第7話 魔法の危険な一面

 ハンクが短く『当たり前だろ』と言ったのが聞こえたのと、アリアが魔力の激流に呑まれたのは、ほとんど同時だった。

 冒険者になる前、アリアが故郷で預言者になるための修練を積んでいた時、師匠である先代預言者から、魔力そのものを見る事が出来るのであれば、それは青白い粒子のような姿をしているという話を聞いたことがあった。そして、高密度であればあるほど、輝きは強く量も多いのだと言っていた。

 しかし、アリアは未だ、それを目の当りにしたことは無い。

 アリアを師事していた先代預言者ですら、自分にも見ることは出来ないと頭を振り、「1度だけ見せて貰った事があるが、あれは人外の業だ」と言っていたのだ。

 なのに、それが今、目の前で発現している。

 しかも、今日会ったばかりの少年によって。

「キミは……一体……」

 魔力の激流の中で、アリアが声を出せたのはそれだけだった。

 目の前で、ハンクはアリアの右手を握り目を閉じている。集中しているのだろう。

 彼の足もとから、強い輝きを放つ膨大な量の青白い粒子が、森の木々の高さを超えて、竜巻のように吹き上がっている。

 アリアを中心として、麻紐のような細さで、放射状に風の精霊シルフ大地の精霊ノーム木の精霊ドライアドといった精霊たちへ供給していた魔力が、それぞれ丸太のような太さに膨れ上がり、とてつもない勢いで供給されていくのを感じる。

 精霊魔法の一つ《エレメンタル・スキャン》は、術者を中心に精霊から精霊へと魔力の糸を通して連結し、精霊を介して遠く離れた場所の情報を得る魔法である。精霊たちをネットワークのように繋ぐ為、連結する糸の太さが情報量であり、探査距離でもある。魔力を多く込めるほど糸は太くなるのだ。

 その為、ハンクの送り込んだ大量の魔力は、遥か先のシルフ、ノーム、ドライアドにまで届けられ、今までとは比較にならないほどの大規模なネットワークを形成した。

 少しして精霊達から、それらしいヒューマンの情報が送られてきた。数は2人。ここから半日ほど大森林の内側へ向かったところにいるようだ。

 さらに、精霊達にもたらされた情報によれば、探査範囲はこの場所から森の中央にあるエルフの街近辺まで届いていた。ここから徒歩で3日の距離である。通常の探査範囲は、森の中を見渡せる程度である事と比べると、まさに驚異的な範囲であった。

 当然、密偵のみならず、エルフ達もこの尋常ならざる魔力に気が付いただろう。

 先ほどハンクには、大規模の探査は魔力がいくらあっても足らないと説明したが、それをしないのはもう一つ理由がある。それは、精霊たちからもたらされる大量の情報に、術者が耐え切れない為である。

 正直、アリアはハンクの魔力を甘く見ていた。

 この規模の探査魔法は危険どころか、自殺行為に等しい。

 探査対象を、ヒューマンの帝国密偵のみに限定していたお蔭で、探査範囲の結果と対象の発見と言う情報のみが届き、たまたま助かったに過ぎない。

 先日の戦闘で手傷を負わせた時に、仮面とローブを着けた姿を見ていた為、より情報が絞られたのだ。

 ただヒューマンと言う条件だけであったなら、冒険者に密猟者、さらには迷い人など、精霊たちは多大な情報をアリアの脳内へフィードバックしてきただろう。先日の戦闘は、まさに僥倖ぎょうこうと言えた。

