第8話 邪精霊アイアタル

 突然、不自然に転倒して地面を転がる密偵たち。

 両手斧を、マサカリでも担ぐかのように肩に掛け、悠然と歩いて行くハンク。

 激戦になることを覚悟していたアリア達3人は、その光景を只見ていることしか出来なかった。

 帝国密偵部隊と言えば、1人で中級冒険者数人を相手取ることが出来ると言われている。それは、上級冒険者と同義なのだ。

 ちなみに、アリア達のランクは、その中級冒険者パーティである。しかし、個人の実力に於いて、アリアとシゼルは上級冒険者の域に達している。

 それでも、彼らが中級冒険者パーティなのは、単に功績が足らないから、と言うだけである。

 上級冒険者ともなれば、王国や大商会と言った相手からの依頼も受けることになる。そのような相手に信頼を得るためには、ある程度の名声が必要不可欠なのだ。

 今回の依頼のような、裏側から王国が関与している依頼は、おのずと功績が高い。

 依頼内容は誘拐の阻止とあったが、密偵の確保となれば功績は格段に良くなるだろう。上級冒険者パーティへの昇格も夢ではない。

 もっとも、ハイエルフであるアリアには、功績の高低に関係なく、この依頼を受ける理由が別にあった――。何の目的かは知らないが、同族を誘拐させる訳には行かない。

 だが、現在その密偵達は為す術も無く地面に転がされ、拘束されている。致命傷を負っている訳でもない。それは、先日彼らの1人と剣を交えたアリア達3人にとって、にわかに信じがたい光景であった。

 たしかに、ハンクの身の証を立てるために、気軽に密偵を捕まえると言う話にはなっていた。しかし、実力の近い相手と戦闘して、無力化して捕まえると言うのは簡単に出来ることではない。

 とはいえ、密偵は主に単独行動するものである。

 先日の戦闘では、こちらに数の有利があったにも関わらず逃げられてしまったが、1対4で相手を包囲するのであれば、無傷とは言えないまでも捕獲は十分可能と思われた。

 そして今回、遭遇した密偵の数は2人。正直、捕獲を目指すのは非現実的である。なんとか密偵のどちらかを仕留めたとしても、こちらに犠牲者が出ても不思議では無い相手だったのだ。


 アリア達3人は、身を隠していた場所から、めいめいに姿を現した。ハンクと密偵の傍まで、武器を構えたまま近寄って行く。その間に、ハンクは離れた所に倒れているもう一人の密偵を、一人で引きずりながら歩いて来た。

 ハンクに出会ってからと言うもの、信じられない光景ばかりだ。彼とは、まだ、今日出会ったばかりだというのに。

「なあ、誰かコイツ等が口の中に、毒とか爆薬を仕込んでないかとか、調べられたりしないか?」

 密偵2人を並べて仮面を剥ぎ、《バインド》の効果を確認しながら、さも当然であるかのように、ハンクが3人に問いかけた。

 密偵達は、それぞれに唸り声のような声を発して、憤怒の形相をしている。

「キミ……人間の口の中に、そんなものどうやって仕込むのよ」

 突拍子もないことを聞いてくるハンクに、呆れたようにアリアが答えた。

「そういうのは俺も聞いたことが無い。だが、密偵が捕まった時に、舌を噛み切る事もあるらしい。今回は仮面を剥いで素顔まで晒してるからな……。魔法を解いたとたんに実行しかねんな」

 シゼルが、アリアの言葉を肯定するように頷きながら言った。そして、密偵に目を落とす。男性と女性が1人ずつ。2人ともヒューマンだ。今回追っていた、帝国側の密偵で間違いないだろう。

