第10話 長い1日の終わり
ハンクが《アナイアレイション》を発動すると同時に、地上から空へ向かって、天を突き刺す様に巨大な光の柱が出現した。
強烈な閃光が輝いたのは束の間の出来事であったが、歩いて2日半ほどの距離にあるエルフの街でも、その光の柱が観測されたほど強い光だった。
強烈な光がおさまった後、ややあってから、ハンクは目を開き、数度、瞬きを繰り返した。
かなり激しい光であったが目が眩んで見えない、と言うことは無い。
対消滅が生み出した膨大な量のガンマ線によって、細胞が壊死してるかどうかは分らないが、目は見えているし、皮膚の色もさっきまでと同じに見える。
――取り敢えず大丈夫そうだ。
結界に指示を加えた通り、人体に有害な放射線であるガンマ線や超高熱を遮断してくれたのだろう。もし、このような至近距離で、膨大な量のガンマ線に被曝しようものなら即死である。
念のため後ろを振り返り、アリア達3人の姿を確認する。
強烈な光に未だ目が眩んでいるようだが、無事の様だ。
その姿に胸を撫で下ろしつつ、次にアイアタルの姿を探す。しかし、先ほどまでアイアタルがいたはずの場所にその姿は無い。さらに言えば、木も草も、すべてが消滅していた。
《アナイアレイション》が発動した場所には、長さ50メートルのプールがすっぽり入るほどの、円形に広がった剥き出しの地面だけが残っていた。
(空間ごとゴッソリ削ぎ取ったみたいだな……)
自身の放った魔法の破壊力に唖然としつつも、何となく気になって、ハンクはその中心へ歩いて行った。
そこには夕方の太陽の光を反射して、紫色に光る水晶の様な物が落ちていた。
ハンクの記憶では、この辺りにアイアタルがいた筈である。姿が見えないと言う事は、アイアタルはこの水晶の様な物を残して消し飛んだのだろう。
対消滅の現場を実際に見た事などある訳も無いが、結界内で高密度のガンマ線が荒れ狂い、超高熱に達した様には見え無い。剥き出しの地面には、適度に湿り気すら残っているのだ。
ハンクは対消滅を起こすべく、青白い光の粒子すべてが反物質化する事をイメージして《アナイアレイション》を構成した。
しかし、対消滅を起こすための反物質とは、仮想の物質である。
魔力で生成された反物質は、本物の反物質とは根本的に別の物だったのかも知れない。
そもそも、ハンクは反物質が何か詳しく知っている訳では無いのだ。
(アリアは対消滅って言ってたけど、この世界の言葉が、俺の知ってる近い言葉に変換されただけなのかもな……)
異世界の言葉が似たような単語に変換される。よくある話だ。ハンクはそう思いながらも、魔法が成立し全員無事であったことに、安堵のため息をついた。
そして、ハンクは足元に落ちている紫色の水晶を拾い上げようと、腰を落として右手を伸ばした。
もう少しで、ハンクの指先がそれに触れようとした瞬間、青白い粒子が紫色の水晶からフワリと舞い上がり、ハンクの右手にゆらゆらと纏わり付く。まるで生き物のように、何度かハンクの右手の周りをぐるぐる廻った後、その一部が指先に触れた。
それと同時に、ハンクの頭の中に映像が流れ込んで来た。
その部屋は石造りで、壁の中央には火のついた暖炉が置かれていた。暖炉の前には、長く伸びた明るい栗色の髪をゆったりと後ろで束ねた、妙齢のエルフの女性が椅子に腰かけてこちらを見ている。
『ラーナ。大分、精霊魔法が上達したのね。ヒューマンだなんて思えないくらい』
『先生のお蔭ですよ。今に高位精霊魔法も使えるようになって、帝国でも指折りの魔導将になってやるんだから!』
自らの視点に、元気な少女の声が重なる。この記憶の主なのだろう。どうやら、ハンクはその主の記憶を垣間見ているようだ。
『無茶は駄目よ。あの人はあなた達を戦いのために連れて来たけど、私はあなた達を戦場に行かせたくないわ。精霊魔法は自然と共に生きるための魔法なのだから……』
エルフの女性が悲しげにこちらを見る。
『大丈夫だってば! 私は死なないよ先生。一人前の精霊使いになるには、まだ何年もかかりそうだし……それに、みんなを置いては行けないよ』
そう言って軽口をたたいた少女に、『約束よ』と言ってエルフの女性が微笑みかけた。
そして、映像が切り替わる。
次に目に映ったのは、大きく開けた木造の部屋の中だった。
その部屋には床が無く、木造の壁が四方を囲うように作られている。
壁際には等間隔に案山子の様な物が並んでおり、何人かがそれを相手に武器を打ち込んでいるのが見えた。どうやら、訓練場なのだろう。
そして、目の前には精悍ではあるが、どこか冷酷な顔つきの青年が立っており、こちらを見下ろしていた。
眼前の青年に見下ろされてはいるものの、先ほどの映像より自分の視点が高くなっている気がする。
――成長したのだろうか?