 そして、アリアは全力でハンクに呼びかける。これ以上は危険である。

「ハンク! 見付けたわ! ここから、西へ半日行った所。もういいよ、ストップして!」

「ん? そんなデカい声でどうしたんだ?」

 そう言ってハンクが目を開けたのと同時に、青白い激流も姿を消した。

 ハンクが魔力の受け渡しを止めたことで、丸太のような太さのその流れが、再び麻紐の様な細さへ戻って行く。

 アリアは、密偵達を見つけた場所へ、蜘蛛の糸の様に細い一本の流れを残し、一番相性の良いシルフを使役して密偵に監視を付けた。

 元々は、ハンクの魔力で悪目立ちして、密偵を誘き寄せるつもりであったが、こちらが相手を先に見つけた。その上、場所まで特定出来たのだ、望外の収穫である。

「キミの魔力、甘く見過ぎてた……。危うく廃人になるとこだったわ」

「え!? すまん。なるべく範囲が大きい方がいいかと思って、やり過ぎた……」

 廃人と言う言葉を聞いて、ハンクが目を見開く。

「いいのよ。具体的に言わなかった私も悪いわ。まさか、範囲が大森林の半分なんて思っても見なかったし……。それに、あれだけの魔力を放出したんだもの、ほとんど魔力残ってないでしょ?」

「どうだろう。体感で1割くらい使った程度かな」

「キミ……密偵どころか、ホントにヒューマンなの……?」

 そこまでハンクに言ったところで、アリアはその場にへたり込んだ。運よく助かった実感が、今更のように込み上げて来て、膝から力が抜けたのだ。

 ハンクがアリアに「大丈夫か!?」と声を掛け、茂みからシゼルとハッシュが、何事かと駆け出してくるのを見ながら、脱力したアリアは下草の茂った地面に、そのまま後ろ向きに倒れ込んだ。


「あんな巨大な魔力受け渡すなんて、二人とも何考えてるのさ!」

「急に倒れ込んで、大丈夫なのか?」

 倒れ込んだアリアを、ハンクが助け起こしていると、ハッシュとシゼルの二人が走って来た。

 魔力を感知できるハッシュは、何が起きていたか何となく想像がついているのだろう。血相を変えて、といった様子である。

 それとは対照的に、魔力を感知出来ないシゼルは、何が起きたか今一つ理解しかねるようだ。

「さすが、ハッシュは誤魔化せないわね。ハンクの魔力、甘く見てた……」

「廃人になったらどうするのさ! まったく!」

「そんなに怒らなくてもいいじゃないか、ハッシュ。アリアも無事そうだから許してやれよ」

「シゼルは気楽に言って……。僕はホントに心配したんだからな!」

 食って掛かるハッシュに、シゼルが気楽に言葉を返した。

「悪い。俺が魔力を受け渡そうって言ったんだ。こんなに危ない事になるとは思っても見なかった……」

「私が具体的に魔力量を伝えなかったら悪いのよ」

「まったく……」

 ばつが悪そうにしているハンクと、対照的に、あっけらかんとしているアリアを見て、ハッシュは溜め息をついた。


 その後、しばらく休憩を挿んで、4人はアリアが密偵を補足した場所へ向けて出発した。

 アリアはすぐにでも出発しようと主張したが、シゼルがそれを嗜めた。

 密偵を発見したら、戦闘になるのだ。先日の戦闘で、あっさり捕まってくれる敵ではないことは、既に経験済みである。無理を押して進んで、万が一があってはいけない。

 実際、アリアも魔力切れに近い症状が出ているのは自覚していた。膨大な魔力の流れを制御する為に、知らず知らず自分の魔力の大半を消費していたのだろう。

「わかった。シゼルの言う通り、少し休憩するわ」

 そう言って、アリアは近くにあった木の根元に座って目を閉じた。「素直でよろしい」とシゼルが満足気に頷く。

 そして、残りの3人も休憩をとりつつ、隊列や作戦、装備を確認し、しばらくした後、密偵を確保するべく移動を開始した。

 先頭にシゼル、その後からアリア、ハッシュと続き、最後尾に両手斧を肩に担いだハンクの順で森を移動する。森の中は木々が乱立し、両手斧では戦い難い。先頭を行くシゼルに剣を返し、その替わりにとハンクは両手斧を借りたのだ。

 ハッシュ曰く、シゼルは剣の達人なのだそうだ、それなのに両手斧を持つのは趣味らしい。冒険者らしい感じが好みとのことである。「まあ、両手斧は戦士っぽいよな」などと、ハンクも試しに振ってみる。意外と軽い。剣を借りた時も思ったが、鉈でも振り回してるかのようだ。これもこの身体のお蔭なのだろう。そんなやり取りをしながら、しばらく歩いていると、

