしれない。

 見た目がモンスターだったとしても、ハンクの心は人間なのだ。

 もし、そんなことになっていたらと思うと、その先は想像する気にもならない。

(――普通の人間のフリをしよう)

 かくして、ハンクは重たくも無い密偵を担いでいるにも係わらず、《ストレングス》を唱え続けると言う暴挙に出たのであった。


 アリアの案内で、ハンク達はエルフの街へ向けて大森林を移動していると、次第に木の生える密度が低くなってきた。

 よくみると、今まで下草が茂っていた地面が踏み固められた地面へと変わってきており、人の往来がある事を窺わせる。

 ハンクにしてみれば、この世界で初めての街である。しかも、エルフの街だ。いろいろ想像するが、どんな街なのだろうと気になって仕方ない。転生前に海外旅行など行ったことも無いが、このワクワクする気持ちは一緒なのではないかと思う。

 そんなことを思いながら歩いていると、先頭を歩くアリアが後ろの3人へ振り返った。

「そろそろエルフの街よ。衛兵に警吏を呼んでもらって、密偵を引き渡したら、証明書を出してもらえるように頼んでみるわ」

「了解。衛兵と話すのはアリアに任せる。俺達とアリアじゃ対応が別物だからな……」

「ホント、あれはチョット無いよね……」

 余程のことがあったのだろう。ため息交じりに言うシゼルとハッシュに、アリアが苦笑いする。

「まあまあ、今回は密偵も捕まえてるし、お手柄みたいなものだから。堂々としてればいいのよ」

「それもそうだな」

 アリアのフォローにシゼルが顔色を輝かせた。心なしか背筋がピンと伸びたように見える。

「それより、怪しさだけなら、ハンクも密偵といい勝負じゃないのさ。記憶も無い上に、マナクルタグも無いから冒険者登録もしてなさそうだし……。衛兵に変な疑いを掛けられないようにしなきゃ」

「あー……。確かに何もないな。ところでマナクルタグってなんだ?」

「そんなことも忘れちゃてるのか……。これだよ」

 突然話題を振られて、素で知らないと答えるハンクに、ハッシュはがっくりうな垂れる。そして、左腕の袖を軽く捲り上げて、手首のブレスレットを見せた。

 銀製で出来た長方形のプレートに、左右に開いた穴から革製の紐を通して手首にはめているようだ。銀のプレートには何やら文字が彫ってあり、ハンクは目を凝らしその文字を見た。

 どうやら読めそうだ。頭の中に言葉が浮かんでくる。魔神は何も言ってなかったが、文字も理解できるようにしてくれたらしい。

「氏名 ハッシュ=ルポタ。ホームタウン ドルカス。ヒューマン 男性……なるほど、ドッグタグの腕輪版って事か」

「え? ドッグタグ? 何なのさそれ。これはマナクルタグって言って、冒険者の識別票だよ。特級冒険者はミスリル製、上級はゴールド、中級はシルバー、下級はブロンズ、それ以下はカッパーで、身分証明証にもなるんだ。それに、何よりパーティ組むんだから、拠点のドルカスに戻ったら、ハンクも冒険者ギルドに登録しなきゃ」

「そうだな。しかし、ホームか……」

 再び歩みを進めながら、出身地という単語にハンクは言葉を詰まらせた。

 冒険者と言う単語に心躍る為、登録することはやぶさかではない。しかし、出身地と言われても、この世界の生まれではないのだ。適当に答えようにも、ドルカス以外の街の名前を知らない。

「記憶が戻るまではドルカスって事にしとけばいいじゃない。自己申告だから悩むことなんてないわ」

 思案に暮れるハンクにアリアが助け舟を出した。

「はは……俺としては、ありがたい限りだな」

 

 しばらく進んでいくと、木の生える間隔が、さらにまばらになってきた。すでに、街の入口まで目と鼻の先である。

 ハンクはエルフの街の入口に視線を向けた。街の入口は、二階建ての家が隠れそうな高さの岩盤で囲まれており、その中央には馬車さえも通れそうな木製の門があった。

 午前中の為、大きな木製の街門は解放されており、ちらほらと人の出入りも見て取れる。

「シゼルとハッシュにも言ったけど、キミも怪しまれないように堂々としててね」

「了解」

 釘を差すアリアに、ハンクは視線をエルフの街に向けたまま返事をした。

 いよいよ、この世界に転生して初の街だ。

 ハンクは自然と胸が躍るのを自覚しつつも、努めて冷静に歩みを進める。

 この2日間、この世界について自分が何も知らないという事を何度も痛感させられた。

 あの時、勢いで帝国へ行こうとした自分を嗜めてくれたアリア達3人には、感謝の言葉も無い。もし、何の手立ても無いまま帝国の街へ行ったとしても、良くて門前払い、悪くて大騒動になっていただろう。

 よりによって、帝国の密偵を引き連れて行こうとしていたのだ。即投獄されても不思議は無い。

 とは言え、これから入るエルフの街で、自分はお尋ね者や犯罪者と言う訳では無いのだ。アリアの言葉通り、堂々としていればいい。

 気を取り直して、ハンクは前を見据える。

 そこには、どこか白く霞んだ春の空の下、開放された街門を挟んで、ハンクを待ち構える様に広がるエルフの街があった。

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