そんなことを考えていると、目の前の青年が口を開いた。
「帝国密偵部隊に配属されて半年か……大分、マシになって来たな。次の任務が決まった。お前はこれから私を含めた数人とエルフの街へ向かい、ハイエルフを
「――え?」
「お前の精霊語の能力を買っての作戦だ。従わないのなら、替わりは他にも沢山いる事を覚えておくんだな」
「くどい。先生とあの子達を引き合いに出すのはウンザリだ。やればいいんだろう」
冷たい口調で言い放つ男に、大人びた声に変わった少女が、ぶっきら棒に答えた。
そして、視線が斜め下を向き、乾いた地面が目に入る。この少女は全力で堪えているのだろう。
「賢明な判断だ。出発は今夜。準備をしておくように」
遠ざかって行く足音を聞きながら、少女の目線が斜め下から足もとへと移る。
「先生ごめん…………ごめんね……」
呟くように絞り出したその声と共に、視界がじわりと歪んだ。
遠くから名前を呼ばれたような気がして、ハンクは我に返った。
後ろを振り返るとアリア達3人がこちらへ近づいてくる。再び紫色の水晶に目を戻すと、右手に纏わり付いていた青白い粒子がゆっくりと霧散し始めた。魔力の粒子に似ているが、何か違う。もっと根源的なモノの様な気がする。
「ハンク、ものすごい光だったけど……アイアタルは?」
青白い粒子が完全に消えた所で、後ろからアリアが声を掛けた。
「多分、この紫の水晶みたいなのが、そうじゃないかな?」
そういって、その水晶をハンクが持ち上げようとした瞬間、それはまるで塩の様に崩壊を始める。突然の事に思わず両手で受け止めようとするが、キラキラと紫に光る細かな粒子は、するするとハンクの手から流れ落ちて、雪の様に消えていった。
(――ごめんね。先生、みんなバイバイ)
虚空から声が聞こえた。さっきの少女の声である。そして、先ほど右手に纏わり付いた青白い粒子が、なんだったのか思い当たる。そう、魂だ。
――ゾクリとした。
(あの映像は、アイアタルにされた女密偵の記憶……? じゃあ、無理やり連れてこられただけの彼女を、あのクソ魔神が魔物にした挙句に、それを俺は消滅させたのか……?)
普通の人間であった彼女が、アイアタルに変貌させられていく過程が脳裏に蘇る。
(あの子には、帰る場所と親しい人達がいたはずなんだ! それを、あんなふうに……粘土細工みたいに作り変えて……)
唐突に動悸が激しくなり、呼吸も苦しくなって来た。吐き気も感じる。ついさっき、全員の無事に安堵した気分など、微塵も残ってなどいない。
無理やり連れてこられたとはいっても、彼女も密偵である。勿論、死の覚悟もあっただろう。
面と向かって刃を合わせ、その結果死んだと言うのであれば、今とは違った感情を感じたかも知れない。
だが、結果として彼女は魔神によってアイアタルへと変貌し、それを《アナイアレイション》で消滅させたのは自分だ。
こんなこと言えた義理ではないのは解っているが、この様な死に方は人の死に方では無い。
ハンクはやり場のない怒りと後悔で、思考がぐちゃぐちゃになった。
「クソがっ! もっと、何とか出来ただろ!」
有らん限りの力を込めて、ハンクは拳を地面に叩き付けた。
その後、ハンクはアリアかハッシュと何か会話したような気もするが、ボンヤリとした頭では曖昧な返事をする事しか出来ず、幽鬼の様な足取りでもう一人の密偵を転がしてある場所まで戻り、野営を張るために手ごろな場所へ移動する事となった。
焚き火の奥で、バチッと音を立て粗朶が砕けた。
その音で、目の前で燃え上がる炎に焦点が合う。辺りを見渡すと、既に、森は夜の帳の中に沈んでいた。
揺らめく炎に、それぞれ横になって休むアリアとハッシュの姿が見える。焚き火を挟んだ向かい側にはシゼルが座り、その傍らに体中を縛り上げられた密偵が、猿ぐつわを噛まされ横たわっている。