「監視に付けてたシルフが、密偵がこっちへ移動してるって教えてくれたわ」

 そう言って、アリアがシゼルに進む方向の指示を出す。

「了解。距離は?」とシゼルが短く答える。

「まだ、だいぶ先。さっきの魔力放出の確認に動き出したんだと思う。魔力の出所はハンクでも、精霊魔法に変換したのは私だから、見過ごせないのね」

「強力な精霊魔法だと思ったってことか。やっぱりアリアが狙われてるじゃないか」

 事も無げに言うアリアに、ハンクが呆れたように言葉を返す。

「危ないときはキミが守ってくれるって約束でしょ?」

「《アイギス》使う前に、《バインド》で、ふん縛ってやるさ」

「ふふ。期待してるわ」

 ぶっきら棒に言うハンクに、笑顔でアリアが答えた。


 ややあって、「そうだ!待ち伏せしよう」と唐突にハッシュが声を上げた。

 アリアの精霊魔法のお蔭で、密偵の位置情報は筒抜けなのだ。この絶対的有利を生かさない手は無い。

 話の決まった4人は、しばらく進んだのち、木の密度が低い場所を選んで、それぞれに身を隠した。

 アリアの話によれば、密偵たちはもうすぐの距離に近寄ってきているとのことである。

 しばらくして、ハンクは首筋にひやりとした感触を前方から感じた。

 恐怖というよりは、人の悪意に触れた時に感じる嫌悪感が一番近いだろうか。それを感じた前方に意識を集中する。二つ、嫌な感じのする気配が近づいてくる。走っているのだろうか? そんなことを思いつつ木の陰から前方を見ると、見た事のない仮面を着けて、深緑のローブを纏った姿が2人、森の中だと言うのに、猛スピードで走ってくるのが見える。動体視力の時もそうであったが、視力も前世に比べて格段と上がっているようだ。

 ハンクの体感では、既に《バインド》の射程圏内に入っている。しかし、この手の魔法は距離が離れるほど、抵抗レジストされたり発現場所にズレが出るものだ。何より、遠くで行動不能にしてしまっては、回収が面倒だ。ゆっくりと、焦らず、近づいてくるのを待つ。

 そこで、はたと気が付いたことがあった。

 只の《バインド》では、口を動かせた気がしたのだ。確保したものの、舌を噛み切られたり、口内に爆薬の様な物を仕込まれていては堪ったものではない。口の動きも封じなければ。

 そこまで考えて、ハンクは2人の密偵の位置を確認する。アリア達が飛び出すには遠いが、《バインド》を掛けるには丁度いい距離だ。

 そして、ハンクは《バインド》に身体拘束と口の動きを制限する効果を追加して、「《バインド》」と、短く唱えた。

 その瞬間、並んで森を疾走していた2人の密偵が、もんどりうって地面を転がった。突然全身の動きを止められたのだ、彼らに前方向へ運動する力を制御するすべは無い。

 彼らは、木の幹や低木に、したたか身体を打ちつけながら転がり、やがて止まった。

「よし! バッチリだな」

 そう言って、ハンクは木の陰から両手斧を担いで、地面で呻く2人の密偵に向かって悠然と歩き出した。

 彼等にはその光景が、さぞ信じられないものに映ったであろう。この2人は、帝国密偵部隊の中でも、特に選ばれた者なのだ。中堅程度の冒険者の拘束魔法を抵抗レジストするなど造作もない。ましてや、距離が離れているうえに、口の動きを制限するなどと言った追加項目付きなど、あっさり成功させてやるハズが無いのだ。

 だが、実際に彼らは抵抗レジストすら許されず、赤子の手をひねるかのように、あっさり捕まった。しかも2人同時である。信じられないのを通り越して、恐怖を感じるほどであった。

 そして、両手斧を担いで、手近な密偵の傍らまで行ったハンクは、両手斧の先を仮面に引っかけて剥がし、

「さて、俺はお前らと無関係だって証明してくれないかな。ちょっと、困ってるんだ」

 そう言って、両手斧を密偵の顔の横の地面に突き立てた。

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