「そうね。木の棒でも口に噛ませておけば、死なれることは無いと思うわ」

「心配し過ぎか……。なんにせよ、約束通り密偵を捕まえられたな」

 密偵達を野犬でも見るかのように言うアリアに、ハンクが破顔した。

「ふふ。ホントね。キミと会ってから驚くことばっかり」

「笑ってる場合じゃないよアリア……。2人もどうやってドルカスまで運ぶのさ」

 並べられた密偵を見て、ハッシュがげんなりした様子で呟いた。

 ここから一番近いエルフの街でさえ、2日掛かるのだ。そこからさらに森を抜けて南下し、ドルカスの街まで戻るのであれば、さらに3日必要となる。

 合計5日間の行程を、2人の人間を担いで行くのは非現実的と言うものである。

「シゼルとハンクで一人ずつ担いで、ハッシュが身体強化魔法を2人に掛けるのはどう?」

 2人の密偵を見ながら、いたずらっぽくアリアが言った。

「何日かかると思ってるのさ! 魔力切れで干からびちゃうよ!」

「アリア。ハンクを担ぐのでも結構しんどかったんだ……。それは勘弁してくれ」 

 たまらず、シゼルとハッシュが抗議の声を上げた。


「さて、参ったな。どうやって運ぼうか……」

 約束通り密偵達を捕獲したまでは良かったものの、その処遇にハンクが頭を悩ませている間に、アリア達3人は手際よく密偵に猿ぐつわをかませて、全身を縛り上げていく。

「ところで、ハッシュ。ハンクの魔力なら身体強化魔法を長時間続ける事が出来るんじゃないか?」

 密偵を縛り上げながら、シゼルが思いついたことを何となく口にしてみた。

「それだ! ハンクなら持続時間どころか、倍率も上げられるかもしれない。やってみよう!」

 名案だとばかりに、ハッシュがハンクに詰め寄る。ハンクは心なしか、ハッシュの目が光ったように感じた。

「教えてくれれば、多分、出来るんじゃないかな。強化魔法……」

 ハッシュの勢いに気圧されて、ハンクは思わず、そう呟いていた。


「さすがハンク。バッチリじゃないのさ」

「倍率の調整も慣れて来たし、いけるんじゃないかな。10倍位なら、対象の身体に負担を掛けなさそうだ」

 ハッシュとハンクのやり取りを聞きながら、実験台替わりのシゼルが、密偵の一人を軽々と持ち上げる。

「いい感じだ。薪の束でも持ってるみたいだな」

 そう言った後、密偵を地面に下ろし、両手斧を振る。鉈でも振るかのように、片手で軽々と扱えるようだ。これなら長時間の運搬も問題ないだろう。

 そして、ハンクは再び身体強化魔法を構成する。全身の筋肉の密度を上げるイメージをして、魔力量は10倍。その倍率が、そのまま身体強化の倍率に換算される。

 何度かやってみた程度ではあるが、だいぶ魔力の出し入れに慣れてきた。水道の蛇口をひねる感覚が一番近いだろうか。

「《ストレングス》」

 そう呟いて、ハンクは自身に身体強化魔法を掛けた。そして、すっかり重さの目安扱いとなった、男の方の密偵を持ち上げる。軽い。トウモロコシかと思うほどだ。シゼルと体感の差がかなり違うようだが、それはこの身体のせいなのだろう。どうやら、相当な怪力の様だ。

 そんなことを思いながら、ふと、もう一人の女の方の密偵を見ると、肩口から青白い魔力の粒子が、何もない中空へ向かって伸びているのが見えた。

 ――嫌な予感がする。

「3人とも、その女密偵から離れるんだ! どこかから、魔力が流れ込んでる」

「え? どういう事――」

 アリアが言葉を言い終わらないうちに、女密偵は歪に膨らみ、不気味で巨大な肉の塊の様なモノになった。もはや人間であった原形はどこにも見当たらない。

 その巨大な肉塊は脈打つように全体を何度か震わせた後、急激に収縮して、どす黒い血のような色をした、握りこぶし大の球になり、ハンク達の目線ほどの高さに浮いて停止した。


 あまりに突然の現象に、誰も事態が呑み込めず、全員がそれを唖然と見ている事しか出来なかった。

 そして、唐突にハンクの頭の中で声が響いた。

(まずは魂に名を刻み、覚醒を果たしたか。重畳ちょうじょうであるぞ)

「――なっ!」思わず声を上げ、ハンクは空を睨んだ。忘れもしない、魔神の声である。

(アンタの仕業か。まだ、1日と経ってないのに、気が早すぎるんじゃないのか?)