「何があったかわからないが、正気に戻ったか」
落ち着いた口調でシゼルがハンクに声を掛けた。
「悪い。あの水晶に触ったら、彼女の記憶が流れ込んできて、そっからはあのザマだよ」
「もう大丈夫なのか?」
「多分。後は俺が自分で整理を付けるだけさ」
そう言ってハンクは
――ラーナの記憶に出て来た男に間違いない。
ハンクは両手でその男の胸ぐらを掴み、そのまま軽々と持ち上げた。
「ラーナって言えば誰の事だか分るだろ。俺がこんなこと言えた義理じゃないのは解ってる。それでも、俺があの娘の代わりにエルフの先生達をお前らから助け出して、こんなクソみたいなこと思いついた奴等を消し飛ばしてやる」
静かだが、底知れぬ怒気を含んだハンクの言葉に、密偵は大きく目を見開いた。
本当に、この少年は記憶を読む事が出来ると言うのか? いかに自分が黙秘を貫こうと、それでは何の意味も為さない。
密偵が情報を漏らすなどあってはならないのだ。何とかして、この場を逃げおおせなければ。
ほとんど半狂乱に近い状態で、密偵は言葉にならない呻き声を漏らし、縄を抜けようともがく。
「逃がすわけ無いだろ。俺が良いって言うまで寝てろ! ――《アスフィクシア》」
ハンクは胸ぐらを掴んだまま睡眠魔法を密偵に掛け、動かなくなったところで、乱暴に地面に転がした。
「ハンク。心の整理は付いたの?」
唐突に、寝ているはずのアリアの声が、後ろから聞こえた。
ハンクが振り返ると、そこには座った姿勢でマントから頭だけ出したアリアと、熟睡中のハッシュが目に入った。
「どうだかな……。それよりも、悪い。起こしちゃったか」
「寝れなくて起きてたから、謝らなくていいわ。それよりも、エルフの先生ってどういうこと?」
「ラーナに……アイアタルにされた彼女に精霊語を教えてた。詳しい事情は分からないけど、ラーナはその先生と他の子ども達を盾に、この男に連れてこられたみたいだ」
戦いの前に魔神と会話した時、ラーナは何も知らないと言っていた。なんといっても魔神は神である。取るに足らない嘘は言わないだろう。
だとすれば、エルフ鹵獲の指令を誰が出して、どのような陰謀があるのかまで、彼女は本当に知らなかったのかもしれない。だが、彼女は直接エルフの女性に精霊語の手ほどきを受けていたのだ。重大な情報である。
(――あのタヌキ魔神め!)ハンクは心の中で悪態をついた。
「そう……。それを聞いたら、私も整理を付けなきゃいけないことが出来たわ。見張り、変わるから二人は休んで」
そう言ってアリアはハッシュのマントを剥ぎ取り、そのマントをハンクに投げてよこした。
――未だ、ハンクは服1枚のままなのである。
「なんなのさ! 急に剥がさなくてもいいじゃないのさ!」
「交代よ。ハッシュ」
「ヒドイ……」
寝ぼけ眼でアリアに抗議するハッシュを尻目に、ハンクとシゼルはそれぞれ横になった。
「ハッシュ、ありがたく借りるよ。おやすみ」
そう言って、ハンクは目を閉じた。
――それにしても、長い1日だった。
ハンクが異世界に転生して、まだ1日目の夜なのだ。それなのに、今日だけで本当に色々なことが起きた。
魔神の話によれば、この世界には刺客のほかに勇者や魔王も存在すると言っていた。
せっかく転生したのだ。ヤバい奴らと命のやり取りなどする気は無い。本当はのんびり暮らしたいのだが、どうやら、そうもいかないらしい。
だが、それよりまずはラーナの件だ。自己満足などと言うことは、
踊るように揺れる焚き火の熱を背中に感じながら、ハンクの意識は、暗い闇へ沈んでいった。
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