(あくまで手助けだと言ったろう? 今も戯れと言う訳では無い。それと、今回は初めてであるし、特別だ。ちょうどいい練習相手位にしておいてやろう。気を抜くと死ぬのは変わらんがな)

 どこか嬉しそうに語る魔神。

(せっかくの捕虜を台無しにしやがって……)

(もう一人いるから善いではないか。どうせ、あの者は何も知らん。さあ、祝福しよう。我が眷属よ!)

 そのとたん、赤い塊が徐々に膨らんでいく。

(誰がお前の眷属だ!)

(勘違いするでない。眷属はあの赤い塊。精霊アイアタルだ。さて、用事は済んだ。ゆっくり見物させて貰うとしよう)

 その声が響き終わると、赤い塊であったものは、長い紫色にウェーブが掛かった髪を伸ばした、人間の女性の上半身と、鱗を纏った蛇の下半身を持つ巨大な魔物へと変化した。背丈は周りの木々程もあろうかと言う大きさである。

 その姿を見て、アリアが「まさか――」と小さく呟く。

 そして、上半身を軽く折り曲げて何度か身震いした後、不快な声の咆哮と共に体を開き、背中にドラゴンの翼が現れた。

「なんなのさ! あの化け物! 無茶苦茶な魔力を吐き出してる」

「――邪精霊アイアタル……何百年も姿を消していたはずなのに」

 不快な咆哮に顔を歪めながら言うハッシュに、信じられないものを見る面持ちでアリアが答えた。自分が生まれる遥か前に姿を消した精霊である。当のアリア自身も見た事は無い。だが、師匠である先代預言者から聞いていた特徴と一致する。

「何か知ってるのか?」

 既に抜刀した片手剣を構えながら、シゼルがアリアに尋ねた。

「あれはダークエルフの森に居たはずの猛毒の精霊よ。精霊王に近い力を持ってるわ。猛毒を帯びた粒子を周囲にまき散らすはずよ。粒子は魔力で出来てるから、風で吹き飛ばしたり、炎で焼いたりできないわ」

「どうするのさ! 解毒の神聖魔法なんて誰も使えないよ」

「そうね……。エルフの精霊魔法にも解毒なんてものは無いわ。だから、こっちも魔力の粒子を直接散布して、猛毒の粒子を対消滅させたって師匠に聞いたことがあるわ」

 それこそが先代預言者の語った、魔力の粒子を1度だけ見せて貰ったという出来事なのだ。そして、それは人外の業でもあると――。

「じゃあ、俺がやるしかないな。斧、借りるぜシゼル」

 そういって、足元に横たわった両手斧を、ハンクが無造作に拾い上げた。そして、(まあ、もともと俺の敵だしな……)と、心の中で独りごちる。

 その心の声に返答するかのように、アイアタルがドラゴンのように一声吼えた後、蛇のような長い尾を鞭のようにしならせて、ハンクめがけて振り下ろす。

 それをハンクは両手斧を横薙ぎにして防いだ。その後、左手をアイアタルに向けて突出し、《アイギス》と短く唱えて青白く輝く盾を出現させて、そのまま全力で体当たりをかける。

 巨大なアイアタルの身体が、少し離れた所まで吹き飛んだ。

 そこでちょうど、身体強化魔法の効果が切れた。

「キミ……。どう考えても、ヒューマンの力じゃないでしょ。ソレ」

「それよりも、あっちは本気になったみたいだ」

 呆れるように言うアリアに、ハンクはアイアタルに目線を向けたまま答えた。

 そして、吹き飛ばされたアイアタルが、怒りの形相を浮かべて一つ咆哮し、周囲へ紫に輝く猛毒の粒子を解き放った。

 

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